理として涙が水である、由。4 +①
第23毛 「理として涙が水である、由。4」
※挿絵はまだ入っていません。文章先行配信。
*
シディア、ユーディ、アイオラはルベール街の南西出口から、コルサーンの丘へと向かった。
紫の夜と月明かりに広がる草原。夜でも閉じない咲き残りの花は、月明かりでぽつぽつと地面をともし、浮かんで見える真っ白な狐火のようだ。
――コルサーンの丘へ近づくと、急に風は強くなった。狐火の花びらは宙に舞い、それは満点の星たちよりも大きく、くっきりと空へ昇る流星群のようだ。
スプレーで散らしたような銀河が見える空は、それでも全天の一厘。空気はきりりと瑞々しく、壮大な夜空は東京とはまったく違い、美しい。
コルサーンの丘から一望できるルベール街は、淡い夜霧の中を幻のように彫り起こしただけには限らず、“もや”は蚊帳の中からの光のように狐火を繊細にぼやかせた。とはいえ、葉脈のような街路は確認できる。
――雷光魔法の街灯は星の数に圧倒的に負けてはいるが、一番星がちょうど出てきた頃合いの慎ましい夜空が地上に在るように綺麗ではある。空の星の数に負けまいと街灯を増やそうとするベルモタカラントの民は、街灯が星明かりを消してしまうことをまだ知らない。
幻想的な風景に見慣れている三人は狐火の花に見とれはしない。ましては遥か上空の美しい銀河にも。
シディアの足を止めたのは、ルベールの街からぽつぽつと見える街灯の寂しい明かりだった。彼女はユーディの服の裾を引っ張る。
「ユーディさん、アイオラちゃん見て! 街にお星さまだよ!」
ユーディは街を見下ろし、街灯に見惚れる。
「……綺麗。これからどんどん雷光魔法道具が増えていくのでしょうね」
ただふたりについて来ているだけのアイオラは街の灯りに見惚れ、ようやく口を開いた。
「……雷光魔法を動力として歯車や鉄を物理的に動かしている魔法道具を“魔法機種”というようです」
アイオラは懐中時計を取り出し、見せる。
「……これも、ネジを巻かなくても動く雷光を動力とした“魔法機種”です」
ユーディは手に取り、まじまじと見る。
「……ただの時計じゃない」
そしてヴゥーンと鳴っている音に気がつき、耳を当てる。
「……カチカチ聞こえない! ヴゥーンって聞こえる!」
「ユーディさん! 私にも聞かせてください!」
ふたりは時計を真ん中に挟み、一緒に耳を当てて静かにする。
《ヴゥーン……》
「――飛んでる虫の音みたいです!」
「そうね。圧倒的超魔力甲虫くらい大きい虫の羽音……」
シディアはポンと閃いた。
「わかったあ! これは虫さんが頑張って時計を動かしてるんだよ」
「いえ、違います」
アイオラが冷淡にすばやくツッコむが、シディアは聞いちゃいない。
「――こんな感じで!」
シディアは地面に木の棒で絵を描いた。それはハムスターが走って遊ぶ回し車に、圧倒的超魔力甲虫が走って頑張って回している絵。
「全てが間違っています。それに走っているので、それだと羽音はしないと思います」
「あっ、そっかあ。じゃあこうかな……?」
シディアは回し車に紐で圧倒的超魔力甲虫繋げて、空を飛んでいる絵を描いた。
「これも違いますね。これってこの丸い部分がネジということですよね。回っていないじゃないですか」
「あっ。空に羽ばたいてる……」
「自分で描いたんじゃないですか」
ひとり、ぽつんとする年長者ユーディはちょっと寂しくなった。
先ほどアイオラに厳しく言ってしまった。しかし、和気藹々とするふたりの話の輪に入りたくて、むずむずする。彼女は意を決して、ふたりの話に入れるよう頑張ってみた。
「…………わ、私も描く」
ユーディも木の棒を拾い、絵を描きはじめる。気がついたシディアはほわっと笑顔になり、
「――ユーディさん、絵上手いですね!」
「……まあね。昔、ひとりで地面に絵を書いてよく遊んでたから」
「…………先生って、友達いなかったんですか」
「と、友達くらいいるわよ!」
「アイオラちゃん! 私はユーディさんの友達だよ!」
「そうですか」
「――出来た! こんな感じで時計が動いているのよ!」
リアルに描かれたユーディの落書きは凄まじい数の虫が紐をつけられ、泣きながら、ぐるんぐるんと飛び回っていた。……それはまるで奴隷のよう。
「すごい! これなら時計が動くと思います!」
「ふふん」
「全然違いますね。雷光魔法を動力にしてますから、虫で時計は動かないです」
「んな!?」
「こんな感じだと思います」
アイオラがユーディに負けじと絵を描く。
「アイオラちゃんも、絵上手いね!」
「よくひとりで地面に絵を書いて遊んでいますから」
「……アイオラ・オフェリアって、友達いないの?」
「……友達いるとか、特に考えたことがないです」
シディアはふたたび地面に絵を描きながら、
「私はアイオラちゃんの友達だよ!」
「…………そう、ですか」
アイオラは時計の内部設計をきっちりと描いてみせたが、シディアとユーディにはそれがよくわからなかった。
「……!」
ユーディは静かに立ち上がり、アイオラに時計を投げ渡した。アイオラはそれを受け取り、目だけを“目標”に流した。シディアは時計を受け取った音に気がつき、投げ渡したユーディに向くが、姿が見えない。視線をずらした時、シディアは口を大きく開けて、
「わあっ!」
ふたりは光景を見て、全く違う反応をする。一方は驚き。もう一方はため息。
光景。――無常迅速、一閃。その時、その結果、その途方。
ふたりから“目標”との距離、十五メートル。心魂の聖槍の一太刀で“目標”は沈黙。ひっくり返り、脈をうつように身体を痙攣させ、木製の車輪が軋むような音を絶えず腹から不気味に鳴らしている“目標”。
抱きかかえるものなど存在しないが、八本の節足を一つにまとめて息絶えた緑色の外骨格を持った魔物を“弱者”と見定めた桜色の魔法使いは、一足で後輩魔法使いの元へ戻った。
「ふたりとも、戦闘準備を」
シディアは地面に書き終えていた魔法使いの絵を見て、うんと頷く。そして勇敢な顔で立ち上がった。しゃがんでいるアイオラは情味のない顔つきで、うつむきながらも立ち上がる。
ユーディは聖槍を地面に差した。彼女はウサヒコに施術をしてもらわず、外へ出てしまった。それを悔やみながらも、彼に似合うと言われたポニーテールを手作りのシュシュでセットする。シルクのリボン付きのシュシュは彼女によく似合い、可愛らしい。
――髪は煌びやかに輝き、心魂の聖槍の造形は変化する。……が、ウサヒコに施術してもらった時のように髪は輝かず、聖槍も風光明媚な代物ではなかった。
「――今回の任務を確認する。最優先任務はコルサーンの丘のガウィ種の掃討および、沈静化。補足任務は巣窟の特定、クイーンの討伐。そして憶測であるが、友好条約性巣窟となった原因の調査」
「ナッツイーターじゃないんですね! わかりました!」
「先生。明確な目標、討伐達成数は……」
「私はガウィ“種”を、“掃討”と言った。明確な討伐個体名、討伐目標数はない。ガウィ種は現在、コルサーンの丘全域で異常発生している。これから目に見えた目標を全討伐しつつ、巣窟を探す事としたい。――これから実習授業として、あなたの自主性と判断力を測る。ギルドからの補佐騎士はいないが、チームの力を考慮し、自らの策戦を私たちに宣しなさい。仲間として共有、理解をする」
早口で言うユーディ。国を守る魔法使いとして秩序を感じられる言葉を選び、流暢に扱う彼女からはプライドが見える。アイオラは、
「…………私、アイオラ・オフェリアは個別判定式水冽結界魔法を張り、範囲内の掃討対象のみ動きを封じる後方支援に徹します。……それは、コンビネーションを好まないことで有名である上位魔法使い、ユーディ・オベラモーヴ氏の戦力を最大限に駆使するため。かさねて、もう一人の講師である彼女の身体的特徴を思慮するにあたって“守るべき者”と判断し、この策戦を宣します」
ユーディと同じようにこれは任務であると、幼いものとは思えない背伸びをした言葉で返すがアイオラの声は細く小さい。右方のみ見える蒼の瞳は寂しげで虚ろ。それは汚水のように濁って見えた。すえに細い声と重なり、上っ面だけで言葉を返しているとユーディは感じた。
「……誘い込みってわけね。理解はしないが、許容はする。……私の事をよぉく知っているのね。それに教科書に載っている支援魔法をしっかりと習得していて、とても優秀。……“講師”である、魔法使いシディアを“守るべき者”と判断したことに関してもね。――ふん。百点満点にしてあげるわ」
シディアはユーディの淡い心持ちに気がつかず、アイアンロッドを召喚した。アイオラははじめての討伐クエストに興奮する彼女を見て、目を流した。ユーディは心にため息をつく。
「――話を戻す。あなたに心凝固している個別判定式属性結界魔法の形状と範囲は?」
「……半球体です。半径は中心点を私とし、三国共通寸法単位で三十ニラカーユ」
「三国統一前のベルモタカラントの寸法単位でお願い」
「四十.二五セーヴルです」
「効果盟約は?」
アイオラは詠唱サークルを広げ、ウサヒコの施術で向上した魔力に嫌気が差しながらも顔には出さず、自分の魔力量を最大まで磨き上げる。サークルはディスクオルゴールのように廻り、音色を鳴らすがその音叉のような簡素な音は決して旋律と言える代物ではない。
「……ベルモタカラントの計量単位。個体差による筋力は考慮せず一体、百コーズと計算し三百七十五体まで可能。限界継続時間は三時間ほどです」
「はいはい、了解」
シディアは二人の会話を静かに聞いて、むずむず。
「かっこいい! 私、そんな難しい言葉使えないです! ――あっ。モンシロチョウだ! 可愛い!」
シディアは、年下であるアイオラが優秀ということを深く理解し、尊敬をするが、ウサヒコの世界に存在し、何故か名前まで共通しているモンシロチョウが狐火の花で休憩をしている姿を見て、顔を緩ませる。
「シディア。あなたはアイオラ・オフェリアの個別判定式属性結界の範囲内で溺れ、動かなくなった目標のトドメ。――あと、私が言わなくてもあなたは勝手に動くでしょうけど、彼女を“守って”やりなさい」
シディアは、はっと我に返る。
「はいっ!」
「――私は誘い込みで掃討するのは嫌い。提示した策戦を破り、私は私らしくやるから。……アイオラ・オフェリア、あなたはあなたらしく個別判定式属性結界で臆病にやっていれば?」
「…………はい。私は何と言われようと、満点ならそれでもいいです」
「はっ。ちなみに、学校の規定する満点は百点だけど、私の中の満点は百一点だから。あなたが取れなかった一点分は、私がただ気に食わないからよ。じゃあね、“劣等”な魔法使いちゃん」
ユーディは桜色の魔力を身に纏い、ふたりの目の前からすぅっと消えた。
「――ユーディさんは本当にかっこいいですっ!」
「……そうですね」
「でも、私の中の点数は一万点満点でアイオラちゃんは百億満点ですよ!」
「……ありがとうございます。……あっ」
アイオラはシディアの書いた魔法使いの絵を踏んづけていた事に気がつき、思わず足を離した。踏んづけてしまった事を謝りたくなったが、何と言いだしたらいいかわからない。
シディアはそれに気が付かず、月を見ていた。
「アイオラちゃん、見て見て! 今日はお月さまが綺麗だね!」
「…………そう、ですね」
アイオラは踏んでしまった絵に気がついていないふりをした。
そして絵を跨ぎ、二度と踏みつけないようにと、魔法使いの絵を身体の正中線下に置き、結界魔法の中心点と決めた。
――先ほどのガウィ種の死体を見た時から、アイオラの心身はすでに冷めはじめていた。
それは“覚悟”。しかし、腹を括るとはまったく違う。これはただの諦めから生まれたもの。
魔法使いにはなりたくはない。誰かを傷つけてしまうのだ。人を殺めてしまう魔物すらも無慈悲に傷つけてしまう魔法は“怖い”でしかない。しかし、将来が決まってしまっている魔法使いの家系の彩髪ならば、誰でもぶち当たる、壊さなければならない壁であり、感すること。
……彼女は冷めた。冷め切ってしまった。策戦は正解で満点と、百一点と思った。足りない一点は別の視点から、自分のものさしで測り、理解をする。
結果。――気の持ちようで補える。それはストレスを感じないこと。誰かを傷つける魔法よりも、誰かを守る魔法の方が気が楽になり、作業として効率が良い。……いっそのこと、自分は傷つくことがない、誰も寄せ付けない結界魔法そのものになりたいと思った。それがため、母の教えの通りに濁髪であるシディアを“ただ”守ると決めた。
――シディアはアイオラをまじまじと見た。思った。アイオラを必ず守る。それはユーディに守れと言われたからではない。言われたことはもう、忘れている。そして、任務だからとも思ってはいない。アイオラの事が“ただ”大好きだからだ。
「……っ」
――突然。アイオラの視界が歪み、フルートの幻聴が彼女のみ、響く。
アイオラは歪んだ視界を消すために無理矢理まぶたを閉じる。目の奥に見える黒色はすぅっと真っ白に変わり、フルートの音色が強く聴こえはじめたが、無視をする。
彼女の頭上に形成する蒼色の詠唱サークルはおぼろげ。それは先ほどよりも小さく、消えかかっている。
――真っ白な狐火の花が魔力の風で散る。瑞々しく、肌寒い今宵は満月。詠唱サークルの輪の中に月が重なり、輝きは月明かりにも、花にも負けていた。彼女は眉を歪ませ、細く小さい声で個別判定式属性結界魔法の詠唱句を唱え始めた。
《……音色の続き。僕の鼓動協奏曲が繋がった。冴髪の調和に牢は決壊する。……僕は君にありがとうと言うよ》
――アイオラの真っ白な想の世界から聞こえた、幼い男の子の声。姿は見えない。
もちろん、フルートの演奏者の声はシディアには聞こえない。
彼の“宿り主”であるアイオラもフルートの音色がひどく頭に響き、彼の妖しく、暗に満ちた声は聞こえなかった。
――魔力の風に蒼髪は揺れる。
だが、地面に描いた立派な魔法使いの絵は風には負けず、消えはしない。




