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08.レース

 今日も馬車で次の街までの移動。今度の街はそれほど大きくない街で、お昼過ぎには到着する予定らしい。


 そして、今日の馬車も陛下と二人きり……。昨夜は散々な目にあったので、陛下とは微妙に距離を取る。


 いつもロゥアン陛下は私を馬車の奥の席に座らせたがっていらっしゃった。私も大人しく座っていたけれど、本来その場所は陛下が座るべき位置。


 それが今日はリドリスさんの計らいで、私が扉側に座ることができた。これでいつでも逃げ出せるし、窓を開けて護衛の方に助けを求めることができる。やっぱりリドリスさんは最強だ。




 馬車は石畳を川沿いに走り、街を抜けると広大な葡萄畑が見えてきた。緩やかな丘が延々と広がり、右も左も葡萄畑。


 夏の朝の陽射しを受けた葡萄の葉がキラキラと波打つ。壮観な眺めについきょろきょろしていると、斜め前に座られたロゥアン陛下と目が合ってしまった。陛下のグレーの瞳は笑っていらっしゃる。


 ……気まずい。


 窓を少し開けると清々しい風からは緑の香りがした。……潮の香りはしない。うるさいほどの海鳥の声もしない。汽笛も聞こえない今頃みんなどうしているだろう。


 ルイ兄さんにカルオさんから連絡がいったかな。ルイ、どう思っただろう。イリサはきっと驚いただろうな。カラとリラは理解できるかな。カルオさんとエミリさんは、きっと心配してるだろうな。


 あちらへ着いたら手紙を書こう。私の正直な気持ちも一緒に書こう。…なんて書けばいいだろう。


 まだ気持ちが整理できていなくて、色んな想いが絡み合っている。この想いを早急に解くことは困難だと思う。


 手紙に書く内容を考えていると、いつの間にか昨夜の寝不足が手伝って私は眠ってしまっていた。馬車の振動と、温かくしっかりと私を受け止めてくれるものに体を預けて、とても心地いい。


 すると突然の頭に響く低音で目が覚めた。


『ルノエ、起きろ。着いたぞ。』


 慌てて起きると自分の状況を理解するのに、時間がかかった。どうやら私はロゥアン陛下の肩に頭をもたれ掛けて眠っていたようだ。私が眠ったことで、隣に移動して肩を貸して下さったらしい。


 しかも眼鏡を取られていて、私の膝には薄いブランケットまでが掛けてあった。途端に真っ青になる。


『へへ陛下!申し訳ありません!私っ!』

『耳元で叫ぶな。昨日は眠れなかったのだろう?』

『えっと、…はい。』

『では明日も眠るといい。』


 ロゥアン陛下はそう言って赤い眼鏡を返してくださりながら、企むように笑われた。


『いいえ!もう充分です!』


 さっき青くなった顔が今度は赤くなる。陛下の前で眠ってしまうなんて…。





 今日宿泊予定のホテルは、小さなホテル。昨日の洗練された雰囲気のホテルとは対照的で、木造づくりの山小屋風。


 そこかしこに夏の花が咲き乱れて、花で彩られた山小屋といった感じ。花はどれもきれいに手入れをしてある。その中にピンク色のブーゲンビリアを見つけた。


「わ!……かわいい。」

『ルノエが来ることになったからな。リドが気を利かせたのだろう。』

『え?そうなのですか?』

『ああ、本来ならこの街は素通りだったはずだ。』

『………。』

『気にすることはない。男ばかりで強行な旅程だったから、丁度いい。それにリドはルノエを喜ばせたくて、こういうホテルを押さえたのだろう。後で観光に行くぞ。…通訳だろう?』


 上から覗き込むように、私に同行を促される。その優しいグレーの瞳にドキリとする。


『はい、ご一緒させていただきます。』

「ルノエ様、お部屋にご案内します。」

「あ、はい!」


 心なしかいつもよりニコニコ顔のリドリスさんの後ろに、嬉しさでいっぱいのニコニコ顔の私が付いて行く。


 床も壁もすべてが木材。木のいい香りがする。壁に掛かったタペストリー、花瓶に活けられた花、扉に彫られた花の彫刻、階段の鉄の流線形の手すり。全てが可愛らしくてウキウキしてしまう。本当にどこを見ても可愛い。


「あのリドリスさん、さっき陛下から聞きました。本当はこの街は素通りの予定だったとか……。」

「お喋りな方ですね。陛下がなにを仰ったかは存じませんが、可愛らしいホテルでしょう?」

「はい!すっごく!」

「お気に召していただけたみたいですね。」

「ありがとうございます。すごく嬉しくて楽しみです!」


 そうして案内された部屋はベッドルームとバスルームだけの、私には親しめる広さ。やはり壁も床も天井も木材。


 ベッドの彫刻は鳥で、ベッドカバーは手作りのキルトで赤い花のモチーフ。カーテンは鳥と蔦の模様で、浴室の蛇口は鳥が止まっている形。そこかしこに鳥と花と蔦。


「素敵。本当に可愛らしい部屋ですね。」

「手狭ではありますが、ご勘弁ください。」

「そんなことありません。私には丁度いい広さです。こんな所に宿泊することができるなんて、すごく嬉しいです。リドリスさん、ありがとうございます。」

「ルノエ様に喜んでいただけると、私も嬉しいですね。ではすぐに荷物を運ばせますので、落ち着いたら観光に参りましょう。」

「はい!」


 運んで頂いたトランクの荷物を整理して、そろそろロビーへ行こうかと思っていると、部屋の扉がノックされた。


 きっとリドリスさんだろうと思って開けると、そこには不機嫌そうな陛下がいらっしゃった。


 こんな可愛らしい部屋に大きな陛下がいらっしゃると……似合わない。笑ってしまうほど、似合わない。気づかれないように、笑いを耐える。


『……陛下?どうされました?』

『なぜ俺の部屋とこんなに遠いのだ?リドの陰謀か。』

『………。』


 リドリスさんの陰謀…。確かにそうかもしれない。でもその原因を作られたのは、陛下のはずです。敢えて口には出さないけれど。


『ルノエ、昨日買った髪留めはあるか?』

『あ、はい。』

『ああそれだ。あちらを向け。』


 昨日雑貨店で買っていただいた、ビーズの髪留め。ワイヤーにビーズを通して立体的な白い花の形をしている。とても素敵で、一目で気に入った髪留め。色は陛下が選んでくださった。


 扉を開けたまま、部屋の入り口で私の髪に陛下が手を触れる。今まで留めていた髪留めを外し、ご自身の手で髪留めを留めてくださる。陛下の指が私の髪を梳くのが恥ずかしくて俯いていると、からかうような声がした。


『なんだ?そんなに首を差し出して。口づけを強請ってるのか?』

「ちちちがいます!!」

『フフ、頼むから叫ぶな。』


 思わず大きな声を出してしまった私を、陛下は明らかに楽しんでいらっしゃった。あまりにも楽しそうでいらしたので、なんだか反撃したくなった。


『陛下のせいです。』

『そうか。俺のせいか。ならば許しを乞わないといけないな。』

『………いえ、もう結構です。』


『許しを乞う』という響きに楽しそうな気配があったので、身の危険を感じて即お断りする。


『ああ、やはり白い花が似合うな。』


 私を上から覗き込むグレーの瞳があまりにもやさしくて、小さな声で『ありがとうございます…。』と、呟くのが精一杯だった。






 小さな街を散策するには馬車を使わない方が勝手がいいようで、歩いて散策することになったのはいいけれど。…やはり護衛の方はなく、陛下とリドリスさんと私だけ。本当に大丈夫なんだろうか…。



 この街で有名なのはレース編み。小さな街なのにレースのお店がたくさんあって、すべてのお店に入りたいくらい。


 見たことのないような繊細な襟飾りや、ハンカチの縁に編まれたかわいいレースまで色々なレースで溢れている。


 ケースの中を見たり、手に取って見入っているとすぐ後ろに陛下が来られた。後ろから覗き込まれるようにされると、距離が近過ぎて驚いてしまう。


『ルノエ、なにか欲しい物はないのか?』

『いいえ。きれいすぎて、なんたかもったいないです……。』

『これとこれはどちらが美しいと思う?』


 そう言って陛下が示されたのは、ケースの中に飾られたシルクのレース。ひとつは小さな野の花を散らした図案。もう一つはバラを華やかに散らした図案。


『どちらも素敵です。』

『お前はどちらが好みだ?』

『え……。えっと、私が好きなのはこちらの小さな花です。』

『ああ、可憐な感じが似合うな。』

『可憐。です、か。』


 陛下の衝撃のお言葉に動揺していると、私に店主を呼ぶように言われた。そして見るからに鷹揚な雰囲気のおばさまの店主と陛下は、奥の部屋へ入って行かれた。


 ………私はいいのかしら?


 チクリと胸に痛みが走る。


 陛下は本当は通訳なんて必要のない方。私がいなくても大丈夫な方。なのに「通訳」という役を無理やりいただいている自分が滑稽に思える。こんな子供騙しのようなことを、陛下のお傍に行く口実にしている自分が情けない……。


 それにさっきの美しいレース。陛下はあれをどうされるのだろう?もしかして、あのレースを贈りたい女性がいらっしゃるのかも。あの繊細で美しいレースの似合う、美しい方が…。


 艶のある黒髪と時折不思議な色に輝く、切れ長のグレーの瞳。端正なお顔立ちに、高い背丈と長くて大きな手足。一見、強引なようでも実はお優しく気遣ってくださる。


 ハリク殿下とは対極の魅力のロゥアン陛下。お国に恋人が何人いらしてもおかしくない。


 あの大きな手で美しい方の手を取られるのだろう。私のように陽に焼けて荒れた手ではなく、白くきめの細かい肌の美しい手を…。


 それはきっと誰を憚ることのない、絵画のようなお似合いのお二人なのだろう。私がいなくても、きっと陛下には他にも美しい方がいらっしゃるはず。


 もう、港の街へ帰ろうか。またあの生活に戻る方がいいのかも……。


 ふいに過ぎった考えに、さっきとは比べ物にならないほどの痛みが胸に走る。




『ルノエ?』


 急に声を掛けられて驚いて見上げると、陛下が私を覗き込んでいらっしゃった。ぼーっとしていた私の様子を訝しく思われたようだけれど、それを曖昧にかわした。





 小さな噴水のある広場が見えるカフェテラスで、休憩をする。陛下とリドリスさんはアイスコーヒー。私はアイスティーを注文して、リドリスさんから明日の予定を聞いた。


「明日は明け方の出立になります。この旅程で一番長い距離の移動です。ハリク殿下のご厚意で、王家の別荘をお借りする予定ですが、着くのは恐らく日が暮れる頃かと思われます。ルノエ様、このあと退屈しのぎになるような物をお買い求めください。」

「大丈夫です。眠るかもしれないですし。」

「眠る?この野獣の前で?それはあまりにも危険です。」

『おい、リド。それは誰のことだ?』

「あなたでしょ。」

『……………。』

「あの、では本を買ってもいいでしょうか?」

「わかりました。では書店を探しましょう。」


 リドリスさんはそう言うとすぐにカフェの方に、書店の場所を聞きに行ってくださった。



 噴水の向こうに目をやると、ブーゲンビリアが咲いているのが見える。港の私の街から離れていても、あの花は咲いているんだ。


 まだ出立して何日も経っていないのに、潮の香りが恋しい。波の音と潮風。海鳥達の鳴き声や遠く聞こえる汽笛。それは今もこれから先も、あの場所にある。


 そう思うと切なくなってしまった。目の前に置いてもらったアイスティーをストローで回す。私は本当にロゥアン陛下に同行してよかったのだろうか……。


「ルノエ、行くぞ。」


 はっと顔を上げると、陛下が席を立たれたところだった。慌てて私も立ち上がる。陛下はリドリスさんとなにか言葉を交わして、私の手を取って歩き出された。


『リドリスさんはよろしいのですか?』

「ああ、もうこっちの言葉でいい。放っておけ。」


 長い脚の陛下について行くのは、なかなか辛い。でもすぐにそのことに気づいてくださったようで、私の歩調に合わせてくださった。


「どちらへ行かれますか?」

「ああ、本を買うのだろう?」


 右手をというよりも右手首を取られて歩く。……すぐ迷子になる子供みたい。すれ違う人の視線が痛い。


 特に若い女性はすれ違った後も振り向いてまで、陛下を見ていた。私の背はロゥアン陛下の肩までしかないから、どう見ても不釣合。


 もしかすると陛下は、私のことをただ珍しく思われているだけなのかもしれない。こんなに身軽にどこへでもついて来る女は、陛下のお国にいるはずがない。それを面白く思われていらっしゃるだけなのかもしれない。そしていつかは飽きてしまわれるのかもしれない。


 そう思いついた自分の考えに、また傷つく…。




 書店に着くと「好きな本をいくらでも買うといい。」と言われて、陛下自身も本を物色され始めた。


 私もなんとなく本を探す。そして見つけたのは、レース編みの図案集。ページを彩る美しい図案を見ても、ささくれ立った心は癒されない。でもなにか買わなくては……。


 陛下ご自身も難しそうな本を選ばれて、私の本と一緒に支払ってくださった。




 また右手首を引かれて、二人で歩く。もう陽が沈みかけていて、皆足早に帰宅する途中。だからなのか、陛下を振り返る人はいなかった。


「…どこか行きたいところがあるか?」


 上から覗き込むように、やさしいグレーの瞳に問われた。でも今はそのやさしい色でさえ、恨めしく思えてしまう。そしてそんな風に思う自分も嫌だ。


「陛下、私……。」


 それ以上言葉にしようとすると、胸が詰まって涙が出そうになる。だからなにも言えない。


 陛下は少し驚いていらっしゃったようだけれど、俯く私の手を引いてすぐ近くにあった木陰のベンチに私を座らせてくださった。



「帰りたい、か?今ならまだお前を帰すことができる。」

「……それは。もう帰ってよい、ということでしょうか?」


 オレンジ色の空がやけに高い。前を向いて話す陛下の横顔はすぐ隣にあるはずなのに、なぜか遠く感じて、陛下が仰った言葉を理解するのに数瞬かかった。


 攫われるように連れて来られたのは、つい昨日のことだったのに……。


「いや、そういう意味ではない。ルノエの気持ちを聞きたいのだ。突然故郷から離し、家族とも友人とも離した。俺は全ての旧知の人間からお前を離した。…やはり、帰りたいか?俺の傍ではなく、あの街へ帰りたいか?」


 もう陛下に飽きられてしまったのかと思ったけれど、そうではなかった。そのことにひどく安堵している自分に驚く。


「陛下のお心の片隅に、私はまだいてもいいのでしょうか…?」

「フフ…また端か。俺の中にはルノエしかいない。恐らくこれから先もずっとな。」

「ずっと、ですか?」

「ああそうだ。今の俺には婚約者はもちろん、側室も愛人もいない。」

「え………。」

「なんだ?誰かしらいると思っていたのか?」

「………少し。」


 呆れた声が聞えてきて狼狽える。


「まあいい…。ルノエを傍に置きたいというのは、俺の我儘だ。…ルノエはどうだ?帰りたいりたい、か?今ならまだ間に合うぞ。まだ手放すことができる。」

「陛下は昨日、生半可な気持ちではないと仰いました。」

「ああ。だが俺も人の子だ。迷うのだ。もちろんルノエを連れて行きたい気持ちに偽りはない。だが、お前の気持ちはどうだ?泣いた理由は見つかったのか?」

「……まだ、その、はっきりとは。あの陛下。さっきの、レースのお店で……。」


 それだけ言うと陛下は察してくださった。


「ああ、…なるほど。あのレースを他の女に贈るのではないかと思っていたんだな?」


 私が恐れていたことを陛下の口から言葉にされてしまうと、まるで現実になったようで、胸がツキンと痛んだ。


 すると大きな手に肩を抱かれ、陛下の方へと引き寄せられる。陛下の白いシャツがオレンジ色に染まっていた。


「不安にさせたか…。悪かった。後で喜ばせようと画策したことが、裏目に出たな。」

「画策?」

「あのレースでルノエの物を発注した。」

「私の物?」

「ああ。なにかはまだ言えない。だが、あれはお前の物だ。」


 驚いて見上げていた私の額に、陛下はやさしく口づけた後、私だけに聞こえるような声で……


「ルノエ、髪留めがよく似合う。…かわいいな。」







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