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21.遠い春

『ルノエ様?お風邪を召されたのではありませんか?』

『えっと、少し。でも大丈夫です。』


今朝、起きた時から喉の奥に痛みがある。やはり私の想像以上にこの国は気温が低い。


今や木々のほとんどが色づいいて、そこかしこに赤や黄色、緑が見えてとてもきれい。港の街ではここまで美しく木々が彩られることはなかったから、日に日に変わるその様子を目にしては感動している毎日。


空はいよいよ高くなり、風はさらに冷気を運ぶ。特に朝晩の冷え込みは港の街の真冬かと思えるほど。この北の国にいると、いかにあの街が温暖な気候なのかを知った。でもだからと言って、風邪を引いたなん言っていられない。だって今日はバザールへ連れて行ってもらえる日だから。




婚約式の時は事前に何も知らされていなくて、前日の夜も呑気にぐっすり眠っていた。でも今日のバザールは三日前に陛下から教えていただいたので、楽しみ過ぎて昨日は睡眠不足。


今朝ヒュイアさんが私に用意してくださった衣装に袖を通す。濃い青地に小さな白い花柄の厚手の生地のワンピースと、淡いグレーの薄手のコートと黒いブーツ。そして左手の薬指にはブルーダイヤの指輪。婚約式でいただいた由緒あるブルーダイヤは、宰相様に預かっていただいている。


その代り日頃身に着けておくようにと言って陛下がくださったのは、やはりブルーダイヤの指輪。普段、着けるのには丁度良い大きさの貴石。


『これは俺からルノエに贈る物だ。ルノエのために設えさせた。』


そう言ってやさしい口づけと一緒に贈ってくださったブルーダイヤは、明るい場所で見ると淡く落ち着いたブルーに。暗い場所で見ると、きらめくグレーに見える。夜に見るそれは、まるで陛下の瞳の色。一日の終わりにベッドに入ってブルーダイヤを見るのが、私の楽しみのひとつになった。






『ルノエ、いい天気でよかったな。』

『陛下!おはようございます。はい、楽しみすぎて眠れませんでした。』

『ああ、今日は好きなようにしていいぞ。…婚約して初めての外出だな。』


部屋まで迎えに来て下さった陛下は、薄手のカーキーのニットにキャメルのパンツ。そしてダークブラウンのジャケット。見上げるほどの高い背丈と長い手足。艶のある黒髪ときらめくグレーの瞳。なにを着てもお似合いだけど、ラフな装いも素敵。


陛下は上から覗き込むようにして私の左手の指輪をご覧になられてから、もう片方の手とともに私の左手を両手で包まれる。温かいけれど恥ずかしい。


『今日はルノエに見せたいものがある。』


そう仰ったグレーの瞳はいつもとは違って熱を帯びているように見えて、しかも陛下の大きく固い手の熱がそのまま私の頬に伝わったかのように熱くなる。恥ずかしくて俯くと、ブルーダイヤをはめた薬指の爪に口づけを落とされた。


『はいそこまで!陛下、日が暮れますよ!』


……ヒュイアさんの声が室内に響く。







街へ行くために用意された馬車に乗ったのは陛下と私。ヒュイアさんとウルファンさんは後続の馬車。この国の王都に来て初めての観光でとても嬉しくて、馬車の車輪の振動さえ私の気持ちを表しているかのように弾む。


こうして陛下とひとつの馬車に乗るのも、あの港の街からここへ来る旅以来。あの時は陛下と離れて座っていたけれど、今は……



『ああ、今見えたのがレドリア大聖堂だ。春にはあそこで式を挙げる。』

『あの時計塔は曾祖父の時代に建てた物だ。今から百二十年前の話だな。』

『あれは森ではなくて、公園だ。中に大きな湖もあるぞ。冬になれば白鳥が越冬しにやってくる。』


陛下が私の隣に座って、窓に張り付いている私の視線の先を説明してくださる。でも手を握られて肩を抱かれて、髪に口づけられたりして、説明されてもまったく頭に入らない。素知らぬふりで窓の外を見ていると、ついに陛下は私の後頭部に大きな手を添えて私を振り向かせて……


『え、陛下?っ………。』

『今は違うだろう、ルノエ?』

『…………ロゥ…』


ヒュイアさんとリドリスさんが傍にいてくださらなかったら、こうなることがよくわかりました。








バザールのある通りの馬車停で降りて歩いて散策することに。嬉しさを隠しきれなくて、ついあちこちを見回していると、陛下に『まったくお前は…』と言って手を引かれた。陛下と私の後ろにはヒュイアさんとウルファンさんがいらっしゃるのに、恥ずかしくて手を解こうとしても許してくださらない。上から覗き込むグレーの瞳が緩んでいて、焦っている私を楽しんでいらっしゃるのがわかる。


……性格悪いです。




そして通りすがりに投げかけられる、女性の熱い視線。でもそれは旅の途中で立ち寄った街での視線と同じもの。でも誰もロゥアン陛下とは気づいていないみたい。


陛下の次に視線を向けられているのは、女神の如きヒュイアさん。ガーネット色の豪奢な髪とヘイゼルの瞳のヒュイアさんを見て敵わないというように視線を戻す瞬間に、迫力満点のウルファンさんを見つけて慌てて視線を戻す、といった方が多い。確かにこの三人の方は迫力が違う。


そして陛下の隣にいる私はと言えば、誰とも視線が合わない……。当たり前だけれど。




『ルノエは赤の隊の言葉がわかるのか?』

『島の公用語でしたら。』

『ああ、やはりさすがだな。赤の隊は人気があるのだが、言葉があまり通じないという話だ。この先の広場で店を開いてる。それまでルノエの好きな店を見てまわるといい。』


陛下がそう仰ってくださったので、ヒュイアさんがお店を案内してくださった。真っ先に目についたのは二十人くらいの人が並んでいる行列。そのほとんどが女性。


『あれはなんの行列ですか?』

『パイの専門店の列ですね。ひと口サイズのパイ菓子が人気でして、予約しなければ手に入らないという話です。』

『え!そんなに?…じゃ今日は無理ですね。』

『と、ルノエ様が仰ると思いまして、ウルファンに予約をお願いしておきました。』

『え!?』


驚いて振り返ると、濃い茶の髭と逞しい筋肉のウルファンさんのアンバーの瞳が、苦笑いしていらっしゃった。


『ヒュイに逆らえるわけがないだろう。しかし、恥ずかしかったぞ。まるで子供の遣いだったがな。』

『ありがとう、ウル。』

『…おう。』


ヒュイアさんにお礼を言われ、途端にウルファンさんの目元が赤くなられた。人気のアーモンドとアップルレーズンを買っていただいて、お店の外でちょっと試食。陛下も路上で躊躇なくアーモンドを食される。


『うまいな。ウル、また予約を頼むぞ。』

『は?王宮から発注するほうが早い気がしますが…?』

『それでは独占になるからな。ここはまたウルの出番だろう。』

『げ!』

『ウル、今度は侍女のも一緒にお願いね。』

『あ~~ヒュイに逆らえるわけがない……。』


肩を落とすウルファンさんの様子を見て、笑いが起こる。リドリスさんもそうだけれど、みなさん身分の高い方なのに、いつも陛下を中心に仲が良くて信頼し合っていらっしゃって。一国の王の周りの方々がこんなに温かい雰囲気だなんて、港の街にいたころは想像もできなかった。



その後もヒュイアさんと一緒に、気になるお店を次々と覗いてみる。かわいい雑貨や素敵なリネン。いくつか気に入った物を買っていただきながら、また次のお店へ。見ているだけでも楽しくて、つい長居をしてしまいそうになってしまう。





そしてある立派なお店の前まで来ると、急に陛下が立ち止まられた。


『ルノエ、ここに入るぞ。』


見上げるとそこはオートクチュールのお店。以前にも同じようなことがあったけれど…。



陛下に手を取られて店内に入ると、静かな落ち着いた雰囲気。磨き上げられた板張りの床。壁面の大きな鏡に映るランプの灯りは、鏡の中で幾重にも重なっていた。まだ午前中なのにもかかわらず、店内は外とは違った時間が流れているように思える。上品なお店の方が私達を丁寧に奥の別室へと案内してくださった。


店内とは違って大きな窓と明るい室内。深いパープルの絨毯が敷き詰められていて、革張りの大きなソファが置かれていた。そしてその部屋の中央にあったのは……


『……陛下?』

『ああ、ルノエの花嫁衣装だ。』


胸元と袖は共にホワイトに近い色合いのアイスブルーの総レース。細かい銀糸の縁取りが施され、スカートは同じくホワイトに近いアイスブルーのシルクオーガンジーを幾重にも重ねたてある。繊細で優雅なドレスに「ほぅ…」とヒュアさんの溜息が聞えた。



『ロゥアン国王陛下、そして花嫁様。ようこそおいでくださいました。仮縫いではございますが、どうぞご試着ください。』

『さ、ルノエ様?』


ヒュイアさんに促されてようやく我に返る。後ろを振り向くと、陛下がグレーの瞳を嬉しそうに細めていらっしゃった。



奥の試着室でヒュイアさんに簡単に髪を纏めてもらい、お店の方に手伝っていただきながらドレスに袖を通す。


『……ルノエ様、よくお似合いです。…本当に、おきれいです。』


鏡の中には赤い眼鏡をかけた薄い茶の髪の、薄い青い瞳の私がいる。その私の存在を消し去ることなく、美しく見せるように作られたドレス。いつもの自分なのに、じっと鏡の中に見入ってしまう。


『これから銀糸の刺繍とパールを散らす予定でございます。腰にお付けするモチーフはなにがよろしいでしょうか?リボンや花といった物が多くございますが?』

『ルノエ様?………ふふ、聞えていらっしゃいませんね。』


その後ヒュイアさんは私の代わりにお店の方に希望を出してくださった。


上半身の美しいレースとシンプルなスカートを引き立たせるため、敢えてモチーフは使わないことに。そしてデコルテは肌を見せるスクエアカットよりもハイネックに。袖は腕を長く見せるためにパフスリーブからノースリーブに。スカートのギャザーは少なくしてすっきりと。銀糸の刺繍は小さな野の花をモチーフにしたものをスカートの裾に散らすように。


すぐさまお針子さんに対応していただいて形が見えるようにしてくださると、オーガンジーを活かしたシンプルで可愛らしさのあるデザインが浮かび上がる。あるけれど形になったところで、ヒュイアさんが試着室にロゥアン陛下を呼んでくださった。



けれど恥ずかしくて陛下を見ることができない。俯いたままでいると、木目の床をゆっくり歩く音が聞える。私の視界に陛下の足元が見えた時、ヒュイアさんやお店の方が部屋を出て行かれるのがわかった。


陛下と二人きりになった試着室は、静かすぎて恥ずかしくて落ち着かない。おずおずと視線を上げる途中で、私の顎を拾う長い指先に上を向かされる。眼鏡を取られてしまうと同時に降りてきた、やさしい口づけ。ゆっくりと離れてしまう唇に寂しさを感じた。



『ああルノエ、美しいな……。春が、待ち遠しい…。』


耳元で囁かれる低い声。グレーの優しい瞳を見たいけれど、涙と恥ずかしさでまた俯いてしまった。


言葉にできない代わりに陛下の胸にそっと身を寄せると、大きな手が私を壊れ物のようにやさしく抱きしめてくださる。とてもとても嬉しい。陛下が私へのお気持ちを形にしてくださったようなやさしく、風に包まれるようなドレス。




春なると私はこのドレスを着て、あの大聖堂で陛下と式を挙げる。





春になると、私はロゥアン陛下の妻になる…………










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