(3)
カリンは目を合わせるのが怖くなって、食べかけのオムレツを見下ろした。正直とても怖かった。ヴィスト村ではまず見かけない異国風の顔立ちも、黒い前髪からのぞく釣り目の三白眼も、白い半袖からのぞく筋肉が盛り上がった浅黒い腕も、何より不機嫌そうな面持ちで無遠慮にこちらを見ていることも、何もかもカリンをおびえさせた。
「ふうん、なんか弱っちそうなちび助だな……ま、いっか。先生コイツ、メシ食ったら寄こしてくんない? やること一杯あるんだよ。今日も看護師の手が足りねえしな」
「ああ、後で医務局へ送り届けるよ……カリンさん、さっそくだけどいいかね?」
「あ……あの、はい……」
カリンは顔を下の向けたまま、うなずくしかなかった。初老の医師がレイに向かって何か話しているようだったが、その言葉はちっとも耳に入ってこなかった。急に食欲は消え失せ、男が去ってもオムレツに手が伸びず、パンも喉を通らなくなった。
ハイフナー医師と妻レイラは、どこか困ったような、また心配するような素振りでカリンに接していたが、カリンの憂い顔が晴れることはなかった。
「やっぱり、今日くらいはお休みにした方がいいんじゃないかしら」
レイラの提案に、カリンは顔を上げた。それは駄目だ、それでは解決にならない。今日会わなくても、明日からは会わなくてはならないのだから。
(それに、人を外見だけで判断しちゃ駄目だって、学校の先生も言ってた)
カリンはかつて恐ろしい海賊に遭遇したことがある。その時はイシュに会うために無我夢中だったが、たしかに対峙したのだ。そして武器を持っていた彼らは、レイよりも何十倍も、何百倍も怖い形相をしていた。
「私、レイさんのお手伝いに行きます」
「おお、そうかね。そうしてもらえると助かるよ! なんせレイは仕事の虫だから、放っておくと休まず働いてしまうんだ。君が手伝ってくれれば、きっと彼も少しは楽になる」
そう話すハイフナーは、まるで息子を心配する父親のような表情を浮かべていた。とても愛情深い人だ。そもそも赤の他人のカリンを、しばらく家に預かってくれるような人だ。
(それでもきっと、レイさんがただ怖くて嫌な人だったら、ハイフナーさんだってこんな風に心配したりしないはずだ)
それに早く、何かで役に立ちたい。どんな小さなことでもいい。
今は小さなことでも、そのうち中くらいになって、やがて大きなことも手伝える日が来るといいと思う。
朝食を終えたカリンは、カフェでレイラと別れた後、ハイフナー医師に連れられて医務局へ向かった。
医務局は王宮の南側に位置し、けが人や病人をケアする治療課と、新しい治療法や魔法薬を研究する開発課と、大きく二つに分かれているという。そしてハイフナー医師は、国王の主治医であり、医務局を総括する局長でもあるらしい。
「それでレイ……さっき会った彼は、開発課に所属しているが、局長補佐として私の仕事も手伝ってもらってるんだ。ただ、さっき聞いたと思うが、今ちょうど看護師の数が不足しててね。君には開発課で勉強に励んでもらうと同時に、レイの仕事や一緒に医務局も手伝って欲しいんだ」
歩きながらそう話すハイフナーは、開発課へと続く長い廊下でピタリと足を止めると、隣で同時に足を止めたカリンに向き直り、小首をかしげた。
「くれぐれも……頑張りすぎないように」
「? あの、それは」
「もう三年ほど前になるかな、君と初めて会ったのは」
カリンを見つめる、医師の目がやさしく細められた。
「君はイシュアレール殿下のために、嵐の中ホウキに乗って魔法薬を届けてくれた。おかげで殿下は危機を脱することはできたが、そのやり方に私は少々心配になった。君のその、ひたむきさ故の無鉄砲さが……」
たしかに振り返ってみると、当時かなり無理をした記憶がある。カリンはそれでも、あれは正しい行いだったと、頑なに首を横に振った。
「そうするしか、なかったから……」
「そうかもしれん。だが、それでも今回ここへ来ることになったいきさつを考えると、また同じような無茶を繰り返すかもしれん。それはとても、良くないことだよ」
「でも」
「周りを心配させちゃいかん。特に殿下は君に弱い。君の思う通りにさせたい気持ちと、させたくない気持ちが、いつもせめぎ合っている。とても繊細な方だからね」
「……」
「さて、じゃあ私は用事があるから、ここで失礼するよ。開発課はここだ。レイが待っているから、分からないことは何でも彼に聞くといい」
「はい、先生」
ハイフナーはにっこり笑って手を振りながら、来た道を戻っていってしまった。廊下の向こうを曲がって後ろ姿が見えなくなると、カリンは深呼吸をひとつして扉を開いた。
「……失礼します」
思い切って出した声はなんとも頼りない、か細いものだったが、部屋の奥にいた人物にはちゃんと届いたらしい。
「来たな、ちび助。早くこっち来い」
「は、はいっ……」
カリンが入った部屋は、とにかくたくさんの物があちこちに置かれ、広そうなのに物すごく狭く感じた。四方には背の高い棚が置かれ、大小さまざまな瓶がガラス戸越しにズラリと並んでいる。また大きな作業台らしきテーブルが四つ、バラバラに置かれ、その周囲にスツールのような椅子が散乱していた。
レイは一番奥の作業台の前で、高い背をやや丸めて、台の上に置かれた書類と瓶を交互に眺めている。右手には細い試験管を持ち、その上にかざす左手は青い光をまとっていた……おそらく魔法に違いない。
「何ぐずぐずしてんだ。そこにある試薬をよこせ……お前の右側にあるやつだよ」
「こ、これですか……?」
「そ。ほら」
青い光をまとったままの左手がのばされた。カリンはびくつきながらも、テーブルに置かれた瓶を取ってレイに渡した。渡す時、青い光をかすめた指がチリッとわずかにしびれた。
(母さんとは、違う魔力だ……)
レイは試薬の蓋を器用に片手で開けると、中身を試験管に注ぎ込む。すると中の液体が青から緑色に変化した。
「……ま、こんなもんか。ちっとは効果あるかって程度だが、まあ気休めにはなるだろ……おい、ちび助」
「はいっ」
「こいつを、隣の治療課へ持っていけ。そこん中で看護師が待っているから、そいつに渡すといい」
試験管を押し付けられたカリンは、呆然として中の液体を見下ろした。何かの薬だろうか。
「ぐずぐずしてんじゃねえって言っただろ。さっさと行け、そこの扉だ」
「はいっ!」
カリンはあわてて踵を返し、示された扉を開けて隣の部屋へ入った。そこは控室のような小部屋で、レイと似たような白い服を着た若い女性がいた。レイが言っていた看護師だろう。
看護師は落ち着きなくウロウロと部屋を徘徊していたが、カリンが姿を現すと喜色をたたえて駆け寄ってきた。
「ああ、よかった! 痛み止めが切れて困ってたのよ。ホント助かったわ、ありがとう!」
看護師はカリンから手渡された試験管を持って、せかせかした足取りで反対側にある扉の奥へと姿を消した。カリンは少しの間、呆けたようにその場に突っ立っていたが、すぐに我に返って開発課の部屋へと戻った。
「おせえよ。早くこっち来て片づけを手伝え」
レイはようやく顔を上げると、カリンの姿を一瞥してチッと舌打ちした。それから部屋を横切って奥の棚へ向かい、中から取り出した白い布のようなものをカリンに押し付けた。
「上から着とけ。下手すりゃ穴が開く」
「あ、はい……」
渡されたのは、頭から被って着れる、大きな白い服だった。どうやら先ほどの看護師やレイが身につけていたのと同じ物のようだ。かなり大きかったので、袖を幾重にも折らなくてはならなかった。
(穴が開いてる……)
服はすでに二か所、溶けたような穴が開いていた。きっと薬品か何かによるものだろう。
「今日は俺の予備で我慢しろ。後でお前のサイズを探してきてやる。ちっこいけどいくつだ?」
「あ、え……あの、十五です」
「はあ!?」
レイは手にした瓶を乱暴に作業台に置くと、顔をゆがめてクッと笑いのようなものをこぼした。
「年きいてんじゃねーよ。お前の服のサイズだ……なに、十五歳なわけ? ずいぶんと小せえなあ。てっきり十二、三かと思ったわ」
「……」
「わり、気にしてた?」
「いえ」
カリンはぶすくれて顔を伏せる。この男は人使いも荒そうだが、口も悪そうだ。いや、かなり悪い。それに遠慮もない。
「怒るなよ、ちび助。ま、いいんじゃねえの。きっと看護師連中に可愛がられるわ。大体その髪型、そいつが余計に子どもっぽくみせてんだよなあ」
「……子どもじゃありません」
「ま、俺も子ども扱いはしねーから。年齢聞けて、むしろ安心したわ。いくら先生の命令だからって、子守りはごめんだからな」
レイはにやりと笑って、それからカリンのお下げを無遠慮に引っ張った。その暴挙とも取れる行動に、びっくりしたカリンは飛び退った。
「何するんですか!」
「ふん。そんだけ元気あんなら、今日からたっぷり働いてもらうからな」
カリンは信じられない、という目付きでレイをまじまじと見つめる。こんな乱暴で口の悪い男の元で、本当にやっていけるのか……一抹の不安が胸をよぎった。




