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05.旅立ち

 馬車が走り出す。


これでお別れ………と、思ったのに。





 突然、ロゥアン陛下の乗られた馬車が停まった。続く馬車も驚いて停まる。護衛の方々も慌てる。お見送りしていたハリク殿下も周りの人々も、何事かと様子を窺っていると………。


 ダンッッ!!!


 突然、馬車の扉がすごい勢いで開いて、険しい表情をされたロゥアン陛下が降りて来られた。止めようとされるお付きの方を振り切って、走るようにしてこちらへいらっしゃる。


「どうした?……」


 困惑されたハリク殿下の声が聞えたと思ったら………


「きゃあ!!!」

「ロゥ、待て!」


 私はいきなりロゥアン陛下に抱き上げられた。それも片腕だけで。パニックになってなんとか陛下の腕から逃れようと身をよじるけれど、もう片方の腕によって背中を拘束されてしまった。固く、びくとも動かない腕の力に恐怖を感じる。…怖い。


「陛下、陛下、降ろしてください。降ろして……」

「ロゥ、一体どういうことだ?」

「ランジェ殿!」


 陛下は私の声にもハリク殿下の問いかけにも応えることなく、カルオさんを呼んだ。その声には焦りを感じた。


「陛下、ここに。」

「ランジェ殿!無理を承知で頼みがある!ルノエ嬢をいただきたい!」

「えええええぇぇぇ!!!!」

「耳元で叫ぶな!」


 この場で一番驚いたのは私だと思う。思わず叫んでしまったのは許していただきたい。だって、いきなりそんな展開だなんて、誰が想像できる?私はさっきまでただの通訳なわけで…。


「おいロゥ、どういうことだ?いただきたいという、その意味は?」

「そのままの意味だ。」

「……もうちょっとやり方があるだろう?これじゃまるで拉致だ。少しは考えろよ。」

「陛下!お気を確かに!」

「リド!ああわかっている!だが、泣いていたのだ。俺が馬車に乗ると泣いていた。ルノエ……何故泣いた?」


 ようやく追いついていらしたお付きの方が、陛下を諌めようとされるけれどまったく聞く耳を持たれない。


 陛下のグレーの瞳が間近で、しかも私を見上げながらのぞき込む。陽の光を受けて、また不思議な色に輝く瞳。あまりの近さに恥ずかしくて身を離そうとしたけれど、強い腕によって許されない。


「………もう陛下にお目にかかることができないと思いましたら、悲しくて……。」

「何故悲しいのだ?」

「それは………よくわかりません。」

「そうか。」


 背中を拘束していた腕を離して、陛下は大きな親指で頬に残る私の涙の後を辿られた。皆が見ている前で。……恥ずかしい。


 その時カルオさんの静かな声が聞えた。


「ロゥアン陛下、そういえば忘れておりました。」

「…なにをだ?」

「塩と柑橘類をお求め頂いたのはよろしいのですが、それをあちらで受け取る者の手配を忘れておりました。しかもただ受け取るだけではだめです。塩には塩の保管方法、柑橘類には柑橘類の保管方法を知る者でなくてはなりません。……ルノエ、わかるね?」

「カルオさん………?」

「と、いうことで全てのことはルノエが熟知しておりますので、どうかご同行をお許し願えればと存じます。ロゥアン陛下、いかがでしょう?」


 カルオさんは今すぐ私を陛下のご意志通りに渡すことはできないと、やんわり拒否した。その代わりに、私を社員として派遣すると言う。しかもそれは塩と柑橘類が陛下の国に届くまで。ということは、かなり長い期間になる。


 でもこれで、ハリク殿下の仰る「拉致」にはならない。そしてロゥアン陛下のいただきたいと言う意味の「愛人もしくは側室」にもならない。私は仕事として、陛下の国へ「赴任」するという形になる。



「カルオ、礼を言う。」


 ハリク殿下がそう仰ると、カルオさんは頭を下げた。


「ロゥ、そうしてくれるな?」

「ああ。」

「ルノエ嬢はランジェ商会の者として、貴国に赴任する。期間は塩と柑橘が届き、その保管方法が整うまでだ。」


 そして今度は小さな声で告げる。


「それまでに二人でよく話し合え。ロゥ、彼女の気持ちがはっきりするまでは、手を出すなよ。いいな?」

「ああ、もちろんだ、ハリィ。異存はない。」

「ルノエ嬢、心配することはない。きみは我が国とロゥアン陛下からの正式な依頼を受けて、ロゥの国へ赴任するんだ。なにかあれば、そこのリドリスに言えばいい。リドリス、彼女を頼んだよ。」

「お任せください。ロゥアン陛下から、しっかりとお守り致します。」

「………リド、なんだそれは。」

「ロゥ、いいか?とにかく彼女を泣かすな、困らすな、強要するな。怒らせるのはいいよ。ルノエ嬢、きみは国賓だ。ロゥと対等な立場にいると思っていい。だから言いたいことを言って、怒りたい時は怒ればいい。でないと恋愛はできないからね。」

「え、れれれんあい…です、か?あのでも私……。」


 ハリク殿下は異議は受付けないとばかりに、にっこり笑ってそう仰った。


 どうしよう。殿下とカルオさんに、これは仕事だと言われてしまえば断る理由はない。でもシリロのことが頭を過る。返答を迷っていると、私の背中を再び強い力で陛下が拘束された。


「ランジェ殿、感謝する。」


 陛下はそう言うと、私を抱き上げたまま、カルオさんに頭を下げた。カルオさんも深く頭を下げる。



 一国の王が頭を下げる。通常であれば、これはあってはならないこと。なのにロゥアン陛下はなんの躊躇いもなく、カルオさんに向かって頭を下げられた。そしてその想いの応えるように、カルオさんも丁寧に深く礼を返してくれた。

 その様子に陛下の想いの深さと、カルオさんが私をどれほど大事に想ってくれているかを知ってしまった。


「あの陛下、私……」

「ルノエ、突然のことで迷いがあるのはわかる。だが今は何も考えずに一緒に来てほしい。」

「………はい。」


 間近で見るロゥアン陛下の真摯な眼差しに「否」とは言えず、私は迷いながらも返事をしてしまった。

 ぐるぐると迷いと不安が渦巻く。これでいいのだろうか、本当に私は陛下の国へ行っていいのだろうか。私の迷いが顔に出てしまっていたみたいで、カルオさんの静かな声が聞えた。


「大丈夫だ、ルノエ。手紙を送っておくれ。ルイにもしっかり説明しておくから、手紙を書きなさい。もうそろそろ、前に踏み出してもいい頃だろう?」

「…………。」


 カルオさんが言うそれは、シリロのこと。もう四年が経った。私はそれに黙って頷き返すことしかできなかった。


 もう新たな一歩を踏み出してもいいのかもしれない。シリロの影の見えない土地で、新しい生活を始めてもいいのかもしれない。カルオさんの言葉で素直にそう思えた。


「大事にする。」


 陛下のそのお言葉は、カルオさんに向けたものなのか、私に向けられたものなのかは、わからなかった。


 私を抱き上げたまま、ロゥアン陛下はまっすぐ前を見つめて馬車へと歩かれる。そのお姿には迷いも曇りも一切なく、己の信じる道を突き進む国王の威厳を窺わせる。こんな方に望まれるなんて……。



 そして私は陛下の馬車に乗せられた。あのお付きの方の姿はなく、陛下と二人きり。


 走り出した馬車の窓から顔を出すと、カルオさんが見えた。私に見えるように前へ出てきてくれた。手を振ろうとしたけれど、それでは別れのような気がしてできなかった。ただ泣きながらカルオさんを見ることしかできなかった。


「ごめんなさい」「ありがとう」二つの気持ちが激しく入り乱れる。ついさっきまで私はあの場所で見送る側だったのに。でも速度を上げた馬車では、すぐにカルオさんの姿は見えなくなってしまった。


 そして流れていく港の街の景色。海が見える。港が見える。大好きな街がどんどん後方に流れて行く。大好きな、私の生まれ育った街。


 父さんと母さんとルイ兄さんと一緒に行った砂浜。海水浴の帰りに寄ったジェラート屋さん。子供の頃通った学校。母さんと買い物に行った市場。父さんに肩車してもらって観戦した、レガッタ。いつも咲いていたブーゲンビリアの花。そしてその下で語り合った、シリロの横顔。彼と手を繋いで歩いた大通りの道。二人で待ち合わせたカフェ。きのう行った、岬。交わした約束。


 今までのことが次々と思い出されて、私はただただ泣いていた。悲しいのではなく、万感が押し寄せて胸が詰まってしまった。溢れる涙を止めることができない。


 すると突然、ロゥアン陛下に後ろから抱き寄せられる。驚いて身をすくめるけれど、陛下はお構いなしに私をご自身の膝へ乗せるようにして横抱きにされた。窓から入り込む潮風と陛下の香りに不思議な安心感を感じながら、さらに陛下の胸の中に閉じ込められてしまった。



 流れ去る風景が見えないように………











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