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野原の小さな魔女  作者: 高菜あやめ
第五部 小さな魔女と神殿の主

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(1)

 西の森からやってきた小さな魔女カリンは、小さな旅行鞄をひざに抱え、停止したまま動く気配のない小さな馬車の中で震えていた。

 車窓にポツリとぶつかる水滴に、そっと外の様子をうかがうと、空は真っ黒な雨雲におおわれていた。みるみるうちに雨足は早くなり、心配のあまり鞄に入れた傘を確かめようした時……馬車はガタンと音を立てて再び動き出した。


(城門はもう通ったのかしら……暗くて何も見えないわ)


 今日は朝からずっと馬車に揺られていたので、カリンは体中が痛くて仕方なかった。それでも王宮から迎えにきた馬車だけあって、揺れはあまり感じられなかったから、感謝しなくてはならない。

 だが昼の休憩以外ずっと移動していたせいか、ようやく目的地に到着する頃にはすっかり疲れ果てていた。だから馬車の扉が開かれても、体に力が入らず、すぐに座席から立ち上がれなかった。

 焦ったカリンが座席に両手をつき、震える腕でなんとか体を起こそうともがいていると、薄暗い外には不釣り合いなほど明るい声が、開かれた扉の向こう側から響いた。


「魔女さん、おいで」


 扉からスルリと身をすべらせて入ってきたのは、金色の髪がまばゆい、端正な顔立ちの青年だった。


「イ……殿下、どうしてここに!?」


 馬車の奥で縮こまるカリンに対し、イシュアレール王子殿下は待ちきれない、といった様子でカリンの体を座席からすくい上げると、馬車の外へヒラリと飛び降りた。


「久しぶりだね、元気だった?」

「は、はい、あの……殿下もお元気そうで……」


 そのまま歩きだそうとするイシュに、カリンはあわてて首を振って下ろしてもらう。やや残念そうにしながらも青年の表情は、背に広がる曇り空に反して晴れやかだ。

 

「こんな場所から入ってもらってごめんね。出来るだけ目立たないようにする必要があったから」

「あの、そうじゃなくて……すてきな門だなあって」


 カリンは頭上に広がる、アーチ型をした石造りの裏門を見上げた。以前シモンズに連れられて訪れた時も、やはり同じこの門を使ったが、あの時はいろいろ心配事があって、あまり周囲を見る余裕がなかった。今回改めてよく見ると、細かい彫刻が散りばめられた素敵な造りだ。

 この出入り口は、非公式な訪問や外出時、また王宮の使用人に利用されるらしい。今回は目立たない為に使用したとイシュは説明するが、王子殿下である彼が自らこちらへ出迎えに来てしまっては、かえって悪目立ちしないかとカリンは心配になる。


「もう半年か……少し大きくなったかな」


 初めて会った時はこんなに小さかったのにね、と手をだいぶ下にかざしながら微笑むイシュに、カリンは胸が一杯になる。


 ――最後に別れたのは、王宮からほど近い森の奥にある、ユーリウスの家だった。


 カリンはそこで、これまでの生活が一変してしまう、恐ろしい事実を知った。

 あれほど心配し、心を痛めていたイシュの足のけがは、カリンの母親エリヴェルの呪いによるものだという事。その呪いがいまだ解けないところから推測するに、術をかけたエリヴェルがまだ存命中である可能性が高い事。そしてエリヴェルと同じ魔力を持つカリンが、呪いを解く魔法薬を作る上で役に立てるかもしれない事。

 それから最後に……カリンが、何者かに(ねら)われている事。


(まさか、母さんが野原に結界を張っていてくれてたなんて、知らなかった)


 カリンのためもあるかと思うが、もしかしたらエリヴェル本人が狙われていたのではないか。

 母親がそのような恐ろしい呪術を扱える魔女だったとは、にわかに信じられないくらい、野原での暮らしはおだやかだった。

 エリヴェルが使う魔法は、腰痛や痛み止め、熱さましといった医薬品になる魔法薬を作るためで、あとはホウキに乗って森を散策するくらいだった。

 家事全般が苦手で、少しだらしがなくて、片づけが嫌いで、でもたくましくて楽しくて、カリンは母親が大好きだった。呪術なんて恐ろしい響きは、カリンの記憶する母親のイメージとは、かけ離れていた。


(母さん……)


 まさか母親によって、カリンの魔力が極限まで封じ込まれていたなんて知らなかった。あのシロツメクサの野原に、強力な結界が張られていたなんて知らなかった。毎日髪をお下げに編むことで魔除けの効果があるなんて知らなかった。知らない事ばかりだったなんて、イシュと大魔導師ユーリウスの会話を聞いてしまうまで知らなかった。

 でも、もう何も知らないままではない。

 何者かが、カリンを通してエリヴェルの魔力を嗅ぎつけたと、ユーリウスに告げられた。だからカリンは、安全な場所に身を隠さなくてはならないとも。


『野原の結界は、もってあと一年……いや半年かな。この森に張った付け焼刃の結界の中よりも、西の森にある君の家にいる方がまだ安全だろう』

『私、家に戻ってもいいんですか』

『いいも何も、あそこは君の家だろう? 最後の半年間、ゆっくり過ごすといい』


 今でもユーリウスとの会話を思い出すと、あの時感じた胸の痛みがよみがえる。彼はたしかに『最後の半年』と言っていた。


(きっともう、帰れないんだ……)


 さらに大魔導師はイシュに対して、決して野原に近づかないよう言い含めた。カリンの居場所が相手に悟られないよう、用心の為だそうだ。悲しいことだが、カリンもイシュも了承するしかなかった。

 そうしてカリンは、イシュにはもちろん、シモンズにも会うことなく、ただ西の森の家で静かに過ごした。近所のモズ婦人は、カリンが学校へ行かなくなったことについて、多少文句を言ってはいたが最終的に納得した。


『えらい魔導師に弟子入りするんだってね。その準備のためだって言うなら、あたしが止めるわけにはいかないよ』


 半年後、ユーリウスが手配した迎えの馬車が来た時、カリンは泣きながらモズ婦人に別れを告げると、鞄一つ抱えて王都カシュターへ向かった。

 当初ユーリウスの森へ行くと思っていたカリンだが、かなり進んだ道中で御者から、行き先は王宮だと告げられて驚愕した。

 それから一日中馬車に揺られて、とうとうアーンシェ王宮に到着してしまった。しかも出迎えが王子殿下なのだから、驚きを通り越して呆然とするしかなかった。


「魔女さん? やっぱり抱っこしようか?」

「い、いえっ、自分で歩けます」


 そう、と残念そうにつぶやくイシュは、王宮を前にして萎縮するカリンの気持ちなど、これっぽっちも理解できないみたいだ。王宮がいわば実家であるイシュにとっては大した事ないのだろうが、小さな村出身のカリンにとっては大変な場所だ。

 ぐずぐずしているとさっきみたいに、有無を言わさず抱き上げられてしまうと思ったカリンは、すくむ足を必死に動かして建物の中へと果敢に進んだ。

 二人は華美に走らないパティオを抜け、南棟へ続く長い外廊下を進むと、やがて明るい明かりが灯された美しい回廊に出た。そこでカリンは、ようやく自分が手ぶらである事に気づいた。


「どうしよう、私の旅行鞄……!」

「後で部屋へ届けさせるから、心配しないで」


 イシュは小さく笑って、カリンの顔をのぞきこむ。


「さあ、魔女さんが今夜泊まる部屋はここだよ」


 イシュは回廊に面した扉を押し開け、カリンを招き入れる。中は淡いグリーンで統一された、落ち着きのある美しい部屋だった。


「ここが客間で、あの奥の扉が寝室、その隣が洗面所だよ。足りないものがあれば、そこのテーブルにあるベルを鳴らせば、メイドが飛んでくるからね」


 ベルは小さくて可愛らしく、カリンは手に取ってみたかったが、誤って鳴らしてしまうと迷惑だと思い、やめておくことにした。


「それと、お腹空いてない? 一日中馬車に揺られて疲れているだろうから、消化に良さそうな軽い物を用意させているんだ。僕も夕飯がまだだから、ここで一緒に食べてもいいよね?」

「あ、はい……もちろんです、殿下」

「それと」


 イシュは言葉を切ると、笑顔を引っ込めて腕を組んだ。


「その『殿下』って、仰々しい呼び方は何?」

「え、あの、それは……殿下ですから」

「もしかして、しばらく会わないうちに僕の名前忘れちゃった?」

「……イシュ」


 カリンが小さく名前を呼ぶと、イシュは満面の笑みを浮かべた。


「よかった、覚えていてくれて」

「あの、それなんですけど。しばらく王宮(こちら)にお世話になるので、きちんとしたいと思いまして……」

「きちんと? その、よそよそしい呼び方が?」


 イシュは心外だ、とでも言うように、きっぱり首を振る。

 だがカリンだって、いつまでも無邪気な子どもではない。十五歳にもなれば、多少は礼儀礼節や物の道理が分かってくるものだ。いつまでもイシュの好意に甘えて、王宮内でなれなれしい態度を取れば、きっと迷惑をかけてしまう。


「あの、では二人きりの時だけ、イシュって呼ばせていただきます」

「仕方ないなあ。今夜はもう遅いし疲れているだろうから、一応その提案で納得しておくよ」


 それから間もなく、給仕とメイドが二人分の夕食を運んできた。

 久しぶりに会えた大好きなイシュと、一緒に夕食を取れるなんて、うれしくないはずはない。でもカリンは、心の底から素直によろこべなかった。


(だって、イシュは王子様だもの。だから今だけ……明日からは、気をつけなきゃ)


 カリンは寂しい決意を固めながら、それでもイシュの前では気丈に明るくふるまった。イシュは会話の途中で、ときどき心配そうにカリンを見つめていたが、長旅で疲れているのだろうと納得してくれたみたいだ。もしくはカリンに合わせてくれたのかもしれない。彼はそういう気づかいができる人だ。


(でも、いつまでも子どもみたいに、甘えていちゃ駄目だ)


 本当は心細くて仕方ない。だが、そんな事を口に出してはいけない。出したら最後、きっと心が弱くなってしまうから。






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