第五幕 春/草原
女の子が目覚めるとそこに巨大な鳥の姿はありません。巣の中には花びらに埋もれた女の子一人だけでした。
女の子は大きなあくびをすると立ち上がり、両手を組んで背伸びをします。そして巣をよじ登って外へと出るのでした。
女の子は眠たそうに目をこすりながら歩き出します。そしてしばらく進んでいるとY字の分かれ道に出会ったのです。二つの道のひとつは墓場のようなモニュメントへと続く道で、淡い幻想的な緑の光に包まれています。もう片方の道は対照的に真っ暗で、そのため鳥の巣に向かっていた時は気づけなかったのです。
女の子は暗い道の入り口で立ち止まり目を凝らすも、光源がないため何も見えません。しかし、ひんやりとした空気が伝わってくるのを感じたのです。
女の子は振り返ってあたりを見回すと、竹のように長く突き出た緑の鉱物を発見し、にやりと口元を歪めるのでした。
女の子は突き出た鉱物を両手でしっかりと握りしめると、引っこ抜こうとします。しかし抜ける様子はありません。女の子は息をつくと、今度は鉱物をへし折ろうと全体重を掛けて押すのでした。
女の子の顔が真っ赤になる頃、鉱物がきしむ音が聞こえました。その音を聞いた女の子は最後のとどめだ、と言いたげに鉱物にのしかかるのです。その瞬間、鉱物は根元からポキッと折れ、女の子とともに地面へと落ちていくのでした。
女の子は立ち上がると服に付いたゴミを払いのけ、鉱物を拾い上げます。そしてそれをたいまつ代わりにして暗闇の道へと進んでいくのです。
明かりで照らされた暗闇の道には鉱物がいっさいなく、そのかわり壁や床や天井はとてもなめらかで、まるで人工的に掘られたかのようです。そしてそれを証明するかのように、しばらくすすむと階段が現れたのでした。
女の子は階段の先を見つめます。そこにあるのは暗闇だけで光はありませんでした。
女の子が階段をのぼり始めました。一段一段のぼるにつれてどんどんと空気がひんやりとしてくるのです。
そして階段をのぼった先にあったのは大きな湖でした。そして驚くべき事に地底湖は淡く青い光を発しているのです。
女の子が地底湖に近づきその中をのぞいたとき、女の子は驚きのあまり手に持っていた鉱物を落としてしまったのです。鉱物はそのまま地底湖へと沈んでいきます。深く深く、とても深く沈んでいったのです。
地底湖の底には大きな遺跡がありました。それは町と言っても過言でないくらいの規模で、それらの建物の窓から青い光が漏れているのです。
女の子は驚き入ったようすで、地底湖のへりにそって歩き出しました。
遺跡は石造りのようで、白い大理石のような石材を使用しており、切り妻型の屋根を持つ建物が道に沿って並んでいます。ところどころに尖塔を持つ大きな建物や噴水らしき広場も見られました。
女の子が遺跡に圧倒させられていると、不意に眩しい光が目をくらませます。女の子が驚いて向き直ると、そこには明るい光で照らされた階段があったのです。
女の子は遺跡を一瞥すると、名残惜しそうにしながら階段へと進むのでした。そして輝く階段を見上げ、その先の出口にある太陽を見つけたのです。
女の子はまぶしさから手で顔を隠しながら階段をのぼり始めました。日の光はとても強く、まるで天界へと向かう道のりに思えてしまうのです。
女の子が階段をのぼりきりあたりを見回すと、そこは青々と茂る草原でした。自分の背の半分ほどの芝が風で煽られるたび、緑のにおいが鼻孔をくすぐるのです。
女の子は新鮮な空気を胸いっぱい吸い込むと、芝をかきわけながら歩き出しました。
空には巨大な鳥が群れをなして飛び、ピーピーと鳴き声をあげています。女の子は鳥達に手を振るのでした。
そうこうしていると、巨大な切り株が見えてきました。しかもその切り株の上に人影らしきものを見つけたのです。
女の子は切り株に駆け寄ると、その根を伝ってよじ登ります。そして頂上に着いたとき、その人物と対峙するのでした。
それは女の子と同ぐらいの大きさの男の子でした。男の子は金髪でそのやさしそうな顔つきはまだあどけなく、女の子と同じぐらいの年に見えます。その格好は白い腰布に片方の肩から布を巻き付けた一枚布でした。そして信じられない事に、男の子の背中には二枚の白い翼が広がっていたのです。その姿はまさしく天使というべき姿でした。
女の子が興味津々といった様子で男の子を見つめ、男の子はすこし驚いたような表情でこちらを見つめ返しています。
女の子はオカリナを取り出すと、音を奏で始めました。その軽快な音色にあわせて女の子は体を揺するのです。
女の子は吹き終えると男の子を見ます。男の子は真顔でこちらを見ていました。
女の子は首を傾げると、はっとした表情になりオカリナをしまいます。そしてつま先立ちになるとポーズを決め、切り株を舞台に見立てて踊りだしました。
それは川に流される葉っぱの上で最後に踊った、あの複雑な踊りでした。回っては飛び跳ね、縦横無尽に舞台を駆け巡ります。
踊り終えた女の子は汗を拭うと男の子に顔を向けました。
男の子はにっこり微笑むと、こちらに向かって歩いてきます。
女の子の胸が期待で高なりました。緊張から身を硬くしてしまうのです。
男の子が女の子の前で立ち止まり、「自分なんでしゃべらへんの?」と言葉を発しました。
これには女の子も思わず、「えっ」と声を漏らしてしまいました。
「自分しゃべれるんやろ?」と男の子が訊いてきました。
「え、あっ、はい」困惑気味に女の子は答えました。
「だったら最初っからしゃべったらええがな。初対面の人の前で急に笛を吹いたり、踊りだしたらびっくりすんで。頭おかしいと思われるやろ」
「……あ、はい。すいません」
「今度から気いつけや」
「……はい」期待を裏切られ、女の子はがっくりと肩を落としました。
「あんた観光客か?」と男の子が訪ねてきました。
「あ、はい」
「どこからきたん?」
「地球です」
「ほんまかいな」男の子が感心したかのようにうなずきます。「そんな遠いところからわざわざきたんかいな。ほんまご苦労さんです」
「あっ、はい。どうも」
「よしわかった」そう言って男の子が女の子の肩に手を置きました。「それならワイがガイドしたるで」
女の子は眉根にシワをよせて不快な表情を見せると、自分の肩に置かれた手を払いのけました。「お気づかいありがとうございます。でも一人で大丈夫ですから」
「遠慮はいらんで。ワイが観光名所教えたる」
女の子は出来るだけ迷惑そうに、「いや、本当に大丈夫なんで結構です」と言いました。
「そんなこと言わへんで、一緒に行こうや」
「私、雰囲気味わいにきたんで、静かに旅がしたいんですよ」
「なんやねん雰囲気って。ガイドがいて説明してもらったほうがええに決まってるやないか。だからワイが一緒に行って、いろいろと教えたるって言うてるやんけ」
「いりません。一人でいいですから」
「いいから行こうや」男の子は女の子の手を取ります。
女の子は男の子の手を振り払いました。「やめてください。迷惑なんです!」
「なんやそれ!」男の子が苛立ちをあらわにします。「自分から声をかけといて、断るってどういうことなん」
「私からは声かけてませんから。そっちから声をかけてきたんじゃないですか」
「何へりくつ言うてんねん。そっちからちょっかい出してきたから同じようなもんやんけ」
女の子は男の子をにらみつけます。「とにかく私は一人で大丈夫なんで、ほっておいてください」
「いやや。一緒に行こうや。なあ、そうしような。行こうや行こうや行こうや」
男の子のしつこい誘いに堪忍袋の緒が切れた女の子は舌打ちをし、拳を握りしめました。そして素早い動きで男の子の横へとステップしながら、拳を上に向けるようにして腕を折り畳むのです。両足を肩幅に広げ、左足のつま先を男の子に向け、右足を横に向けながら着地した瞬間、右足の親指を軸に足首を左回転させるのでした。その回転に連動するかのように右膝、腰も左回転させ、その勢いに乗って折り畳んだ右腕を男の子の顔面に向かって伸ばします。伸ばしている間に、拳を半回転させ第三間接を上へと向けるのでした。勢いに乗った女の子の拳は男の子の顎の先端を捉え、その瞬間女の子は拳を力強く握り、そのまま横一直線に拳を貫きました。
これらの動きがほんの一瞬の間におこなわれたのです。それはボクシングで言うところの右ストレートでした。そしてそのパンチが男の子の顎を打ち抜いた事により、男の子の脳は揺さぶられ、その意識を断ち切られてしまうのでした。
男の子は切り株のリングへと沈んでいきました。
女の子は倒れた対戦相手を蔑むような表情で見下ろします。そして相手が完全に意識がなくなったとわかるとにんまりと笑ったのです。
女の子はオカリナを取り出し勝利のファンファーレを奏でました。
誰も声を発しなくなった静寂な世界で、女の子は幸せそうな笑みを浮かべると切り株を下り、草原をかきわけながら進んでいきます。
こうして女の子の旅は無事続くのでした。