理として涙が水である、由。final
第24毛 「理として涙が水である、由。final」
※挿絵はまだ入っていません。文章先行配信。
*
――言葉。
人の心を根として、口から出る言は、根から育った葉っぱ。
根が枯れると身体である茎も、葉も枯れる。すべてが朽ちる。
誰しも朽ちる前に、過去の栄光を思い出す。
理解されたいと、朽ちてはいないと虚勢を張って口に出してしまいそうになるが、心はグラデーションのように単純なものではない。ぐちゃぐちゃの混濁した汚い、悲しみの色で黙っているのか、一点ばりの単色で虚勢を張って思いきり笑うのか、選んでしまう。……ウサヒコは、口を噤むことを選んだ。
――その、果て。過去の栄光のまでの過程に悲しく、ひどく浸りたくなる。
だから思い出す。昔の言葉を。
《――佐宗、今日は早く帰れ。日本でしか学んでいないお前が、欧州人に敵うわけがない。何故、賞にこだわるんだ。街の美容師でいいじゃないか》
《“ただ”の美容師になるのが、嫌なんです。だから、帰りません。俺は――》
栄光の過程、その努力に浸る。人に昔はこうだったと武勇伝を聞くのは、一度ならすごいと感じる。しかし、二度目からはただの自慢にしか聞こえない。今さら過去のことを言ってしまうのは愚かな事と思ってしまう。
過去は栄光は心の支え。だからこそ、浸るしかない。
しかし、口に出してしまいたい。俺はすごい、と。
この世界でも、俺の技術は使える、求めてくれる。
そう、思った。
しかし、そう思っていただけで。髪を切り終えた、その先の事は考えてはいなかった。
何かを傷つけて、誰かを壊してしまう可能性のある魔法使いの魔力を上げてしまう。
もし、魔法で何かを殺めたら、誰かを壊したら、自分のせいになるのだろうか。
冷い。――汚水のようにねっとりと、粘りついて、怖い。
「…………」
ウサヒコはカコクに連れられ、南の出口から街を出ている。
ここは、ネピルム草原という場所らしい。
夕陽は沈み、満月が出ていた。東京の満月とは比べものにはならず、明るい。
銀河が集まり、太い線を引いている天の川に、仰ぐと必ず落ちる願い星も綺麗だ。
「…………」
……シディアとルビィが、橋の下のボロ小屋で月明かりで本を読んでいた事があった。
ウサヒコはシディアに髪を切ってやると言ったが無垢な笑顔で断られ、胸が痛くなった。
その痛みは悲しいと寂しい、どちらかというと寂しい方。そして、たくさん水をいれた霧吹きが無駄になったと、ため息が出そうで……出ない。見るからにもどかしい気持ちを含んで寝っ転がり、窓一面に広がった月に寂しさをぶつけるつもりで散らしたら、円形の虹がふわりと浮かんだ。映写機のように映しだされた虹の正面の宙に続いた、同じ円形の小さく淡い七色――。虹にも、影があると初めて知った。
それは、ありえなくて美しい。もはや“自然”な光景だった。
ここは東京ではない。ましてや、地球では起きない事が起こる世界。
人も風景も何か違う、世界。もう何が出ても驚きはしない。……とどのつまり、見慣れていた。
そして、今は。
全力で。
汗だくで。
走っている。
カマキリのような魔物から逃げている。
内心では、事あるごとにひたすら驚いているウサヒコは、叫んだ。
「――帰りたいっ! 俺は、帰りたいっ!」
カコクは笑う。ウサヒコにきちんと聞こえるように大声で。
「ウサ兄ぃ! 今夜は帰さねえ、見せたいもンがあるんだよッ! マサムネ、オレの力はいるかァ!?」
「――必要ないッ!」
マサムネは細長い得物を包んでいた布っきれを魔物の複眼に投げつけ、動きを無理やり止めた。
三人は足を止めて、魔物、ガウィ種と対峙する。
ウサヒコはそのまま逃げ出そうとしたが、カコクに首根っこを掴まれ捕まった。
「まあまあ、ウサ兄ィ。大丈夫だって。死にやしねえよ。――おっ? 『死にや。死ねえよ』って、ダジャレかもしれねえな。メモメモ」
「……なんか、違う。絶対に違う。ダジャレじゃない」
口語体だった。
「ふっ……。そう言ってくれるなよ。怯えることはないぜ? ここなら土がある。俺の魔法の独壇場だ! ナイスランナウェイだぜッ!」
草原の土を片足でポンポンと確かめるカコク。
月よりも眩しい笑顔と、ぐっとする親指立てに、ウサヒコは不安になった。
「――頼むから、帰らせてくれ」
――恐る恐る見やった、魔物の姿。
朱色の外骨格に、月光で妖しく光らせる鎌型の腕。大きさは、一七五センチのウサヒコの軽く三倍。
複眼にかかった布っきれを、横に二五〇度ほど回せる首で払ったガウィ種は身体を大きく見せる為に四足歩行を二足で直立した。外骨格の節を繋ぐ腹の筋肉を伸び縮みさせ、気門から無理やりカラカラと威嚇音を鳴らす。ウサヒコの身体の三倍と見えた身体は、四倍をゆうに超えた。
「気持ち悪……」
「――さあて、と。ここは僕に任せてよ。カコクの力は必要ない」
マサムネはメガネのブリッジを中指で上げる。
「お、おい、マサムネ……。お前、魔法は使えないんじゃあ……」
「うん。濁髪だし、もちろん使えないよ? でも、大丈夫さ!」
カコクと一緒に、親指を立てたマサムネはウサヒコの顔を真っ青にさせた。
「…………ルチルーーー! ルビィーーー! 助けてくれええええええええ!」
ひょこ。
「やっほーウサピィ! ねえねえ、今、ボクを呼んでくれたの?」
茶色いメイド服に大きなリュックを背負っている赤い髪の彼女は、少年のような笑顔で現れた。
「!?」
「そんなに驚かなくてもいいじゃん、ボクはウサピィの為に素材を集めてたのに! あっ。ルチルは、自宅で等身大のウサピィ人形を作るって鼻血を垂らしながら言ってたから、叫んでも来ないと思うよ。で、なに? なんなのさ!」
すっ……。
「ルビィは下がっていなさい。ここはお父さんに任せなさい」
父親面をするマサムネに、
「おう、ダディ達に任せろ」
やる気マンマンのカコク。そしてウサヒコは、
「こいつらでは、何か不安だから、このでっかい虫を燃やしてくれ」
「なるほど、それでボクは呼ばれたんだね。でも、ごめんウサピィ。このガウィは赤いから、ボクの魔法は効かないよ?」
「赤いと炎が効かない理由がよくわからんのだが。別に効いてもいいじゃないか」
「ボクに言われても、そんなのわかんないよ。そうなんだから、仕方ないじゃん」
「いや、おかしい。絶対におかしい」
「僕が説明するよ。それは髪の色と深く関係があってね……魔力を持って色彩を保っているすべての生き物は、人と同じように属性が色に依存しているんだ。――創造神が、魔力を与えた摂理と同じというわけだよ。そして二つの同じ属性は互いを引き合い、ひとつの魔力になろうとする性質がある。だから――」
ふたりの会話を、華奢な背中で聞くマサムネは、勇敢な者にはまったく見えないが、身体は怖がって丸まってはいない。
――赤蟲の両鎌が空気を燃やし始めた音は、会話を止めさせる事は容易なものだった。
カランッ。
大げさに聞こえた、マサムネが得物の鞘を投げ捨てた音。
目の前のおぞましい蟲の姿と、ルビィの唐突な登場で頭が真っ白になっていたウサヒコは、彼の持っている“それ”にようやく気が付く。
敵の両腕の炎の明るさは月よりも強く、刀身にその揺らぎをはっきりと映そうとする。
しかし、黒色の刃紋が朱色を飲み込み、切れ味をひどく感じる金属特有の光沢にした。
――全てを飲み込み、黑色は力に得る。行方知れずとなった日本の刀匠の、真の真打“裏正宗”。
それは、ウサヒコの知っている日本刀ではなかった。刀身と柄の間に装着し、手を防御する鍔からは無色透明のもやが出ており、蜃気楼の中に放り込んだように握った手を歪ませている。なにより、刀身は黒い。巻かれた柄糸は今の空の色と同じ。そして、ひし形に見える柄木の部分は、淡く七色に輝いていた。
シュバッ。
――マサムネは、敵の炎の刃を華奢な腕一本で刀で受け止めて、足が地面にめり込むが、微動だにしなかった。衝突した金属音もない、静寂。
……音までも飲み込んでしまうその刀は、接触した炎を徐々に小さくした。炎を纏わせる音が聴こえるが、ルビィからでは無い。その刀から発せられた、唯一の音だ。夜空の色だった柄は朱色に変化し、刀身は焔と共に原形を変え始める。
「――造形、“冴”」
涼しい顔で“それ”の形状を元の黑色にしたマサムネは、手首を返し刃紋を敵に向けた。
そして受け止めた鎌を、刀身で軽々とあしらい、上段から左腕を二本、腹部の付け根から斬り裂く。ぼとり、と地面に落ちた節足たちは、まるで命があるように自分で飛び跳ね、腕の切り口から体表と同色の体液が噴き出した。
「――こいつは神経だけで動いてる魔物だ。ルビィの強く赤い魔力に“ただ”惹かれてやってくる。同じ炎属性を持つ、女王の食糧にするために」
体液は人の血のように見えるが、マサムネは表情一つ変えず、下段から斬り上げた。
強靭な顎を持つ頭部は、下段から上段に向かって腹を搔っ切られ受動。仰ぐ。
思えば、きちきちと口器から鳴らした牙を磨く音は痛みを訴え、天に向かって哀訴嘆願する者のようだった。
「――人間は、同じ彩髪と当たり前に恋をするように、似た者を好きになるという本能を持っている。もしかしたら、こいつと同じかもしれない。しかし、高い理性で好きな人の本質が好きになるという、愛の解釈も存在する。しかし、こいつらにはそれすら存在しない、ゴミだ」
ウサヒコは、マサムネが殺めた血だらけの魔物を見て、恐怖を通り越し、呆気にも、安堵にも似た放心をしてしまう。
目の前のありえないこの世界の“自然”の光景を受け止めようと、理解をしようとするが――。
身を涼しくさせるような音が、かすかに聴こえ――、違和感。
草原が風を使って奏でる音ではない。全身を痒くするような、気持ちの悪い音。
その音はどんどん、大きくなる――上空からその巨体で月の光を隠し、一帯を影で包んだと同時に、羽音が止まった。舞い降りた、朱のガウィ種の第二陣。背後から伝わる地面を揺らしたその音は、ウサヒコファミリーを戦闘体勢に変えた。数は、四体。
「――おいおい! なんでこんなに、大量発生してンだよ?! 腕が鳴るじゃねえか!!」
「――ルビィの魔力を女王に献上したいんだろうね。群れても、ゴミはゴミでしかないけどね」
「――にしし。魔法が効かない魔物なんて、慣れてるもんね!」
「……」
カコクは、唾を吐いて、ポキポキと指を鳴らしながら笑う。
空気を縦に斬り、握りを強めたマサムネは、メガネのブリッジを中指で支えた。
メイド姿のままのルビィは、リュックを地面に置いて屈伸をした。
そして顔面蒼白のウサヒコは、あわわ。
「ウサ兄。わかってると思うが、ちょうど人数分いるから、一人一匹ずつな?」
「!?」
「カコク、それ自分で自分の首を絞めてるよ。落とし穴魔法しか使えないでしょ」
「何それ。しょぼっ!」
ルビィが真顔でしょぼいと言い放ち、カチンときたカコクは、
「うるせえな、捻挫させるンだよ。骨のある魔物なら効くだろうがッ!」
マサムネは、冷静にカコクの間違いを断たそうと、
「ガウィ種は外骨格だよ」
「……なんだそれ?」
「カコクにわかりやすく言うとね、身体の全てが骨なんだよ」
「全身を、捻挫させる事が出来るのか?」
「…………いや、そうじゃなくて」
「これは絶対に、効果的だ。お前らよく考えてみろ。全身捻挫って考えただけでも、痛てえぜ……?」
むむっ。と、カコクの考えを――イメージング。
“全身捻挫”。
……それは絶対に痛くて、動けないだろう。
骨を一本折るよりも下手すると痛いかもしれない。単なる痛みではない、動けない。動きのすべてを制限される。もちろん、骨折も行動を制限される。それに、物理的な痛みよりも、精神的な痛みもあるだろう。わかっている。骨折も精神的に辛いことは、わかっている。ここは痛さの問題の話である。
全身捻挫は食事をするにも苦労するだろう。ここで、精神力がマイナス一ポイントは、確実に減る。
下手すると息をするだけできっと痛い。呼吸するたびに毒を食らったかのように、きっと精神力は減っていくだろう。呼吸を“吸う”と“吐く”を三秒とすると、一分で二〇回。もちろん“吸って”も、“吐いて”も痛いだろうから、個別で計算をすると、四〇ポイントは減るだろう。なんと、わずか一分間で。
人の精神力が一〇〇とすると、二分と、二分の一秒でゼロになる。ポイント制かどうかは知らないが、きっと笑顔を作ることも、誰かを怒ることも出来やしないほどの激痛だ。
もはや、風に当たるだけでも痛そうなので、痛風の痛みをイメージしてしまう。もちろん、痛風持ちはこの中にはいないが。
『……たしかに』
と、ウサヒコ以外のファミリーは一斉に答えた。
「お前ら、こんな状況でよくわきあいあいとできるな。そもそも、捻挫は筋肉がグキってなることじゃないのか。よくわからんが」
大黒柱のウサヒコは言ってやった。
「そういえば、じん帯がどうとか、前にカコクが言っていたような……」
「覚えていないが、その時は適当に言ったような気はするな」
「筋肉がグキっとなって、捻挫をするのなら、ボクは捻挫させることが出来ると思うなあ。外骨格? でも、ちゃあんと動いてるし、筋肉はあるんじゃない?」
『たしかに……』
と、ウサヒコ以外のファミリーは一斉に答えた。
「いや、そもそも虫だろう。虫が捻挫するのは見たことがないし、聞いたことがない。そもそも、捻挫をさせることを武器にするなよ」
リーダーのウサヒコは言ってやった。
「それでも、僕はちょっと気になるなあ。カコク、ちょっと試してみてよ」
「おう」
――ドゴォ!!
地面に穴が空いた。だがこれは、カコクが落とし穴魔法を使ったのではない。
朱のガウィ種の一体が、ぺちゃくしゃと喋るファミリーに向かって、金槌状の腕を叩きつけた音だ。
さらっと避けたマサムネにカコク。そして、ウサヒコはルビィに襟を掴まれて避けた。
敵は、敵である。絶対に待ってはくれない。
一足でカコクと同じ方向に避けたマサムネは、ずれたメガネを直し、刀を彼に渡した。
「――ルビィとウサピィは、こいつらは倒せない。僕が一気に殲滅させる」
「……はいはい。ったく、本当に良い奴だな、お前は」
「――カコクの方が、良い奴だよ」
カコクは刀身を思いきり、地面に突き刺した。
刀の鍔から透明なオーラが、静かな水面に石が落ちたように目に映る空間を波状させて、単音を響かせた。
この場のいる者、全員に聴こえた単音の、優しい音叉の音は全ての旋律の根本で、“ただ”の淵源――。
空気を揺らした透明な波動は、鍔を中心に波を平面に創り続ける。そして目を瞑った、カコク。
握り手から埋まった切っ先へ、優しく包む橙色の魔力の光は、黒色の刀身を鮮やかな橙色に変え始めた。
ギリ……。彼は眉を歪ませ、噛みしめる。柄を握った掌は、絶対に離さない。
「……あの蒼髪のロリを見て、痛くなった。今も不思議と胸が痛ぇ。――あいつにはあいつの、オレにはオレの、知らねえガキの泣き声が聴こえる。だから、想い出しちまう。“オレ”のふがいなさを、“オレ”の馬鹿さってやつを。詠唱、サークル……欲しかったぜ」
カコクはウサヒコと同じように過去に浸り、口に出してしまうが、それは栄光ではなく、没落。
彼は不真面目で、頭の良くない自分を、馬鹿と罵られた自分を並べた。更に、ちっぽけな魔力である自分を噛み殺した。砕け散った魔法使いの淡い夢を、使いどころを失ったちっぽけな魔力を濁髪の親友の刀に込める。
「なあ、マサムネ。これでオッケーだよな。“オレ”のしょぼい魔力でも、親友の力になれるって、嬉しく思った弱い“オレ”でも、オッケーだよな」
心凝固したひとつぽっちの魔法が、辛い思い出の場所に圧しかけ、心は揺らぐ。
魔法を初めて覚えた時の、まるで勇者になったかのような少年の過去の歓び。
――目標を失い、楽しいことを探しているだけでいる、うら哀しげな大人だからこそ芽生えた、現在の悲痛が、ぐるぐると濃く、深く、混じり合う。
淡く抱いた過去の夢と、現在の没落との比較で出来上がった儚い感情は、弱い彼を涙混じりにするが、マサムネは優しく答える。
「カコクは強いよ。そのままがいいんだ。だから、そのままでいてくれ。――君は、僕に力を与えてくれる魔法使いなんだ」
カコクは“魔法使い”と言ってくれた、目の前の親友を想った。
涙は頬を伝い、瞳は気持ちで涙を忘れた。――ありがとう、と。
鼻をすすった。鼻水を親指で拭いて、勇敢な顔をするカコクの潤んだ瞳は、濁ってなどはいない。大地が丁寧に磨き上げた、地下水のように澄んでいた。
「――っ。おっしゃああああああ!! オレはオレだあああ! オレの大事な大事な魔法様よォ! 思いきり噛ましてやってくれよ! ――短縮詠唱ッッ! 稚児の秘密基地ッ!!」
カコクはたったひとつの大事な魔法を、刀に込めた。
マサムネはたったひとりの大事な友が力を与えてくれた絆の証を、勢い良く引き抜いた。
ふたりでひとつ。
そこには無機質なモノは存在しない。“ただ”の理屈ではないモノが、そこには在る。理屈の全てを無くしてしまえ。
涙を浮かべる理由は、哀しいだけのモノじゃない。もちろん悔しいだけのモノじゃない。嬉しいだけのモノですら無い。そんな、くそったれな理由じゃない。
せめて……理として、涙が水がある、由は――。
人が人で在る為に、乾いていない事を自分自身で証明をするもので、いつまでも素直で在ってほしいと願う、流れ星のようなもので在れ。
「――魔力付与耐久加工、片刃造形、“地”」
橙色の魔力は、黑の刀身の造形を緩慢に変化する――。
それは腐れ縁である、幼馴染のふたりが歩んだ時間を物語るように永く、遠く。栄光とも言ってしまってもおかしくはない、温かい橙の煌めきは、四体のガウィの複眼を暗ました。
――ふたりは、地の大剣を作りだした。刀の造形は、和から洋に。
片刃の刀身は鋸歯、柄糸は橙。恐々しく、荒い造形はモノの全てを削り落とす、大地を統べる無限の岩山。そして、一振り。握りを確かめ、空を斬る。その残響は、草原に振動を呼んだ。
「地の楼閣」
敵の足元から次々と四方八方に突き上がる石柱。手枷足枷、その場所は狭矮。
ふたりが紡いだ大剣の輝きは、ウサヒコとルビィを心から見惚れさせる。
「さっき、ウサピィは僕に魔法は使えないからと不安な顔をしたけど、君は濁髪を舐めてはいないかい? ……彩髪の魔法使いは確かに強い、最強だ。そして僕は、技術の発展を望む“ただ”のデザイナーだ。でも……ね、腐ったとしても、力の無い者に力を与える武具屋の息子だよ」
メガネのブリッジを中指で支えたマサムネの顔色は嫌悪にも、恥じたようにも見えた。
「…………」
「僕とカコクは、くよくよしている君に決心をさせる為に、街の外へ連れてきた。でもその前に、一言言いたかったんだ。それは、同じ濁髪として、技術者としてね。――力の無い者に力を与えることは、君の使命だと思っていい。僕の先祖、岡崎正宗が伝えた“技術”と同じようにね」
「…………岡崎、正宗」
ウサヒコは、その名前で理解した。
自分と同じように、過去にこの世界に来た者がいると。
「僕は今、君に失望してる。職人じゃないってね。濁髪の初代が造った“裏正宗”の力を見せてあげるよ」
――無常、乱閃。次々と鳴り響く、剣の残響は三ノ鼓。胸に響き、心を躍らせる太鼓の旋律。石柱ごと敵を斬り払い、千々にした。
「造形、“冴”」
……剣と共振する、大地。
刃は閃光し、橙の魔力をひとつの光の球に変わり――カコクの元へ還っていった。再び、緩慢に黑の刀へ戻る。……鞘を拾いウサヒコを見やり、目が合った。
「…………マサムネ。お前はすごい、な」
“ただ”目の前の強大な力を見ていたウサヒコはマサムネの言葉に、もの思う。
『君に失望してる。職人じゃないってね――』
失望した、職人ではない。それは、ウサヒコにとって懐かしい言葉で、嫌悪すべき言葉。
この年になって、言われるとは思わなかった。過去の栄光の過程が再び、過ぎった。
《――佐宗、今日は早く帰れ。日本でしか学んでいないお前が、欧州人に敵うわけがない。何故、賞にこだわるんだ。街の美容師でいいじゃないか》
《“ただ”の美容師になるのが、嫌だからです。だから、帰りません。俺は――》
今やウサヒコの大事な大事な、夢の抜け殻となってしまった、きっかけの“言葉”。
人の心を根として、口から出る言は、根から育った葉っぱ。
根が枯れると身体である茎も、葉も枯れる。すべてが朽ちる。
しかし、根は水を与えると甦る。
《――俺は、立派な美容師になってやります。世界一の美容師くらいにならないと、故郷に錦は飾れない。その為なら、なんでもやる覚悟がありますッ!》
情けなさに枕を濡らし続けた、見習い時代。
ウサヒコは過去の涙を思い出した。
「立派な美容師になってやるよ」
マサムネは、ウサヒコの静かに自分に怒り、悔やんでいる表情を見て、冷笑。
「ウサピィ。僕たち濁髪は、弱い。だから頭を使って、誰にも出来ない技を磨く。僕たち技術者は彩髪を利用できる、強大な力を持っているんだよ」
「ふん。お前の思想は結構だ。俺は、俺らしくするさ」
ウサヒコとマサムネの間に、電気が走った。
これは意志と意志の視線がぶつかった電気ではない。雷光の、稲妻の魔力だ。
――シュタッ!
「属性魂解除ッ! ――お兄ちゃんっ、わたくしを呼んでくれましたか!? ま、まさか……もうすぐ開店ですから、わたくしに、お礼を……!? そんな……。お礼だなんて……。“ルチル”と呼んでくれただけでも、幸せですわ!」
等身大のウサヒコ人形を抱きかかえたまま、雷の速さで現れたルチル。お風呂上がりのパジャマ姿で、星柄のナイトキャップの下からは、ちりちりと黄色い静電気を散らしていた。
「ルチル……お前、すごいな」
「わたくしは、お兄ちゃんの声の振動周波数帯を記憶しているので、内臓式お兄ちゃんレーダーを使って、空気中のどんな些細な声でも、耳に聞こえますわ!」
「怖いな。いや……そうじゃなくて、すべてを壊す力と言うか。愉快にしてくれて、ありがとう、な」
――パサッ。ルチルは慎ましく頬を赤め、ウサピィ人形を落とした。
「お兄ちゃんに、ありがとうって言われました…………」
ウサヒコは、ため息。
「――よし、帰ろうか。見せたいものって、別に後日でいいだろ。なあ、マサムネ?」
「…………ルビィがここにいる事は計算外だったよ。大量発生している紅いガウィがルビィを襲う前に、帰ろうか。明日には魔法使いが、駆除してるだろうし」
「んにゃあああああ!!!!!」
――ルビィの悲鳴。
上空で。
大きな声で。
果てしなく、焦った表情で。
朱のガウィに捕まって、飛んでいた。
ガッデム。マサムネは両手で頭を抱えた。
「ルビィィィィイィィイイイイ!!!! カコクッッ! もう一度、魔力を! って、えええ!?」
「ルチルさん……オレは君の財産に夢中なンです……よかったら、結婚してくれませんか?」
カコクは、放心中のルチルにプロポーズをしていた。
「ウサピィ、助けてええええええ!!!」
再び、上空で大声。
捕まっているが、暴れているルビィ。
拳がドカドカと、顔に当たるが、痛点は無いようで怯まない虫。
しかし、迷惑そうに見えた。
「ルビィ! そこは、マサムネお父さんに助けを求めるところだろ!?」
「うるさい、死ねッ!」
「こ、これが……反抗期か……」
――カラン。
マサムネは刀を落とし、膝から崩れ落ちた。何かを喪失したようだ。
「本当、あいつはトラブルメイカーだな……」
これから、危険だと分かっていても、ルビィを助ける。
元の世界では、警察がやってくれるだろうと思ってしまうが、今の自分は違う。
自らの手で助ける、となるのは“自然”な事。
この連中のことだ、そうなるに決まっている。もう慣れている。
どう考えてもそうだ。家族同然の仲間なのだから。
それから、ウサヒコは心に決めた事がある。
彼女は、満足してくれなかった。アイオラの髪型を、これからどうするのかという事だ。
自分の技術に溺れ、お客さんとしっかりと髪型の相談をしていなかった。
勝手に、似合うだろうと切ってしまった。
美容師として、怠ったことに悔やむが――天を仰ぎ、ゼロからの決意。
透き通った夜空は、願い星を落とす。
――冷い怖さは感じなくなってしまった。




