愛する人の作り方。4 ①
第16毛 「愛する人の作り方。4」
ルチル宅の広いお庭。ウサヒコはお姫様だっこをしながら門へと駆けるが。
「――も、もう……無理……」
屋敷内からずっと全力疾走していたウサヒコはとうとうユーディを降ろし、息を整えはじめた。
赤面していたユーディは我に返り、カチンと青筋を立てる。
「……なに? 私が重たかったって言いたいの?」
「い、いや……軽いが、さすがにこの距離はないだろう……」
「――言い訳は聞きたくないっ! 来たわよ、上ッ!!」
ウサヒコは空を見上げる。視界いっぱいに広がる炎の拳。
「――おらああああ!!!」「ちぃっ!! 避けなさいよ!!」
ユーディはウサヒコの襟を掴み、引いた。
凄まじい砂埃と不協和音共に地面は割れ、ルビィはウサヒコを捉えることが出来ず、隕石衝突跡を拳で作りだした。
「ひ、ひぃいいい!」
「ウサピィのバカあッ! そんなにユーディの事が好きなら、殴らせてよ!」
ユーディは指をパチンと鳴らしヘアゴムを二つ生み出した。そして髪を自分で戦闘髪型に整え始める。ウサヒコはルビィに叫んだ。
「お前は何か勘違いをしている! それよりも大事にすることがあるだろう!? お前は立派な薬師になるんだろう?! 将来のために今は薬師の勉強をしろおおおおお!」
ルビィは瞳をうるませて叫ぶ。
「うるさあい! 将来の勉強よりも今はこれが大事なの! 未来は見えないけど、現在は見える! 大事にしなきゃいけないってわかるんだ! だからウサピィを殴るの!」
「なんで俺は殴られるんだ!? 俺を殴ってお前に何の得がある!? よくわからん満足感だけだろうが! 俺を殴るな! 勉強しろ勉強!!」
「――属獣指令、交差詠唱。罪を背負った者の叫喚」
――閃光。遠距離からのルチルの属獣のサンダーブレス。
「へっ?」「――避けなさいって言ってるでしょ!!」
ユーディは口にヘアゴムをひとつ咥えたまま、ウサヒコの襟を引いた。
ウサヒコとユーディは身体ひとつ分、サンダーブレスをギリギリで避ける。
――パツ。
片方だけ髪を留めていたヘアゴムにブレスの細かい折線がかすり、ユーディの髪が解かれた。
「くっ……!? スペアはもうないのに!」
「おにいちゃん! 一発だけ、殴らせてください!」
「どこが『殴る』だよ!! 『吐く』だろうが!! というか、俺を殺す気かああああ!!」
骨龍を巻きつけたルチルははっとした後、うんっ! と頷き、ウサヒコを殴ろうと駆けた。
「うああああああ!!」「――だから、避けなさいって言ってるでしょ!」
ウサヒコの襟をひっぱるユーディ。襟とインナーを一緒にひっぱっていたユーディ。服は引っ張りすぎて破れた。ウサヒコのソフトな大胸筋がチラリズム。
「きゃああああああ!!」
拳を空振りしたルチルの黄色い悲鳴。シディアの魔法の影響で、ウサヒコのソフトな大胸筋は脳裏に妄想を広げてしまう。脳内では上半身裸のウサヒコが薔薇を咥えて誘っていた! ルチルの鼻から血が勢いよく噴き出す!
「し、刺激が強すぎますっ……! お、おにぃちゃあん……! その胸で私を……!」
ルチルは鼻血を輝かせ、ふらりと吸い込まれるように地面に倒れはじめた。
「隙ありッ!」
ユーディの魔力を込めた回し蹴りはルチルが倒れる前に、完全に気絶する前に、噴き出た鼻血が地面につく前に顔面を捉えようとしていた。
「ボクを忘れるなあああ!」
攻と防がつり合った協和音が鳴り響く。ルビィはユーディの回し蹴りを受け止めた。受け止めた掌からの炎。焔がルビィを包み込み、勢いよく天に向かって巻き上がる。
――ドサッ。ルチルは倒れる。幸せそうな顔だった。鼻血と恍惚な表情がキラキラと神々しい。
「ルチル! 目を覚まして!」
「――くっ!」「ちょ!?」
ユーディはウサヒコをひっぱり、一足で距離を取る。
ルビィはルチルの肩をガクガクと揺らして、無理やり起ころうとしていた。
「――分が悪すぎる」
ユーディはツーサイドアップの髪型の片方だけ留めていたヘアゴムを解いた。
「本気が出せない……!」
ウサヒコはルチルを起こそうとするルビィを遠目に見ながら、ヘアゴムを握りしめるユーディに質問する。
「そういえば、ツーサイドアップの髪型だったよな。ヘアゴム一つでも似合う髪型はあると思うが……」
「自分が似合う髪型くらい、自分でわかるわよ! あの髪型が一番、私に似合ってるの!」
「……いや。小顔だし、後頭部の骨格もいい。他でも充分、いけると思うが」
小顔と言われて、赤面するユーディ。
「うるさい! 何、何なの? 私が気に入ってる戦闘髪型が似合わないって言いたいの?! こ、小顔だから?! はあ!?」
「確かにツーサイドアップの髪型は似合っていると思うぞ。可愛い。でもな、両サイドに髪が垂れているから、遠目から見て顔が大きく見えてしまうんだ。ほら、ルビィを見てみろ。あいつは丸顔だから、両サイドの髪で輪郭を隠している。スッと小顔に見えるように」
「だだだだだだから、なんなのよ!?」
「小顔はみんなの憧れだ。だからもっと自信をもって、顔を出してもいいんだぞ? ほら、ヘアゴムを貸せ」
「ちょっ!?」
「動くな」
ウサヒコはユーディからヘアゴムを奪い、戸惑うユーディの髪を整えはじめる。ウサヒコの自信は、彼女に嫌とは、やめてとは言わせない威圧感を持っていた。
ルチルは目を覚まし、よろよろと立ち上がった。ルビィはユーディを施術するウサヒコを見て、焦る。
「ああ! ユーディが強くなっちゃう! 早く止めなきゃ!!」
ルチルはウサヒコが施術する姿を見た。ウサヒコは魔法を使えない。なのにその姿が、その手が魔力を持つ魔法使いのように、光り輝いているよう。
とくん。ルチルの心臓が高鳴る音。シディアの精神魔法がルチルのハートを優しく揺るがす。
ルビィはユーディに向かって駆けようとしたが、ルチルは行く手を阻んだ。
「――ルビィさん、止めなくていいです」
「な、なんで!?」
ルチルの金色の瞳は凛として真剣そのもの。
「わたくしは、ユーディさんにおにいちゃんの凄さを知ってもらいたいです……それに」
ルチルはユーディを見ていた。ユーディのことはもう理解した。彼女はシディアと同じ夢を持ち、今を突き進んでいる。邪魔は無粋。それは“魔法使い”であるユーディのために、“美容師”で大好きなウサヒコのため。恋する情に、思いやり。そのものの外形は違うが、間違いなく彼女の芯に浸透している様々な“愛”がルビィの行く手を阻んでいた。
それはシディアがかけた、人々を愛する心を朗らかにぐんとする魔法の影響だった。ユーディと対峙した時とは明らかに違う。ルチルは今、人を愛するときに自分を責め苛んだり、道徳学を挟んでもいない。それは細かい事を考えず、真正面からガツンと人を愛していた。
手際よくセットをするウサヒコの手。
程よくピンと張り、テンションがかかるヘアゴムがキュっと音がした瞬間、施術が終わったその瞬間。ユーディの髪は輝き出し、全身の皮一枚から桜色の魔力がほとばしる。
「な、なにこれ……!?」
「ユーディ。俺はな、お前に似合う髪型を作れるんだ」
これは術者が自分で結んだものではない。手慣れていたとしても、職人の手にはかなわない。髪をまとめる場所。束ねた髪にかかるたわみ、垂れ下がる尾っぽの角度、術者の頭部の骨格、完成形のすべてを計算し、もっと美しいとされる黄金の場所を抑えた所で留める究極の技術。これはただの一本結びではない。この世界でウサヒコにしかセット出来ない、究極の一本結び。
ユーディは桜色の魔力に包まれた。
「―――っ」
彼女は大切にしていた武器、ドラゴンロッドを失った。ルチルに無残に敗北した。大切に積み上げてきたプライドを粉々に砕かれた。
――心の片隅に存在したわだかまりから、脳裏に新しい詠唱が浮かぶ。
「――私はもう、ロッドに頼らなくていい! 浮かんだ、浮かんだよ。世界で私だけの武器……!」
ユーディは浮かんだ詠唱句を心に沁み込ませる。
「――己を取り巻く絶望、その全て、現世に生まれて誇りに思え!」
「己を槍とし全てを貫き、この身を守る!」
「――短縮詠唱! 心魂の聖槍!!」
絶望に希望。その全てを受け入れ、自分が信じる道をプライドひとつで貫き、前へと進む。ユーディの具現化魔法武器は己を信じ尽くした彼女の澄んだプライドが作りだす、けがれなき槍。聖なる槍。
彼女は湧き出る膨大な魔力に、初めて魔法を覚えた幼少に戻ったように新しい“力”に静かに喜んだ。そして天を仰いだ。空は果てしなく広く、雲など存在しない。天井が見える狭き場所から解き放たれた彼女の感覚は武者震い。
涙は出なかった。嬉しくて泣きたいが、決して我慢などはしていない。彼女は今、自然体なのだ。今、この時、この瞬間に歓喜しなければ、いつ歓喜するのだ。今はただ、涙を忘れて喜ぶべきなのだ。
――ヴゥゥン。彼女に呼応する詠唱サークルは、更に魔力を磨くために数を重ねた。
「――奏でて!! 私の新しい魔力……!」
頭上の複数のサークルは彼女の呼びかけに優しく答えた。桜色に輝きはじめ、複数のサークルは廻り、音を響かせる。そして音色が違う沢山の音を紡ぎディスク・オルゴールのように曲が流れた。
それは彼女のこれまでの人生を奏でた協奏曲で、世界で彼女だけが奏でることができる演奏、絶望にひとかけらの希望を放り込んだ曲、たったひとりで生きてきて魔力の低い自分を悲しみながらも未来を信じ、努力して突き進んできた彼女にとって、大事な、大事な曲。誰もが必ず心を揺るがす旋律、大きな絶望に負けない小さな希望を感じる事が出来る美しい曲だった。
限界まで魔力を磨き上げ、自身の最大魔力量を理解した。聖槍を思いきり握りしめて微笑むしかない。
「――もう私は、恵まれていなくてもルチル・ゾンネンゲルプと戦える!」
彼女は心に満開の笑顔を咲き誇らせた。今の自分の姿をシディアに見せたい。溢れる魔力は過去の努力のたまもの。努力は無駄ではないのだ。誰にも無駄とは言わせない。数多の経験から磨かれた目に見える魔力は、更にユーディを自信を与える。そして彼女はウサヒコに感謝をする。
「――ウサピィ。しょうがないから守ってあげるわ。これはあなたが勝手にやったことでしょう。ありがとうなんて絶対に言わないから」
ユーディはルビィを無視し、ルチルに向かって駆けた。無視されたルビィは腹が立ち、彼女の行く手を急いで阻む。ユーディは優しく微笑んだ。彼女の強者の余裕から生まれた微笑みは見るもの全ての心を、精神を操る。ルビィは彼女の微笑みから只ならぬ恐怖を覚え、身体が硬直した。
――キィィィィィン。詠唱サークルがハイスピードで彼女の魔力を高め、維持するために廻る音。ユーディはランスの柄に限界まで練り上げた魔力を乗せた。
「――どいて、ルビィ・スカーレット。私はもうあなたに魅力は感じない」
片手でランスの柄をルビィの胸に優しく当てた。ルビィから不協和音が鳴り響いた次の瞬間。ルビィは吹き飛び、はるか先の敷地を囲う璧に叩きつけられ気絶した。心魂の聖槍を一振りし、握りを確かめる。ユーディの皮一枚から湧き出る魔力は細かく散り、風に舞う。その姿は桜の満開の下、ようやく迎えた春を感じている美しい女性。
「――強くなって、ごめんなさい」
彼女は彼女なりに傷つけてしまったルビィに謝った。今この場所にいる連中にこれ以上、嫌われたくはない。でも、だから、誰にも聞こえないように小さな声で呟いた。
ユーディは一度負けた相手に駆けた。駆け抜けた。己の強さを再び確かめるために。自分の価値を証明するために。真っ直ぐ、素直に。前へ。前へ。
――青空に響き渡る雷鳴。
骨龍の罪を背負った者の叫喚がユーディに向かって放たれた。だが彼女はひとつも怯まない。ランスの矛先でサンダーブレスをふたつに割り、目標に向かってがむしゃらに突き進む。
限界まで魔力を磨き上げようとするユーディに詠唱サークルは楽曲で答えた。サンダーブレスの音は彼女の耳には届かず、サークルが作り上げた協奏曲が心身に聞こえる。魔力の衝突音が紡ぎだす音でなく、彼女だけを奮い立たせ、彼女のためだけに作られ、彼女にしか聴こえない曲。今、この状況を打破するために心を奮い立たせる“楽曲”を届けた。
「……聴こえる、聴こえるよ。最上位魔法使いが心に奏でることが出来る楽曲。私はようやく手に入れたんだ……! これが私の鼓動協奏曲――!」
――雷を完全に裂いた斬鳴は空へと響く。
ルチルは永劫の聖剣を生み出し、天に掲げ骨龍に同化させる。
「混濁交差詠唱、永劫の咆哮」
「もう、その魔法は私には効かないッ!」
ユーディは心魂の聖槍の矛先で受け止めた。その顔は敗北した時の躍起に似た勇敢なものではない。彼女に沁みわたる数多の経験が知っているのだ。これは打ち勝てる自信と確信があるとする、勇敢な顔だ。
ブレスを再び切り裂いて、罪に気づかぬ、悲しき龍の眉間を貫いた。具現化した電の気、骨龍はまばゆい光と共に崩れ、消えてゆく。
「――くっ!」
――ルチルの永劫の聖剣を生み出す光。
「!」
ルチルの額から一筋の汗が流れる。
――密か。桜色の魔力が生み出した突風がふたりの髪を靡かせた。ユーディは反撃がすぐ来るとわかっていた。すでに背後で構えていた。ルチルの後ろ首へ切っ先を刺し向けていた。
「……わたくしの、負けです」
「――はっ。ふざけないで。あなたがこの程度であるはずがないでしょう?」
「――ふざけてなんていません」
ルチルは切っ先を向けられているが凛として、
「……わたくしはユーディさんと違って『何か』が足りないんです。わたくしにはその『何か』がわからない。……だから、詠唱サークルは私だけの楽曲を奏でてはくれないんです」
「…………」
勝てない。それでもルチルは陽だまりのように微笑んだ。
「ユーディさんは国を支える、立派な魔法使いですわ」
「…………」
――ピィィイイン。詠唱サークルの回転は止まり、聖槍は桜の花びらのように舞い散り、消えた。
「――ところで、おにいちゃんは本当にユーディさんとお付き合いをしているんですか?」
「…………こんな場面で、くだらない事を。あなたたちは本当にほのぼのして、反吐が出る。あんな男と高貴な私が付き合うわけがないでしょ、バカ」
「…………よかった」
「……でも、さ。もう告白はやめてくれない? 未熟な精神魔法だったから、理性は飛んでいないんでしょう? 魔法で心を後押しされている状態で告白だなんて、情けないわよ」
“情けない”ルチルは軽くうつむいた。
「……そう、かもしれませんね」
「……それに彩髪が濁髪に恋をするなんて、間違ってる。自分の血は大事にしたほうがいいわ」
「…………」
「――痛めた身体の治療はもう、自分でどうにかできる。だから、バイバイ」
ユーディは指を鳴らした。薄い煙と共にほうきが出現し、彼女はまたがり宙に浮いた。
――とくん。ルチルの鼓動。シディアの魔法が後押しをする。魔法使いのためにだとか、国のためにだとか、そういう理屈は頭にはなかった。ただ、ウサヒコとユーディに満足してほしい、笑っていてほしいと思った。だってふたりとも大好きだから。だから、素直に聞きたかった。だから、彼女は叫んでいた。
「あ、あのユーディさんっ! おにいちゃんの美容室に来てくれますかっ……!?」
「――当たり前でしょ! 私にはウサピィが必要なんだから!」
ルチルは、ぱあっと笑顔になり。
「ありがとうございますっ! ご来店、お待ちしています!」
「あーうるさいうるさい!! ルビィ・スカーレットにも言っておきなさい! もう、絶対に、告白なんかするなって!」
果てしなく、広くて高い、透き通った青空をユーディはふわりと飛んだ。快晴。胸の内にいっぱい詰まっていた、心の尖った部分が少し軽くなった。真下をちらりと見た。みんなが見えなくなったことを確認した。そして強くなった自分を振り返り、嬉しくて足をばたばた。
「……ひゃぁ~~~~!」
とても声にならない声で思いきり悶える。おもわずバランスを崩したが、それは彼女の最高の喜ぶ姿で、とても清々しくて、とても愛らしい姿だった。
――再び、ルチル宅の庭。
ウサヒコとルチルは、気絶し壁にめり込んでいるルビィに駆け寄る。
「おい、ルビィ! 大丈夫か!?」
「はっ……!? って、ひゃあああ!! ウ、ウサピィ!?」
「よかった。痛いところはないか?」
「だ、大丈夫……」
ルビィは目を泳がせ、赤面する。彼女は一度気絶したおかげで冷静になっていた。そして、彼女は彼女なりに、うーんと冷静に考えて。
「え、ええっと……あのね、あのね。ボク、ボク……」
「?」
「べ、別に大好きなのは、ウサピィだけじゃないから! シディアもルチルもユーディもみんな大好きだから! そ、それで、ちゃあんと友達としてお付き合いするから!」
「ああ、そういうことだったのか。わかっているさ。俺もみんなの事、大好きだぞ? ルビィとは“友人として”いつまでも付き合っていくさ」
一呼吸分の間。
「ウ、ウサピィのバカぁーーー!」「おにいちゃんに大好きって言われましたわァァァ!!」
ウサヒコはルビィに殴られ、気絶。ルチルもシディアの魔法の影響で鼻血を大量噴射。ビクンビクンしながら気絶した。
そしてルビィはひとり残され、気がついた。
「――あれ、シディアがいない」