(8)
翌日、明け方にジョンストーンが迎えにきた。
それは神殿で行われる、朝の催事を見学するという名目だった。ハイフナー医師からは前の夜に知らされていたので、カリンは明け方には起床して簡単な朝食を済ませておいた。
爽やかな朝にもかかわららず、迎えに来たジョンストーンは相変わらず硬い表情で、事務的な態度を崩さなかった。
「行くぞ。ついてこい」
カリンはハイフナー夫妻に見送られながら、黙ってジョンストーンの後ろをついていった。ハイフナーを含む王宮勤めの居住区は、中央棟をはさんで東棟の先にあり、神殿とは反対側に位置する。朝焼けがジョンストーンの黒いローブを眩しく染める中、宮殿の周りをぐるりと周回するように歩いていると、遠くから兵士の鍛錬の掛け声が聞こえてきた。
すでにガムランとの戦争が終結して半年以上経つのに、早朝からの鍛錬に励んでいる姿は、まるで近い未来に起こる戦いに備えているようで、どうしても重苦しい気持ちに駆られてしまう。
(平和な日々を守るって、努力しなくちゃいけないんだな……)
穏やかさと対極にある光景から目を背けることは、きっと間違っている。だが兵士が上げる闘争心むきだしの声には、きっといつまで経っても慣れないだろう。だが、そういう声が取り巻く戦火を、イシュはたくさんくぐり抜けてきたのだ……カリンは胸の前で両手をぎゅっと握り締めた。
そんなことを考えているうちに、やがて二人は神殿に到着した。参列者の席に着き、催事が始まるまでの短い間、ジョンストーンは隣のカリンに向けて口を開いた。
「朝の催事は重要だ。特に大きな力を持つ者は、この時しっかりと調整する必要がある。怠ると一日中、不安定な力に振り回されてしまうからな」
聞くところによると、ジョンストーンは若い頃、この神殿で暮らしていたらしい。それはめずらしいことなのか、とカリンがたずねると、魔法局長は生真面目な横顔を向けたまま小さく鼻を鳴らした。
「魔法局に常駐する人間の大半は、期間の差があれこそ神殿暮らしを経験している。幸か不幸か、生まれながら特殊な力を得てしまった以上、それを持たない人々と同じように暮らしていては駄目だ。自分の力をきちんと理解し、それをどう扱うべきか熟考する必要がある」
ジョンストーンはそこで言葉を切ると、ややあって再び口を開いた。
「……お前のような、何も知らずに力を持て余してしまう人間は少なくない。周囲もだが、本人も気づかない場合もあるからな」
「気づかない場合って、魔力……その、特殊な力を、ですか?」
「ああ、大抵は子供の頃に、なにかしらのきっかけで力を発動させて気づくものだが、ごく稀に発動させる術を持たず、体の内に溜め込んだまま成長してしまう場合がある。それは力が大きいほど危険だ」
「危険って、どういうことですか?」
「体内に燻った巨大な力は、放っておけば徐々に内側から体を蝕み、やがて衰弱して身を滅ぼすだろう」
その時、催事が始まる鐘が鳴った為か、そこで説明は中断された。
催事が始まっても、カリンの頭の中は先ほどの話でいっぱいだった。魔力が自分の体にとって毒なり得るなんて、これまで思い至らなかった。魔力が枯渇して具合が悪くなり、酷いと寝込むこともあったが、逆に魔力を使わないことが体に悪影響を及ぼすとは知らなかった。
(どのくらい使って、どのくらい使わないのが体にいいのかな……みんなそれを知りたくて、神殿に来るのかしら)
たしかに神殿は必要な場所のようだ。ここで自らの力の調整をし、使う量の匙加減を学び、やがて巣立っていくのか。
(そういえば、イシュのお兄さんは大神官だって聞いたけど……とても力が強いから、普段は地下に暮らしてて、催事以外はあまり地上に出てこないってイシュが言ってたな……)
もしかしたら、この催事の場に居るかもしれない。カリンはそれらしき人物がいないかと、キョロキョロ辺りを見回していたら、隣のジョンストーンがチラリとカリンを見やる。
「何をしている。落ち着きのない」
「いえ、あの、大神官様ってどこにいるのかと……」
「大神官様が、このような日々の催事などにいちいち顔を出すわけあるか。よほどの大きな催事でなければ、お出ましにならないからな」
「大きな催事って、よくあるんですか」
「半年に一度くらいだ。前回は二か月前に開催されたばかりだから、四か月はないだろう」
カリンは目を見開いた。年に二度しか地上に出てこず、あとは地下に身を隠している生活なんて、うまく想像できない。そんな生活を、本人はどう思っているだろう。それが当たり前で、慣れてしまったのか。それとも……つらいだろうか。
(イシュは、お兄さんに……大神官様に会わせてくれるって言ってた)
引き合わせてくれるからには、兄弟仲はそれほど悪くないのだろう。カリンの事情も知っているに違いない。その上で、いったいどういう話ができるだろうか。イシュの足について、どう思っていて、カリンについて何を考えているだろう。
(そういえば、ジョンストーンさんは私のことをどう思っているんだろう?)
硬い態度で口調もきついが、神殿を案内してくれたり、カリンの疑問にも面倒がらずに答えてくれたりと、これまでを振り返ってみると、総じて親切で面倒見がいいと言う他ない。
魔法局のローヌが言っていたことは正しかった、とカリンはしみじみ思うとともに、自分は本当に恵まれていると実感する。たくさんの人に助けられ、支えられている……それに応えていくために、自分は何ができるだろう。カリンは催事の様子を眺めながら、焦りを覚えずにはいられなかった。
「おい、何ボーっとしてんだ!」
「あっ……」
奪い取られたビーカーから、紫色の煙が勢いよく吹き出した。青い魔法を両手から放出したレイは、青ざめた顔で言葉を失うカリンに対し、たしなめるように軽く睨みつけた。
「あっぶねぇ、毒物扱ってるときは、魔法の混ざり具合に注意しろっつっただろう? お前さいきん変だぞ?」
「……すいません」
「なにかあったのか?」
カリンはストン、と椅子に腰を下ろすと、目の前に並んだ大小さまざまな瓶をぼんやり見つめた。
城に上がって早二週間が過ぎた。その間、ジョンストーンに連れられて何度か神殿に足を運び、レイの元で薬学の基礎を学び、午後は魔法局でローヌたちの手伝いをしてきた。
だが未だ、ただの一度もベイゼルから魔法指導をされてない。魔法を使うことは禁じられたとはいえ、せいぜいホウキで空を飛ぶ以外は魔法を使ったことがなかった為、これといって不便を強いられているわけではないが、こうなると何故カリンは魔法を禁じられたか疑問にすら思う。
そしてカリンは、なかなか魔法の指導をされないことに、日々焦りをつのらせていた。このままでは、実際に魔法を扱えるようになる前に半年過ぎてしまい、何もできないままユーリウスの元へ行くことにならないか……自分の存在価値は、どこにあるだろうか。
(きっと、私の魔力さえあれば……それでいいんだわ)
必要なのは、カリンの母親と同じタイプの魔力だけで、他には特に何も期待されてないのだ。おそらくベイゼルも、カリンに封印されているという魔力を外へ引き出せれば、それで教えることは終わりだろう。その魔力をどのように利用するかは、ユーリウスに任されているのだ。
(私も、自分で魔力を操れたら……イシュのために、魔法薬を作りたい……!)
おそらくこのままレイの元で魔法薬の取り扱いを学び続けたら、半年後にはユーリウスの助手まで行かなくても、雑用くらいはこなせるようになるかもしれない。だが自らの魔力を操り、魔法薬を作りたい、もしくは協力をしたいと思うのはいけないことだろうか。
「本当に大丈夫か、お前?」
レイの心配そうな顔が目の前に現れ、カリンははっと我に返った。
「はい、その、ちょっと……頭が痛くって」
「なんだ、風邪でも引いたか? 今日はもう帰って、休んだほうがいいんじゃねぇか? もし必要なら先生に頼んで、二、三日休ませてもらえよ、な?」
「あ、いえ、ひとりでも大丈夫です。風邪とかじゃなくて、ちょっと疲れてるみたいで」
ハイフナー医師の住居には、一週間ほど世話になった後、出ていった。いつまでも急患用の部屋を使わせてもらうことに、ひどく抵抗感を覚えたからだ。今は城に到着して最初に案内された、南棟の一人部屋を使わせてもらっている。
「まあ、確かにあれだけ朝晩、あの口うるせえ魔法局長に神殿へ連れまわされてんだからなあ」
「レイさんも、神殿へ行くんですか?」
「俺? 俺は行かねえよ。まあここに来た当時は、そりゃ今のお前みたいに、あいつに連れてかれたもんだけどよ」
「えっ、魔法局長に、ですか?」
「ああ。意外とお節介っつーか、お前も魔法の調整の仕方を学ぶべきだとか、散々言われたなー。まあ俺が逃げ回ってたのと、けっきょく魔法局じゃなくて医務局に落ち着いたので、あきらめてくれたみてーだけどな」
レイの話に、カリンは少し驚いたものの、あのジョンストーンならと今なら納得できる。彼は基本的に世話焼きで、少々お節介が過ぎるところも否めないが、真面目で誠実で、決して悪い人ではない。
(神殿では、みんな力のコントロールを……調整の仕方を学ぶって言ってたな……力、魔力を……)
カリンははっとした。
もしかして、ジョンストーンはカリンの気持ちを慮って、魔法のコントロールが学べる場所を、暗に示してくれたのではないか?
(神殿に行けば……私も、学びたいことを学べるかもしれない?)




