理として涙が水である、由。1 ①11/5追加
第20毛 「理として涙が水である、由。1」
ウサヒコは熱水発生装置のスイッチを押し、獅子の顔が彫刻された純銀のシャワーヘッドからお湯を出した。手のひらで温度を確かめ、カコクの頭にかける。
「――ここで、ひと声をかける。『お湯加減大丈夫ですか?』と」
「ぶはっくしょん!!」
カコクがくしゃみで顔にかけた布が宙に舞い、シディアが拾う。
「あっ。悪い、ウサ兄」
「大丈夫だ。たまに、くしゃみをしたり、頭を揺らしてフェイスタオルが落ちてしまう場合がある。その時は……」
ウサヒコは新しいフェイスタオルを取り出し、そして上辺を額の生え際ぎりぎりにかけ、額の角の二点にわざとお湯をかけて貼りつかせた。
「こうすれば、頭が動いても、くしゃみをしても額に張り付いて落ちない。まあ、裏ワザみたいなもんだ」
「ねえ。おでこが濡れて、気持ち悪かったりしないの?」
ルビィがカコクに質問する。
「全然、気持ち悪くねえな。というか、濡れてンのか?」
「濡らしたのは角ふたつの一部分だからな。それに額は感覚点が他の皮膚の部位に比べて少ない。しかも今、頭は濡れているんだ。人体の大事な部位である頭を感覚点は最重要視する。とすると、頭に近い額の一部分が濡れていると教えてくれる感覚は麻痺しているようなもんだ。まあ、気が付かない人は気が付かないだろう」
『……?』
ウサヒコの言葉に、みんなの頭にハテナマーク。
「続けるぞ」
ウサヒコは慣れた手つきでカコクの頭を濡らし、マサムネが質問した。
「ウサピィ。君は医者を志していたりするの?」
「医者と言われると俺の知識は乏しいが、髪は人の皮膚から生まれるものだ。皮膚の勉強は少しくらいしているさ」
「いや、確かに髪の毛は皮膚から生まれてくるけど、創造主が人に与えた“奇跡”だよ?」
ウサヒコは頭髪から魔法を生み出す“奇跡”が気になっていた。
「――マサムネ。気になっていたんだが、彩髪と濁髪とはなんなんだ? 何故、煌びやかな色の髪の人がいるんだ。俺にはわからん」
「うーん、研究は進んではいるけど、学術的にはまだわからない事が多いんだ。彩髪は“遺伝”とされているね」
「うーん……。確かに髪質は遺伝するが、そんな感じなのか……?」
「そんな感じ、かなあ? 様々な血族属性があるけど、属性は混じり合うと子の髪と属性は変わり、次世代になる。彩髪には、一次彩髪から六次彩髪まであってね。それ以上に混ざると“七次”、つまりは様々な血が混じり合った七世代目からは濁髪になるんだ」
マサムネはルビィに目を向ける。
目が合ったルビィはスカートのひらひらが気になるようで、もじもじしている。マサムネはその姿を愛らしく思い、微笑んだ。
「――ルビィはこの世を作ったと言われている元素属性、炎。一次彩髪だ」
「うぉい、マサムネ。オレも忘れンなよ」
顔に布をかけられているカコクが威張るように言った。
「そうだね。カコクも元素属性、地。一次彩髪だ。で、このサロン・ウサピィの出資者、ルチルちゃんは元素属性の炎と風の混血、雷光。二次彩髪だ」
「……」
ウサヒコはちんぷんかんぷん。
よくわからなかったので作業を続ける事にし、粉石鹸の筒の蓋を外した。
「そして、僕やシディアにウサピィは様々な血が混じり合った、黒髪や茶髪の濁髪。魔力がすっからかんのただの一般人さ」
マサムネは笑いながら言ったが、どこか悲しげだった。
カコクは顔に布をかけられたまま、話す。口元がちらりと見えていた。
「――マサムネ、大丈夫だ。オレも魔力はねえからさ。魔力なんか無くたっていいンだよ。おまえはマサムネなンだよ。それがいいンだよ」
カコクの表情の全ては見えなかったが、ニカッとした口元だけは見えた。
それだけで、ウサヒコは思った。これは、絶対に嘘のない笑顔と。
「ウサピィさん! それでシャンプー! シャンプーの仕方を教えてください!」
シディアは目をキラキラさせて、ウサヒコの袖を引っ張る。
「――よし。ここで粉を手に溶かす」
ウサヒコは粉状のシャンプー剤など営業では使ったことがない。
うまく泡立たないが、手の平に窪みを作り、白い泡がついた頭髪に空気が多く入るように揉み込む。
わしゃわしゃと気持ち良い音が聞こえてきた。
「首根っこは、こう頭を上げて、泡をつける。そして全体が泡立ったら、まず額の左の生え際から左手の二本指で擦る。右手は泡がお客さんの顔に飛ばないように、こうやってガードしろ――」
――ウサヒコはマサムネの言葉に思う。
自分はこの世界の住民ではない。
彩髪は一次から六次に渡る、多彩な髪を持つ貴族。そんな身分など、どうでもよかった。
ただ、自分の技術で魔法使いが魔力が上がったと喜んでくれて、自分を求めてくれる。ただそれだけいい。
ルチルが言ってくれたように、それが国の為になるのだ。
ただの美容師であることは変わらない。この国のただ“ひとり”の美容師になる。
「――ここから正中線に沿って、両手で擦る。これはサイドシャンプーと言ってな。両手を使う時は交互に動かさないと頭が激しく揺れてお客さんは気持ち悪くなる。気をつけろ」
シディアはいつの間にかメモ帳を取り出し、ふむふむとメモを取っていた。
それを見たウサヒコは手が止まった。
「ウサピィさん……?」
シディアがウサヒコの止まった手に気がつく。
「――いや、なんでもない。それで、それでな。ここから、首を上げて……」
ウサヒコの目から涙が一粒落ちた。
必死でメモを取るシディアの姿を見て、元の世界でいつも笑っていたアシスタントの姿が重なったのだ。
「――あれだ、あれ。石鹸の粉が散って、目に入ったんだよ。ははは……。この世界のシャンプーが粉とかありえないよな、本当に……」
ウサヒコはこの瞬間だけ、シディアに目を合わせなかった。合わせることが出来なかった。
「……それで、ここ。首筋は、洗い残しをしてしまうダメなやつがいてな。そんなアシスタントになったらダメだぞ……? 洗面に肌が触れている首筋は、カラー剤を流す時に一番が残りやすい。……だから、今から首筋をよく洗う癖をつけておかないとダメなんだ」
シディアは、ウサヒコが思わず零した涙を見て、内心慌てていた。
涙は石鹸の粉が目に入ったとすぐに納得するがカラー剤の事を言われ、同意を求められても、まったくひとつも、意味がわからない。
それでも、うんっとうなづいて。
「はいっ! 大丈夫です、多分わかりますっ……!」
意味はわからない。わからないが、シディアは元気よく笑顔で返事をした。
ウサヒコは本当に嬉しかった。
自分は“ひとり”ではなかった。シディアがいる。ルビィがいる。ルチルがいる。みんながいる。自分の技術が誰かの為になり、確実に喜んでもらえる。元の世界と、どこも変わっていない、と。
「ぐごごご……」
カコクのいびき。彼は気持ちが良くなり、いつの間にか爆睡。
マサムネはウサヒコを見ながら、メガネのブリッジを人差し指で上げて、微笑んだ。
「ウサピィ、シディア。お父さんは応援しているよ」
「はいっ……!」
「いつからお前が俺の親父になったんだよ、俺と同じ歳だろ……」
ウサヒコの微笑んだ顔を確認したマサムネは、静かに作業台の椅子へ座り、ポケットから小説を取り出し、読みふける。
「…………」
肘で潤んだ瞳を擦るウサヒコを見た、無言のルビィ。
そして石鹸の筒を手に取り、まじまじと粉を取り出し見つめる。
――ギィ。入口の扉を開く音。
「ウサピィ!」
入口からユーディの声が聞こえ、ウサヒコは振り向いた。
ルビィは石鹸の粉の筒を持って、ユーディに向けて駆けだす。
「――っと、何よ。ルビィ・スカーレット。どうしてメイド服なのよ?」
入口前で急ブレーキをしたルビィは、ウサヒコに向けて。
「ごめん、ウサピィ! ウサピィが使いやすい石鹸をボクが作ってあげるから、今日はこれくらいにしておいて!」
「お、おい。ルビィ!?」
微笑んだマサムネは、
「はーい。夕ご飯までに帰らないと、お父さんは怒るからね」
「べーっだ!」
ルビィはマサムネにあかんべーをして、メイド姿のまま街へ出た。
ユーディはルビィの後ろ姿を見て青筋を立てる。
「――私を無視するなんて、いい度胸してるわね。……まあいいわ。感謝してね、ウサピィ。お客さんを連れてきたんだから」
――ユーディの後ろに人影。
蒼い髪が靡いた。前髪が極端に長い女の子、アイオラ。
シディアはアイオラに気がついて、入口へ走る。
「アイオラちゃん、こんにちは!」
アイオラはシディアを無視し、目を逸らした。
「あら、アイオラ・オフェリア。シディアと知り合いなの?」
「……一度、話しかけられただけです。先生」
ユーディはアイオラに“先生”と言われ、ニヤつく。
「ユーディさん、先生になったんですか!?」
「いやいや、違うわよー。魔法学校に呼ばれたのよ。これからこの娘と一緒に魔物討伐のクエストの実習授業に行ってくるの」
シディアはユーディに尊敬の眼差し。
「……で、あなたはメイド服で何をしてるのよ?」
「ウサピィさんの授業中です!」
「……は? 授業って、美容師の? ギルドのクエストはきちんとこなしてるの?」
「こなしてないです!」
ユーディはため息をついて。
「……あのねえ、シディア。あなたは美容師じゃなくて、魔法使いなのよ? こんな所で油を売ってないで、自分からギルドから仕事を取ってきなさいよ」
「えへへ。私には、いいクエストは無いって受付の人が仕事をくれないんです!」
「…………あーもう、いいわ。これから私のパートナーとして、魔物討伐について来なさい。経験を積ませてあげる。ギルドの方には私から言っておくから」
「……ユーディ先生。契約後の受注者の追加は違反です」
アイオラが突然、話に入ってきてユーディはやれやれと、
「頭の固い娘ね……私がギルドに直接言えば、なんとも言われないのに。じゃあ、シディアは受注者としてクエストには参加しない。でも、あなたの特別臨時講師として歓迎することにする。講師である私が必要になったと判断したってことでね。もちろん、ギルドの関与はしない」
「…………でも、実習授業の講師は十名。私の担当は上位魔法使いユーディ・オペラモーヴ氏と…………」
「ああ、もう。わかったわよ。じゃあ、私が魔法ギルドへ報告するわ。今回のクエスト達成を困難とし、協力者を求める。そして魔法ギルドの依頼書を提出。協力者を魔法使いシディアを指定し、遂行する。これなら、文句はないでしょ?」
「…………はい」
「ったく、すごい逸材と聞いたからどんな娘かと思えば……頭が固い、ガリ勉ちゃんだったとはね……」
「…………別に、私は好きで学校には行ってません」
ユーディは生意気な態度に頭を叩きたくなったが、“先生”であるという理が止めた。
「……ウサピィ! 私の髪のセットの前に、この娘の髪を切ってくれない? あなたの事を話したら、この娘が髪を切ってくれって、しつこいのよ」
「…………」
アイオラは店内をチラリと物珍しそうに見ていた。
ウサヒコはカコクの頭を洗い終え、そのまま寝かす。タオルで手の水気を取りながら、ユーディを説いた。
「おいおい、まだ店は開いてないんだぞ?」
「ラッキー。じゃあ、無料で施術してくれるの?」
「いや、なんでだよ」
「何よケチ。いいじゃない。宣伝してあげるから、無料にしなさいよ。この子は学校の生徒なんだから、学生からお金を取るなんて、酷いでしょ?」
「ああ、もう。わかったわかった」
「……ありがとうございます」
アイオラはきちんとお辞儀をしていたが、長い前髪で表情は読み取れない。
「――さて、どんな髪型にしようか」
ウサヒコはアイオラの髪に触れた。
ひんやりとした蒼い髪を両小指で毛髪を開き、ウサヒコは今までどういった風に切っているか理解をする。
例によってカットラインはばらばら。
しかし、もう見慣れている。
蒼髪は指通りが良く、さらりと指から離れた。――整髪料はついていない。シャンプーは必要ないと思ったウサヒコを後目にするアイオラは、幸が薄く、儚げな印象。彼女はうつむいて、目を泳がせていた。
「……この髪型でなくなるのなら、それでいいです」
ウサヒコは彼女の言葉に何か引っかかる、違和感を覚えた。思いだしたかのようにユーディに、
「――なあ、ユーディ。魔法使いは髪型を親から代々引き継いでいるんだってな」
「そ。この娘の家は代々、この髪型よ」
「――ううん。家を、親を、血筋を大事にしているって事でいいんだよな」
「そういうことね。でも、彼女は髪型を変えたいと望んでる」
ウサヒコは自分の親の事を思い出す。親を大事にしてほしいと思った。
「髪型を変えると、きちんと親に言っているのか?」
「…………はい」
「……よし、わかった。髪を濡らそう。シャンプー台へどうぞ」
シディアが手を上げる、その顔は揚々。
「はい! 私がアイオラちゃんの髪を濡らします!」
ウサヒコとユーディははあっけに取られ、
「ダメだ。まだ覚えてないだろう。きちんとテストをするからな」
「テ、テストーーー?!」
シディアはテストと聞き、怯える。
「――さあ、お客様。こちらへ」
アイオラを誘導するウサヒコに、その動きを真似る、シディア。
「……私の時の対応と、全然違うわね。もしかして小さい子が好きだったの? ロリコンなの?」
「違うっ! 俺はロリコンじゃない! 彼女は大事なお客さんだろうが!」
「ウサピィさん、ロリコンってなんですか?」
「シディア。言葉の意味は知らないでいいよ」
マサムネは懐から取り出した小説を読みながら、シディアを優しい笑顔で見守る。
ユーディはマサムネの隣の席に座り、髪を指でくるくる。そして、鏡越しからマサムネが読んでいる小説に興味があるようで、チラチラと見ている。
――カコクが、ぐがーと寝ているシャンプースペース。
アイオラはカコクを見て、びくっと焦りながらもふたりの美容師の後をちょこちょことついてゆく。
「はい、どうぞ。ここに座ってもらえるかな?」
カコクが昼寝をしている隣のシャンプー台。十二歳の少女に優しく言葉をかける、爽やかな笑顔のウサヒコ。アイオラは思わず赤面しながら、
「は、はい……」
タオルをバッと華麗に広げ、アイオラの首にすっと優しく触れて、素早く巻いた。
「苦しくありませんか?」
「だ、大丈夫です……」
そして、水吸収上衣をつける。
「背中を倒しますね」
ウサヒコはアイオラの背に触れて、背もたれを倒す。
そしてそのまま、頭を洗面に誘導。フェイスタオルで顔を隠した。
――ブルルンと鳴る熱水発生装置。どこからともなく、魔力で水を生みだし、そこはかとなく、魔力の炎で温めた水。炎と水の魔力制御の音は、アイオラの肩をびっくりした猫のように飛び上がらせた。
口調はクールで、物静かな彼女。
顔はフェイスタオルで隠れて表情は見えないが、どきどきしている事がわかり、まるで鼓動が聞こえてくるようだった。ウサヒコは安心した。物静かで少々絡みづらいが、年相応の可愛さが見えたからだ。
「――お湯加減は大丈夫ですか?」
「……はい、大丈夫です」
手慣れた様子でウサヒコはすぐに髪を濡らす。
「気持ち悪いところはありませんか?」
「気持ちいいです。……いえ、特にありません」
蛇口を止めたウサヒコは彼女の髪を軽く絞り、水気を取ってからタオルで髪を包み込んだ。
「背中を上げますね」
フェイスタオルを取り、椅子の背もたれを上げる。
タオルをターバンとしてアイオラの頭を包み直し、水吸収上衣を外す。
前髪で隠れていた真っ青な瞳が露わになった。アイオラはシディアと目が合う。しかし、彼女は瞳は合わすことなく泳がせ、下を向く。
「こちらへどうぞ」
ちょこちょことウサヒコの後をついていくタオルターバンのアイオラと、ご機嫌なメイド姿のシディア。
ウサヒコは作業ブースの回転椅子を回し、アイオラに座るように無言で誘導した。
椅子を回転させ、正面の鏡にあわせる。
そして施術者であるウサヒコは彼女の髪と自分の背丈に合わせるため、空気圧の力を利用した椅子。
足元のポンプを連続で踏み、高さを整える。しゅこしゅこと軽快な音と共に、アイオラの足がゆっくりと地から宙に浮く。
ガチャ。そして回転しないように、高さが変わらないようにロックをかけた。
ウサヒコは鏡越しでシディアに目を合わせ、
「――シディア。カットクロスを」
「そんな必殺技は使えないです」
「必殺技じゃない。切った髪が服につかないようにする布、これだ」
マサムネとユーディはふたりのやりとりを見て、くすりと笑ってしまった。
ウサヒコは高さ九十センチほどの、コロ付きのカラーボックスに良く似た作業台の引き出しから、丁寧に折り畳まれたカットクロスを取り出す。
真っ白なカットクロスを広げ、アイオラの首に巻く。
櫛を取り出し、髪を一度オールバックに髪を通す。そして直線で引いた櫛を髪に入れた状態で一度、線を引いた方向とは逆の方向に手首を優しくスナップさせて、たわませる。
すると毛髪は、本来の自然な毛流を作りだしている旋毛に沿って、長さを持っている毛の方向へと糸を紡いだように流れ、左右に束として寄り集まる。つまりは左右に、センターで分かれた。
センター分けにした彼女の前髪を一度全て下ろして目を隠す。
アイオラのフロントの長さを見るウサヒコ。
「……前髪は切っていいのか?」
集中し、口調が変わったウサヒコの言葉に困り、目を泳がせるアイオラ。
「…………はい。今の髪型が変わればいいです」
「――了解」
ウサヒコは、ユーディの言葉を思い出した。
――『魔法使いは髪型を親から代々引き継いでいる』
親を、家族を思う気持ちはとても大事なものだ。
今のままの目を隠すほどの長い前髪を残しつつ、それでも彼女らしさを、彼女しか持つことが出来ない魅了を出していこうと、ウサヒコは彼女の髪型を決めた。
髪型を決めて、手が奔り、輝く。
作業台から髪留めクリップを取り出し、切りやすいように毛束をまとめ分けた。
そして、作業台からシザーを取り出す。ウサヒコはシザーをくるりと回し、
「――ユーディ。これから仕事に行くんだよな?」
「うん、これから二時間後よ。シディアも連れていくからよろしくね」
「無茶はさせないでくれよ」
ユーディは鼻で笑う。
「大丈夫よ、私がついてる。彼女の施術が終わったら私もセットをよろしくね。素敵な髪留めを作ってきたんだから!」
「はいはい」
シディアは目を燃え上がらせ。
「はじめての魔物討伐、頑張ります!」
カットを始めるウサヒコ。アイオラはじっと、鏡越しからウサヒコを見ていた。
「……どうした?」
「いえ、別に……」
「……?」
シディアがアイオラに話しかける。
「アイオラちゃんは、魔法学校に通っているんだよね! 何年生なの?」
「一年……」
シディアの脳天に稲妻が走る。
「い、一年生で、実習授業……! 私は危ないからって実習授業は一度も参加できなかったのに! すごいです! すごいですよ、ウサピィさん!」
「すまんが、俺には何がすごいのかわからん。魔法学校とはなんだ?」
「三年かけて魔法の使い方を教えてくれる所です!」
シディアは熱意を持って説明するが、説明になっていなかった。
「……専門学校みたいなもんか? 一年生でプロと一緒に仕事をする感じか? それはすごいな」
「はい! とってもすごいことです!」
「一年の時、シディアは何をやってたんだ?」
「国が誇る歴代の魔法使いさんの詠唱句をひたすら書き取りしてました!」
「詠唱句って、あれか。呪文みたいなやつか? そんなの書き取って、何の勉強になるんだ?」
「わかりません!」
アイオラは口を開く。
「…………詠唱句は、魔法を覚えた時の術者の心を真に映した言葉。書き取りはその時の魔法使いの“気持ち”を知り、自身を投影し見習うことが目的。それは自分だけの魔法を習得する糸口にするためのものです」
アイオラは淡々と、無表情で語った。
「アイオラちゃん、すごい。私、知らなかったよ……」
「国語の授業みたいだな。文章を作った作者の意図や登場人物の気持ちを知るための文学教養みたいなものか。シディアはこの子を見習って、勉強しろよ」
シディアは顔をどんよりと暗くする。
ユーディはあくびをしながら。
「――実際、高名な魔法使いの言葉の意味がわからなくても、溢れた自分の気持ちを言葉にするだけよ。そんなもの気合と経験でどうにでもなるものよ。頑張りなさい」
シディアは魔法使いとして尊敬し、大好きなユーディに後押しされ、すぐに笑顔になる。
「はい! がんばりますっ!」
――二時間。これからウサヒコはユーディのセットもしなければならないが、余裕だった。時間短縮の補助をしてくれるアシスタントはいない。だが、通常にカットをしても三十分強。仕事は二時間後と言っているが、余裕は持った方がいいだろうと、素早くカットをする。
焦りなどはない。髪を切るだけで魔法使いは喜んでくれるのが、救い。それだけで自信を更に後押ししてくれる。バックとサイドを切り終わり、前髪にうつった。ウサヒコは笑顔でユーディに冗談を言う。
「そんな立派なことを言って、ユーディは魔法でルチルに負けていたじゃないか」
「なっ……! もう絶対に負けないわよ!」
「はいはい」
ウサヒコは前髪をまとめ、左サイドに引っ張って鏡を見ながら切っていた。
マサムネは彼がの髪を切る所をまじまじと見る。そして物思い頷いた。
「うん……。見た所、計算して髪を切っているようだけど。ウサピィは何を計算して髪を切っているの?」
手は止めず切り続けるウサヒコは、
「主に角度だな」
「……角度?」
「髪は重力にしたがって落ちるものだ。細かくブロックに分けて、頭皮から引き出した髪の角度を守りつつ切っていくとレンガのように積み重なる。そして重ねようとする、カットした毛束の角度で姿形が変わる。もちろん音楽や俳句のように規則性は存在するが、角度の組み合わせと柔軟な発想にモデルの髪質と毛量を考えれば、それは無限に近い。つまり髪型とは先人の努力と熱意、発想によって作られた人類の宝物だ」
ウサヒコは手を止めず、嬉しそうに謎のカット理念をすらすらと語る。
マサムネはメガネのブリッジを人差し指で上げて、微笑んだ。
「なるほど、意味がわからない」
「――よし、乾かすぞ。シディア、ドライヤー……は、もうわかるよな?」
「はい!」
シディアはウサヒコの作業台から、マサムネが作成したドライヤーを手渡す。
「しかし、本当に発明家になればいいのに、と僕は思うよ」
ウサヒコがマサムネに作って欲しいと考案したドライヤー。風と炎の魔力を充填させ、温風を作りだす魔法道具。彼はドライヤーのスイッチを入れ、温風を確かめて風の強さの調節をする。
「こんなもの、夏は涼しくいたいとか、冬を温かく過ごしたいと思えば、すぐに思いつくだろう?」
そして、アイオラの頭髪をわしゃわしゃと乾かす。
ウサヒコの言葉を聞いた、マサムネの目は唐突に強くなり、
「――撤回するよ。君は発明家になってはいけない。夏は暑くて当たり前。冬は寒くて当たり前。人は創造神が作り上げた大事な自然と調和しなければならない。逆らったり、壊すことはしてはいけない。人が人である限りは節度を持って倫理を守り、その中で個々に目的論を見つけ、貫かければならないんだよ。ウサピィ」
ウサヒコはアイオラの頭髪を手で乾かし終えた。そしてロールブラシに持ちかえ、表面の輝きを求めて整える。
「――何度も言うが、俺は美容師でいいんだ。美容師がいいんだ。発明家になる事はない」
「…………」
マサムネは何も言わず小説をふたたび読み始め、ユーディはマサムネを神妙な面持ちで見ていた。
ウサヒコは髪の表面を磨き終わり、ドライヤーをシディアに手渡し、最終調整。毛量を整えるセニングシザーを持ちかえる。
彼女の髪型は不揃いのアシンメトリーヘア。長い前髪の左方は代々受け継がれている大事な親の髪型で、長いまま。もう一方は短く、はっきりと可愛らしい瞳が見える。それは誰もが憧れる、白人の瞳の色。
魅力的で、思わず吸い込まれてしまうような真っ青な瞳だ。
――素早い手つきで、どんどん減っていく毛量。
シディアはアイオラの髪型を見て、可愛いと言うが、アイオラは変わった自分の姿を鏡越しで見て、うつむいた。
量はきっちりと整えた。ウサヒコはふたたびドライヤーで毛を飛ばす。丁寧にブラシで整え、彼女に強く言った。
「――親を思う気持ちはとても大事だ。これからは今のままの髪型を残しつつ、それでも君らしさを、君にしか持つことが出来ない魅了を出していこう」
ブラシから整えるべき、最後の毛束が離れた。
――瞬間。アイオラの髪からしゃぼん玉のように揺らぐ藍色の光玉、蒼い魔力が溢れだす。……太陽の反射で輝き、波状に揺れた水面のように繊細な蒼光に包まれた。
その姿を見て、当たり前のようにシディアとユーディは微笑んだ。
完成したアイオラの髪型が鏡に映る。新しい自分に溢れる魔力。ウサヒコの力を垣間見たアイオラは静かに驚く。その顔見て、ウサヒコは自分を誇らしく思った。アイオラは驚いた口を開いたまま、
「なんで…………なんで魔力が上がっているの……?」
ウサヒコはその言葉の意図を理解できなかった。無表情で感情に乏しいと見えたアイオラは今まで施術されていることが嫌だったように、宙に浮いた足を感情的に、秩序なく地につけ椅子から離れた。彼女のアシンメトリーの髪型は揺れる。はっきりと確認できるブルーの眼差しを強くし、ウサヒコに迫った。その表情は誰が見てもわかる。心を引き裂かれてしまった、傷ついた表情でしかない。
「ねえ、元に戻して! 私の元の魔力に戻して!」
アイオラは左目からぽろぽろと涙を零しながら、ウサヒコにすがる。
「こんな怖い力なんていらない! いらないの!」
背の低いアイオラはウサヒコの胸を何度も叩いた。何度も何度も叩かれ、胸は徐々に冷たくなっていく。幼い子が作りだす後悔の念が生み出した振動は、針に変わってしまった雨のように心にひどく突き刺さり続けた。
――こんな“怖い力”はいらない。
ウサヒコはただ髪を切り、魔法使いの魔力を上げることは彼女たちの為になると思っていた。自分がただ髪を切れば、彼女たちは必ず喜ぶと思っていた。だから、それだけでいいと思っていた。他に取り得のない自分が、唯一持っている技術が誰かに必ず求められ、ちやほやされ、ただ幸せだった。
「私は、私は……!」
――魔法を“怖い力”とするのであれば、自分の力は彼女たちにとって、どういった存在になるのだろうか。
新しい魔法を覚えたルビィは橋を壊してしまった。
ルチルはおぞましい魔物を召喚できるようになった。
ユーディは簡単に人を殺める武器を生み出した。
「私は、魔力を無くして欲しかったの……!」
――深く、考えなくともわかる。
ウサヒコは魔法を扱える魔法使いたちよりも“怖い力”を持っている。
蒼髪の魔法使いアイオラ・オフェリア。
彼女はウサヒコが髪を切ると魔力が向上すると、ひとつも信じてはいなかった。
幼い水魔法使いの泣き叫ぶ声は店内に響き渡る。
ただの自己満足のために髪を切っていたと、気が付いたウサヒコは力が抜け、膝は足元へすがるように崩れ落ちた。




