(9)
夢の中で、カリンは野原にいた。
ふわふわのシロツメグサに覆われた、緑のカーペットの上に座り、タンポポの綿帽子を空にかざす。その隣にはイシュがいて、おだやかな時間が流れていた。
(魔女さん、風が出てきたよ……もう帰らないと)
イシュは立ち上がると、カリンの手ににぎられていたタンポポが種を飛ばし始める……ひとつ、またひとつと風に乗って空の彼方へと消えてゆく……イシュの後姿も遠くなる。
「おい、起きろ。起きないか!」
ぼやける目の焦点を必死に合わせると、目の前には剣の切先が向けられていて、カリンは声にならない悲鳴をあげた。
「おい、なんでこんな所に子供がいるんだ?」
「まだ小さな女の子じゃないか。守衛はどうした!?」
「ドラード大尉、いかがしましょう?」
大勢の兵士にズラリと取り囲む中、ドラード大尉と呼ばれた男は、一際目を引く威風堂々とした姿で立っていた。横顔は端正で凛々しく、意志の強そうな眉と口元からは、決して情に流されない様子がうかがえた。
「そうだな、姫に会わせてみるか……剣を引け」
ドラード大尉の言葉に、カリンに剣を向けられていた剣が一斉に引っこんだ。ドラードはカリンの前に立ちはだかり、威圧感のある低い声で「立て」と命じた。
カリンは立とうとしたが、剣を突きつけられた衝撃で腰を抜かしてしまったようで、足に力が入らない。
ドラードは痺れを切らして腕を伸ばすと、カリンを引っ張り上げた。そして、そのまま大股で歩き出したので、カリンはなす術もなく引きずられるように貯蔵庫を後にした。
せまい廊下を抜けて、階段を上ると甲板に出た。
日はすでに高く、水平線がキラキラと輝いている。こんな状況でなければ、心浮き立つ光景に映ったに違いない。
甲板に現れたドラードに、その場にいた数人の兵士が振り返って敬礼をしたが、隣にいるカリンの姿に目を留めると驚愕した表情を浮かべる。
ドラードは、近くに立っていた兵士に向かって声をかけた。
「おい、姫はどちらだ?」
「はっ……船首へ向かわれました」
ドラードに「歩け」と命じられ、カリンは泣きそうな気持ちでなんとか足を動かした。やがて前方に群がる兵士の中央に、シェリマの姿が見えた。
シェリマはかたく編み込んだ金色の髪を後ろでひとつにまとめ、周りの兵士と同じような勇ましい格好をしていた。
シェリマはカリンたちに気がつくと、スッと目を細めた。
「……魔女の娘ではないか。なぜここに?」
「貯蔵庫に忍んでいるのを、食材を取りにきた料理番が見つけました」
ドラードが手を放した途端、カリンはへなへなとその場に座り込んでしまった。シェリマは表情を変えないまま、腕組みしてカリンを見下ろす。
「どうやって船に忍び込んだ?」
「……」
シェリマは微かに眉を寄せると、手を伸ばしてカリンの顎をつかみ上げた。
「質問に答えろ」
「……と、飛んできました、ホウキで……」
「なるほど」
カリンは肩を震わせて、シェリマの顔を見上げる。シェリマは手を離すと、隣に控えているドラードを振り返った。
「しばらくこの場を任せる……魔女の娘、ついて来い」
カリンはよろよろと立ち上がると、もつれる足でシェリマの後を追った。二人は階段を降りて、廊下を幾度か曲がると、やがて突きあたりの部屋にたどり着いた。
室内には数名の兵士がいて、大きなテーブルを囲んでいた。シェリマが「この娘と二人で話しがある」と言うと、皆珍しそうにカリンを眺めつつも、黙って部屋から出て行った。
部屋に二人きりになると、シェリマはテーブルに背を預け、真正面からカリンを見据えた。
「さて、魔女の娘……どうしてこんな所までついてきた?」
「……ごめんなさい」
「私はあやまれと言っていない。ついてきた理由を、きいているのだ」
シェリマは先ほどよりも表情をやわらげると、カリンをじっと見つめた。




