中学生に戻った俺
目覚ましの鳴る音で眼が覚めた。ふとんから起き上がると、自分の部屋だった。あれ?今の夢だったのか?
見渡して気がついた。部屋にパソコンが無い。そうだ、あれは高校受験に合格したお祝いで買ってもらったのだと思いだした。携帯電話も昔の機種だった。折りたたみ式で、横にアンテナがついているタイプだ。ハンガーには中学生時代の制服がかかっている。やはりここは過去なのか。すごいな、しにがみって時間戻せるんだ。と感心してしまった。
さっき家を飛び出していったからか、自分の部屋から出るのに時間はかからなかった。廊下に出て、リビングへ向かったが、ドアの前で立ち止まった。両親の不愉快そうな顔が目に浮かんで開ける気になれなかった。焼けるベーコンの匂いが辛い。
「なにやってんの夏樹、早くご飯食べちゃいなさい」
ドアが開いて母親が急かしてきた。椅子に座ると、朝食が目の前に並べられていく。向かいの席には父親が新聞を読んでいる。視線はこっちをちらりとも見ていないはずなのに、責めているような視線を向けられている気がする。
さっさと朝飯を食おう。香ばしいトーストに目玉焼きとカリカリに焼けたベーコンを乗せて、ケチャップをかける。一口齧れば口の中に半熟卵のとろみとベーコンの脂とケチャップの協奏曲が始まるのだ。これが旨いんだ。久しぶりにテーブルで朝飯を食った気がする。
制服に着替えて家を出ようとすると、母親の「いってらっしゃい」という声が聞こえた。何年ぶりだろう、そんなことを言われたのは。でも知っている、高校でうまくいかなくなった俺に愛想を尽かしてその内見捨てることを。だから返事なんかしなかった。
外に出て通学路を歩く。学校に行くのに気が重くならなかったのは、中学生時代はそこそこ楽しかったからだろう。家から歩いて五分ちょいのところにあるのが三首中学校、通称クビチュー。俺が通っていた中学だ。
ここでは学年によって校章の色が違う。一年が赤、二年が青、三年が緑だ。俺に付いてるのは青だから、中学二年生の時間軸に戻されたってことだな。クラスは…確か三組だったかな。窓側の一番後ろが俺の席だったような気がする。
「よー夏樹、おはよー」
振り返ると、そこには俺の友達がいた。いや、正確には友達だったというべきだ。卒業後に一度も連絡を取ることが無かった薄情な奴だ。名前も覚えてない。この際だ、卒業するまではこいつと友達ということにして、高校に入ったらもっといい人間と交友関係を築こう。
「おはよう」とこっちも返したがむずかゆい気持ちだ。他人に朝の挨拶をしたのなんて記憶のかなたに飛んで行ってしまった過去の出来事で、今自分がそんな状況に置かれていることが、まだ受け入れられてない。
「お前高校どこ受けるか決めた?」
「いや、まだ決めてない。受験なんか三年からでも間に合うしな」
「だよなー、新学期になってみんなどこがいいか今から話してるけど、ぶっちゃけどうにかなるよなー」
そうだ高校受験。今からなら間に合うはずだ、勉強しよう。あの高校に行くのはやめてもっと良い所へいかなきゃ、碌なことにならない未来が待ってる。
授業が始まって教科書を開いて、いい意味でがっかりした。なんだ、こんなことだったのか。基本がわかれば問題なんてスイスイ解けるじゃないか。まるで昔クリアできなかったゲームを、後になってやったら簡単にクリアできた時のようだ。過去に戻るのって、強くてニューゲームって気分だな。楽勝楽勝。
と、調子に乗っていて壁にぶち当たった。今までパソコン入力だったもんだから、シャーペンで文字を書くのが苦手になっていたのだ。書けるっちゃ書けるけどすこぶる汚い。多分俺以外の人には読めないと思う。まいったな、字の練習から始めなきゃいけないのか。
だるい授業ばかりの一日が終わって帰ろうと階段を下りていると、見覚えのある女子とすれ違った。二組の笹川美代子、学年で一番可愛いと言われていた子だ。俺が罰ゲームで告白したことがある、苦い思い出の一つだ。しかし今彼女を見てもなんともない。俺には二次元世界に嫁が盛りだくさんだからな。もはや三次元に興味は無い。取り巻きの女子がクスクス笑っていないから、まだ俺は罰ゲームを受けていないんだな。よかった。
下駄箱の前でニヤニヤしている男子が数名。そうだ思い出したぞ、こいつらに負けて笹川を追いかけるんだった。
当時俺の学年ではジャンケン罰ゲームが流行っていた。ジャンケンに負けた奴が誰かが決めたアホな罰ゲームを真面目にやる、今考えればなんでそんなものが流行ったのか理解できないくらいくだらないものだ。このまま階段を下りれば巻き込まれる。来た道を戻って、別の階段から図書室へ逃げた。
図書室で読みたかった本を漁っていると、案外時間は大人しく流れてくれた。閉館する時間には、もう男子達の姿は無かった。流石二週目の人生、不幸を回避することだってできる。これはすごいぞ。
家に帰ってすぐに字の練習を始めた。小学校の低学年みたいで情けないが、ここで癖を直しておけば後が楽だ。寝る間も惜しんで、自分が納得できるまで書いた。一週間ほど経って、勉強にも字の練習にも余裕ができてきた。授業は寝ててもわかるようなものばかりだし、運動神経は悪い方じゃないからそこそこ出来た。相変わらず下校時刻になると男子達がたまっていたから、図書室で過ごすのが日課になっていた。どんだけ俺に罰ゲームさせたいんだあいつらは。
帰り道、ゲーム屋に立ち寄った。高校卒業くらいの年には閉店してしまった店だが、今ならまだある。無くなった店が戻っていると、ここは過去なんだなと実感する。変な気分だ。今日が発売日のゲームのコーナーを漁っていて驚いた。『銀色の贖罪』がある。所謂ノベルゲーで、当時は注目されずあっという間に生産が終わってしまったが、後になって内容が評価されてプレミア価格になったものだ。箱説明書なしでも6000~8000円で取引され、完品状態ならオークションで3万円を超えることが珍しくない、アクチュアルゲストの幻作だ。それがたったの4000円で平積みにされているなんて、信じられない光景だ。
そうか、これが高価になることは俺しか知らないんだ。ずっと先の未来、俺が成人したあたりから評価され始めたわけだから、今は無名のゲームなんだ。
ふとひらめいた。これをいくつか買っておいて、後でオークションに出せば金が手に入るじゃないか。それだけじゃない、これから発売されるゲームやアニメ、漫画だって後に価値が上がるものがあることを知っているのは俺だけだ。ああ、チート使って異世界で暮らしてるやつって、こんな気持ちなんだろうか。笑いが止まらない、知っていることがこんなにすごいことだったなんて。昔のゲームの宣伝が流れる中、一人半笑いで立ちつくしていた。
全部買い占めようと思ったが悲しいかなまだ中学生、三つ買うので精いっぱいだった。高校生になったらバイトをしよう。稼いだ金を軍資金に、流行るジャンルや後々高額になるアイテムを買って転売すれば大儲けだ。
部屋に戻って買ったままのゲーム三本をクローゼットの奥に隠す様に置いた。忘れないように書き記しておこうと使っていないノートを探していると、左側の引き出しが開かないことに気がついた。そういやここにはお年玉とか大事なものをいれて鍵をかけていたな、ニート生活になって使わなくなったからすっかり忘れていた。何の気なしに鍵を開けると、いやーなものが顔を出した。そう、人間だれしも一度はその妄想を書きこんだであろう黒歴史ノートだ。当時の俺がノリノリ大暴走を起こした設定がご丁寧に絵付きでびっしり書いてある。
・ジャンルは現代ファンタジー学園異能力バトルもの
・主人公は幼いころ組織に両親を殺されて儀式の生贄となった過去があり、オッドアイになった左目を常に眼帯で隠して生活している。
・左眼には別の人格(儀式で呼び出された破壊神)が宿っていて、体を乗っ取られて暴走することもしばしば。
・所持する異能力は『総てを無に帰す』ものだが、使うことを快く思っていないため鍛えた剣術だけで戦うことをモットーにしている。
・組織への復讐を誓い反抗団体『RE:JECT』のメンバーとして組織と戦い続ける日々を送り、物語の舞台である学園都市に配属された。
・そこで偶然出会った学級委員長の女の子が実は前世で恋仲になった女神の化身で、二人は次第に惹かれあっていく。
かいつまむとこんな感じだ。痛々しい、実に痛々しいぞ中学二年生の俺よ!こんなテンションじゃ高校デビュー失敗しても仕方が無いような気がしてきた…まったくなにやってんだか俺は。さっさと真っ白なノート探してゲームの事を書こう。
一年はあっという間に過ぎ去って、受験期に入ると周りも騒がしくなってきた。頭の良さと性格の良さなんて関係ないと思うけど、不良に絡まれるよりはましだろうと前回よりも偏差値の高い高校を受けた。
軽く八年以上は縁が無かった会場で受ける試験は緊張感と場の空気に飲まれそうになったが、結果は拍子抜けするほどあっさり合格。母親はすごいわねなんて褒めてたけど、それはいい学校へ息子が受かったという事実が気に入っただけで、俺自身に対してはどうせ無関心なんだろう。わかっていても腹が立つ。夕食にロールキャベツを出してきたって、俺は信用しない。父親にいたっては、やればできるじゃないかなんて言いやがった。ふざけんな、今までだって苦労してきたっつーの。誰のせいで引きニートになったと思ってやがるんだまったく。
そこからは消化試合のようなものだった。もう受けなくったっていいような授業も、退屈な卒業式も風のように過ぎ去っていった。
四月、俺は前とは違う高校の校門前に母親と立っていた。ここから先は自分が体験したことのない未来だ。友人関係も、勉強も、今度こそ間違えないよう慎重に事を運ぼう。未来は知っている、大丈夫だ。と自分に言い聞かせて、入学式の行われる体育館に歩き始めた。