乱、カナブンは虚空に消えた。2 ②
第7毛「乱、カナブンは虚空に消えた。2」
……水魔法を使う彩髪の魔法使いたちが放水を止めたのは10分前のこと。
橋の下のボロ家は鎮火した。ウサヒコはこの家でまだ一日しか住んでいない。
だがシディアとルビィは違う。この住居に何年も住んでいたのだろう。ウサヒコの目には、この家は子供たちが作った秘密基地のように映っていた。
きっとふたりは夜遅くまでこの秘密基地でシディアは魔法の練習を、ルビィは薬の研究をしてながら毎日を過ごして……ずっとずっと支えあって、笑って過ごしていたのだろう。この家には、大事な思い出がたくさんある。だからふたりは焼け落ちた姿を見て、放心しているのだ。ウサヒコはふたりを理解しようとすればするほど、胸が痛くなった。
ふたりが同時に口を開いた。
「ウサピィさん」「ウサピィ」
ウサヒコはふたりの無機質な声から次の言葉が予測できず、怖かった。
「…………その、なんだ…………これからどうしよう、な」
「ボク、決めたよ。薬でカナブンだけをこの世から撃滅する!」
「私、決めました。魔法でカナブンだけをこの世から殲滅します!」
ふたりはほぼ同時に答えた。その目は静かな怒り。目は血走っていた。
「…………」
ウサヒコは面食らったが、少しほっとした。ふたりが元気だったからだ。
「――生態系が狂ったら、どうするんだ」
「私、カナブンを食べる生き物なんて知りません!」
「ボクも知らない。カナブンは木の蜜だけを吸って生きて、誰の食べ物にもならないこの世に必要のない生き物だよ!」
「そうだねルビィちゃん。カナブンはこの世界に邪魔な存在だよ。私たちがやっつけないと世界が危ないと思うの」
「おまえら、カナブンがかわいそうだろ」
「――なに? ウサピィはカナブンの味方なの? ありえない!」
「もしかしてウサピィさん、カナブンが好きなんですか……?」
「なんだよウサピィ。カナブンが好きなの? 私たちとカナブン、どっちが大事なの!」
「いや、おまえらに決まっているだろう」
ルビィの手から逃げたカナブンが、誘われたようにウサヒコの肩に止まった。
「そのメスのカナブンは、ウサピィのことが好きみたいに見えるけど!」
ルビィは丸い顔をさらにぷぅっと丸くして、カナブンに嫉妬する。
「なぜメスとわかるんだ。俺にはわからん。というより、メスとすぐわかるならカナブンの天敵くらい知っているんじゃないのか。おまえらエゴにまみれて見苦しいぞ」
「ルビィちゃん! はやく退治しよう!」
シディアはアイアンロッドを召喚し、じりじりとウサヒコのカナブンに近づく。
「シディア! ボクは正面から攻める! シディアは後ろ!」
「うんっ!」
「おいやめろ、特にルビィ。おまえの魔法は怖い。俺の額に注目しろ、心臓とか貫かれる恐怖で冷や汗が滝のように出ているのがわからないのか」
「ウサピィ、だからなんでカナブンをかばうの! 人類の敵なんだよ、危ないんだよ!」
「いや、心臓を貫けるおまえの方が人類の敵だろう」
「ボクは人類の敵じゃないもんっ!」
ルビィは顔を真っ赤にして、プンスカピーと怒った。
「このわからずや! くたばれ、ウサピィ! 情熱的応援ッ!」
「!?」
ルビィの掌から炎の球体が現れ、レーザーを放射するための力をためる音が聞こえてきた。
――死ぬ。ウサヒコはそう思った瞬間にランナウェイ。
「――逃がさないよっ! ボクは人類の敵じゃないもん!」
ルビィはウサヒコの後を追いながら 情熱的応援を連射する!
連射された光線は橋の柱を貫いた!
「うおおおおお! わ、わかった! 人類の敵じゃない! えーと、あれだ! 俺の敵だっ!」
「違うもん! ウサピィの味方だもん!」
ルビィの真っ直ぐな想いが魔力を強くする。赤髪は煌びやかに光り輝き、光線を太く、放射時間を長くした!
光線を思い切り縦に振り、橋を一刀両断したルビィ。凄まじい瓦礫の音と砂埃。運よく橋を渡る人はいなかった。だが、人々が瓦礫の音に誘われ、なんだなんだと集まってくる。
橋が崩れ、真っ青になったウサヒコはルビィに必死に謝った。
「わかった、わかったから! 実はカナブンが大っ嫌いだッ! カナブンに天敵はいない! 生態ピラミッドのどこにも属していない、生物界の異端だと思うから!」
ウサヒコは心でカナブンに謝った。
「ボクたちの味方だよね?」
「ああ! 死ぬまで味方だッ! だからレーザービームはやめてくれ!」
シディアは、慌て走ったウサヒコの肩から離れたカナブンをいつまでも追いかけていた。
*
――たくましい。ただその一言。
ウサヒコ、シディア、ルビィの三人。壊れた橋、満点の青空の下で作戦会議をしていた。
それは壊れてしまった橋を見に集まった群衆に目もくれず。
「――じゃあ決まりだね。ボクは生活費係。これから2日間コルサーンの森で素材を採ってくるよ」
「私はこの世のカナブンをやっつけるために、ルチルちゃんに協力を仰いでくるね」
「頼んだよ、シディア」
「……俺は?」
「ウサピィはカナブン撲滅商社の平社員だよ」
「わかった。この世界に会社組織はなさそうだが、お前の口から平社員という言葉が出てきたということは、会社組織がきっとあるんだな。だから俺はつっこまない。しかし、お前がいない間、飯と寝床はどうするんだよ」
「――? ヒラシャイン……なんだっけそれ?」
「いや、今お前がそう言っただろう」
「わかったあ! ヒラシャインって、平べったい月の光のことだよお!」
「違うぞ」
「…………?」
ルビィは頭をかしげている。
「あっ。ウサピィさん、ご飯も寝泊まりも大丈夫ですよ! ルチルちゃんに頼みましょう!」
「――そうだね、ルチルなら助けてくれるよ。きっとボクたちと協力して、雷光魔法でカナブンを跡形もなく消し去ってくれる」
「うん。きっとルチルちゃんなら、この世の悪いカナブンの頭上に裁きの雷を、平等に落としてくれるね」
カナブンに悪い奴はいないと思うウサヒコ。凜としたルチルの顔を想像し、思った。絶対に協力はしてくれないと。
「じゃあ、決まりっ! 円陣を組むよ!」
ルビィは体育会系のノリで叫ぶ。まわりには人だかり。ウサヒコは恥ずかしかった。ルビィとシディアは、ウサヒコを忘れて互いの両肩に手を置いた。ふたりなので、はたから見ると組体操の土台を組んでいるようにしか見えない。
「あっ、ウサピィさん! はやく!」
シディアは手をルビィの肩から離し、隙間を空けた。
「…………」
ウサヒコはまわりに気を使いながら、こそこそと身体をちぢめて陣に入った。
「シディア、ウサピィ。掛け声はボクに決めさせてくれないかな」
「うんっ! ルビィちゃん頑張って!」
まわりには人がたくさんいる。ひそひそと声が聞こえ、ウサヒコはルビィに頑張ってほしくはなかった。
「掛け声はボクが……森羅万象、闇に生まれしカナブンよ、我らの心は静寂を求め、貴様は砕け散る運命だ……と言った後に、金蚊、滅亡」
「かっこいい! かっこいいよ、ルビィちゃん!」
「早くしてくれ」
「――森羅万象、闇に生まれしカナブンよ、我らの心は静寂を求め、貴様は砕け散る運命だ……」
『び~~とるぅ~~、でぃすとらくしょんッ!』
ルビィとシディアの声だけが響いた。
ウサヒコはすぐに肩を外し、群衆にすみませんと会釈をした。
*
郊外から離れた。そよ風と、丁寧に土をならした道路。草原からは緑が鼻をゆっくりとつきぬける青く瑞々しい匂い。路から土の落ち着いた匂いがそれに混じる。どのくらい歩いたのかと振り向かせた視は丘から。ルベールの街がよく見えるが、街のにぎわいの音は聞こえず、メインストリートが葉脈のように見え、目からのにぎわいしかわからない。メインストリートを超えた遥か遠くにはとんがり帽子の巨城が堂々と建っていた。
前方。つたが絡まった門、国技館ほどの西洋レンガの大豪邸。その姿はまさしく城。この世界には城が多い気がするが、特徴として頭のとんがり帽子はなく王冠のような頭だった。シディアはニコニコと門口を通過。屋敷までの長い長い道のり。大玄関まで、あと七〇〇メートルほどで目の前には噴水。その飛沫は虹を形成し、可愛らしく自然に咲いたけなげなお花たちと一緒にバックの城が映える。ヨーロッパに絵葉書があるのか知らないが、確実に絵として使われるだろう。ウサヒコは勝手に大豪邸に入ってしまい萎縮している。シディアはかまわずドンドン大玄関を目指す。ウサヒコはついに口を開いた。
「……勝手に入って大丈夫なのか?」
「え?」
「いや。たとえ友人だとしても、勝手に敷地に入っては……」
「大丈夫ですよ?」
シディアは空を指差した。鎧を装着した大型バスほどの大きさの飛竜が上空からウサヒコを監視していた。
「……なんだあれ。口から炎がもれてちょっと怖いな。というより、俺を睨んでないか?」
「ルチルちゃん家のガーディアン。私と一緒にいるから、ウサピィさんに攻撃してこないんです!」
「えっ」
「地脈から、侵入してきた人の魔力を感じ取る護符を張り巡らせてるんです」
シディアは自分の家のように。
「だからもう、ルチルちゃんは私たちが遊びに来たことを知ってると思います! だから大丈夫です!」
ウサヒコはシディアの背中にぴったりとついて玄関を目指した。その足は震えていた。
――大玄関。木の壁にしか見えない魔法施錠式の大扉にシディアが笑顔で叫ぶ。
「ルチルちゃ~ん! 遊ぼ~~~!」
扉はシディアの声に反応し、まばゆい光を放つ。ギギ……と木製の扉は重い音を立てながら開いた。
「うわぁ……」
――玄関から中へ。床は大理石。赤い絨毯が敷かれた正面の大階段と四方の小階段。そして五十組ほどの男女が華麗に踊れる広さの吹き抜けのホール。ウサヒコは天井のシャンデリアを見上げた。呆気にとられ、二の句も継げない。
「――ウサピィさん、こっちですよ!」
シディアはウサヒコの手を引き、大階段をどたどたと駆けあがる。彼女はルチルと会うのを楽しみにしていたようで、その笑顔が何よりの証拠だ。