(11)
カリンはテーブルの下で、うずくまるようにして縮こまっていたが、はっと我に返ると、肩に斜めにかけていた鞄を開いた。
鞄の中には、いつも御守り代わりにしている数種類の薬草があった。その中に紛れていた一枚の葉を取り出すと、目の前に掲げてじっと見つめる。その葉は、王宮の薬草園で国王にもらった薬草だった。
(この葉の効きめは、たしか……)
カリンは必死に記憶の糸をたぐり寄せた。その葉はたしか、母親の遺してくれた薬草図鑑で見たおぼえがあった。国王が説明してくれた通り、北方の山岳地帯に生息する。
(そうだ、煎じて飲むと不眠症に効くって書いてあったんだ)
国王はきっと、元気の無いカリンが良く眠れるようと、この葉を分けてくれたのだろう。
(この葉っぱ、一枚だけど……何かに使えないかしら)
カリンは最近の勉強の成果を試すべく、葉を床に置くと両手をかざし、口の中でたどたどしく呪文を唱える。すると葉は魔力の反応を受け、粉々の粒子へと変化した。
(この薬草の粉を船の上からまいたら、吸い込んだ人はきっと眠ってしまうはず)
カリンは鞄の中から空の小瓶を取り出すと、薬草の粉を入れて、しっかりと栓をした。威力は強いが、ほんの一握りしかない……慎重に使わないと、と手の中でにぎりしめる。
カリンは改めて部屋を見回したが、ホウキらしいものは何も見当たらない。カリンの乗ってきたホウキは、地下の貯蔵庫に置きっぱなしだった。何か代わりになりそうなものはないか、カリンは室内をしばらく探索していたが、やがて壁に立てかけられた数本の槍に目をとめた。
(ホウキじゃないけど、これで何とか飛べるかも)
カリンは一番細くて軽そうな槍を選び、それを手に取ってテーブルによじ登った。
霧はますます濃くなっていき、開いた丸窓から部屋の中へと入りこみそうな勢いである。もはや地平線どころか、窓からほんの数十メートル先も見えない有様だ。
カリンは両足ではさんだ槍を、両手でしっかりつかむと、窓に向き直って頭を低くする。
窓は小さいが、カリンが屈めばギリギリ通れそうだ。カリンはぐっと奥歯を噛みしめると、身体を小さく丸めたままテーブルを蹴った。
「わっ、なんだあれは!」
微かに耳に届いたのは、甲板にいた兵士の声だろう……しかしそれも風の音で、一瞬の内にかき消されてしまう。
カリンは弾丸のように霧の中へと突っ込み、そのスピードに息もつけないまま、視界ゼロの中で宙を切り裂くように飛び続けた。
(光はどこ……ほんの少しでも光があれば、見えるのに……!)
カリンは目をこらしたが、白く濁った風が吹き付けてくるばかりで、飛んでいる方向すらつかめない。真っ直ぐ飛んできたつもりだが、だんだんと自信が無くなってきたその時。
ガツッ、と大きな音が響き、カリンは衝撃で自分の身体がグラリと傾くのを感じた。
遠のく意識を奮い立てて、無我夢中で腕を伸ばし、つかめた何かに必死でしがみつく。ここで落ちたら、海に投げ出されてしまう。
(なんだろう、これ……)
しがみついたのは、がっしりとした太い柱のようだ。ズキズキと痛み出した頭をもたげると、眼下にたくさんの人影が見えた。
「何かが飛んできたぞ!」
「人間だ、人間が飛んできた!」
「棒みたいなモンに乗ってたぞ。ありゃ魔女じゃないか!?」
どうやら下は甲板のようだ。そこでカリンははじめて、自分が船の甲板を見下ろしていた事に気がついた。どうやらマストの一部にぶつかって、そこに引っかかっているらしい。マストの下には、続々と人が集まってきた……皆、屈強そうな強面の男ばかりである。
(海賊……海賊船だわ!)
カリンは夢中でマストにしがみつきながら、右手をしっかりと握りしめていた……その手の中あるのは、例の薬草の粉の入った小瓶。
(今、使わなくちゃ!)
カリンは意を決して、小瓶のふたを親指でこじ開けると、大きく右腕を振って中身の粉を宙にばらまいた。




