boy meets girl 1
交流サイトで募集していた敵キャラ『ロメオ』の登場です。スーパーノヴァ兎さん、そしてそのほか協力してくれた皆さん、本当にありがとうございました。
――…………。
目の前で、小さな男の子が泣いている。何処かも分からない小さな病院の一室で、男の子が若い青年に抱かれ、声もなく泣いている。
「お父さん、お母さん……なんでなの?」
消え入りそうな声で、少年が横たわる母親の顔に触れる。……冷たい。今はもう感じる事が出来なくなった暖かい温もり。その暖かさを少年は思い出し、彼の目は再び涙で一杯になった。
「信介」
「何で! ……何で、お父さん達なの? 何で、何で……どうして!!」
涙を一杯に浮かべた少年が、青年の胸に顔を埋める。体中の水分が全て流れているのかと思うほど少年の頬には、数え切れない悲しみの雫の後があった。
並べられた二人の亡骸を見ながら、青年は少年を抱いている手に力を込める。抱いてしまえば、こんなにか弱くて、ちっぽけな少年の体。自分の胸で泣きじゃくる少年を見ながら、青年は二人に向かって小さく馬鹿野郎、と呟いた。
――彼等の死は、お前には関係のない事だ。だから、お前は何もしなくていい。……いや、何も出来なくていい。
青年の心に、その一言がちらつく。悔しいが、確かにその通りの言葉。そしてそれが、彼の心を抉るには、十分過ぎるほどの現実味と力を帯びていた。
「――その悲しみは、その痛みは決して忘れるな、信介」
少年に向かい、青年は意を決して静かに口を開いた。
「お前は、まだまだ若い。この二人の死を受け止めるのには、まだまだ早すぎる。だから……」
「おじ……ちゃん?」
「今は、泣きたいだけ泣いていい。泣いて、泣きつくして、いつかそれを乗り越えればいい。散々足掻いて、もがいて、それでも乗り越えられないなら俺がいる。お前が成長して大人になるまで、俺がずっと傍にいてやる。出来ない事は……俺が、何とかしてみせる」
不器用だが、それはどんな慰めよりも心のこもった、愛のある言葉だった。悲しみの底にいる少年を救い出すその言葉を、男はたどたどしく紡いでいく。
「いつか、時が来て、お前が俺から離れていくまで……俺は命を懸けて、お前の全てを守る」
青年の太くて無骨な手が、涙でぐちゃぐちゃになった少年の顔を優しく撫ぜる。大人なんて呼ぶには、まだまだ若い青年の手は、それでも幼い少年を優しく包み、少年の力になる事を誓った。
「……また、あの時の夢か」
最悪の不快感とともに、俺はゆっくりと体を起こす。過去という名の、悪夢ともいえるあの日の光景。そんなものは見たくもないのに、夢という形で度々俺の目の前に現われては、俺の心の古傷を疼かせた。
眠たい目を擦り、俺は部屋のカーテンを開ける。昨日の雨がまるで嘘のような晴れ上がった空。今日はどうやら、昨日よりずっとずっと暑くなりそうだ。
「うわー。Tシャツで寝ちまったのか」
妙に汗臭いと思ったら、着ていた服が昨日のままだった事に気づく。ワイシャツとズボンは脱いであったからいいけど、昨日のパンツをはきっ放しなのは何となくあれな気がしたので、朝食を作る前に俺はとりあえず着替える事にした。
「ていうか、昨日は何時に家に帰ったんだっけ?」
何故かは分からないが、昨日の夜の記憶が非常に曖昧な感じがする。この様子だと風呂にも入ってない感じだし、晩飯も食った覚えがない。何でだろう? 昨日は別に特別な用事はなかったはず。
「ま、いっか」
こういうものは、考えるだけ無駄ってもんだ。思い出せないって事は、逆に言えば思い出せなくてもいいくらいどうでもいい事だし、思い出した所で何するわけでもないし。という事で、この事は忘れよう。
頭でそう切り替え、俺は着替えて居間に向かう。早くご飯の支度をしないと、そろそろ叔父さんが起き出す時間だ。軽快に階段を下り、俺は急いでお勝手に向かった。
「おはよぅ」
居間のドアを開け、一応朝の挨拶をする。時間的にも叔父さんは起きていてもおかしくない時間だし、仮に居ないとしても誰かが聞いてる訳でもないから別に恥ずかしくはない。
「ん。お早う」
「うむ。おはよう」
バタンッ。
居間のドアを閉め、ゆっくりと周囲を確認する。蛙の親子の置物、見慣れた玄関マット。叔父さんが酔っ払って付けた壁の傷。うん。間違いねぇ。ここは俺の家だ。
「おはよぅ」
「ん。お早う」
「うむ。おはよう」
バタンッ。
再び居間のドアを閉め、もう一度だけ周囲を確認する。蛙、マット、壁に傷。うん。絶対間違いねぇ。ここは、絶対にここは俺の家、葛城家だ。そうだ。あれは幻想だ。夢だ。気のせいだ。
「おはよぅ!」
「ん。お早う」
「ていうか、この会話今何回目じゃ?」
「叔父さーん! 居間に変な人がいるよー!!」
ソファに深々と座り、明らかに家の朝刊を読んでいる少女と、その少女のペットなのか、冷蔵庫にしまってあったはずの家の牛乳をコップに移して器用に飲んでいる黒猫。俺は居間のドアの鍵を閉めると、急いで電話の受話器を取った。
「警察! 警察は……117?」
「それは時報だ。それじゃ会話すら成立しない」
「じゃあ、115?」
「それは電報じゃ。ていうか、よくそんなコアな番号知っとるの」
「もうっ! じゃあ一か八か118だ!」
「……信介。それは海上事故だ」
俺の耳に、ようやく聞き慣れた声が届く。はっと振り向くと、そこには何時ものように眠そうな顔に、おしゃれの欠片も感じない無精髭を生やしている叔父さんが、どういう訳だか両手にコーヒーカップを持って立っていた。
「叔父さん!」
俺の叔父さんの三波章平は、俺の顔を見ながら深いため息をつく。そしてコーヒーカップをテーブルに置くと、呆れたように眉を顰めて俺の手から受話器を奪い取った。
「信介……お前、緊急時に117に電話しても、分かるのは時刻だけだぞ?」
「まぁ、俺も焦ってたんだって……って、不審者の話はまったくシカト!?」
「話は後だ。信介。とりあえず朝食にしよう。腹が減って頭回らねぇんだ。今朝の味噌汁はネギと豆腐がいい」
「朝飯に関してはしっかり頭回ってんでしょうが!」
「じゃあ、私はトーストに一票」
「わしは久しぶりに塩鮭でも食いたいの」
唖然とする俺を完全にスルーし、不審者と一緒にソファに座る叔父さん。朝っぱらから俺は、もう何がなんだか、まったく分からなくなってきていた。
――しかも、ちゃっかり不審者にも注文されたし。
花柄のエプロンを身につけ、俺は何時もの三倍以上の気合でお勝手に立った。
「……で、叔父さん。飯をこさえたので、端的に、分かりやすくこの状況を説明してくれ」
お勝手場で奮闘する事二十分、俺は肩で息をしながら、普段の倍以上の速度でご飯と味噌汁、トーストに塩鮭をテーブルに並べる。十年近くこのお勝手場を管理してきた俺でも、さすがに手の行き届かない所が出来るほど、凄まじい時間だった。
「おう。さすがに早いな信介。この嫁入らず」
「もう一回茶化したら、味噌汁に蜂蜜入れるから」
不機嫌そうにそういい、俺はどかっとソファに腰を下ろす。まったく、またこんな朝っぱらから余計な体力を使っちまったじゃねぇか。
「まぁ、冗談はさておき。目の前にいるこの人達はだな、昨日の夜気絶しているお前をわざわざここまで送り届けてくれた、素晴らしい方々だ。だから、決して不審者ではない」
「……気絶?」
「そう。ていうか信介、お前昨日の事は全く覚えていないのか?」
「……うん」
「そうか。それじゃあ、しょうがないな」
そういうと叔父さんは、先程少女が読んでいた新聞を開く。そして、そこに写っていた見出しを見た瞬間、俺はまるでテレビの映画宣伝のハイライトのように、昨日の出来事を思い出した。
「!? これ昨日の通り魔の!」
記事に目をやり、俺は昨日の事件の詳細を読む。そこに書かれた、「襲われた女性は軽症」の文字。それを見つけると、俺はとりあえず安堵の溜息をついた。
「良かった。助かったんだ、あの人……」
「? この女性の事、知っているのか?」
「え? だって、昨日の事って、この事じゃないの?」
だとしたら、叔父さんはどの記事を俺に見せようとしてるんだ?
「その記事の右上の写真。その男にお前、見覚えがないか?」
「右上?」
言われるままに、視線を右上に移し、叔父さんが言っているものであろう写真を見た。
「……!!」
途端、俺の首筋に、昨日の夜の痛みが走る。それが引き金となり、断片的にだが俺の記憶が少しずつ蘇ってくる。
――そうだ。俺は昨日、何だか知らないうちに拉致られて、それでボコられて……。気付いたら、この男の瞳が夜空にあったんだ。
「本名、定本玄貴。魁皇学園の3年の生徒さんだそうだ。その様子だと、どうやら見覚えがあるみたいだな」
「……あるも何も、こいつに俺、危うく殺されかけたんだ。しかも、こいつ、この通り魔の犯人……」
「それ以前に、そいつには二つの殺人の罪を犯している。この町の外で起きた、二つの事件についてな」
俺の言葉を遮り、真っ直ぐに俺を見つめて口を開く少女。視線が交錯した瞬間、俺の中で、言いようのない胸騒ぎがする。不審者なのに、不審者らしからぬその堂々とした風貌。見た目は少女なのに、少女らしからぬ完成された雰囲気。その不思議な感覚に、どういう訳だか引っかかるものを感じた。
今まで気付かなかったが、こうしてよく見ると、少女の顔はとても端正で、まるで清水のように美しく透き通った肌をしていた。そして腰までありそうな長い銀髪に、朝日が綺麗に反射し、まるで天使の輪のように彼女の美貌に花を添えた。
「? 私の顔に何か?」
「いや、な、何も……」
少女が小首を傾げ、不思議そうに俺を見つめ返す。…………やべぇ。この人、めちゃくちゃ可愛いじゃんか。
「信介、視線が高校生の男子特有のエロいものになってるぞ」
「中年童貞の叔父さんに言われたくないんだけど」
「…………話を戻そう。君を襲ったその定本とかいう少年の事だが、その少年についての情報は私達は知らない。だがその男は君に、何らかの目的があって近づいたのは確かだ」
「ああ、面識はあった」
「それは深いか?」
少女の言葉に、俺は首を横に振った。
「いや、全然。友達がそいつにしつこく絡まれてたから、一発ぶん殴った。実際、俺の名前もわかんねぇって言ってたし」
それを聞くと、少女は黒猫の方を向いて、うんと頷く。それが何の了解なのか分からなかったが、猫にはそれは理解出来ないだろうと、俺は何となくそう思った。
「……だとしたら君は、本当に運が良いんだか悪いのか分からない人間だな」
「運が悪いのよりはずっといい、俺はそう思うけど」
四季の言葉を借りれば、最終的に良い方に転べば、それでいい、という所だろうか。まぁ、とは言っても、最良はやっぱり運がいい方に決まっているのだが。
「そういえば」
「?」
「あいつ、殴った時とは、まるで、……別人だった。何というか、変に存在感みたいなのがこう、あってさ……」
記憶の中で、今もはっきりと輝くあの狂気の瞳。そして、背筋が凍りつくような、あの野獣の声。――そうだ。あれは、絶対に人間のものじゃない。人間であってはならないものだ。
「驚いたの……まさか、ここまで繊細な感覚を持ち合わせておるとは」
ソファに座る黒猫が、俺を見つめてながら感嘆の声を上げる。ていうか繊細な感覚って言ったって、あんなに威圧感をムンムンに漂わせてたら、誰だって気づくと思うけど。
――ん。ちょっと待てよ。
明らかに全員スルーしてるけど、今、そこの黒猫、喋らなかった?
「……信介君」
急に少女の声のトーンが変わる。何処かで聞いたような声。俺はそう思いながら、再び少女の方を向いた。
「率直に、そして正確に言おう。君が出会った男、定本という男は――正真正銘の吸血鬼だ」
「まさか、こんなに簡単に作戦を見破られとわねぇ……」
色鮮やかなライトが光る市内の通りとは、まったくもって対照的な、薄汚れた掃き溜めの路地裏。まともな人間なら、決して近づかないようなその空間に、黒スーツの男ことハキム・オードリックは呟くようにそう言うと、深い溜息を吐いて壁に寄りかかった。
「……神居北斗市内に放ったハーフの数、十七名。うち、粛清が十二名、保護が三名。ほぼ全滅ですねぇ。ハーフが倒された地域に狙いを絞って捜す方法も、これじゃあんまり意味ないですね」
ハキムの視線の先、漆黒の闇の中から男の声が聞こえる。ハキムはそれを聞くと、再びやれやれと溜息を吐いた。
「……ロメオ。居るなら居ると最初に言ってくれないか?」
「それは失礼。しかし、とっくに存在に気付いてる相手に、わざわざ自分の存在を報告するような愚図ではありませんから」
暗黒の闇から顔を出したのは、牧師の格好をした、この界隈では比較的珍しくない長身の外国人青年だった。ロメオと呼ばれたその男は、うっすらと微笑を浮かべ、ハキムに向かって恭しく帽子を取った。
「で、君がここに来たという事は、そういう事だな」
「さすがハキムさんです。そうです。これで貴方の任務は終了です」
帽子を被り直し、青年は笑顔を崩さずにそう言う。そしてポケットの中から一枚の封筒を取り出すと、それをそっとハキムに手渡した。
「葛城信太郎の倅について言えば、ほとんど成果を出していないんだがな」
「十二年間全く足取りが掴めなかった男の居場所を、神居北斗市内にまで絞ったのは確かな成果ですよ」
「世辞はよせ。半分以上は私の部下がした事だ」
「いえいえ。お世辞なんかじゃありませんよ。ハキムさんの実力があってこそ、この成果は成立するんです。それに」
「何だ?」
「これでまた、ナンバー2に一歩、近づけたじゃないですか?」
まだまだ青臭い青年の一言を、ハキムは目を伏せて鼻で笑う。不快という訳ではなかったが、ハキムは何となく、青年に対して自分にはない、若さのようなものを感じていた。
「とにかく、その金は必要ない。任務はこれで終わりという訳ではないし、老後の貯えは十分すぎるほどあるからな。その金は、君が好きに使っていい」
言い終わるか否かのタイミングで、ハキムは青年の手をすり抜け、ゆっくり歩き始める。そして間もないうちに、人混みに紛れるようにして黒いスーツは夜の雑踏に消えていった。
「その金は要らない……か」
一人取り残された青年は、微笑を浮かべたまま手の上の封筒に目をやる。中身は恐らく今回の報酬金。それも日本のサラリーマンの平均の月給の、1千倍近くの金額だろう。青年はふと考えを巡らせ、スモッグで曇りきった空を見上げる。男には確か、好きに使っていいと言われた。
途端、青年の握っていた封筒が、何の気配も無く勢いよく燃え上がる。そして一瞬だけ薄暗い路地裏を照らすと、数秒後にはまるで最初から何も無かったかのように、男の深緑の手袋から消えてなくなっていた。
「……てめぇのおこぼれなんざ、頭下げられても要らねぇよ」
ポケットから今度はケータイを取り出し、青年はいつものように非通知である所に電話をする。そして電話が繋がると、再び笑顔を浮かべ、淡々とした声で話を始めた。
「私です。たった今引継ぎが終わったので、指示通りに行動を始めてください。くれぐれも、失敗だけはしないように。そして連絡は、いつもの時間に私から連絡するので、それまで得た情報は死守してください。以上です」
ケータイの電源を切り、青年はそれを近くのゴミ箱に放り投げる。着信がある事は、百パーセント有り得ない。可能性があるとすれば、それは迷惑メールの類だろう。どちらにしろ青年にとって、すでにそれは形骸であった。
「さてと、私も私で、そろそろ動き出さなければいけませんね。彼らじゃ、いささか頼りないですし」
闇に溶け込むように、青年は明るい通りから離れるようにして消えていった。
パソコンが不調だったため、約二週間ぶりの更新となります。という訳で、今回は二週間分掲載です。更新を待っていてくださった方、本当にすいませんでした。そして、何よりありがとうございます。