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20.婚約式

風がさらに冷たくなり、庭の木々が黄色く染まり始める。やはり北の国らしく港の街とはまるで気候が違い、朝晩の冷え込みが私の予想以上で厳しい。油断していると風邪を引いてしまいそう…。



そしてそれはいきなり始まった。


朝食後、いきなりヒュイアさんと侍女の方に追い立てられるように朝から入浴させられ、髪を結ってもらい、お化粧を施されて、ドレスに着替えさせられて、そのまま部屋から連れ出された。


なにを聞いてもヒュイアさんは『あとでご説明します。』の一点張りで、困惑しながらも大人しく従ってしたのだけれど。


『え?婚約?式?です、か?』

『はい。陛下の執務室でささやかに、ではありますが。さ、陛下がお待ちです。』

『えっ?あの?でも、ヒュイアさん!』


陛下からなにも知らされていなくて、突然のことで心の準備もできていなくて『ちょっと待ってください!』と言いたいけれど、ロゥアン陛下の執務室は目の前!


『さ、ルノエ様どうぞ。』


近衛の方が陛下の執務室の扉を開けてくださった。その先には……



『ルノエ。』


陛下は淡いグレーのタキシードに白いシャツ。そしてアイスブルーのタイを締めていらして、艶のある黒髪はきれいに流されている。執務室の窓から入る朝の光の中で、こちらを見て嬉しそうにグレーの瞳を緩ませていらっしゃるそのお姿は、まるで新婦を待つ新郎のよう……と、考えたところでふと我に返った。


これは婚約式。新婦は私なんだ。


でもたった今、ヒュイアさんから聞いたばかりで、なんの心の準備も出来ていなくて、狼狽えることさえもできない。ただ執務室の入り口に立って、陛下を呆然と見るだけ。


陛下が私のほうに向かっていらっしゃる。普通に歩けば十歩程度の距離が、とても長く遠い。私だけを見つめてゆっくりとした足取りで……。


『ルノエ。』


低く優しい声と共に目の前に差し出された、大きな手。その手と陛下のグレーの瞳を交互に見つめていると、後ろからヒュイアさんの声が聞えた。


『ルノエ様、お手を……』


その声に導かれるように、私は自分の右手を陛下の指先に乗せる。


『ああ、やはりその色はよく似合う…。ルノエ、美しいな。』


『その色』とはロイヤルカラーである、アイスブルー。この前簡単に着付けてもらったドレスを、今朝は本格的に着付けていただいた。アイスブルーの優しい色の流れるようなラインと、胸元の小さくも繊細なレースが美しいドレス。このドレスの背中のボタンを陛下に外されたことを思い出して、顔が赤くなってしまう……。


『本来ならば婚約式も婚儀を取り行う大聖堂でするべきなのだが、ここへ大司教を呼んだ。大仰にするよりもルノエに近しい者だけのほうが良いと思ってな。決してルノエを軽んじているのではないことを理解してほしい。』

『そ、そんなことまったく思っておりません!それよりも!私、今知ったばかりで………。』

『ああ、俺がヒュイにそう指示した。フフ…頼むからこんな時にまで叫ぶな。パニックになっている間に今日一日が終わるぞ。』


私の手を取られたまま上から覗き込まれるグレーの瞳が、いたずら好きな子供のように笑う。事前に教えてくださらなかったことに不満を持ちつつも、そういう瞳で覗き込まれてしまうと何も言えない。私はやはりロゥアン陛下が好きだから……。


そして陛下に手を引かれてゆっくりと奥の協議の間に入ると、そこには窓を背にした祭壇が設えてあった。祭壇の上にはこの国の崇拝される女神様の白い陶器の像。その前に立たれるのは、白いお髭で荘厳な衣装を身に付けられた方。この方が大司教様。そして脇には宰相様。リドリスさんとウルファンさん。そしてその隣にヒュイアさんが立たれる。


『では、これより御婚約式を執り行います。』


恐らく大聖堂でなら、朗々と響き渡る威厳に満ちた大司教様のお声が協議の間に満ちる。


その後の私はフワフワとした心もとない感覚のまま、陛下が囁かれる言葉をそのまま口にしたり、囁かれるままサインをしたり。なんだかわからないまま、陛下が私の左手に美しい指輪を嵌めてくださり、なにがなんだかわからないまま、額に陛下の口づけを受けた。


みなさんがご覧になっている前なのに恥ずかしいという気持ちはなく、ただ茫然と陛下を見上げる。上から私を覗き込まれるグレーの瞳は、いつになく嬉しそうにキラキラと輝いていらっしゃった。心の底からの喜びに溢れた瞳を見ていると、私の胸にも感情が徐々に湧き上がるのを感じる。


『ルノエ、大丈夫か?』

『………はい、陛下。』


いいのかな?本当に陛下は私でいいのかな?と、ずっと考え続けていたことの答えを今、見つけた。


私、なんだ。ロゥアン陛下は、私でなくてはいけないんだ。こんな私を陛下は心から望んで下さっているんだ。


頬を涙が伝うと共に拍手が起こる。大司教様、宰相様、リドリスさん、ヒュイアさん、ウルファンさん。みなさんが温かい拍手を贈ってくださる。そのことが余計に嬉しくて、胸がいっぱいになってもっと涙が溢れていく。


そしてヒュイアさんも泣いていらっしゃった。私がこの国へ来てからずっと一緒にいてくださって、いつも頼ってばかりで、母のような姉のようなヒュイアさんの涙を見た途端、私もさらに泣いてしまう。



『陛下、ルノエ様、おめでとうございます。まずはひと段落ですな。』

『ナジェリス…。みな、世話になったな。だがまだこれからだ。よろしく頼む。』

『あとはルノエ様が陛下に愛想を尽かれなければ、大丈夫でしょうな。』

『さすが大司教。よくわかっておられる。』

『…さっそく不吉なことを言うな。』


陛下は笑いながら私の眼鏡をそっと外して、ハンカチで涙を拭いてくださりながら、左手に嵌められた指輪のことを教えてくださった。


『この指輪は代々の王が婚約の時に后へと贈る指輪だ。』

『……お后様?では陛下のお母様も?』

『ああ、そうだ。ブルーダイヤだ。リングはルノエに合うように新しく替えさせた。』

『ブルーダイヤ………。』


確か以前、カルオさんの商談で取引きしたブルーダイヤは、この貴石の六分の一くらいだった。あの時の商談でまとまった価格は……。思い出したらだめ。手が震えてしまう。



「きゃっ!」

『さあ、ルノエ、行くぞ!!』

『え?陛下?どこへ……』

『ああ、眼鏡は預かっておく。そのドレスに眼鏡はちょっと、な。足元が危ないからこのまま行くぞ。』


陛下に抱き上げられたまま、執務室を出て近衛の方が居並ぶ廊下を通り、階段を上がり豪華なホールを横切り…。そしてその先のバルコニーのドアを待機していた近衛の方が開けてくださると………


『ワーーーーーーーー!!!!』


他の何の音も聞こえないほどの大歓声。王宮の広場を埋め尽くすたくさんの人々。眼鏡がなくてよく見えないけれど、皆さん手を振ってくださっているのはわかる。大人も子供も、本当に信じられないほどのたくさんの方々が、陛下と私のほうへと………。


あまりにも驚いてしまって言葉が出ない。そっと降ろされて陛下を見上げると、口づけられてしまった。


『ワアアァァァァーーーーーーーーー!!!!!』


さっきよりもさらに大きくなった歓声に恥ずかしくなって俯いていると、耳元で陛下の声がきこえた。


『ルノエ、顔を上げて手を振れ。』


その通りに手を振ると、歓声がまたさらに大きくなる。


人々の歓声の中で空を見上げた。あの港の街につながっている高い空を見て、家族と港の街のみんなに想いを馳せる。


お父さん、お母さん、ルイ。私、ロゥアン陛下と婚約しました。これから陛下のお傍で生きていきます。


陛下の隣が今の私の居場所。港の街で通訳をしていた時の、斜め後ろの小さな椅子を思い出す。あの時は陛下の斜め後ろという位置と、小さな椅子に悲しみと絶望を感じていたけれど、今は陛下の隣で后になるということの重責を感じてしまい、不安で押しつぶされてしまいそう………。


陛下を見上げると、清々しい表情で手を振っていらっしゃる。


……陛下の妻になるということは、お后様のお仕事は、この国の人々の生活に命に直接関わっていくことなんだ。良いことにも悪いことにも決して目を逸らすことをしてはならない。命を賭してでもこの方々の生活を守らなくてはならないんだ。陛下が担っていらっしゃる重責を少しでも軽くして差し上げることができたなら………。


港の街の斜め後ろの小さな椅子に、少しの懐かしさと寂しさを感じながら、陛下と一緒に手を振る。



空はどこまでも晴れ渡っていた。








今は日も暮れた夜。風は昼間よりさらに気温を落として窓を叩く。


午前に開かれた婚約式の後、豪華なホールで婚約披露宴があった。その間は始終、港の街で商談を任されていた時の感覚をフル回転させて、事前に暗記した貴族の方のお名前とお顔を一致させる。


眼鏡を返していただいてはっきりお顔を見たときには、リストという名の教科書に載っていた歴史上の人物は、本当に実在されているのだという、おかしな感動を私の中に呼んでいた。


お名前の響きだけで勝手にイメージを作り上げてしまっていたので、想像通りの方やまったく正反対の方。

ひとり心の中で、笑ったり驚いたりしていた。好意的な方やそうでない方、色々ではあったけれど、陛下や宰相様、リドリスさんが助けてくださったお陰でどうにかやり過ごせた。



そして今、私の部屋にさきほどからロゥアン陛下がいらっしゃって、一緒にゆったりとした時間を過ごしている。窓辺の私の椅子から中央の二人掛けソファーに強制的に移動させられてしまったけれど……。


『…それにしても、さすがだったな。』

『え?』

『ああ、披露宴のことだ。ルノエの立ち回りは素晴らしかった。』

『……そう、なのですか?』

『ああ。ナジェリスもリドも手放しで誉め称えていたぞ。』

『よく、わかりません。』

『あれはお前にとって、仕事なのだろう?』

『はい。商談のようだと思いました。』

『商談?』

『商談相手の性格に合わせて、自分を演じるのだとルイは言っていました。例えば…プライドの高い方の場合は、お相手のプライドだけは守って差し上げるように、とか。強弁な方には柔軟な対応で駆け引きを、とか。逆に謙虚な方には寛容に、とか。』

『…アグレイ家は恐ろしいな。』

『でも陛下や宰相様やリドリスさんが傍にいてくださいましたから。』

『ルノエ。違うだろう?』

『あ。ロゥがいてくださったから……。』

『ルノエ、お前は本当にかわいいな。婚約式のドレス姿も素晴らしく美しかったが、今のくつろいだ様子も愛らしい。ああ、この花の髪留めを留める役目は俺だろう?ヒュイといえども、この髪留めはだめだ。』

『……ロゥ。』

『その唇で俺を呼んでくれるのか。ルノエ…俺のブーゲンビリア………。』

『はいそこまで!陛下、お時間です!ご退室ください!!』

『…………。』




突然ヒュイアさんの声が部屋に響いた。


ヒュイアさん、絶妙のタイミングです。










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