失神、必殺、憧れのミクスチャーバトル。②
第二毛「失神、必殺、憧れのミクスチャーバトル。」
「――ぬおおおおおおおおっ!?」
男くさい宇佐彦の声。
ほうきに二人乗りをする三つ編みをオールアップにした黒髪の魔法使いと宇佐彦。ほうきは、宇佐彦が怖がり、震えた体をなかなか安定して支えきれず、ふらふらと滑空している。
……着地は失敗し、ふたりは地面に叩きつけられた。
「いたたた……」
黒髪の魔法使いは、ほうきの違和感に気がつく。
「あわわわわわ……ほうき、折れちゃった……」
ほうきは真っ二つに折れ、彼女は目を潤ませた。
笑顔が素敵だった彼女はがっくりと肩を落として、その横顔にはやつれが見え、うつむいて死んだ目を隠すかのような影は困難にぶつかってしりごみしている、濃い退屈の色が浮かんでいた。
宇佐彦はその姿を見て、チクリと胸を痛めた。
「……ご、ごめん」
魔法使いは宇佐彦にごめんと謝られ、暗い顔を見せたことを後悔しすぐに笑った。
「い、いえ。いいんです! 私にもっと魔力があればこんなことにならなかったはずですから!」
「…………っ」
宇佐彦は唐突に風景が、世界が変わったことを思い出した。
空を見上げる。しかし木々の間から見える空は透き通った青で晴天。空の色は現実と変わらない。
――だが。
「……マリョク。……はあ。目の前のこの娘はどう見ても魔法使い。早く夢から覚めて欲しい」
「?」
「――いや、夢から覚めたくはない。最近遅くまでアシスタントのレッスンを見ていて、寝不足なんだ。もう少し寝ていたい……」
「……こんな所で寝たら死んじゃいますよ?」
宇佐彦はまわりが暗く深い森の中だと気がついた。背の高い木々たちが作りだした影は森全体を暗くし、不気味さを演出する。そしてなによりも木々の間の影から猛獣が突然襲ってきてもおかしくはない雰囲気だった。
「――さあ、早くコルサーンの森を抜け出しましょう♪ 魔物に狙われちゃったら大変ですから!」
「あ、ああ……そうだ? そうだな……」
黒髪魔法使いはほうきをポーイと捨ててから軽快に指を鳴らす。鳴らした指からは星が一粒散って、ヘアゴムが現れた。かんざしをゆっくりと大事そうに抜いてオールアップを解いた。彼女は一本の三つ編みを不器用な手つきでとめてから、ニコニコと宇佐彦の手を引いた。
「――あっ、忘れてました」
黒髪魔法使いは足を止める。
「……?」
「……冒険をする前に自己紹介でしたね! 私はシディアです。職業は下位魔法使い! よろしくお願いしますねっ!」
シディアと名乗った魔法使いは宇佐彦の手を離し、深々と礼をした。
「……あ、ああ……俺は佐宗宇佐彦だ」
「サソウ・ウサヒコ……さん? えっと職業は……」
「ジョブ……? ああ、職業か。美容師だ」
「ビヨウシ……? まっ、いっか♪ よろしくお願いしますっ!」
「……俺は一体、何をよろしくされているんだ」
「えっ。だって私を見てすぐにわかるじゃないですか?」
「なにが」
「だってほら、濁髪が魔法使いだなんて――」
――ジュワ。
ウサヒコの背後から酸で何かを溶かしたような音がした。
「――あっ、さっそく出ましたよっ! しかもレアモンスター、溶液魔物。よろしくお願いしますっ」
「えっ?」
ウサヒコは振り向く。『スライム』と呼ばれた魔物は、ゼリー状で目も鼻も口も手も足もなく、もちろん髪の毛など生えていない。現実世界でいうアメーバのようなものだった。大きさはアメーバのような細菌レベルの可愛らしいものではなく、乗用車を簡単にのみこめるほどの大きさだ。
溶液魔物はこちらへ向かってきた。なめくじのような粘液は地面の草花を溶かし、轍のように進んだ跡をつける。
溶液魔物は粘液を飛ばした。粘液は宇佐彦の顔二個分左に通り過ぎて、大木に張り付いた。
粘液からは溶ける音がする。……大木は粘液に溶かされ、大きな体を支えることが出来なくなり、音を立てながら倒れた。撒き上がる砂煙。住処をなくしたリスっぽい小動物の複合家族が、おじいちゃんとおばあちゃんを除いて、ウサヒコに親指を立ててから一斉に逃げた。
それは後はまかせたと言わんばかりに。
「……シディア?」
よぼよぼのおじいちゃんリスが地面につまづいた。それを見たおばあちゃんリスはおじいちゃんの背中をさすっている。
シディアは逃げ遅れた二匹を守るように拾い上げてウサヒコに目を輝かせ、
「――はいっ! 討伐よろしくお願いしますっ!」
ウサヒコは目の前の出来事に訳がわからなくなってブラックアウト。気絶した。
「きゃああああああ――! ウサ、ウサ、ウサピィ?さ―――んっっ」
シディアの悲鳴が森に響く。
「きゃああああああああああ!」
「うきゃあああああああああ!」
溶液魔物はシディアの悲鳴に驚かず、ウサヒコに向けて溶解液を吐き出した。
「――炎壁魔法」
倒れたウサヒコに炎が包み込む。吐き出された溶解液は炎の壁に当たり、蒸発した。それを見たシディアは。
「こ、この魔法はっ!? ま、まさかっ!?」
シディアは脳天に稲妻がようなものが走る。そして魔法を放った者の姿を確認した。
「――きたあああああああああ!」
「……もう! 薬師のボクに魔法を、しかもこんな所で使わせないでよ、シディア!」
木の上でため息をつき、フードを被った少女。少女は髪を散らしながらフードを脱いだ。
彼女の髪の毛はミディアムで、揃っていない毛先は自分で切ったとすぐにわかる。しかもぼさぼさ。それは寝癖のよう。セットされていない髪が目立っていたが、それよりも目に引くのは現実では存在しない色。秋の紅葉のよりも原色に近い、深紅色だった。
「ルビィちゃあああん! 助けてぇええええ!」
ルビィと呼ばれた少女は木の上から溶液魔物の前に着地した。
「レアモンスターだけど……溶液魔物の素材なんて使えないなあ。完全に倒しちゃっていいよね?」
泣きそうな面で、凄い速さで何度も何度もうなずくシディア。
溶液魔物はルビィに向かって溶解液を吐き出した。ルビィは慌てることなく、ゆったりと。
「ふぁいあ〜ぼ〜る♪」
ルビィの指先から炎の玉が飛び出した。炎はルビィに向かってくる溶解液を蒸発させた。
むふふと笑い、溶液魔物を小ばかにするルビィ。その姿は少年のようだった。
「……シディア。ボクはさ、素材がいっぱいのコルサーンの森が大好きなんだ。だから炎はあまり使いたくない」
シディアが抱えていたリスの老夫婦はうんうんと頷く。
「あっ! そっか、えへへ、忘れてた。コルサーンの森はルビィちゃんの大事な場所だもんね!」
「ふふっ。でもこいつを倒すのに魔力を抑えて闘うのは難しいね。だからシディア、アイアンロッドを貸してくれないかな?」
「――うんっ!」
シディアは目を瞑り、念じた。そして何もない空間から煌びやかな星屑を纏ったアイアンロッドが現れた。
「えーい!」
シディアはアイアンロッドをルビィに投げ渡す。
ルビィは右手でロッドをキャッチして、星屑は炎に変わり、勢いよく燃え上がる。
「――炎属性付与」
ルビィは目を瞑り、精神を集中させる。
溶液魔物は隙が見えたルビィに向かって溶解液をふたたび吐き出した。溶解液はルビィの顔面に向かってゆく。障害物はない。絶対に当たる。避けなければ確実に致命傷となる。
「ルビィちゃん! 前っ!!」
シディアが焦って声をかける。だがルビィは焦ってなどいない。飛んでくる溶解液を視界に入れたあと、ふたたび目を瞑り、燃え上がるロッドを莫大な魔力で収束させ、閃光。
――彼女はロッドの炎を真っ赤なオーラに変えた。纏うオーラから赤黒いスパークが走り、チリチリと音が鳴る。溶解液がルビィの顔面に当たる直前。
「――燈火の露命」
ルビィの姿は蝋燭の小さな炎のように揺らぎ、勇敢な顔つきは微動だにしない。顔面に当たるはずだった溶解液はすり抜けた。
「千灯篭」
彼女はふうっと吹いたら消えてしまいそうな色の薄い幻像をたくさん生み出した。多数の幻像に溶液魔物は混乱し、動きを止める。ロッドを右肩に置き、一斉に左掌をちょいちょいと溶液魔物に向けて挑発する幻像たちは灯篭の火のように儚く揺れる。
溶液魔物は挑発に乗り、増えた目標全てに溶解液を吐き出した。
「……ふふん。全部はずれに決まってんじゃん」
――声が聞こえた方向。ルビィの本体は溶液魔物の遥か頭上へ飛び上がっており、ロッドを思い切り振り上げていた。
「――竈神の情熱ッッ!」
ルビィは深紅のオーラを纏うロッドで溶液魔物の頭を思い切り叩きつけた。叩きつけられた溶液魔物は歪み、地面は割れる。
――踊るように舞い散る美しい深紅の髪は、シディアの脳裏に焼きついた。呆然とする小さな口を閉じた後の眼差しは、幼き子が父親に向けるような無垢な憧れ、いつか追い抜いてやろうとする決意の目に変わる。
溶液魔物は形を元に戻そうと抵抗するが、ロッドの纏う赤黒いスパークが些細な抵抗すらも許さなかった。赤い稲妻が容赦なく襲いかかり、落雷音と共に砂埃と白煙を上げた。砂が入り混じった白煙はルビィの発した魔力の熱気ですぐに晴れる。スライムは水となり、割れた地面上で広がり、滴っていた。
「――あいたっ!」
ルビィは着地することを考えていなかった。そのまま地面に勢いよく叩きつけられて、手に持ったアイアンロッドが水たまりになった溶液魔物に触れる。高温になっているアイアンロッドは水たまりの一部を気化させた。
「ルビィちゃん!」
シディアはルビィに走って近づく。
「……いてて、ボクは大丈夫だよ。それよりあの人は大丈夫かな……?」
ウサヒコはまだ気絶していた。その背の上でリスのおじいちゃんとおばあちゃんがありがとうとルビィに礼をした。