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02.レガッタ

 翌日のご予定はレガッタの観戦。


 きっとこの日にご予定を合わせられたのだろうなと、思っていた。この日は年に一度のボート競技、レガッタ大会の日。


 出場者は多岐に渡り、学生、船乗り、職場の仲間、女性、子供。皆それぞれこの日のために練習を積み重ねてきた。まずは子供の部門。次に女性の部門。学生の部門。そして一般。


 子供の部門はかわいいし、女性の部門は華やか。学生の部門は賑やかで、一般は壮絶。掛け声もそれぞれ独特で、八人が力を合わせてボートを一心不乱に漕ぐ姿は、いつ見ても感動する。


 以前は一般の部でシリロも出場していた。所属していたチームは毎年上位入賞が当たり前だった。いつも週末は仲間たちと練習に励み、みんなで優勝を目指していた。私は週末の練習を観るのも好きだった。シリロは笑い合いながら、肩をたたき合いながら、水しぶきを上げるボートの上で歯を喰いしばっていた。どれほどあなたを好きなのかを、私は毎週末想い知らされていた。


 そして毎年のレガッタは一日中潮風に吹かれて、観戦しながらシリロを応援するのが私の恒例行事だった。


…………四年前までは。







 今年は久しぶりにレガッタを観戦する。通訳という肩書で陛下と殿下に付いて、見晴らしのいい貴賓席でご一緒させていただく。つい、シリロがいてくれたら……と思ってしまう。そうしたら今年のレガッタは特等席で、とても楽しかったのに。

考え事をしながら遠くに見える貴賓席を見ていると、急に上から声を掛けられた。

見上げると、ロゥアン陛下が上から私を覗き込むようにしていらっしゃった。


「どうしたんだ?」

「っ、おはようございます、陛下。」

「ああ。レガッタは好きなのか?」

「はい、でも久しぶりに観戦します。とくに今年は特等っ、……いえ、なんでもございません。」

「なるほど、特等席か。」

「そうではなくて、えっと……」

「よかったな。」

「………はい。ありがとうございます。」


 ああ、やってしまった。朝から失敗してしまった。自己嫌悪に陥っていると、ロゥアン陛下は大きな手で私の頭をポンと触れて慰めてくださった。その時のグレーの瞳は優しさ溢れていて、私は驚いてしまう。


 今朝の陛下はとてもラフな格好をなさっていた。白地に薄いブルーの細かいストライプの上着に、下は白のシャツ。やはり上流階級の方はシンプルで上品な着こなし。黒髪とグレーの瞳が映えていらっしゃる。



 レガッタが始まる。

私の席は通訳ということで、ロゥアン陛下の斜め後ろ。本当に特等席だった。陛下のお隣りは、もちろんハリク殿下が座られる。



 これから始まるチームの説明にはじまり、去年の成績、チームの実力、個々のレベル。そういうことをご説明申し上げる。久しぶりに観るレガッタに、私自身が熱くならないよう注意していたこともあって、午前中はどうにか穏便に観戦が終わった。午後からは各部門の準決勝、決勝戦が残っている。四年前までシリロが所属していたチームは今年も勝ち残っていた。




 昼食のため、移動したテラスではビュッフェスタイルの食事。赤いブーゲンビリアで飾られたテラス席は陽除けのための白いパラソルも張られていて、潮の香りの風と共に、レガッタで高揚した気持ちを落ち着かせてくれる。


 陛下も殿下も思い思いに食事されるようだ。


 パラソルの下、私がひとりテラスの隅でおいしい食事を堪能していると、ふいに大きな影が私の隣に立った。見上げると、ロゥアン陛下だった。


「陛下、どうされましたか?」

「なぜこんな端にいるんだ?」

「………落ち着くからです。」

「こんな端が?落ち着くのか?」

「はい。お座りになられますか?」


 そう言うと陛下は本当に隅に座られた。……なんだか似合わない。大きなお体の陛下がテラス席とはいえ、隅に座られる。虎が子猫の檻に入ったような感じ。窮屈そうに見えてしまい、つい心の中で笑ってしまった。


「………なるほど。これが端か。」

「ご理解いただけますか?」

「ああ。わかった。端方向は人の目を気にしないでいいんだな。」

「はい。だから落ち着きます。」


 陛下は常に人の中心にいらっしゃる方。隅なんて経験されたことがないのが当たり前なんだ。そう思うと、陛下と私にはものすごい差があることを、思い知らされた気がした。わかっていたつもりだったけれど。でもそれを陛下が体験して共感してくださったことが、私には嬉しかった。



 こうしてお傍でお話できるのも、明日で終わり。陛下は明日、帰国の途に着かれるためご出立になる。この街には三日間という短いご滞在。


「明日、ご出立ですね。」

「ああ。」

「ご一緒できて、楽しかったです。」

「……まだ今日の午後と夜のレガッタの祝勝会。それに明日の朝があるぞ。」

「そうですね。夜は祝勝会ですね。」

「出席するのだろう?」

「いえ。私はご遠慮させていただきます。」

「なぜだ?」

「出席するように言われておりません。」

「ではレガッタと明日の朝だけか。」

「はい。」

「そうか………。」

「午後からのレガッタは盛り上がりますよ。午前とは迫力が違います。」

「そうか。」


 レガッタの魅力を力説する私の話を、ロゥアン陛下はやさしいグレーの瞳で楽しそうに聞いてくださった。


 暑い陽射しを避けたパラソルの下で、寄り添うように陛下と話していると、四年前を思い出す。つい錯覚を起こしかけてしまいそうなほど……。あの頃もこうやって、夏のカフェでシリロのやさしいグリーンの瞳を見ながら、話しをしていたのを懐かしく思う。なにを話しても楽しそうに聞いてくれたシリロ。

 陽に焼けた腕。下り気味の眉。やさしい笑顔。彼の穏やかさが好きだった。四年経った今でもその気持ちは変わらない。

 

 潮風は吹くのに、私の時は止まっている……。






 午後からは白熱したレースばかり。


 勝った子供達の笑顔。敗れた子供達の泣き顔は、どちらを見ても切ない。どちらの子供達にも賞賛の拍手を惜しみなく贈りながら、私も一緒に涙を流す。


 女性部門の準決勝と決勝は、皆お揃いの派手なコスチューム。見えるか見えないかのギリギリのライン!実は女の私としても、これは楽しみだったりした。華やかな雰囲気は観ていても楽しい。


 そして学生部門。掛け声と勢いには圧倒的なエネルギーを感じる。一心不乱にオールを漕ぐその姿は、羨ましいほど光り輝いていた。なにかに一所懸命になれるって、素晴らしい。


 最後に一般。シリロが所属していたチームへの応援につい熱が入ってしまう!鬼気迫る勢いの白熱戦に私は手に汗を握り、いつの間にか陛下と殿下へのご説明も忘れ、いつの間にか立ち上がり、いつの間にか大声で叫んでいた。


「いっっけぇぇぇぇーーーーー!!!!やったぁぁーーーー!!!!!」


………やってしまった。これだけはしてはならないと思っていたことを、やってしまった。





「くくくくっ、面白かったよ、本当に面白かった。」

「ああ、鼓膜が裂けるかと思った。大音量だったな。」

「……………返す言葉もございません…………。」

「いや、謝る必要はないよ。僕はとっても楽しかったから。ロゥもだろ?」

「ああ。予想以上だ。泣いて笑って叫びあげて……。なかなか壮絶だったな。」

「………本当に返す返すも、まことに申し訳なく……」


 レガッタ決勝が終わり、はっと我に返ると時既に遅し。周囲の大歓声が聞えるけれども、貴賓席は静まり返っていた。唖然とする身分ある皆様の中で、私は立ち尽くしたまま。その私の腕を引っ張って会場から出してくださったのが、ロゥアン陛下だった。


 ランチを摂ったテラスに連れてきて下さり、すぐにハリク殿下も爆笑しながらテラスにいらっしゃった。二人に囲まれて私も椅子に座らされている。目の前には陛下が頼んで下さった、冷えたアイスティー。


「飲まないのか?あれだけ騒いだんだ、喉が渇いただろう。」

「いえ。」

「いいからお飲みよ。せっかくロゥが用意したんだ。飲まないと不敬になるよ。」

「…では頂きます。」


 そう言われて飲まないわけにはいかない。慌ててストローを口にすると、また殿下が笑っていらっしゃる。明るいブラウンの前髪から覗く、ブルーの瞳にはわずかに涙が浮かんでいるように見えた。


「くくくく、本当に飽きないね。こんなに笑ったのは久しぶりだよ。」

「……ハリィ、だめだぞ。」

「わかってるよ、僕には大事な人がいるからね。これがすぐ拗ねるかわいい人だから。ロゥこそ、だめだよ。」

「ああ、わかっている。」


 なんの話をされていたのかわからないけれど、お二人ともいつまでもさっきの私の様子を思い浮かべて笑っていらっしゃる。


 ああ、きっと今夜は眠れない。さっきの愚行を思い出せば出すほど、恥ずかしくて消え入りたい気持ちになる。久しぶりのレガッタということもあって、つい夢中になってしまった。シリロはいないのに、私はレガッタを楽しんでいた。そのことに後ろめたい想いも感じる。シリロはもういないのに、それでもレガッタは楽しかった………。





「少し、案内してくれないか?」


 顔を上げると、ロゥアン陛下と視線が合った。


「はい、どちらへでしょう?」

「ああそうだな。眺めの良い場所がいい。」

「……では岬がよろしいかと。遊歩道になっておりますので、少し歩きますが?」

「ああ。構わない。」


 ハリク殿下は部屋で休まれると仰るので、私とロゥアン陛下と陛下のお付きの方で行くことになった。護衛の方はいいのかな…。






 馬車に乗ってレガッタ会場から港と街を通り、山側の道を辿ると、遊歩道のふもとへ出る。そして陛下とお付きの方と三人で遊歩道を歩く。


 ロゥアン陛下のお付きの方は、物腰の柔らかな感じの方だった。アッシュブロンドの軽いウェーブがかかった少し長めの髪と、榛色の丸い瞳。失礼だけれど小動物を思わせるような感じ。遊歩道を歩くときも、常に陛下と私の後ろ。そして私には陛下の隣を歩くよう、なんとなく指示されているような雰囲気を感じた。



 トンネルのような林を抜けると、岬に出る。目の間には遮るものが何一つない、水平線。空の青と海の青が彼方で交り合い、爽やかな潮風が吹き抜ける。遠く海鳥が飛び、港に停泊する船からの汽笛が聞えた。


「………すごいな。」

「本当に……。」


ロゥアン陛下とお付きの方は、見入っておられた。



 ここはシリロともよく来た場所。長く話したいことがあると、必ず彼をここへ誘っていた。ケンカした時、誤解があった時、自分の想いを口にしたい時。そういう時にこの場所へ二人で来た。そして手を繋いで帰った。


「ここは想い出の場所なのか?」


 ふいに陛下にそう声を掛けられて驚いて見ると、グレーの瞳が私を上から覗き込んでいらっしゃった。光の加減で不思議な色合いになっていたグレーの瞳。


「……はい。」

「そうか。」


その色を見つめたまま、そう応えると陛下は私から視線を外された。





 目の前には青一色の景色。父さん、母さん、そしてシリロがいる場所………。

潮風が吹く。でも私の時は止まったまま。





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