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濁髪の魔法使い  作者: 網田めい
Episode:2「ヘアーサロンウサピィ、開店までの軌跡」
14/28

乱、カナブンは虚空に消えた。final ②

第12毛 「乱、カナブンは虚空に消えた。final」

 

「大丈夫だ。俺はお客様に世界一似合う髪型(スタイル)を提供できる」


 ウサヒコはルチルに鏡越しに言った。優しく触れた肩。真っ直ぐな瞳に、自信に満ちた声。

 彼女はその真っ直ぐな瞳に心を奪われ、何も言えずはにかんだ。


 ウサヒコは髪を素早くとかし、ふたたび髪留めクリップ(ダッカール)でブロック分けをする。

 頭部の骨格バランスを見定めて、セットのためのブロック分け。それは丁寧に素早く。

「シディア、アイアンロッドを」

 何をするかわかっていないシディアだったが、ウサヒコの言う通りにロッドを召喚し手渡した。

 ウサヒコはロッドの直径を確認し、微笑む。握ってすぐにわかる。直径は38mmジャスト。


 ウサヒコはロッドをひっくり返し、頭の部分に上着を巻きつけ、一息。気合を入れた。


「ルビィ、温度は200度。施術が終わるまで、絶対に維持をしろ。失敗するなよ?」

「う、うん……。火傷、しない?」

「いらん心配をするな。これは俺の大事な仕事なんだ。おまえは温度を維持してくれればいい」


「う、うん……じゃあ……いくよ?」

 ルビィはウサヒコの厳しい口調に()された。すぐに目を瞑って、アイアンロッドに炎属性(フレイム)付与(インストール)をする。

 ウサヒコは柄の部分を直に触れて温度を確認をした。


「――200度と言っただろう。もっと温度を上げるんだ」

「で、でも……」

「はやくしろっ!」

 ウサヒコの声はルチルの部屋に響き渡る。

 ルビィは両手を祈るように握りしめた。

 徐々にアイアンロッドの温度は上がっていき、ウサヒコは熱さに耐えるために歯を食いしばる。

 鏡から見つめるその姿を見つめたルチルは息を飲んだ。彼の汗がロッドに落ち、すぐに蒸発した。その音は皆をひどく心配させる。


「――よし、いいぞ。絶対にこのまま維持しろ。いいな!」

「…………」

 ルビィは目を瞑り、集中している。ウサヒコの声は届いてはいない。

 シディアはカナブンが入ってこないか、辺りを気にしはじめた。


「――あの、ウサピィさん……これは一体なにを」

「コテだ。アイアンロッドを利用して髪にカールをつける」


 ルチルは髪が燃えてしまわないかと心配するが、ウサヒコは鏡越しに彼女の心配をすぐに()み取った。

「大丈夫だ。髪は炭素を含んだケラチンで出来ている。人体の中でも特に熱に強い部位だ。骨の次にな」

「……えっ?」


 ウサヒコはブロック分けをした毛束を頭皮から垂直に引き出し、ピンと張りテンションをかける。そしてわざとたわませ、鏡を見ながらカールをかける毛量と角度を計算。引き出した毛束を一度離す。

 シザーケースから(テーツコーム)を取り出して、ふたたび毛束を引き出し表面を整える。頭皮から引き出した毛束の角度は地面に向かって45度。ピンと張ったままロッドを縦に内巻き(フォワード)で中間から毛先に巻きつける。ウサヒコは鏡越しからルチルを確認する。彼女を心配させないために声をかけた。


「――これはケラチンタンパク質の側鎖(そくさ)結合のひとつ、水素結合と言ってな。毛髪を好きな形に焼き付けるんだ」

「えっと……」


 ロッドをカールが散らばらないように優しく外す。ふわんとロッドの直径に焼き付いた髪がバウンドする。

「わあ……」

 シディアは魔法の初めて見た時のように目を輝かせた。

「あ、あの。い、一生、この髪型になるのでしょうか? くせ毛になると魔力が減ってしまいます……」

「水に濡らすと元のストレートに戻る」

 ほっとするルチル。

 だが、ウサヒコはルチルの言葉で心が曇った。それはくせ毛になると魔力が減ってしまうという事実。異世界でのセット施術は初めて。しかし、目の前のお客さんを心配させるわけにはいかない、すでに施術は始まっているのだ。最後まで思いきりやる。それが俺だ。今までそうしてきた。ウサヒコは黙って、次の毛束を取り出し、ロッドを巻く。


 ルチルはウサヒコの知識にびっくりしていた。ただ髪を切ってお金をもらっているだけと勘違いして、罪悪感に(さいな)まれる。彼の言っているケラチンや側鎖(そくさ)結合などの意味はわからない。しかし、先ほどから毛束の角度をきちんと見て、真摯(しんし)に考えて、施術を行ってくれている。

 素早く、輝いて見える手つき。彼のように髪を扱えることは絶対にできない。間違いなく職人。そして、堂々とした見栄えから今までビヨウシと言う職でお金をもらっていたと確信した。


 彼はシディアとルビィの夢を支えてやりたい、協力してやりたいと心に決め、自立できていないふたりを養おうとしている。それは家族のように、親のように、兄のように。

 仕事は仕事、私事は私事。魔法使いになると心に決めたあの日から将来を大事にするため、きっちりとふたつに分けて生活をしてきた。それもこの国のため、女王陛下のため。なにより自分のため。自分のために頑張っている彼女たちを精神的に支えるのは親友として当たり前だ。だが、彼はそれ以上に踏み込んで、自らの富を彼女たちに渡し、支えようとしている。私には出来ない。それはこの世に富を奪おうとする者がいるからだ。彼女たちはそういう悪しき心を持ってはいないが、金の切れ目は縁の切れ目。だから私は、彼女たちに金銭面での協力は絶対にしない。彼女たちの事が大好きだから。縁が切れてしまうのが怖いから。


 しかし。


 この世に髪を扱える職人などいない。ふたりの親友である私が、彼に協力をしないでどうする。それで親友と呼べるのだろうか。


 ウサヒコは最後の毛束をロッドに巻きつけた。ルチルは髪留めクリップ(ダッカール)の数を見て、これが最後の毛束と見て分かった。


 ――もし本当に魔力が、今以上魔力が向上する髪型になったのならば。この世に生まれ落ち、親から髪型を授かった時のように、この国を支えると心に決めた時のように、詠唱を心に浸透させた時のように光り輝くはずだ。 


 ――最後の毛束はロッドから離れた。


 ……何も起こらず、輝かず。

 ルチルは静かにうつむいた。上目で鏡を見た。今までの自分とはあきらかに違う。サイドが縦にロールされた髪型で、とても可愛らしい。気に入った。だが、魔力が向上したと思えない。ためしに指先から電気を発してみた。ペールイエローのいつもと同じ電の気。変わったと感じない。


「――あの、もう……いいですか? 濡らすと元にもどるんですよね……?」


 ――黙るウサヒコ。魔法を止めてもらい、ロッドをシディアに手渡す。


 シディアはルビィの時のように髪が輝かないことに気がついた。ルビィも同じくそれに心付く。そして慰めればいいのか、がっかりすればいいのか。それとも励ませばいいのか。なんと声をかけようかと迷い、沈黙し、思わずシディアを見る。彼女はウサヒコの姿をじっと見つめていた。その眼差しは、まるで不撓不屈(ふとうふくつ)。どんな困難でもあきらめてはいない、そんな瞳。シディアの目線を追い、ウサヒコの顔をみた。彼も同じ。強い意志を持っていた。後ろ向きな顔など一切見せていない。


 ――シザーを取り出したウサヒコ。その手は赤く腫れていたが、ひとつも気にしてはいない。


 そして、毛束をつかまず頭上の空をパシっと切った。


 瞬間。ルチルの髪は金色の光に包まれ、輝きはじめた。


「!」


「枝毛が一本、残っていたな」


 ――光と共に、溢れ出る電の気の魔力。

 ペールイエローの電気は、真珠のような黄色の電気に変わる。


「わあ……」

 ルビィはルチルの姿に見とれた。

 シディアは当たり前のように「うん」と(うなず)き、あらためてウサヒコを尊敬する。

「――どうだ? 魔力が上がったと実感できたか?」

「は、はい……」

 ウサヒコはストレートの地毛にコテを使い、カールを作っても魔力低下はしないと知り、ほっとする。


 彼の技術は、ビヨウシと言う職は、魔法使いの魔力を向上させる。


 ルチルは心に決めた。


 ウサヒコのために、親友の夢を支えるために、国に尽くす魔法使いのために、彼の仕事場の出資者になることを。


 金色の髪を輝かせる彼女ははにかみ、ウサヒコに笑った。


「あの、ウサピィ、さん。この国の魔法使いのために髪を切っていただけませんか?」 


 ――ウサヒコはその言葉に驚き、ルチルの話を詳しく聞くことにした。




 * *




 シディアとルビィは、カナブンを絶滅させると仲良く外へ出ていた。

 部屋にはウサヒコとルチルのふたりきり。思わず意識してしまうルチル。


「あの、紅茶……飲みますか?」

「お、おう……」


 ルチルはお気に入りの紅茶を入れる。

 ウサヒコは、外でカナブンを探すふたりを見つけた。

 遥か遠くの赤髪と黒髪のふたり。もぞもぞと噴水近くの草むらでカナブンを探す姿は米粒のよりもに小さく見えた。


「……あのウサピィ、さん。出店の話ですが」


 ルチルは客人用の机にカップを置き、ウサヒコを(まね)いた。


「あ、ああ」

 ウサヒコははじめて美容室のオーナーになれると少し緊張しながらも、席に座った。


 ルチルは凜として大事なことだと深呼吸をして私事にしないと、真剣な眼でウサヒコに話しかけた。


「あの、ウサピィさんの勤めていた仕事場でどのくらいの儲けがあるのか詳しく教えていただけますか?」


「えーと、そうだな……。カットをブロー込みで4500円で、平日の平均来客数は1日30人。休日は40人ほど。休日は週に一度。その他オプションをつけると、1人あたりの平均単価は5500円ほど……ええと、1日の売り上げは大体16万円ぐらいだ」


「営業を20日にして、330万イェンですか。費用を抜いて、いくらぐらいになりますか?」


「賃料、初期投資ローン返済、人件費、施設維持費、広告費、水道光熱費、税理士費用、雑費で……だいたい250万……だから、えーと」


「純利益は80万イェンですね。……この国にはウサピィ、さんしか、ビヨウシさんはいません。人件費を抜くと、いくらくらいになりますか?」


「だいたい150万くらいだから……ええと……」


「純利益230万イェンですね。ひとりで作業をするとならば、1日何人施術はできそうですか?」


「カットだけなら、15人ほどかな……」


「なるほど。では彩髪(カラード)をターゲットにして、客単価は7000イェン。1か月で210万イェンを目指してください」


 ルチルはにっこりと笑った。


「――場所は魔法使いが集まりやすい、メインストリートのあの空き家でいいですか?」


「お、おい……。そんなにすんなり決まっていいのか!?」


「もちろん。善は急げですよ。よくわかりませんが、特別な設備工事が必要ですか?」


「あ、ああ……」


「では、工事の時の必要な設備や備品の、監修をお願いします。空き家は一括で買い取りますから工事費などの初期投資分はきちんと月々払ってくださいね?」


「お、おう……」


「明日から工事を始めましょう。あの空き家が仕事場であり、ウサピィさん達の新しい家になるんですから」


「…………」

 ウサヒコは面食らっていた。こんなにすんなり、夢だった美容室のオーナーになれていいのかと。


「……? どうかされました?」


「……なんで急に、投資をしてもらえるのかと思ってな」


「……シディアさんとルビィさんは、私の大事なお友達です。ウサピィさんはふたりの夢を支えるために、必死になっていますから……それに」


「それに?」


「ウサピィさんの施術でたくさんの魔法使いの魔力が上がれば、この国はもっと豊かになる気がしたんです」


「…………」

 ウサヒコは元の世界の美容室と両親の事を思い出した。俺はこの世界で、美容室のオーナーになる。

 同業の友人や両親に伝えることができない。嬉しいと切なさが混じった感情に(とら)われ、うつむいた。

 ルチルはウサヒコの表情を見て、(はげ)ます。

「大丈夫ですよ。きっとウサピィさんなら、ふたりの夢も、この国の魔法使いを影で支えることができます。だから、自信を持ってください!」


「ああ……ありがとう」


「――え、えっと」

 ルチルは出店の話が終わり、プライベートモードに移行する。

 頬を赤く染め。ウサヒコに近づき、照れてうつむいた。


「……あのわたくし。兄という存在がいなくてですね……もしよかったら」


 ウサヒコは近寄ったルチルに気がつかず、ささっと移動した。

 それは雨が降りそうだったので、カナブンを探しているふたりが気になったからだ。

 窓の前に立って。


「ん……?」


「なんじゃこりゃあああ!?」「おにいちゃんと、呼んでもいいですか!?」

 ウサヒコの叫び声でルチルの声は消え、ルチルは隣にウサヒコがいないことに気がつく。


「…………」

 ルビィのように、ほっぺを膨らませるルチルはプンスカピー。


「――っ?」


 ルチルは庭に張り巡らせた魔力感知護符の全てが機能していないことに気がつく。

 魔力電気信号を送っても反応がない。

 彼女はウサヒコとふたりきりになり、気がつかなかった。

 そして窓から外を見て絶句する。先ほどまでの庭の姿ではない。地面は所々凹み砂埃(すなぼこり)が立ち、荒れている。そしてガーディアンが気絶中。しかも顔はボコボコに腫れ上がっており、鎧は砕け、ほぼ丸裸。それはもう見るからに無残な姿だ。一体誰がこんなひどいことを……と、ルチルは心を痛めた。


 そしてシディアとルビィの姿が見えない事に気がつき、冷や汗をかく。


「――ウサピィさん、すみませんッ!」

 ルチルは詠唱サークルを形成し、即座に雷属性を魂に付与(デヴァインネイション)をした。

 覚醒したルチルの魔力。付与した時の閃光は部屋を今の太陽よりも明るく照らし、眩しい。


 今のルチルの身体能力は雷と同等。ウサヒコの眼に映らぬ速さで消えた。電の気の残光、それを目で追うと扉の隙間から廊下へ出たようだった。


「――ルチル!?」


 ウサヒコはルチルの後を追い、部屋を飛び出した。


 廊下の電の気の残光に気がつき、ルチルの後を追う。

 窓から見た無残な庭の姿。シディアとルビィの姿は見えない。心配しながら角を何度も曲がった。廊下に残った電の色はどんどん太く、濃くなる。角を曲がった。視はT字路の交差点。目に(うつ)るは立ち止まり、真っ直ぐ何かを見つめるルチル。彼女の(まと)う電の音が徐々に大きく、派手になっていった。

 ウサヒコは走り寄る。ルチルの視線の先には桃色の髪を持つ女性が見えた。髪型が違うが、彼女は以前、メインストリートでシディアを(ののし)った者とすぐにわかった。そして、その後ろで倒れたシディアとルビィの姿が見える。ルビィの身体はひどく傷だらけだった。これもすぐにわかった。ルビィはシディアを守り、傷ついて敗れたのだ。そしてシディアも、あの彩髪(カラード)にやられたのだと。相手は魔法使い。力は足元にも及ばない。ウサヒコはどうすればいいのかわからなかった。


 ユーディは口を開いた。


「――ルチル・ゾンネンゲルプ。……ちょうどいい。ルビィ・スカーレットと、濁髪(クラウディ)のついでよ。次は貴方を痛めつけてあげる」

 桃色の魔法使い、ユーディ・オペラモーヴは悪趣味なドラゴンロッドを肩に置き、鼻で笑う。その目は正義とは程遠い。しかし、彼女の髪と詠唱サークルはひどく美しく輝いていた。


「…………」


 ルチルはまばたきをする一瞬、傷だらけで倒れたルビィとシディアに視線を向かわせた。仲良く隣同士で眠るふたりの姿は微笑ましくも感じてしまうが、ルビィの傷から滴る血がウサヒコとルチルの心を苦悶(くもん)させる。ウサヒコは自分ではどうすることもできないと悟り、ルチルに全てを託す。ルチルは気持ちを()みとったかのように、電の音を激しく鳴らした。ただ黙って、目の前の敵から目を離さない。


「何? お友達がやられて悔しいの? おあいにくさま。ルビィ・スカーレットは罪人よ。危険な魔法を生み出したにもかかわらず、魔法ギルドに報告しなかった。私が直接、登録書類を渡したのに嫌がり、暴れた。これは立派な公務執行妨害。私に刃向った汚い濁髪(クラウディ)もね」

 汚い濁髪(クラウディ)という言葉に反応して、ルチルの金色の髪から真珠色の電の気が弾けた。

 覚醒した魔力。ルチルは自身の向上した魔力に驚きもせず、口を開いた。


「――その桃色の髪は人を惑わす魔法の血族。ルビィさんの精神を操って、貴方が暴れさせただけでしょう。ルビィさんは普通に提出を忘れていただけです。おバカ、ですから」


 ユーディは無言で、ドラゴンロッドを勢いよくルチルに向けたが、ルチルは怯える事もなく。


「その程度、誰でもわかるでしょう。しかし、これは魔法ギルドに報告させていただきますね。違うと言い張るなら、法廷で。わたくしが腹立たしいなら、ここで決着をつけましょう」


 ルチルはウサヒコに声だけを向かわせた。


「……スカーレット家のルビィさんでも勝てなかったこのお相手。わたくしがもし勝ったら、頑張ったなって、兄のように褒めてほしいです」


 ウサヒコの目に映った彼女の姿。差別主義の貴族(カラード)と立ち向かっているその姿は対称的だ。ルチルは違う、差別などしない。彼女はとても優しく、親友思いで、聖母のような優しい顔で、俺とシディアにえくぼを作っていた。


 ルチルの声は寂しく感じた。だからすぐには返事が出来なかった。だが、ひとまわり近く違う少女が頑張ったなと、褒めてほしいと言った。ウサヒコは無意識に、正直に、彼女に向かって叫んでいた。


「――当たり前だっ! 俺はおまえらのことが心配なんだよっ! いくらでも頑張ったなって言ってやる! だから無茶は、無茶だけはしないでくれ!」


 ユーディは気味悪く唇を歪ませ、魔法の詠唱に入った。

 ルチルの掌からパールイエローの静電気が光った。飛び出した一本の白い電の気。折線(せっせん)は弾けながら身体に絡みつき、皮一枚に溶け込みオーラへと変わる。ウサヒコの言葉で彼女の心に安堵が生まれ、勝手にこぼれた微笑(ほほえみ)と共に瞳を閉じた。


 ルチルの詠唱サークルは数を形成していく。足元は宙に浮いた。白電を纏い両手を広げ、彼女は静かに歓喜する。

 頭上に浮かんだいくつもの詠唱サークル。宙を浮かび、金髪は湧き出る魔力できめ細かく輝く。その姿は天使そのものだった。


「――ありがとうございます。脳裏に新しい高位詠唱が浮かぶ。わたくしはまだまだ強くなれる」


 彼女は脳裏に浮かぶ高位魔法の詠唱を心に()みこませる。


「恥を知リ得た、罪深き我が心よ。罪人を滅ぼす者は罪人がふさわしい」


 彼女の身から湧き出る白い電の気から、ガラスがひび割れたような繊細な音が聞こえた。その音は花車(きゃしゃ)な体つきの彼女に似合わせる。


「友の想いを霹靂(へきれき)の鎖に(つむ)いだこの信念、忘却の真実を宿命と刻もう――」


 ――ルチルは目を瞑ったまま微笑んだ。これはユーディに迎え撃つ魔法。具現化にふさわしいものを思いついたからだ。

 皮一枚に浸透した電の気は心と共鳴。ふたたび折線(せっせん)として出現し、身体を絡ませ禍々しい姿を形成した。


「――短縮詠唱。罪に気づかぬ、(クライテット)悲しき龍(ドラグーン)


 詠唱サークルの色は黄色。魔力で宙に浮いている天使のようなルチルの姿とは、対照的な具現魔法。彼女の身体に絡まった、稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)は豪雨の雷轟(らいごう)に反応し咆えた。ルチルはドラゴンの頭を優しく撫でて、あやす。


 ウサヒコはその姿を見て、この世界の魔法使いの存在に息を飲んだ。それは魔物を召喚する悪魔のように見えたからだ。


挿絵(By みてみん)


 ユーディはルチルに、ルビィを病ませた魔法をかけようとする。それはシディアを苛めていた過去を持っていると知り、ルビィと同じように過去に(さいな)まれろ、と。彼女の澄み切ったプライドは髪を美しく輝かせた。相手は自身のプライドを傷つけた女。彼女はようやく宿敵と対峙した。『痛めつけてやりたい』その一心(いっしん)から生まれた言葉、心に沁み込ませる詠唱呪文。浮かばなかった句が浮かび、微笑んだ。


「交錯する(さい)まれし心情よ。自らを刻め、血を流せ。(はらわた)をみせろ」

「我は過去の(かせ)に、未熟な(ゆう)に、無念の愚者(ぐしゃ)に歓喜する」

「――短縮詠唱。許されざる心の理(ロジックブラスト)!」


 黒の混じった桜色のオーラは無数の掌を形成する。地から飛び出した掌。それはルチルを奈落の底へ引きずるように、ねっとりと血が染み込んだ布のように、身体に、心に浸透しようとする。足から腰へ、腰から胸へ。それは顔まで到達しようとしていた。


 ユーディはあざ笑う。


「あはははははは! ルビィ・ルカ―レットのように濁髪の魔法使い(クラウディ・ウィッチ)を苛めていた過去の精神に戻れ! 未熟で無様な姿を見せてみろ!」


「……貴方もルビィさんのように、おバカ(・ ・ ・)さんのようですね」


 ――ルチルはため息をつく。ただそれだけ。それだけで不協和音(アドナインスコード)が鳴り響き、空気が揺れた。黒が混じった桜色の魔力は、電の気のオーラの閃光に飲まれ、まばたきの間に消え去っていた。


「――ふぇっ?!」


 ユーディの魔力量に、ルチルは静かに鼻で笑い、複数の金色の詠唱サークルは輝きを増した。

 ルチルは稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)のチリチリと鳴らす音を可愛く思い、ふたたび撫でた。そして、ユーディに向けた強いまなざし。ドラゴンはルチルと呼応し、長い胴をうねらせ、眼球のない眼窩(がんか)、前頭骨を敵に向けた。

 それは蛇ににらまれた蛙。魔力量が違い過ぎると(ひる)むユーディ。


「――今のわたくしの本気がお望みのようですね」


「ちょ、ちょっと……待っ……」


「大丈夫ですよ。きっと貴方なら死にませんから。ただ痛いだけです。たぶん」


「た、たぶんって……!?」


属獣指令、交差詠唱(クロスビースト)罪を背負った者の叫喚クライテットデスペラーナ


 稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)は怯える彼女に向けて、口を開き、サンダーブレスを放つため、身体を震わせた。


「ちょ、待ちなさいよっ……!」


「――属獣(ビースト)だけでは足りませんか」

多重交差詠唱、(ダブルクロッシン)永劫の聖剣(エクスキャリオス)

 ルチルは光の(つるぎ)を生み出し、切っ先をユーディに向けた。


「え、えぇぇ!?」


 ――規格外。属獣(ビースト)をあやつりながら、高位魔法の連発。噂で聞いていた彼女の魔力とあきらかに違う。上位魔法使い(ハイ・ウィッチ)でも、今の彼女のような強大な魔力を持っている者は見たことがなかった。何この魔力、間違っている、ふざけている、認めたくはない。これが四大元素属性に一番近いと言われている雷の力? 淫乱(ビッチ)魔法使いはやっぱり格下なの? 私は立派な魔法使いになれないの……? 彼女は自分の力のなさを悔やんだ。目の前は灰色の景色になり、彼女は思わず後ずさる。……過去の幻。幼い自分を苛める濁髪(クラウディ)の少年が見え、桃色の髪の少女はただ泣いていた。


 (したた)る汗に高鳴る心音、敗北をしてしまうと絶望。足はすくんで動けず、耳鳴りがする。床に転がっていたふたりの寝息が聞こえた。濁髪の魔法使い(クラウディ・ウィッチ)が寝言を言う。だが、稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)のサンダーブレスの音で寝言は聞き取れなかった。とっさにシールドを張った。ブレスをかろうじて受け止めた。すくんで動けないはずなのに、何百も何千も身体に刻みこんだ戦いの律動(バトルリズム)が助けてくれた。しかし、ブレスに耐えるシールドは細かく鳴りはじめた。小さな、小さな不協和音(アドナインスコード)。――大きなひびが見え、ポロポロと落ちてゆく障壁。もう、もたない。ユーディは目を瞑ってしまった。目の前の現実から逃げ出したかった。だが、目を瞑ってもそこは現実。少年が少女をいじめている姿が鮮明に見えてしまう。悔しい、悔しい、悔しい。なんで、なんで、なんで。


 ――彼女の高貴な感情は身体を、喉を、言葉を叫ばせた。それはブレスの音よりも、壊れてしまったシールドの不協和音(アドナインスコード)よりも、大きな声で鮮明に、一言で夢を物語る。


『――私は立派な魔法使いになるんだからっ!』


 それはユーディの叫びだけではなかった。偶然にも寝ぼけたシディアもユーディと同じ言葉を叫んでいたのだ。ユーディは濁髪の魔法使い(クラウディ・ウィッチ)の声が心に()み、大粒の涙が流れてしまった。そして彼女の灰色の視界は霧が晴れたように消え去り、色彩を取り戻す。過去への決別、決意。彼女はドラゴンロッドに精いっぱいの魔力を込めて、ブレスを真正面から受け止めた。


 ルチルは微笑(ほほえ)んだ。目の前の敵は親友のシディアとルビィと同じ。立派な魔法使いになろうと、今を頑張っていると理解したからだ。彼女は嫌いじゃない。全力でユーディ・オペラモーヴを叩くと心に決めた。


混濁交差詠唱(ミクスチャージ)永劫の咆哮(エクスデスペラード)


 ルチルは光の(つるぎ)を天に(かか)げた。剣は繊細なガラスの音と共に砕け散り、無数の光の欠片に変わる。直線が星座を引くように、電の細かい折線が無数の欠片を全て繋いだ。舞い上がる欠片たちは稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)の頭上でひとつの塊となり、閃光。雷魔法は景色を真っ白に変えた。光の剣、永劫の聖剣(エクスキャリオス)を浸透させた稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)は、サンダーブレスの折線を何倍もの太さにし、激しく空気を揺らした。飛び散る真っ白な光の粒が離れたウサヒコの足元に落ちて、雪のように消える。彼はただ、ふたりの姿を呆然(ぼうぜん)と見ていることしかできなかった。


 ユーディは小さなドラゴンロッドで、精いっぱいの魔力で、稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)のブレスを受け続ける。涙は(ぬぐ)わず流し続けた。それは正面の敵に負けないよう、目を背けず、プライドが壊れてしまわないように、まっすぐ前を向いて。


「絶対に負けない……もう(いじ)められたくないの……! 私は、私は強いんだから……!」


 ――ロッドのきしむ音がユーディの心を揺らす。大粒の涙が、瞳を閉じるようにと(うなが)した。だが彼女はそれを拒み、しわくちゃの顔にした。


「――やだ、やだよ! 待って、待ってよ! 壊れないで、私の大切なドラゴンロッド……!」


 心は、プライドは壊れはじめ、彼女は目を(つむ)ってしまった。そこには桃色の髪の少女はいない。一番大切な思い出が(まぶた)の裏で、写真のように焼き付く。それは大人になったユーディ・オペラモーヴが上位魔法使い(ハイ・ウィッチ)となり、魔法ギルドの人々に祝福してもらった幸せな思い出。


 彩髪の魔法使い(カラード・ウィッチ)、ルチル・ゾンネンゲルブは全力を尽くし稲妻の骨龍(ボーンドラゴン)に命令する。


永劫の咆哮(エクスデスペラード)晴天に憧れた雷公(カラド・ヴァジュラ)!」


 ガラスのような繊細な音はしなかった。胸に響き続ける轟音(ごうおん)と共に、ユーディの強さの象徴であるドラゴンロッドは粉々に砕け、彼女は永劫の咆哮(エクスデスペラード)に飲みこまれた。


 目を瞑ったままのユーディ。(まぶた)の裏、薄れゆく意識の中。人々から拍手喝采(はくしゅかっさい)を受ける彼女ははにかみながらも、優しく笑っていた。


 しかし、騒がしくも明るい辺りは溶けるように、真っ暗な景色に変わる。人々は徐々に一人ずつ姿を消してゆき、ついには誰もいなくなり……漆黒の、闇の空間になった。――ユーディはひとりぼっちで不安に駆られた。ここには何もない。まるで今の彼女のようにからっぽ。

 背後から何者かの足音が聞こえた。

 とても寂しく、ひどく切ない。誰かを求めて彼女は振り向いた。しかし誰もいない。誰も何も見えない。誰も見えないが、真っ白な歯だけがしっかりと見えていた。その口は糸を引きながら言った。


冴髪(ヴァニター)に忠誠を誓え、誓えよォォォオ! ウフッ、ヒャハハハハハハハ!」


 ユーディは朦朧(もうろう)とし、誘われるように手を伸ばした。


「――ユーディさん、ダメですっ!」


 シディアの声が聞こえた瞬間。闇の空間は逃げるように一瞬で消え去った。ユーディの目に光が宿り、景色はふたたび明るくなった。そこは太陽の光の元、そよ風が緑の香りを鼻に運ぶ。がらんとした原っぱの地平線に雲一つない青空。透き通った青と草原の若々しい緑に挟まれ、心は落ち着きを取り戻した。


 ――目の前には、三つ編みの濁髪を風になびかせる彼女がいた。


濁髪の魔法使い(クラウディウィッチ)……?」


「えへへ。ついて行ったらダメですよ?」


「…………」


「ユーディさんは誰もが認める、すごい魔法使いなんですから」


 シディアは下手くそな魔法を見せて、青空のような笑顔で言った。


「――私もユーディさんのような立派な魔法使いになりたいです!」


「…………」


 ユーディはシディアの髪に触れる。心では濁髪に触れることをためらった。しかし、彼女は罵ったことを後悔するかのように、謝るかのように、優しい手つきで頭を()でた。


「えへへ」

 シディアははにかんで微笑み、ユーディは涙を我慢した。


「――なれるわよ。この世はね、気合と努力でなんとでもなるんだから」


 嬉しくなったシディアはユーディに思いきり抱きついた。桃色の髪は揺れ、美しく輝く。

 突然抱きつかれてびっくりして。彼女の純粋な笑顔が心に()みて……ユーディは(せき)を切ったように泣き出した。そして。


「………………なさ……い……」


 わからなかった。なぜ、『ごめんなさい』という言葉が急に出てきたのか。涙もなぜか止まらない。本当は言葉になんか出したくなかった。……ただ、謝りたかった。謝りたくなったのだ。目の前の落ちこぼれだった時の、罵られていた時の、昔の自分のような魔法使いに。ただそれだけ、それだけなんだ。


 あまつさえも、彼女は私を立派な魔法使いと言ってくれた。ありがとうなんて言えるわけがない。恥ずかしいだろう。私は彼女が言うように立派な魔法使いなんだ。絶対に言えない。言えるわけがない。ユーディはシディアに罵声を浴びせた事を、声を震わせながら濁髪の魔法使い(クラウディ・ウィッチ)、シディアに謝った。


 ――風がふたりの髪に触れる。黒と桃色の髪は楽しそうに揺れていた。


挿絵(By みてみん)


 ………………

 …………

 ………

 ……

 …



 ルチルはユーディが戦闘不能になり、属獣(ビースト)の姿を消した。膝から倒れたユーディの顔はとても優しく、安堵に満ちていた。その顔を見て、ルチルはほっと一息。


「……よかった。生きてた」


 雲の間からの見えた陽、6色の色彩豊かなステンドグラスから日光が差しこんだ。もう、雨は上がった。


 ……ルチルは思い出したように赤面して、ウサヒコに叫んだ。


「あ、あの! お、お、おにいちゃんって呼んでもいいですか!?」


「……お、おう!」

 正直、ウサヒコは嫌だった。だがルチルは仕事場を与えてくれる投資者。それにギラギラと燃えるような気迫で、断れなかった。


「あの、おにいちゃん……! 頑張りましたので、ほ、褒めてください!」


「よしよし、がんばったなー」

 ウサヒコはてきとーにルチルの頭をなでた。


「ぶほッ」


 ウサヒコは、興奮して鼻血を飛び散らかしながら悶絶したルチルを無視して通り過ぎ、シディアとルビィが無事か確かめた。ついでにユーディも。


「よかった、無事か……。しかし、魔法使いというものは頑丈すぎないか。俺だったら跡形もなくこの世から消えるぞ」


 ウサヒコはぶつぶつ言いながら、シディアとルビィを背負う。ユーディは怖いからそのままにした。


「……ん?」


 どこからやってきたのか、ルビィの肩にはカナブンがくっついていた。それはルビィと仲が良さそうにじっと動かず、一緒に眠っているように見えた。


「……今、つっこんでおくか。536匹駆除ってどういうことだよッ! ルチルはカナブン駆除の才能ありすぎだろうが!」


 ――シディアのポケットから淡い魔力の光。純銀のかんざしが光り輝いていた。


 

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