(8)
空を飛びながら、カリンは服の上着をまくって花冠をしまいこんだ。こうしておけば、風に吹かれて白い花弁が散ってしまうのを防ぐ事ができる。
(ウルカ……)
カリンは、市場で初めて見たウルカの姿を思い出していた。おしゃれなカフェのテーブルをはさんで、イシュと向き合って、楽しそうにおしゃべりしていた。
離宮で食事をしながら、明るく笑っていた彼女の姿が、カリンの脳裏によみがえる。明るくて、楽しそうで、そして……。
『……もういいわよ、イシュアの偽善者!』
イシュに向かって投げつけた、あの言葉……あれはどういう気持ちで言ったのか、きいてみたかった。
でも翌朝、朝食の席でも、門の前で迎えの馬車を待つ間も、他愛の無い話をしては楽しげな笑い声を立てるウルカに、カリンはとうとう切り出せなかった。
友達かと問われれば、少し違う気がする。それでも、胸が痛むのだ……彼女とイシュがケンカして、そのまま別れてしまったことを思うと。
それはきっと、ウルカがイシュを好きだと気づいたから。好きなのに、もうここには帰ってこない。もうイシュと一緒にいられないから。
ウルカの立場が、もし自分だったらと想像するとたまらない気持ちになる。
(イシュが好きなのに、もう会えないの? お嫁に行ってしまうの……ウルカ)
眼下に広がる北の渓谷を抜けると、やがて森へと続く大きな一本道が見えてきた。そこを、砂煙を立てながは走る、一台の大きな馬車を先頭に、数十頭の馬に乗った騎士らしき人たちが続く。
(きっと、あれだわ)
カリンは高度を下げて、低空飛行に入ると、馬車の窓からのぞくウルカの横顔をとらえた。
(ウルカ、気づいて……!)
ふとウルカの目が窓の外に向けられ、そしてそれが大きく見開かれた。その数秒後には、馬車の走る速度がガクリと落ち、やがて道の中央でとまった。
「カリン!」
馬車から飛び降りた、白いドレス姿のウルカは、上空に向かって大きく手を振った。カリンはホウキを傾けて更に下降すると、少し危なっかしい様子で、ウルカの前にふわりと降り立った。
「追いつけた……よかった」
「わざわざ追ってくるなんて、一体どうしたのよ?」
「だってウルカ、もう戻ってこないかもしれないって聞いたから……だから私、どうしても渡したいものがあるの」
「あ、ちょっとあんた、ふらふらじゃないの!」
魔力を目一杯使って飛んだせいか、カリンは体中から力が抜け、足もとがふらついた。それでも震える手で、上着の中から花冠を取り出す。
「これを渡したくて」
「この花冠を、あたしに?」
「うん……『幸せな夢をあなたに』」
カリンは背伸びをして、両手に掲げた花冠をウルカの頭に乗せた。ウルカはちょっと首をすくめると、ニッといつもの勝気な笑みを浮かべた。
「『夢の花冠』って言うの。昔からある魔法で、夜枕元に置いておくと、良い夢が見れるって母さんが教えてくれました」
「へえ……じゃあさっそく今夜から使おうかな」
「はいっ、あ、でも……」
カリンは焦ったように両手を伸ばした。
「ま、まだ魔法、かけてなかった……ちょっと待って」
「いいわよ」
「え、でも……」
ウルカはにっこり笑った。
「このままでもじゅうぶん効果あるわよ、きっと。だって、あんたが必死にホウキに乗って、わざわざここまで運んでくれたんだもの。もうとっくに、いい魔法がたっぷりこめられているわ」
「ウルカ……」
「あたしはね、たくさん夢があるのよ」
両手を広げたウルカは、晴れやかな表情で大空を仰ぎ見た。
「あんたがこれを届けてくれたから、たくさんある夢の一つが叶ったわ……『大好きな女の子の友達が出来ること』。あたし、あんたと友達になれたのよね、魔女さん?」
「も、もちろんですっ……!」
「ふふ、よかった」
後ろ手を組んで、笑顔を浮かべるウルカに、カリンもつられて笑顔になった。その周囲では、従者や騎士達が温かい目で、二人の様子を見守っていた。
「北の国って、どんな所?」
「うーん、私も初めて行くから、あまりよく分からない。でも噂では、ずいぶんと寒いところみたいよ? なんでも雪降る冬に、婚礼をあげる習慣があるんですって。ロマンティックよね、雪の中での結婚式なんて」
雪が降るのは、何も北の国に限ったことではない。アーンシェでも雪は時折見られる……しかし雪が深くなるのは、主に山岳地帯の高地であり、町や森では滅多に積もる事がなかった。
「今年雪が降ったら……国をあげて式をおこなうって言われたわ」
「相手の人って、王子様?」
「そうよ。結構ハンサムらしいの。しかも、とってもやさしい方なんですって」
そう言ってから、ウルカはチラリと舌を出して見せた。
「でも、やさしすぎる男は駄目ね。魔女さんも気をつけなさい……結構傷つくんだから」
「?」
「だって好きな人には、自分にだけ特別やさしくして欲しいものでしょ?」
ウルカはそう言って、軽やかに笑って見せた。
「さ、もうお行きなさいな。無事飛んで行けるか、私がここから見ててあげるから」
カリンは名残り惜しげに、それでも言われた通りホウキにまたがると、ウルカはほっとしたような表情でうなずいた。
「元気でね」
「うん」
「イシュアにも、よろしくね」
「うん……あの、もう仲直りしたんですか」
カリンは真剣な顔で、目を丸くしているウルカを見つめた。
「もちろん、イシュアは今でも大事な友達よ」
「よかった……!」
カリンはその言葉に安心して、地面を大きく蹴ると、フワリと旋回するようにして上空へ舞い上がった。
互いの姿がだんだんと小さくなると、ウルカの表情が一瞬クシャリと、泣き出しそうにゆがめられたのが見えた。カリンも泣きたくなったが、涙をこらえて手を振った。
「……早く行きなさい! 魔力を使い果たしちゃうわよ。ほら、早く飛んでって!」
切れ切れに届いた涙声は、しばらくカリンの頭の中に響いて離れなかった。




