(13)
その後、海賊船は濃霧の中へと消えていった。
カリンはイシュの腕の中から、その船尾が見えなくなるまで眺めていた。ようやく悪夢が過ぎたと胸を撫で下ろしたその時。
「……魔女さん」
イシュに低い声で呼ばれ、カリンは縮こまりながら、か細い声で「はい」と返答した。だが、なかなか次の言葉が続かず、二人の間に気まずい沈黙が落ちた。
やがてイシュは、近くに控えている兵士に向かって口を開いた。
「霧が晴れ次第出発する。私は船室へ戻るが、緊急の場合以外声をかけるな」
「はっ!」
イシュは敬礼する兵士の前を通り過ぎて、甲板の階下へ続く階段を降りると、廊下の突き当たりの部屋へ向かった。
到着した先はイシュの部屋のようで、室内にはベッドの他に、仕事机やソファーが置かれていた。
カリンはそっとベッドに下ろされると、無言で向かいの椅子に座ったイシュを見上げた。
「……ごめんなさい」
イシュはかたい表情で、じっとカリンを見つめ返した。
カリンは泣きそうな気持ちで、もう一度「ごめんなさい」とくり返すと、しょんぼり肩を落とす。
「こんな所へ来ては駄目だ」
イシュの厳しい声が、部屋の中に響いた。
「どんな理由があっても、だ」
「……はい」
「それなのに君は」
イシュは苦しげにつぶやいた。
「君は……どうして、あんな危険な真似をしたんだ」
突然イシュに抱きしめられ、頬にあたる柔らかい髪の感触に、カリンの鼻の奥がツンと痛くなった。
「あの男が刀を振り上げた時……あと一歩遅かったらどうなっていたか」
カリンはとても心配かけてしまったことに、申し訳なさでいっぱいになった。
「心配かけて、ごめんなさい」
「うん……もう二度とこんな無茶は駄目だよ?」
「はい……」
カリンはしばらく大人しく抱かれていたが、ふとある事に気づいて、イシュの胸を両手で押し戻す。
「イシュ、足のけがは……!?」
「ん? ああ、足か」
イシュは指摘されて思い出した様子で、自分の右足を軽く持ち上げてみせた。
「特殊なギブスをつけてるんだ。ほら、ひざの部分にバネが入っている」
カリンはベッドから身を乗り出して、イシュの足元をのぞきこんだ。イシュの右足は、爪先からひざの上まで銀色の防具に包まれ、一見ブーツを履いているようにも見える。イシュが足を動かすと、ギシリと耳障りな音が響いた。
「おかげで少しならば、杖が無くても歩けるけど、あまり長くは使えないんだ。足に負担がかかるのか、後からひどく痛むんでね」
「そうだったんだ……びっくりした」
もごもご口ごもるカリンに、イシュはフッと微笑を浮かべた。
「びっくりしたのはこっちだよ。こんなに傷だらけになって……魔女さんは女の子なんだから」
「あ……」
イシュはカリンのひざ小僧に指先をすべらせると、すりむいている傷口の周囲をそっとなぞる。
「ほら、ここも。足もアザだらけだし……まったく」
カリンは恥ずかしくて足を引っこめた。きっと髪もボサボサ、服も汚れているだろう。座っているベッドのシーツを汚したら大変だ。
「ごめんね、痛むよね。先に医務室へ連れていくべきだったな」
イシュは再びカリンを抱き上げると、少しだけぎこちなく微笑んだ。
「さ、早く傷の手当てをしなくちゃね」
カリンが医務室で手当てを受け終えた頃、ようやくシェリマの船が到着したらしい。
手当が終わると、ベッドに押し込められたカリンは、船医に処方された鎮静剤で深い眠りについた。その為、途中シェリマが見舞いに訪れたのにも気づけなかった。
そして次にカリンが目を覚ますと、すでにアーンシェ王宮の一角に設えた、大きな貴賓室のベッドの中たった。
目覚めてすぐ、医師の診察を受けたカリンは、当面安静にしてるよう告げられた。不幸中の幸いだったのは、ひどく痛めた右腕の骨には異常がなく、打ち身だけですんだ事だ。
こうしてカリンは、しばらくの間は一日のほとんどをベッドの上で過ごす事を余儀なくされた。
けが自体はそれほどひどくはなかったが、たくさんの魔力を使ったことで、だいぶ体力が消耗していた。
ベッドで安静にしている間、イシュをはじめシモンズやその仲間たち、そして国王までが、お見舞いに来てくれた。そして果物やお菓子をはじめ、綺麗な装丁の本や一人でも遊べるゲーム等、たくさんのお見舞いの品をもらった。
(でも、さすがに食べきれないわ……)
カリンはもらった食べ物は、ありがたく一口分だけいただいて、あとはお世話になっているメイドたちに分けてもらった。
イシュは、王宮に滞在中は王子としての公務に追われているらしく、毎日とても忙しそうだった。だが日に一度は必ず時間を見つけて、カリンのお見舞いにきてくれた。
そして、王宮に戻って十日目の朝のこと。
カリンの部屋に訪れたイシュは、杖をついてない方の手に、大きな四角い箱を抱えて現れた。
「気に入ってもらえると、いいけれど」
照れたように微笑むイシュに促され、カリンがリボンを解くと……箱の中から流れるようなドレープが美しい若草色のドレスが現れた。




