(前編)
アーンシェの東側に広がる高原には、いくつもの丘があり、旅人泣かせの起伏の激しい土地として有名だった。
その高原の西の端、ちょうど城下町へと通ずるリムカットに接する、比較的なだらかな丘の上に、ウルカが住む大きな屋敷がポツンと建っていた。
ウルカの父親グレナドス公は、南の島パマリュの宮殿で政務に奔走している。6人の子供たちの中で、末っ子であり唯一の女の子でもあるウルカは、グレナドス公にとって、目に入れても痛くない存在だった。そしてウルカの頼みとあらば、大抵のわがままを許してしまう。
ウルカは五歳の頃から、決められた婚約者がいる。だがウルカは結婚自体も、自分の婚約者に対しても興味のカケラもなかった。
元魔導師の母親の血を受け継いだウルカは、生まれながらにして魔法の才があった。ウルカは周囲の反対を押し切って、わずか7歳にして王宮仕えしているジド魔術師に師事した。それ以来、普通の勉強よりも魔法、特に魔法陣の研究に没頭してしまい、周囲をあきれさせた。
そこまでは何とか周りも黙認していたようだが、12歳になったばかりのウルカが、アーンシェにある母方の別荘を夏の避暑地に選んだ時には、さすがの公爵も黙っていなかった。
なぜなら当時アーンシェでは、ガムランとの国境をめぐっての戦いが激化しており、いくら別荘のあるリムカットが、戦場である山岳地帯からだいぶ離れていても、そのような国へ愛娘を行かせたくないのは、父親として当然の心理だろう。
「でもパパ、夏の間ほんの二週間だけよ。ね、お願い!」
お願いされてしまっては、公爵も眉尻を下げて降参するしかない。今まで公爵は一度だって『ウルカのお願い』を退けたことはなかった。
公爵はしぶしぶ許すと共に、一つだけ条件を出した。それは公爵の選んだ護衛を供につけること。
それから三年。ウルカはアーンシェで、三度目の短い夏休みを迎えていた。
城下町の端に位置する、丘の上に建てられた離宮では、開放感のある中庭のパティオで、ささやかな午後のお茶がふるまわれていた。
「相変わらずここはいいわねぇ、適当にだだっ広くて殺風景で」
ウルカはのびのびと身体を伸ばして、体操をはじめた。その横では、アーンシェ王国第二王子イシュアレール・マリクシス・アーンシェが、本から顔を上げずにつぶやく。
「それ、皮肉のつもり?」
「だって、パマリュの宮殿だと、花が多すぎて色がごちゃごちゃしてるんだもの。その点、ここは薔薇の木が数本あるくらいじゃない。これぐらいスッキリしてた方が、趣味がいいってもんだわ」
するとそこに、菓子の盛り合わせを運んできたシモンズが、口を挟んできた。
「吾輩は、故郷パマリュの庭が懐かしいですがね。多種多様な故郷の花は、ここらじゃあまり見かけないもんだから、寂しいかぎりですよ」
ウルカと同郷で、今は離宮で料理長をつとめるシモンズは、パティオのテーブルにお茶菓子を並べながら、懐かしそうにしみじみとつぶやく。
「ウルカ様、立ったままお菓子を食べるなんてお行儀悪いですぞ」
「まあまあ、シモンズも座りなさいよ」
ウルカは菓子を口に運びながら、ふと思い出したようにイシュアレールを振り返った。
「ところで……さいきん海賊討伐に出かけたんですって? 足の具合は大丈夫だったの?」
「なんとかね」
「ふーん」
「何?」
ウルカはイシュの向かい側の席に座ると、頬杖をついてニヤリと笑いかけた。
「平和交渉で済んだって聞いたわ。らしくないことしたわね」
「そう?」
「戦いの神カシュトーカの異名を持つアナタでしょ。本来なら、有無を言わさず皆殺しにしてるとこじゃない。だから王位継承権もはく奪されたのよね」
ウルカの言葉に、テーブルの傍に控えていたシモンズが渋面を浮かべる。
「ウルカ様、お口が過ぎますぞ」
「だって本当のことじゃない。第一王子が生まれつき病弱なんだから、王位継承者は普通第二王子のイシュアのはずでしょ。それを、まだ年端もいかない第三王子のチビちゃんに与えられたってんだから」
ウルカのあけすけな物言いにも、イシュアレールは平然としたまま、本から顔を上げようとしない。
「残虐で冷酷、明るく開けたアーンシェ王国の影……そんな第二王子には、表舞台を任せられないってことでしょ。ただ、あんまり汚れ役ばっかり引き受けてたら、未来の王の補佐役としての地位も危ないわよ?」
「補佐役が無理なら、軍の参謀長官にでも落ち着くよ」
ウルカは「欲がないわねー」と大きなため息をついた。イシュアレールは微笑を浮かべると、本を閉じて立ち上がった。
「さて、と。僕は少し出かけてくる」
「え、どこ行くの?」
「散歩」
杖を手にした離宮の主人は、ウルカとシモンズを残してパティオを去っていく。その後姿をながめながら、ウルカは小さくぼやいた。
「やっぱり、らしくないわねぇ……なんか、どことなく丸くなったというか。人間らしくなったというか……どう思う、シモンズ?」
「そうですなぁ」
シモンズは青く晴れ渡った空を振り仰いだ。
「ま、悪くない変化だから、吾輩はいいと思いますがね」
「でもイシュアを離宮に放置して、いつまで王宮から遠ざけておくつもり? アーンシェ国王のお考えが、ちっとも分からないわ」
「そうですなあ……それよりもウルカ様」
「なによ」
「先ほど、リート殿からご連絡がありましたよ。間もなく、お迎えに上がるそうです」
「なんですって?」
ウルカは憤慨したように立ち上がると、シモンズに詰め寄る格好で抗議の声を上げた。
「そういうことは、もっと早く言ってよ!」
「早く言ったら、どこぞへお逃げになっちまうじゃありませんか……ああほら、お見えになった」
パティオに現れた背の高い人物に、ウルカは顔をしかめてみせたのだった。




