06.最強
今朝、ロゥアン陛下に攫われるように馬車に乗せられ、午後のお茶の時間を過ぎてたころに到着したのが、王都に次ぐ第二の都市。
街の中を大きな川が流れ、石造りの大聖堂や森のような公園。街の大通りには色々なお店が立ち並び、人々は買い物や仕事にとめまぐるしく行き交っていた。
そんな街の高級ホテル。私でさえ、名前を知っているような有名ホテル。今夜はここに一泊して、また明日出立する。
「え……同じ部屋?ですか?」
「はい、ルノエ様には大変申し訳ありませんが。何しろ急なことでしたので、部屋を抑えることができませんでした。」
申し訳なさそうなリドリスさんのせいでは、もちろんないけれど、でも陛下とご一緒の部屋なんて………。
「あの、リドリスさんが陛下とご一緒のほうがよろしいのでは…?」
「殺されます。」
「……………。」
「陛下とご一緒の部屋と申しましても、主寝室と他にも鍵付のベッドルームがございますので。共有スペースはリビングとダイニングとバスルームです。」
「……わかりました。陛下がお許し下さるのでしたら。」
「ありがとうございます!では陛下にもそのように。もう少し、このロビーでお待ちいただけますか?陛下の許可をいただき次第、ルノエ様のご入用な物を買いに参りましょう。」
そうだった!私、着の身着のままで来たんだった!
今更のように気づいて狼狽える私を安心させるように、リドリスさんが私の衣服や日用品を買い揃えてくださると仰った。申し訳ない思いでひたすら恐縮すると……
「大丈夫です。なにもご心配されることはございません。ルノエ様には、陛下が多大なるご迷惑をお掛けしておりますので、こちらでご用意させていただくのが当然です。それに、陛下ご自身がルノエ様に贈られるそうですから、この際しっかり買わせてやりましょう。」
「……いいのでしょうか。」
「はい。いいのです。逆に受け取っていただけないほうが、堪えると思いますが?」
「そうなのですか?」
「好意を持つ女性に贈り物を突き返されることほど、男として辛いことはありません。」
「…勉強になります。」
「では陛下に許可をいただいてまいりますので、こちらでお待ちください。」
リドリスさんが立ち去る前にひとつだけ、どうしてもお願いしておきたいことがあった。
「あの、リドリスさん。私は通訳ですから敬称は困ります。どうか通訳として扱ってください。」
「…通訳、ですか?」
「はい。ここはまだ陛下の国ではありませんから、まだ私は通訳です。それでお願いします!」
こればかりは譲ることはできないとばかりに、リドリスさんを睨んで固持する。すると私の気合を感じ取ってくださったようであっさり承諾してくださった。
「承知しました。では、通訳のルノエ様ということで。」
「はい、お願いします!…………あれ?」
なにかに引っ掛かった気がするけれど、リドリスさんは立ち去った後だった。
お付きの方たちが馬車から荷物を降ろしている。ホテルの外に目をやると、通りを行きかう人々は誰を見ても洗練されていて、圧倒されてしまう。さすが大きな街は違う。
するとすぐに陛下とリドリスさんがいらっしゃった。
こちらの方々も品良く洗練されていらっしゃる。ただ歩かれているだけなのに、圧倒的な存在感。特に陛下は背も高く、端正な容姿をされていらっしゃるからロビーにいる人々、特に女性が注目している。
『ルノエ、通訳なのだな?』
『はい。』
『では行くぞ。』
「…………?」
もしかして、陛下もご一緒に行かれるの?この目立つお方も一緒に?私の日用品を買いに行くだけなのに?
リドリスさんを見ると、榛色の瞳が苦笑いしていた。
『どうした、ルノエ?何か不都合でもあるのか?』
『いいえ、ございません、陛下。』
『不都合ありのようだな……。リド、お前は何を言ったんだ?』
「そりゃ、女性の買い物に男が、しかも国王陛下が一緒なんて、わずらわしいに決まってるでしょ。」
「リドリスさん!!」
『……………。』
陛下はグレーの瞳を一瞬伏せて溜息をひとつつくと、何事も無かったかのように『ルノエ、行くぞ』と、私の手を引かれる。
ホテルで用意してもらった馬車にロゥアン陛下、私、リドリスさんが乗り込む。護衛の方はいない。
……大丈夫なのかしら。
馬車は大通りをゆったりと進み、私にこの街の素晴らしさを見せてくれるようだった。初めて訪れる街に興奮していた私は思わず「あ!あれはなんですか?」「あのお店は?」「すごい!きれい!」と、ついひとりで騒いでしまう。
石畳の大通り。通り沿いの花壇は花と緑が溢れている。そしてきれいに飾られたお店。遠くに見える時計台。建物の隙間から見えた、美しいアーチ状の橋。なにもかもがめずらしくて楽しくて、気持ちを抑えきれなかった。
「フフ…ルノエ、落ち着け。あとで連れて行ってやるから。」
陛下に笑いながら言われた時に、ようやく我に返る。また失敗。はしゃぎ過ぎた。
馬車を降りると、大通りに面したオートクチュールのお店の前。こんなお店入ったことない。狼狽えていると、またしても陛下に手を引かれる。
お店側には連絡が行っていたようで、螺旋階段を上がった二階の豪華な別室には、ありとあらゆる女性用の衣装と小物、化粧品までが用意されていた。思わぬ光景に真っ青になってしまう。この高級店で?私の服を?まさか買うの?
ふかふかの絨毯。座り心地のよさそうなソファ。香りのいいお茶とお菓子まで用意されていて、身分ある方々御用達のお店での待遇に恐れをなす。
どうしよう……足が震える。
「………リドリスさん。」
「はい。ルノエ様、どうされました?」
「本当にここで?買うのですか?私の?日用品を?」
『ああ、そうだ。これなんかいいんじゃないか?ルノエ、試着してみたらどうだ?』
『へい……えっと、何とお呼びすればいいのでしょうか?』
『ん?俺か?ロゥと呼べ。』
『ロゥ様?』
『違う、ロゥだ。』
『え?そんな、呼び捨てなんてできません。』
『ルノエ、何を言っているんだ。今から慣れておかないと……』
「何いちゃついてるんですか!そんなのは後にして下さい!さ、ルノエ様、こんな男は放っておいて衣装をご覧ください。」
「あ、はい。」
『…………。』
リドリスさんって、すごい。ある意味最強かも……。
それからは着せ替え人形のように、あれを着てこれを着てそれも着てあっちも着てこっちも着て。
私の好みを知っているかのように、並べられた衣装はシンプルで装飾が少なく、淡い色のものが多かった。
着替えるたびに陛下がご覧になられるので、一枚の試着には時間がかかるし、とても恥ずかしい。
『ルノエ、これのブルーがあるか?』
「あの、このストライプのブラウスの色違いがありますか?ブルーがあれば見せていただきたいのですが?」
「はい、ございます。すぐにお持ちいたします。」
陛下は私が淡いブルーの衣装を着ると、明らかに目を細めてご覧になっていた。この色がお好きなようだ。
『ああ、いいな。瞳の色によく合う。』
私の薄い瞳の色を陛下が褒めてくださるのが、恥ずかしくも嬉しい。
さすがに下着はお店の人にサイズを確認してもらって、色違いを揃えてもらった。どれもこれも溜息が出るほど手触りがよくて、庶民の私にでさえわかるほどの高級なお品ばかり。……身が縮まる思いがする。
結局、夏物と、秋物を数着。そして冬物をもう数着。なぜかコートや手袋、ブーツまで。一年分の衣装を用意していただいた。それらをすべて馬車の荷台に乗せる。
いいのかな。いくら陛下と言えど、こんな高級店でわたしの物だけをこんなに。本当にいいのかな…。
「…………。」
『どうした?』
『あの、こんなにたくさん、いいのでしょうか?本当にこんなに。なんてお礼を申し上げればよいのか……。』
『ああ、礼ならあとでいくらでも受け取るぞ。』
陛下はそう言いながら長い指で私の顎を捕えて、上へ向かせた。上から覗き込むグレーの瞳にドキリとする。
「いちゃつくのは後!さ、次に行きますよ!」
「はい!」
さすが、リドリスさん!
その後、街を散策させていただいた。
かわいい雑貨店を覗いたり、珍しくきれいな花が並んだ生花店、小さなお菓子がショーケースに並んだお店。
やはり大きな街は違う。ひとつのお店を見て堪能しては、気になる物を陛下が買ってくださって、また手を引かれて次のお店。という風に、まるで聞き分けのない子供に次々と買い与えるような扱い。
買っていただいたのは、髪留めとハンカチとチョコレートのお菓子。小さな買い物だけれど、手持ちのお金がない私が恐縮していると陛下は……
『ルノエ、普通に礼を言うだけでいい。』
『……あの、ありがとうございます。』
『ああ、その笑顔で充分だ。なんならホテルでもっと礼を受け取ってもいいが?』
『そんなことあるはずないだろう。ルノエ様の喜ばれるお姿だけで、充分釣りがくるはずだ。』
『………。』
背後からのリドリスさんの低い声で、陛下は無言になられる。
……本当にリドリスさんは最強。
辺りはすっかり暗くなり、通り沿いに等間隔で立つ街灯が美しく街を照らす。賑わうお店を覗くと人は皆、笑い合い、微笑み合っていた。家族や友人、仲間、恋人……。
温かい灯りの中での楽しそうな様子は、私の心を温かくするとともに、寂しさを感じさせる。
すると隣を歩かれていたロゥアン陛下が私の右手を取られた。昼間のようにただ単に手を引くというものではなく、手を繋ぐというもの。ドキリとして思わず陛下を見上げたけれど、陛下は何事も起こっていないように、平然と前を向いて歩いていらっしゃる。後ろを歩かれているリドリスさんに気付かれてしまいそうで焦ってしまう。
こうして男の人と手を繋いで歩くなんて……。シリロよりも大きな、乾いた手。大きく固く温かい手にふんわりと包まれているようで、嫌なら外していいという陛下のやさしさを感じた。
でも、今の私は陛下に惹かれつつも、シリロと比べている。視線が合う瞬間、歩き出す瞬間、笑う瞬間、手を繋ぐ瞬間でさえ全てをシリロと比べてしまう。シリロと陛下が違うことを確認している。確認してどうするということもないのに……。
通りがかったビストロで夕食をいただくことになった。店内は多くの人で賑わっていて、あちらこちらで大きな笑い声が聞こえてくる。比較的静かな席へ案内され、壁際に私が座り、その隣に陛下。陛下の前にリドリスさんが座られた。
「端が落ち着くのだろう?」
陛下にそう言われて、絶句してしまった。そんなことをまだ覚えていらっしゃるなんて……。
オーダーをリドリスさんが終えたところで、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
『あの、よろしいのですか?護衛もなくて?』
「ああ、ここはこちらの言葉でいい。大丈夫だ。リドもいる。」
「この方は国でもこんな風にフラフラされてますから、いつものことですよ。」
「フラフラ…ですか。」
「ルノエ、いま呆れただろう?」
「…いいえ、そんなことは。ちょっと驚いただけです。」
陛下はテーブルに肘をついて私を覗き込むようにされる。あまりの近さに仰け反って距離をとろうとしたけれど、いつの間にか私の腰の後ろに腕を回して阻止されてしまった。グレーの瞳が不敵に光って、怖い。
「あの、陛下…」
「ロゥと呼べと言っただろう?」
「えっと……」
「お望み通りに呼んでやろう。ロゥ、いい加減にしろよ。」
「………。」
陛下は溜息ひとつついて、私を解放してくださった。
やはり、リドリスさんは最強だ。