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04.別れ

「カルオさん。」

「おお、ルノエ。もうそんな時間か。」


祝勝会が終わるころ、私はカルオさんをお迎えに行く約束をしていた。慣れない場で気を遣うのは明白だから、私が迎えに来てくれれば帰りやすいと言われて迎えに来た。カルオさんは町長さんに辞去のご挨拶をして、わたしと一緒に歩いて帰宅した。


私は夕食をエミリさんにごちそうになったので、まだ開いていたカフェで小さなケーキを買ってカルオさんの家へ一緒に行く。そしてカルオさんが面白可笑しく話してくれる祝勝会の様子を聞きながら、三人で楽しく夜のお茶をした。


「エミリさん、ごちそうさまでした。」

「ルノーちゃん、気をつけて帰ってね。」

「明日も頼むよ。気をつけてお帰り。」

「はい。カルオさん、エミリさん、お休みなさい。」


どこか少女めいたエミリさん。いつもニコニコしていて、一緒にいると優しい気持ちになれる。


優しいカルオさんとエミリさんに別れを告げて、すぐ近くの自宅へ帰る。父と母が残してくれた家。今は私一人で住んでいる。小さな家だけど思い出が一杯詰まった家。お父さんが作ってくれた庭のブランコが寂しそうに佇んでいる。


鍵を開けてランプを灯す。この瞬間が一番切ない。ひとりきりの家で、ひとつだけの灯り。この灯りがひとりきりの私のようで、寂しくなる。だからすぐに灯りの数を増やす。



浴室でシャワーを浴びながら考えるのは、ホテルでのこと。

カルオさんを迎えに行ったホテルのロビーで、ロゥアン陛下のお付きのアッシュブロンドの方に声を掛けらた。叔父を迎えに来たと告げると、あのラウンジへ案内してくださった。そこで目に飛び込んできたのは、若く美しい女性達に囲まれた陛下のお姿。


デコルテの大きく開いた美しいドレスの、華やかな方ばかり。豪華なシルバーブロンドの方、艶やかな亜麻色の髪の方、煌びやかなハニーブロンドの方。


目の眩むような眩い方々の中で楽しそうに談笑される、ロゥアン陛下。昼間とは違って黒髪を後ろに流し黒の正装姿で、グレーの瞳を穏やかに和ませて微笑まれていた。


私はショックを受けた。やはり住む世界が違う方なのだ、と。私などがお傍へ寄ることなどあってはならないことなのだ、と。


そしてそれとは別のことにもショックを受けた。


私はまだシリロを忘れられないでいるはずなのに。やさしいグリーンの瞳、やさしい声、濃い茶の硬い髪。陽に焼けたあの笑顔、下がり気味の眉、力強く大きな手、あの温もり……。


なのに、私は少なからずもロゥアン陛下に想いを寄せてしまっていた。シリロを想いながら、いつの間にかロゥアン陛下に想いを寄せていた。あってはならないことなのに……。


きっとあのお付きの方は、浅ましい私の気持ちを見抜いていらっしゃったのだ。立場を弁えなさい、思い上がるのではない、と。だからラウンジへと私を招き入れたのだ。


私はシリロを想っていると口ではいいながら陛下に想いを寄せ、己の立場を弁えなかった。のぼせてしまい、付け上がり、陛下のお傍にいられることが当たり前だと思っていた。情けなく、恥ずかしい。それをあのお付きの方に知らしめられてしまった。


考えれば考えるほど涙が溢れてきて、私はシャワーに打たれながら泣いた。シリロに謝りながら泣いた。シリロ………ごめんなさい。







翌日は朝からロゥアン陛下のご出立の儀がホテルで執り行われる。それが終わると、陛下はご帰国の途に着かれるため、我が国を北へ向かわれる。ハリク殿下はもう少しこの街にご滞在の予定。



家を出る前に鏡で自分を見てみる。

………ひどい顔。寝不足の顔をしている。昨夜は眠れなかった。ホテルのラウンジでのロゥアン陛下を思い出すたび、シリロのことを思い出すたび、胸が刺すように痛んで泣いていた。


鏡を見ずに髪を纏めて、赤い眼鏡をかけて家を出た。夏の朝。まだそれほど気温は上がらない。それでも太陽は照りつける。ツバの広い帽子を被り、人と顔を合わせないように歩く。今だけはブーゲンビリアの花さえも見たくなくて、帽子を目深にかぶった。





ホテルのロビーに着くと、既に多くの荷物が運び出されて、ホテルの人や関係者が行き交っている。


「ルノエ。」

「カルオさん、おはようございます。」

「おはよう。いよいよこれで終わりだね。最後まで頼むよ。」

「はい。……とは言っても、通訳はまったくしていないんですけど。」

「ははは、そうか。でも昨日の晩餐会で、ルノエのことをロゥアン陛下が大変褒めて下さったよ。誇りに思うように、とお言葉を賜ったんだよ。」

「え?カルオさん、本当に?」

「ああそうだよ。わしは涙が出るほど嬉しかった。昨日の夜、エミリとルノエの前で泣いてしまうかもしれないと思って言えなかったんだがね…。」

「昨日、あんな失敗をしたのに?」

「逆にあれがよかったらしい。」

「カルオさん……。」

「ああ!通訳さん、こちらにいらっしゃいましたか。」


振り返ると、昨日ロビーに案内してくださったアッシュブロンドのお付きの方だった。途端に緊張する。


「もう始まるようですので、一緒においでくださいますか?」

「はい、すぐに。」


カルオさんと別れて、お付きの方の後ろをついて歩く。


ロゥアン陛下よりは背も低く細身で、物腰の柔らかいお付きの方。榛色の瞳とアッシュブロンドで優しげに見える。

でも昨日のことが頭から離れない。つい俯きがちになってしまう頭を、無理やり起こして前を見る。俯くな。堂々と。と心の中で繰り返さなければ、逃げ出してしまいそうだった。


向かった先はホール。既にご出立の儀の準備は済んでいた。ハリク殿下とロゥアン陛下が座られるだろう椅子の斜め後ろに置かれた、小さな椅子。あれが私の椅子。


椅子のサイズも格も違う。位置も隣りではなく、斜め後ろ。これが陛下と通訳の関係。これが私の位置。決して前へ出ることはない。ましてや隣に並ぶことは決してない。そう思うとまた胸が刺すように痛む。

でもこの痛みも終わり。ご出立の儀が終われば、ロゥアン陛下はご帰国の途に着かれる。もう二度とお会いすることはない。またいつもの毎日が始まる。シリロを想いながら過ごす日々が始まる。



出席される人々が席に着きはじめた。私も同じように自分の椅子の横に立ち、頭を垂れて殿下と陛下をお待ちする。そしてすぐお二人がおいでになられ、お座りになられると皆も着席する。


町長のご挨拶がはじまり、殿下がそれに返される。そして陛下も…………あれ?


『――――。……どうした?早く通訳いたせ。』


ロゥアン陛下の自国のお言葉で話されていらっしゃった。なかなか通訳しない私を面白がるように、振り向かれた。今までずっとこちらの言葉で話されていたのに…。


『はい!』「えっと、この度は大変な歓迎を受け、まことに………」

『感謝する。』

「感謝の意を表します。」

『この国の豊かさ、麗しい文化に触れる機会をつくってくれたハリィにも感謝する。』

「この国の豊かさ、麗しい文化に触れる機会を与えてくださった、ハリク殿下にも同じく感謝の意を表します。」

『いつまでも二国間の友好を願っている。』

「いつまでも貴国と我が国の友好を、心より願っております。」

『で、名前を知りたい。』

「そして、お名前を………?」

『違う。お前の名前を知りたい。』


仰っている意味がわからなくて顔を上げると、陛下は前ではなく私を振り向いて見ていらっしゃった。グレーの瞳が私を射ぬく。真摯な光を宿した瞳に、私は怯んでしまいそうになった。


『あの、申し訳ありません、えっと…?』

『お前の名を教えてほしい。一昨日は歓声で聞こえなかった。』

『………ルノエ・アグレイと申します、陛下。』

『ルノエ、か。』

『………はい、陛下。』


突然のことに驚いてしまい、頬が赤くなるのが自分でもわかる。なぜそんなことをお聞きになるの?もうお帰りになられるのに、なぜ今になって私の名前なんてお聞きになるの?その理由を知りたいけれど、聞くことはできない。心の片隅に追いやろうとしていた気持ちがまた騒ぎ出した。


この会話を理解されているはずのハリク殿下をそっと見ると、口元が歪んでいらっしゃった。





ご出立の儀が済み、いよいよロゥアン陛下がご出立される。私はもう二度と陛下のお傍くに行くことはない。


豪華な四頭立ての馬車。その後ろには二頭立ての馬車が三台連なる。護衛の騎馬も何人かおられ、とても見応えがある。お見送りの人達もお迎えした時と同様、道沿いに集まっていた。


私はそっとお見送りしようと思い、隅っこにいた。手にはつば広の帽子。本当はこれをかぶって、顔を見られないようにしてお見送りしたかった。泣いてしまいそうな予感があるから。でも陛下のお見送りでそんなことは許されない。そう考えていると、またロゥアン陛下のあのお付きの方に呼ばれた。


「ああ!通訳さん、こんな所にいらっしゃったんですね!探しました。さ、どうぞこちらへ。」

「え?いいえ、私はここで。」

「そういうわけにはまいりません。さ、お早く。」

「………はい。」


また、お付きの方の後ろについて行くと、ロゥアン陛下の前に押し出された。グレーの瞳が優しくて、私は俯いてしまう。


『また端にいたのか?』

『はい。』

『世話になったな。』

『お会いできて光栄でございました、陛下。』

『ルノエ………いや。なんでもない。健やかにな。』

『はい、ありがとうございます。陛下もご健勝であられますよう……。』


そう申し上げて顔を上げると、もう陛下は私を見ていらっしゃらなかった。そして町長やハリク殿下とご挨拶をされて、あのお付きの方と共に馬車に乗りこまれる。


見上げるほどの大きな背丈。艶やかな黒髪。長くて大きな手足。いつも私を上から覗き込まれるようにされる仕草は、恥ずかしく感じていたけれど嬉しかった。時折、不思議な色に輝くグレーの瞳から目を離すことができなかった。



馬車の窓から陛下のお姿を見た時、私は急に胸が苦しくなって涙が出た。もう二度とお会いすることはないのに。これで最後なのに。もう一生、お傍へ行くことはないのに。なのに、涙で滲んで何も見えない。ロゥアン陛下のお姿が見えない。胸が痛く、苦しく、辛い。それでも私が今願うことは、ひとつ。



どうか、陛下の未来がお幸せであられますように………。





馬車が走り出す。






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