(1)
初夏の日射しを浴びながら、カリンはいつもの野原で薬草を摘んでいた。
小鳥が三羽ほど飛んできて、カリンの周囲を楽しげに飛び回ったり歌ったりしている。カリンはスカートのすそをつまむと、草花が織りなす絨毯に座って足を伸ばした。
(あたたかい、眠くなりそう)
陽だまりの中でまどろんでいると、ふいに木々をかきわける音がした。やがて近づいてくる足音とともに、意外な人物が現れた。
「カリンお嬢さん」
茂みから顔を出したのは、にこやかな笑顔を浮かべたシモンズだった。
シモンズは森を抜けた先にある、城下町の離宮で料理長を務めている。大柄な体躯に似合わず、繊細な菓子作りを得意とし、カリンはこれまでに何度もごちそうになったことがあった。
シモンズはいつもの白いコック服ではなく、格子模様のシャツにズボンといった普段着姿で、鮮やかなピンク色の包みを小脇に抱えていた。
カリンの視線に気づいたシモンズは、ひょいと無造作に包みを差し出した。
「これは我輩からのプレゼントですよ」
「え、私に?」
「そうです。来週から学校が始まるでしょう?」
カリンはうれしさに頬を緩める。シモンズにすすめられてさっそく包みを開けると、中から飴色に輝く真新しい茶色の鞄が出てきた。中央にはカリンの名前が裏打ちされていて、その凹凸に指を滑らしうっとりする。
「気に入りましたかな?」
「ええ、とっても! ありがとう、シモンズさん」
カリンは嬉しさのあまり、思わずシモンズの腕に飛びつくと、その頬にお礼のキスをした。シモンズも嬉しそうに笑いながら「これはオマケ」とばかりポケットから小さなボンボンを取り出す。
カリンはもらった鞄を柔らかい草の上にそっと下ろすと、ボンボンを口に入れて、そのとろけるような甘さを楽しんだ。
「イシュは元気ですか?」
「そりゃもう、元気過ぎて、昨日も『王宮からの仕事がなければ、魔女さんに会いに行けるのに』ってぼやいてましたなあ」
シモンズの言葉に、カリンの心はふわっと温かくなる。
イシュはアーンシェ国の第二皇子だが、戦地で足を負傷して以来、ここ西の森があるザルク地区の近くの離宮で静養していた。
だが最近のイシュは、王都カシュターの政務に携わっているらしく、アーンシェ城へ出かけたり、離宮の書斎で仕事をしたりと忙しいようだ。
ほんの数ヶ月前まで、足のリハビリと称してほぼ毎日この野原へやってきては、昼下がりのひとときをカリンと一緒に過ごしていた。しかし近頃、イシュが野原へ訪れる機会がめっきり減ってしまい、週に一度ぐらいしかイシュに会えなくなってしまっていた。
会えないのはとても寂しいが、戦場へ向かうよりましだ。前回の遠征後、イシュは約束した通り戦地へ向かうつもりは無いらしい。
(イシュもお仕事がんばっているから、私も勉強がんばらなきゃ。学校ってどんなところだろう。先生は厳しいのかしら。友達できるのかな……)
カリンはシモンズからもらった鞄をぎゅっと抱えると、来週から始まる学校生活へ思いを馳せた。そして、次イシュに会ったら、学校で起こったことをすべて話さなくちゃ、と思った。
「さて、我輩はもう帰らんと」
シモンズの言葉に、カリンは顔を上げた。
踵を返そうとしたシモンズは、ふと足を止めると、ちょっと笑ってカリンを振り返る。
「そういや殿下ときたら、我輩が野原に行くって聞いて、お前ばかりずるいぞと言ってましたな」
「イシュ、今日もお仕事なんですか?」
シモンズは少し肩をすくめて苦笑いした。
「ええ、まあ。今日はお客様とお出かけなんです」
「そうですか……」
カリンは少し心配になった。あまり無茶をして、体を壊さないといいのだが。そんなカリンの心を読んだかのように、シモンズは明るい声で提案する。
「カリンお嬢さん、よかったらこれから、我輩の買い物につきあってくれませんか?」
「えっ」
「市場はにぎやかで楽しいですよ。新鮮な魚があるか探しに行くんです。魚のパイ包みは殿下の好物なんですよ」
カリンは魚のパイ包みを食べた事はなかったが、イシュの好物と聞いて興味がわいた。
「行きます、お買い物ご一緒します」
そう言ってコクコクうなずくカリンの頭を、シモンズの大きな手がグリグリと撫でた。
カリンはさっそく真新しい鞄を肩から斜めにかけると、その中に摘んだ薬草を丁寧にしまいこみ、シモンズと並んで野原を後にした。
野原の真ん中には、空っぽの籠が緑の葉に包まれるように取り残された……籠の端には小鳥が一羽とまって、小さく歌を口ずさんでいた。
市場は、多くの人でごった返していた。
鮮魚コーナーのテントには、たくさんの漁師がひしめき合っていて、まるで怒鳴りあうように道行く人々に向かって商品の説明をしている。
カリンは初めて目の当たりにする市場の様子にドキドキしながら、シモンズの後ろにくっついて歩いていた。やがてシモンズが立ち止まって、漁師の一人とあれこれ話し始めたので、カリンは周囲の様子をそっとうかがう。
市場には多くの親子連れがいて、賑やかな声を立てながら買い物を楽しんでいた。また子供同士だけで連れだって、あちこちの店をのぞきこんでいる姿も見える……やがてその内の一人が顔を上げると「あ」と声を上げて駆け寄ってきた。
「シモンズ! お買い物に来てたんだ」




