(3)
翌日。晴れ渡った良い天気だったので、カリンは籠を持っていつもの野原へと出かけた。
しばらく薬草摘みに没頭していたが、やがてちらちらと木々の間に視線を走らせる……イシュの来る気配はなかった。
『今日はもう来ないかも』とカリンは思い、なぜかひどくガッカリしたような気持ちでゴロリと草原に転がると目を閉じた……木々の葉を抜けてやわらかく落ちる日射しは暖かく、カリンはいつの間にか眠りに落ちたらしい。
それはカリンにとっては瞬きするぐらい短い時間のように思われたが、次に目を開くと長い指が前髪をすいているので驚いた。
「あ、起きちゃった?」
イシュの束ねた長い金髪が、サラサラと波を打って肩からこぼれ落ちる……どうやらいつの間にかイシュがきていたらしく、カリンは嬉しさで頬を赤らめるとあわてて飛び起きた。
「あーあ、草だらけだ……ほら、こっちも」
イシュは苦笑しながら、どこか楽しそうな様子でカリンの髪の毛や肩についた草をそっとはらってくれた。それから上着のポケットから白い布でくるんだ包みを取り出し「どうぞ」とカリンに差し出した。カリンは首をひねりつつ受け取ると、小さな包みを見下ろした。
「甘い物は好き?」
「はい」
「それ、うちの料理長が作ったんだ。お菓子作りが得意なんだけど、僕はあまり甘いもの食べないからデザートやお茶菓子の作りがいがないっていつもこぼしていてね。よかったら食べて」
なんのてらいもなく料理長、と言うからには、それ相応の家柄の出身なのだろう。やはりイシュが王子なのは間違いないようだ……カリンは野原で王子様と話していることがとても不思議に思えた。
カリンは包みを膝の上に乗せると、布の端をそうっと指先で持ち上げて中をのぞきこむ。そこには親指ほど小さなパイ生地の小皿に、飴がけされた果物や木の実が行儀良く一つずつのっていた。まるでキラキラ輝く宝石のようで、食べるのがもったいないぐらいだ。
「……ありがとう」
それからというもの、イシュは野原に寄る度にお菓子を持ってくるようになった。
『料理長も喜んでいるよ。腕のふるいがいがあるって』とイシュは楽しげに言う。カリンは何度かイシュに、離宮の王子かどうか聞いてみようとしたが、結局はその度に聞かなくてもいいや、と思い直すのだった。
王子だろうと、そうじゃなかろうと、イシュはカリンの知っているイシュで十分だった。優しくて親切で、甘いものは苦手。
モズ婦人が言っていた「かわいそう」だの「お気の毒」だの、そういったイメージとはかけ離れていた。カリンの目には、イシュはいつも明るく幸せそうにうつっていた。
そんなある日のこと。
週に一度、商いのため村を訪れる雑貨屋が、モズ婦人の家でお茶をふるまわれていた。
雑貨屋の主人ロッタスは、たまたま同席していたカリンを見ると思い出したように一冊の本を差し出した。それは使い古された子供向けの辞書で、なんでも彼の娘が昔使っていた本だと言う。
「カリンもそろそろ文字の勉強をしたらいいよ。いくらかは読めるだろうけど、まだまだ足りないからね。そうすれば、お母さんが遺してくれた本だって、いずれ読めるようになるだろうよ」
カリンはどきどきしながら「ありがとう」と礼を述べると、受け取った本の表紙をじっと見つめた。二人のやりとりを見ていたモズ婦人も深くうなずく。
「学校は城下町で遠いうえ、学費も馬鹿にならないときたもんだ。文字くらいあたしが教えてあげられればいいんだけど、腰痛がひどくて机に向かうのがしんどいし、水仕事と畑仕事で忙しくてね……でもカリン、あんたもお母さんみたいに立派な魔女になろうと思うなら、多少の本ぐらい読めないと良い魔法薬を作れるようになれないよ?」
「そうそうモズ婦人の言う通りだよ。最近はこの辺りでも魔女が少なくなっているから、カリンには是非とも魔法薬を作れるようになってもらいたいね。いい魔法薬ができれば買い取って、うちの店に置いてあげるよ」
(いい魔法薬があれば、イシュの足も良くなるかしら……)
カリンはぼんやりとそんな事を考えながら、本をぎゅっと抱きしめた。