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野原の小さな魔女  作者: 高菜あやめ
第五部 小さな魔女と神殿の主

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(2)

 翌朝――寝返りを打った際に、頰に当たったやわらかな枕の感触にうっとりする中、カリンはゆっくりと目を開けた。

 室内は二度寝を誘う薄暗さだったが、分厚いカーテンのわずかな隙間からは、明るい光が差しこんで、床に白い真っ直ぐな線を描いている。カリンは温かな寝床の魅力に負けそうだったが、なんとかふりきって体を起こした。


(今、何時だろう)


 ベッドの横には、いつの間にか用意されていた室内履きが、きちんと(かかと)をそろえて置かれていた。履いてみるとぴったりな上、内側がフカフカしていてとても温かい。

 カリンは寝ぼけ眼でベッドから降り立つと、暖炉のマントルピースに置かれた時計に目をとめ、時刻を確認した途端……目が覚めた。


(八時半過ぎてる!)


 普段六時には起きるので、だいぶ寝坊した事になる。


(とにかく、まずは顔を洗って着替えよう)


 必要なタオルや着替えは鞄に入れてきた。しかし、肝心な鞄が見あたらない。昨日着ていた服は、寝る前にメイドが洗濯に出しておくと言って、どこかへ持っていってしまった。

 今着ているのは、ベッドに用意されていた夜着で、とてもじゃないがこの姿で部屋を出る勇気はない。


(どうしよう……)


 その時、視界の端に小さなベルがうつった……あれを鳴らせば、きっとメイドが来てくれる。カリンはドキドキしながら、昨日からずっと気になっていたベルを手に取った。

 貴婦人をかたどった陶器製のベルは、膨らんだスカートの部分が鐘になっていて、揺らすとコロンコロンとやわらかな音を立てた。こんなに小さくては外に聞こえるはずがないと思いきや、すぐに廊下から足音が近づいてきて扉がノックされた。


「入ってもよろしいでしょうか」


 静かな女性の声が、閉じられた扉の向こうから聞こえた。


「あの、どうぞ……」

「失礼します」


 カリンが返事をすると、扉がゆっくり開かれた。現れたのは、淡いブルーのお仕着せ姿の、若いメイドだった。


「おはようございます」

「おはよう、ございます。あの……私の旅行鞄、知りませんか」


 メイドからていねいに挨拶され、カリンは挨拶を返しつつ、しどろもどろにベルで呼んだ理由を説明する。


「その、鞄を探してて……昨日馬車に置き忘れた、このくらいの大きさの……」

「お嬢様のお荷物でしたら、クローゼットの中に入っております。今お取りしますので、少々お待ちください」


 メイドはクローゼットを開くと、鞄の乗ったラックらしきものを引っ張り出してくれたが、薄暗くてよく見えない。するとメイドは部屋を横切って、窓辺へと向かった。


「こちら、開けても構いませんか」

「あ、はい……」


 カーテンがスルスルと開かれると、室内は鮮やかな若草色に染まっていく。窓の向こうには花壇があるのだろう、白く可憐な花がガラス越しにたくさん見えた。

 メイドは再び部屋を横切ってクローゼットの前に戻ると、カリンに向けて控えめに微笑んだ。


「では、お着替えをお手伝いします。お召し物は何になさいますか」

「え……あの、大丈夫です、自分で着れます」


 カリンがあわてて首と両手を同時に横に振ると、メイドは心得たように小さくうなずく。


「承知しました。では、お色は何になさいますか」

「い、色?」


 カリンは軽く混乱しながら、必死に鞄の中身を思い出そうとつとめた。


(たしか、今の季節に着られそうなのは、灰色の服しかなかったはず……)


 持ってきた服はとても限られていて、普段着のドレスに関して言えば、春や秋の合着(あいぎ)として灰色のドレスが一着、暑い日用の茶色いドレスが一着、それから寒い日用の黒っぽいドレスが一着の、合計三着しか持ってない。


「灰色、です」

「灰色ですか……ご用意があったかどうか……」


 メイドは小さくつぶやきながら、なぜかクローゼットをのぞきこむと、顔を曇らせた。


「……申し訳ございません、お好みの色のご用意が無いようです」

「えっ?」

「後ほどご用意しますので、今朝は別の色でもよろしいでしょうか」

「あの、別って……」

「ピンクに緑、黄色、白、淡いブルーもございます。デザインも少しずつ違うので、ひと通りご覧になりますか」


 そこに至ってカリンはようやく、メイドがクローゼットの中にあるらしいドレスについて話しているのだと理解した。


「いえ、私、自分の服があって……そこの旅行鞄に、入ってます」


 今度はメイドの方も、カリンが旅行鞄の中の服を指しているのだと、話の食い違いに気がついたようだ。メイドはラックに置かれた小さな旅行鞄を見下ろすと、思案顔で口を開いた。


「お嬢様は、ご自身のドレスをお召しになられたいのですね。ですが、昨晩からずっとこの中に入ったままだとすれば、おそらくシワになっていることでしょう」

「あ……」


 カリンは言葉を失った。さすがにシワだらけの服で、王宮内を歩き回るのは失礼だ。きっとすれ違った人がみたら不快に思うだろう。


「どちらのドレスをお召しになるか教えていただければ、お嬢様がお顔を洗っている間に、わたくしがアイロンをかけてまいります」

「えっ、そんなの悪いです。アイロンを貸してもらえれば、私、自分でかけます」

「わたくしどもは、毎日大量の服にアイロンをかけておりますから、お嬢様の小さなドレス一着くらい、なんてことございませんよ」


 メイドにやさしく提案され、カリンは申し訳ないやらなさけないやら恥ずかしいやらで、少し泣きそうになった。ごまかすために小さく鼻をすすると、カリンは鞄から灰色のドレスを引っ張り出した。


「これです……すいません。お願いします……」

「はい、お任せください」


 メイドがドレスを抱えて部屋から出ていくと、カリンは洗面所で顔を洗った。蛇口の水は少し温かく、また備え付けの石けんはフワフワとやわらかな泡が立ち、爽やかな良い香りがした。

 持参したタオルで顔を拭いている内に、メイドがドレスを手に戻ってきた。その早さにもおどろいたが、ピシッとアイロンのかかった灰色のドレスは、まるで新品同様に見えるほどきれいになっていて衝撃を受けた。

 カリンは前ボタンを外して、白い夜着から灰色のドレスに着替えると、改めて身が引きしまる思いがした。


「とてもよくお似合いです」


 ほめられても、カリンはどんな顔をすればいいのか分からない。

 このドレスは昨年の冬、モズ婦人に教わりながら、はじめて自分で型紙から用意して、縫い上げたものだった。

 カリンは作った薬を売ることで生計を立てていたが、学校へ通うようになってから、生活費に加えて授業料と教科書代がかかるようになり、暮らし向きは決して楽ではなかった。

 せめて普段着のドレスは、自分で作った方が安いと思い、街で丈夫で安価なリネンの生地を購入した。


『あんたは成長期なんだから、来年も着るつもりなら少し大きめに作ったらいいよ』


 そんなモズ婦人の助言に従って、かなり大きめに作ったはずの服は、今年初めて袖を通すとサイズがぴったりだった。


(モズおばさんの言った通りだわ。今年もなんとか着れてよかった)


 しかし夏の服は、昨年ちょうどいい大きさだったから、今年はきつく感じるかもしれない。






 メイドに連れられて向かった先は、カリンの泊まった南棟に併設された、可愛らしいカフェだった。

 パティオに続くテラス席には、洗練された服装の男女が、サンドウィッチやオムレツの皿を前に、旺盛な食欲を見せたり、新聞を読んだり、おしゃべりに興じていたりと、それぞれが思い思いに朝のひとときを過ごしている。

 そのテラス席の一角から、見知った顔がカリンに向かって手を振った。


「よく来たね、カリンさん」

「ハイフナー先生、お久しぶりです」


 王の主治医であるハイフナー医師は、太った貫禄のある体をよっこいせと持ち上げると、黒目がちの、ひょうきんな丸い瞳をカリンに向けて顔をほころばせる。そしてハイフナーの隣には、ふくよかでやさしげな、白髪混じりの女性が立っていた。


「妻のレイラだよ」

「お会いしたかったわ、カリンさん。あなたのことは主人から聞いておりますのよ……すばらしいお薬を作る才能があるんですってね」

「そうそう、教えがいがあるってものだよ」

「あなたも、うかうかしてると、陛下の主治医のお役目を取られてしまうわよ」

「そうなったら、今度は私が彼女に弟子入りせにゃならんなあ」


 ほがらかに笑い合う夫婦に、自然と周囲の空気もなごやかになる。カリンは恥ずかしさに頬を熱くしながらも、レイラに勧められた椅子に座ると、少しだけ肩の力を抜くことができた。


(いい人そうで、よかった)


 昨夜イシュから、今後のことについていろいろ説明を受けた。

 まずカリンの住む場所だが、当面はハイフナー夫妻の元に居候させてもらえること。

 そして午前中はハイフナーの医務局で薬学の基礎を学び、午後は魔法局で魔法の基礎を学ぶこと。

 お休みは週に二日。城の外に出る時は、必ずハイフナーか魔法局の責任者に許可をもらうこと。


(それから……)


 週に一度は、必ずイシュに顔を見せること。

 驚いたことに、現在イシュは離宮ではなく、ここ王宮で暮らしているという。理由はいろいろあるようだが、以前より積極的に公務に携わっているのも理由のひとつだろう。


(イシュの為にも、たくさん頑張って、早く良い魔法薬を作れるようにならなきゃ。だから今は、しっかり食べて体力つけるんだ……!)


 カリンはさっそく、運ばれてきたあつあつのオムレツに取りかかった。その両隣ではハイフナー夫妻が、あれこれ楽しそうに世話を焼いてくれる。


「カリンさん、ワイルドマッシュルームの炒め物はいかが? これ、オムレツにも合うのよ」

「あ、はい。いただきます……」

「パンに塗るジャムはどうする? マーマレードとクロスグリ、ああ胡桃バターもあるな。これはうまいぞ、私のお気に入りだ」

「あなたは少し控えめに塗ってくださいな。これ以上大きくなったら、ズボンをすべて直さなくては履けなくなってしまいますよ」


 夫妻の軽快な会話に、カリンはつい隣を見上げると、それまで黙って横に控えていたメイドが口を開いた。


「それでは、わたくしはこちらで失礼いたします」

「あ……あの、ありがとうございました」


 カリンは急いで立ち上がって礼を述べると、メイドは軽く会釈をして去っていく。カリンは少しだけ、置いてきぼりにされた気分になってしまった。


「さ、冷めないうちに食べましょ」


 レイラにやさしく肩をなでられ、カリンは気を使われたと感じた。大丈夫、と示すためにぎこちない笑顔を浮かべたその時、ふいに頭上から黒い影が落ちる。


「……なんだ、先生も朝メシか。いつも家で食ってるのに、めずらしいじゃねえか」


 背中から低い男の声が響いて、カリンはにわかに緊張する。隣のハイフナーはカリンの後ろに目をやって、やあ、と気の置けない挨拶を交わした。


「お疲れさん。当直明けかね? ひどい(くま)だ。よかったら一緒にコーヒーでもどうだ」

「いや、もう戻んねえと。ちょっとメシ食いに抜けてきただけだからな」


 そこで会話が途切れると、ハイフナーはカリンの後ろに向かってちょいちょいと手招きをした。すると影が動いて、カリンの前に浅黒い肌をした背の高い男が現れた。


「カリンさん、こちらはレイモンド・カルダールだよ……レイ、この子がカリンさんだ」

「……ああ、よろしく」


 レイと呼ばれた男のぶっきらぼうな挨拶に、カリンは緊張のあまり挨拶も忘れてコクコクとうなずくしかできなかった。するとハイフナーはぷっと吹き出し、隣に立った男を親指で指して、カリンに内緒話をするようにささやく。


「レイは今日から、君の兄弟子だよ。こんな強面だけど、意外と面倒見がいい奴でね」

「うっせ」


 男はうんざりした表情で腕組みすると、あからさまにおびえているカリンを威圧感たっぷりに見下ろした。






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