boy meets girl 3
「まったく、本当に心配したんだからね!」
バッグを俺に渡し、四季はその小さい体を大げさに振りながら俺に詰め寄ってくる。その様子は、まるでしばらく構わなくて機嫌が悪い子犬のようで、そんなキャンキャン噛み付く四季をたしなめながら、俺は何時ものように小さく笑みを浮かべた。
四季と俺は今、自分の家の玄関に居る。理由は勿論、昨日四季に渡しっぱなしにしていた俺のバッグの事だ。四季はわざわざ学校にまで俺のバッグを持って来てくれたらしいのだが、今日の朝の一悶着のせいで学校に行かなかった俺と会う事は当然なく、何か事件にでも巻き込まれたのかと思い、心配して俺の家に寄ってくれたのだった。
「分かってるよ、ゴメンゴメン。でも、ありがとうな、バッグ」
「本当だよ。ケータイに連絡しても出ないし、家の方に電話しても連絡つかないし……」
本当に心配そうな顔を浮かべ、四季は軽く俺のサンダルを蹴っ飛ばす。きっと昨日の事を話したら、四季はびっくりしすぎてひっくり返ってしまうんじゃないだろうか。
――言える訳ないよな……。吸血鬼に襲われた、なんて。
俺の足元に、キチンと並べられているセシルさんのロングブーツを見ながら、俺は俯いて溜息を吐く。結局、俺を助けてくれた一人と一匹を無下に追い出す訳にもいかず、ようやく今日の所は二人に客間に泊まってもらう事で落ち着いたのだが、それも何だか口実なような気がしてならず、俺の普通の生活に静かな警鐘が鳴っているように思えた。
「昨日の事件だって、何だかうちの学校の生徒も巻き込まれたみたいだし……」
考え事をしていた俺を呼び起こすように、四季が依然として心配そうな顔で話を続けた。
「ああ、それなら俺も新聞見たよ」
勿論、四季が言っているのは定本の事だろう。今朝の新聞ではあの男も被害者という事になっていたが、真実は真逆だ。それに、その生徒が定本だという事に四季が気付いていないという事は、おそらく学校でもそういう事があったと話されただけなんだろう。無論、こちらとしてはそっちの方が都合がいいのだが。
「父さんも言ってたんだけど、最近この辺で事件が頻発してるらしいから、信ちゃんも腑抜けてないでシャキッとしてよ、本当」
「分かってるよ。ていうか、岬さんがそんな事言ってたのか?」
「うん。関連性のない事件ばっかりが同時多発的に起こってて、今は猫の手も借りたいくらいなんだって」
「そうか……岬さん、仕事熱心だもんな」
ちなみに岬さんとは、話の流れの通り四季のお父さんの事だ。四季のお父さんこと岬登志男さんは、県警に勤めるバリバリの刑事さんであり、同時にこの町内の会長さんでもある。そして、暇さえあれば事件の捜査をしているような正義感溢れる人で、俺も小学校の頃は色んな意味でお世話になった人だ。そして、そういう人が事件が多いと言うのだから、恐らく本当に事件が多いんだろう。
――岬さんに話すのも一手かもな。
一瞬そんな事を思ったが、俺はアルフレッドさんの言葉を思い出し、すぐに頭を振る。敵は何処にいるか分からない。その意味よく考えてみれば、警察の中にも居るかもしれないという事だ。公言は出来るだけ控えたほうがいいのだろう。
「……信ちゃん?」
「いや、何でもない。ちょっと考え事。ていうか、いいのか? 今テスト前だぞ? 俺はともかくとして、四季は去年散々補習受けされられただろ」
意識的に話題を逸らす事で、俺は自分自身の意識を切り替える。確かに吸血鬼の事も大事だが、考えすぎてもいけない気がする。
「……うう。悪夢を思い出させないでよ。父さんにもそれでこっぴどく怒られたんだから」
四季は大きな溜息を吐き、そしてもう一度俺のサンダルを軽く蹴飛ばす。この様子だと、どうやら今年もこいつのために一肌脱ぐ事になりそうだ。
「俺の心配は後回しでいいから、とりあえずお前は自分の心配をしなさい。来年は受験なんだし、あんまり成績が悪かったらダメだろ?」
「……はい」
がっくりとうなだれ、鬱屈そうにもう一度四季は俺のサンダルを蹴飛ばそうとする。だが、俺はとっさに足を引っ込め、四季のキックは見事に空振りに終わった。
「とにかく、今日はもう帰って勉強しなさい。時間もあれだし、勉強の邪魔したって岬さんにどやされるのは嫌だしな」
それに、これから俺は三人と一匹分の食事を大急ぎで作るようだし、あんまり無駄話をしている余裕はない。アルフレッドさんにも、まだまだ聞きたい事が山ほどある。
「いや。今日はここで勉強する」
「……えぇ!?」
予想外の四季の言葉に、俺は首がもげんばかりに勢いよく首を横に振る。ダメだダメだ! ここで四季をあの二人に会わせるのは絶対ダメだ! おそらくていうか絶対、事態がややこしくなる。それだけならまだしも、仮に四季にアルフレッドさんが喋る所でも見られたとしたら、まず間違いなくテスト勉強どころではなくなるだろう。下手したら心臓発作とか起こしそうだし。
「えー。何でよ?」
「いやいや、絶対岬さんに怒られるだろ!」
「言ってあるから大丈夫。ていうか、信ちゃん家に行くって言ったら、逆に勉強して来いって言われたし」
「晩飯作るようだし……」
「出来るまで待つよ。久しぶりに、信ちゃんのご飯も食べたいし」
俺の制止を振り切り、いそいそと靴を脱ぎ始める四季。そしてよく見てみると、四季は明らかに勉強道具が入っているバッグをその手に握っている。これはやばい。完全に確信犯だ。
「と、とにかく! 今日は絶対にダメ!」
「えっ!? ちょ、ちょっと!」
四季が靴を脱ぎ終える前に、俺は必死に四季の進路を遮り、強引にドアを開ける。そしてそのまま押し出すようにして四季を外に出した。
「悪い、四季! また今度勉強見てやるから! それと、バッグありがとう」
何が起きているのか、さっぱり理解できていない四季を尻目に、俺は急いで玄関のドアを閉める。その途中、一瞬悲しげな瞳の四季と目が合ったが、俺は悪い、と一言だけ残すと、そのままドアを閉めた。
ドアが勢いよく閉まる音が、廊下の奥の方まで響く。その音が一瞬この空間を包み込むと、すぐに居間のテレビの音が静寂を掻き消して聞こえ始めた。
「……何でこんな事になったんだろ」
ドアにもたれ掛かり、俺は眉を顰めて天井を仰ぐ。薄暗い玄関を照らすように、小さい電球が低音を鳴らしてチカチカ光る。おそらく、この扉越しに四季は訳も分からず立ち尽くし、不可解な行動をする俺に向かって呪詛の言葉でも吐いているのだろう。本当に悪い事をしたと思う。学校で会ったら、ちゃんと謝んなきゃな。
「そういや……」
ケータイ、バッグの中に入れたままだっけ。そう思った俺は、四季から受け取ったバッグをおもむろに開ける。勿論、当たり前だが中身は変わっていない。変わっているとすれば、それは昨日の雨で染み付いた匂いだろうか。どちらにしても気になるようなものではないが。
玄関に腰掛け、俺は着信がないか確認する。重要な連絡とかは恐らくないだろうけど、見ないと落ち着かないのも現代人の性だ。そして着信を確認してから数分後、俺は溜息を吐いてケータイを閉じると、そのままケータイをバッグの中に放り投げた。
――あー。本当に俺って最低だわ。
ケータイの待ち受けに表示された、着信履歴十二件とメール受信四件。その内容は、全て俺の事を気遣った四季からの連絡だった。
適当に転がされた自分のサンダルを見つめると、俺は軽く自分のサンダルを蹴飛ばした。
「……さてと」
フィルターまで吸った煙草をもみ消し、魁皇学園三年生、古賀茂はゆっくりと立ち上がる。場所は神居北斗市内、魁皇町の町外れにある『かいおう公園』。市営の公園にしては、あまり整備の行き届いていない園内のベンチに座り、古賀は静かに待ち人を待っていた。
「君が、古賀君ね」
公園の隅の方から彼を呼ぶ声が聞こえる。てっきり、公園の入り口から現れるものだと思っていた古賀は、まるで気にも留めないような表情で声の方を向くと、そこには一人の女性が腕を組んで立っていた。
「人を呼び出しておいて、遅刻するなよ」
「時間通りには来ていたのよ。だけど、君が古賀君だと断定するのにちょっと手間取っちゃってね」
そういうと女性はそっと古賀の隣に座る。周りには、それほど多くはないがある程度の人目がある。古賀は辺りを見回すと、おもむろにポケットから煙草をもう一本取り出した。
「俺はてっきり、あの男が来るのかと思ったが、まさかあんたみたいな女性が来るとはな」
「ふふ。貴方が思っているほど、この組織は小さくないわ。入りたての貴方は、まず私のような中間管理職の下で働くの。それに言っとくけど、実力だったら私は貴方の数倍上をいってるわ」
煙草を口に銜え、彼は眉を顰めて煙草に火をつける。吸血鬼になって自由を得たはずなのに、どうしてまたそんな組織なんかに束縛されるんだ。彼はそう思いながら、一気に煙を吸引した。
「……それで、その仕事ってのは?」
「全ての内容を口伝えしないわ。詳細はこれを見なさい」
女はそっと手紙を渡し、男はそれを受け取る。古賀はそれをすぐに開けようとするが、それを女はそっと制した。
「自重しなさい。それに、こういう風な場所を選んだ理由を、もっとよく考えなさい」
「……分かった」
手紙をポケットの中に突っ込み、古賀は煙草の先に溜まった灰を落とす。小さく固まった灰色の粉が、まるで消しゴムのカスのように足元に転がる。それが風に流され、崩れるようにして公園の芝生に絡みついた。
「貴方には人を探してもらうわ。名前は葛城信介。恐らく、この地域に住む高校生よ」
「高校生か」
古賀は、三年生になってから一度も学校には行っていない。頭が悪く、素行も良くない自分が、学校に行ってもしょうがない事を理解している彼にとって、学校は意味のないものだったし、馴染めないものでしかなかったのだ。だからという訳ではないが、彼は学生というものがあまり好きではなかった。
「別の偽名を使っている可能性が非常に高いわ。加え、私達の存在を知っている可能性もある。それに、もしかしたら他の吸血鬼と関係があるかもしれない」
「……つまり、名前しか分からないし、状況も掴めていないって事だろ?」
「でも、地域の特定は完了している。分担作業なんだし、大丈夫よ。やれるわ」
吸いきった煙草を放り、古賀はゆっくりと立ち上がる。そして女性の方を向くと、微笑を浮かべて言った。
「連帯するのは好きじゃねぇ。俺がとっとと見つけて、さっさと連れて来る」
そう言い残し、男は公園の出口へと歩き始める。自信に満ちたその後姿。力を使いたくて、うずうずしているその横顔。定本ともまた違った、空間を凍結させるほどの存在感が、少しずつ古賀から滲み出ていた。
「……危ないわね、彼」
古賀の捨てた吸殻を拾い、女性はそれを近くのゴミ箱に捨てる。そしてもう一度ベンチに腰を下ろすと、ポケットから古賀と同じように煙草を一本取り出した。
「他のハーフ同様、失敗作かもしれないね」
他人には決して本音を漏らさないその女は、一気に煙を吸引すると、そのまま少しだけ煙を吐き出した。