(10)
その夜、カリンの家に予期せぬ見舞客が現れた。
「魔女さん、具合は!?」
カリンがふらつく足で玄関の扉を開くと、そこには青ざめたイシュが立っていた。
「ごめん、起こして! ああでも、扉を開けてくれてありがとう……入っても構わない?」
「え、ええ……どうぞ……」
カリンの言葉が終わらないうちに、イシュは手にした杖を放り出して、その小さな体を抱き締める。その後ろでは、シモンズが苦笑いを浮かべていた。
「あの、まさか、ここまで歩いてきたんですか?」
「まさか! そんな事してたら、魔女さんに会うのが真夜中になってしまうよ。馬車は森の奥に停めてある。ここまで乗り付けると、夜遅いのにご近所の迷惑になると思ったんだ」
「でも、どうしてここに」
「ウルカから、早馬で連絡が来たんだ。魔女さんが重症だって聞いて……居ても立っても居られなくなって……」
「と、とにかく、中へどうぞ」
イシュは、カリンの後をついて部屋に入ると、勧められた椅子にドサリと腰を下ろした。
「イシュ……?」
イシュはうなだれたまま、顔を上げようとしない。続いて部屋に入ってきたシモンズは、いたわるようにイシュの肩を大きな手でたたいた。
「ほら、だから吾輩が申し上げたでしょう? ウルカ様のおっしゃることは、いちいち大袈裟なんですから、言葉半分だけ信じた方がいいって」
「……ちがうんだシモンズ。僕は魔女さんが無事でいてくれて、本当にほっとしたんだよ」
「やれやれ」
シモンズは苦笑を漏らしつつ、抱えていた大きな包みをカリンに差し出した。
「これ、お見舞いの品です。消化の良い食べ物ばかり、そろえてみましたよ」
「え、あ、ありがとうございます」
「もうお体は大丈夫なんですか? なんでもウルカ様からは、無茶して魔力を使い果たして、気を失って、当分目覚めそうにないってうかがったんですが」
「えっ。いえ、気を失ってはないです。ただ、まだちょっと熱があって……」
カリンの言葉が終わらないうちに、今まで顔を伏せて動かなかったイシュが、突然ガバッと身を起こすと、あっという間にカリンを両腕に抱き上げた。
「ベッドはどこ!? 熱があるなら、まだ寝てなくちゃだめじゃないか!」
「だ、だって……玄関開けるために……」
「そうだった! ゴメン起こして無茶させて……今すぐに寝室へ連れてってあげる。シモンズ、熱があるみたいだから、水とタオルを用意してくれ。それから何か、身体を温めるものを……」
「ええと、ちょっと待って下さいよ……ここはカリンお嬢さんの家なんですから。お嬢さん、台所をお借りして構わんですかね?」
「あ、はい……」
カリンはあっけに取られて、イシュとシモンズを交互にながめた。
こうしてイシュの手で、カリンは再びベッドに押し込まれた。それからシモンズが持って来た熱さましの薬湯を飲み干して、ようやく息をつくことが出来た。
ベッドに沈み込んだカリンは、毛布から顔をのぞかせて、心配そうな顔をしているイシュを見上げた。イシュは、そんなカリンの視線に気がつき、少し恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「朝までついてるから、心配しないで眠っていいよ」
「え、いいです! 私は大丈夫ですから、イシュはもうお城へ帰って……」
「病気の魔女さんを、一人にして? それじゃあ僕が、大丈夫じゃなくなってしまうよ」
そう言って、困ったような甘い微笑を浮かべるイシュに、カリンは顔を赤くしながらも、どうしたらいいの分からず、ベッドの中でもじもじと身を縮こませた。そんな二人のやり取りを、シモンズは可笑しそうにながめている。
「では、カリンお嬢さんを、離宮までお連れしてはいかがですかな? 離宮なら人の手もありますし、吾輩も滋養にいい食事を作れますからね」
シモンズの提案に、イシュは納得がいったようにうなずいた。
「それもそうだな。魔女さん、そうしても構わない?」
「で、でも」
ウルカは一体、どんな風にイシュに伝えたのだろう? 少なくとも、かなり大げさだったことは疑いようもなかった。カリンは申し訳なさに、ベッドの中で縮こまりながら、それでもイシュのやさしい手を拒むことはできなかった。
三日後、カリンは学校で作文を書いた。題名は『私の夢』。
私の夢
私は大きくなったら、りっぱな魔女になりたいです。
なぜなら、たくさんの人を助けたり、役に立ちたいからです。
でも、いちばんの理由は、大好きな人や大切な人を守りたいからです。
「イシュ、見てください! エルシア先生に、花丸もらいました!」
興奮冷めやらぬカリンの声が、森の野原で木霊する。
イシュは微笑みながらも、心配そうに「まだ走っちゃだめだよ。熱が引いたばかりなんだから」とたしなめた。そんなイシュの過保護っぷりに、さすがのカリンも戸惑いを隠せない。
「もう大丈夫です。魔力だって、すっかり元通りに戻りました」
「でも当分の間、ホウキにのっては駄目だよ? 君の身にもしものことがあったら、僕は……」
イシュの言葉に、カリンは目を瞬いた。この頃から、イシュの心の中では、何か小さな変化が起こり始めていたのだが……それをカリンが知ることになるのは、まだまだ先のこと。
「エルシア先生、すごく良く書けたって。私の作文を皆の前で読んでくれたんです」
「へえ、すごいね。どれどれ……うん、よく書けてる」
イシュの手が、フワリとカリンの頭を撫でると、カリンは小さく笑って背伸びをした。
「あの……ほめてくれた、お礼」
イシュは、不意打ちでキスをされた頬をおさえると、耳まで赤く染めながら幸せそうに微笑んだ。両腕を伸ばし、カリンの体を抱き上げ、懐深くぎゅっと閉じこめてしまう。
「僕の可愛い魔女さん……」
陽の光を受けた野原には、楽しそうな笑い声が響いた。そして天上では、渡り鳥のさえずりが、まぶしいしい夏の来訪を告げていた。
(第三部、おわり)




