(7)
「おいってば。おまえ、口きけないのかよ」
カリンは青ざめた顔でちいさく首をふる。同年代の、しかも男の子と口をきくのがはじめてのカリンは、恐ろしさで手に汗をにぎったままぶるぶると震えた。
そんなカリンの様子を見て、男の子は「ぶったりしないから安心しろよ」と、やや口調をやわらげた。
カリンはあらためて男の子をながめる。おそらく良い家の子息なのだろう。明るい茶色の髪は綺麗になでつけており、身なりも悪くなかった。
「おれはただ、迷子になったんじゃないかと思っただけだ。おまえ、ここらで見かけない顔だから」
少年の言葉にカリンは少しホッとすると、にぎりしめていた手をゆるめた。
(そうだ、お城への行きかたを教えてもらおうかしら)
カリンが口を開きかけたその時、喧騒にまぎれて「おおいレアス、何やってんだよ!」というがなり声が聞こえるとともに、道の向こうから数人の男の子達が走ってくるのが見えた。
こわくなったカリンは踵を返すと、その場を逃げるように走り出す。
「おい、ちょっと!」
少年の声を無視して、カリンは人ごみの間をかき分けて走りつづけた。やがて町の中心部である広場にたどりつくと、今度はポツポツと雨が降りはじめてしまった……今朝はあんなにいい天気だったのに!
雨足はだんだんと激しさを増し、周囲の人たちも我先にとばかり家路へと急ぐ。やがて広場はカリンを残し、すっからかんとなってしまった。カリンは仕方なく、空家らしき家の軒下でしばらく雨をしのぐことにした。
着ていたマントは雨水を吸って、すっかり重くなってしまった。 カリンはふるえる指先でマントのえりをかき合わせと、その内側にしまわれた魔法薬の瓶を確かめるように、ぎゅっとにぎりしめた。
古いブーツの破れたつま先からは、冷たい水がしみこんできて、たぽたぽと波打つような感触がする……カリンは雨音を耳にしながら、冷えた足のつま先をぼんやりと見下ろした。
「そんなとこにいたのか」
カリンがのろのろと顔をあげると、先ほどの少年が少しだけ息をきらして、軒下に飛びこんできたところだった。
「おまえ、どこへ行くつもりだったんだよ?」
「……お城」
少年は不思議そうに、寒さに唇を白くしているカリンの顔をまじまじと見つめる。
「なんで?」
「……」
「別に、言いたくないならいいけどさあ」
カリンは勇気を出して「あの、」と口をひらくと、少年は「なに?」と身をのりだす。
「お城って、どっちに行けばいいの」
「城? 城なら、この広場からつづく坂道をのぼっていけばすぐだよ。ほら、あっち……雨でよく見えないけど、大きな建物があるだろ? あれだよ」
カリンはその位置を確認してうなずくと、小さくお礼をつぶやいてフードをかぶりなおし、雨の中を一歩踏みだした。背中から少年の声が追いかけてくる。
「おれんち、この先いったとこにあるんだ。大通りを右にはいった鉄の門がある家……あとで帰れなくなったら、いつでもこいよ!」
カリンはその言葉にふり返ると、軒下に立つ少年に小さく頭を下げた。そして再びしっかりした足取りで、雨の中を歩きだした。
ようやく石造りの城門にたどり着いたカリンは、目の前にそびえる鉄の門と、その左右をぐるりと囲む要塞のような城壁を見上げ、足をすくませてしまう。
城門には小さな監視塔が立っており、その前には大きくて長い槍を手にした守衛が、鉄の帽子をかぶり、背筋を伸ばして立っている。
守衛はカリンの姿に気がつくと、威圧感のある目でジロリと視線だけ動かした。それでもカリンは、勇気を出して口を開いた。
「あの……私、西の森の魔女です」
か細い、雨音にかき消されそうなカリンの声に、守衛はちょっとだけ眉を上げると、意外にもやさしげな声で話しかけてきた。
「魔女のおじょうちゃん、早くおうちに帰りなさい。でないと風邪を引いてしまうよ」
「私、お薬作ったんです……魔法薬。これ、病気の王子さまにさしあげたいと思って」
「すまないね。城の規則で、紹介状のない者の品物は受け取れないんだ」
「でもっ……」
「王子殿下のことなら心配しなくても、明日にでもアーンシェ王宮から遣わされた、国王様の主治医が到着することになっている。だからほら、帰った帰った」
追い帰されたカリンは失望とともに、とぼとぼと城門を後にした。