Bloody beat 2
三ヶ月ほど間隔が開いてしまいました。
という訳で、今回は二話分の投稿です。
遅れた事に関しては言い訳はしませんが、一つだけ。
就職活動って辛いんだね(笑)
まるで外の忙しい世界から隔離されているかのような静まり返った、とある建物の一室。贅沢な造りとは言えないが決して殺風景ではなく、寧ろこの部屋の主の趣向が垣間見える、シンプルで実用的な部屋だ。
「……」
「……」
この部屋に置かれた大型ソファに深く腰掛ける褐色の肌の男、ハキム・オードリックは、そんなシンプルな部屋を何度も見回し、覇気のない表情を浮かべている。この簡素で何もない部屋に、少しばかり飽きが回ったのだ。
真っ白い壁にかけられたアナログ時計と目の前の透明のテーブル、後は申し訳ない程度に花が差された花瓶。これだけものが無ければ、寧ろ使い勝手が悪いのではないだろうかと、ハキムは欠伸を噛み殺しながら思った。
「誰も来ませんね。他の皆さんも、ボスも」
ハキムの目の前に座っている牧師服着た男、ロメオ・ハーミットも流石に退屈してきたのか、今まで黙々と読んでいた本を閉じて、多少引きつった笑顔をハキムに向ける。かれこれ数時間、こうして無言で本を読みながら他のメンバーの到着を待っていたロメオも痺れを切らしたのだろう。普段は笑みを絶やさない彼には珍しく、不安そうな顔で時計の針を追っていた。
「……ボスはともかく、自分勝手の塊みたいなあいつ等が、わざわざ話し合いに出向いて来るとは到底思えないがな」
「ははは……。曲者揃いという噂は、やはり本当みたいですね」
「実際には人格までひん曲がってる連中だ。まぁ、奴等が来るような連中ではないって知っているし、それにあいつ等が出来る事と言えば見境なく暴れる事くらいだ。気まぐれで来られた方が面倒だろう」
「しかし、実力はハキムさんの折り紙付きなんでしょう? 素行の悪さは目を瞑るとして、それなら十分以上に黒猫と銀狼を圧倒出来ると思うのですが」
「束になってかかればそりゃそうさ。そう考えれば寧ろ召集は半分でも良かったかも知れない。……勿論、奴らが命令通りに動いてくれれば、の話だがな」
言葉の最後にそれを付け足すと、ハキムはこの日何本目か分からない煙草に火を着けた。彼の目の前に置いてある灰皿には、煙草の吸殻が山のように積まれている。それは既にハキムとロメオがこの部屋に来てから、数時間も経過している事を物語っていた。
「それにしても、あの方々はさておき、予定の時刻からもう一時間以上過ぎていますが……」
「分からないな、そこまでは。来ると言うのだから、来るんじゃないか?」
――最も、本当は居るのかどうかさえ怪しいけどな。
灰皿に溜まった吸殻を見つめながら、ハキムはふとそんな事を思う。
かつては“皇帝”と呼ばれた男。
経歴も、素性も、その姿も明らかではない存在だが、それを補って余りある力があったが故に、“皇帝”と呼ばれるに相応しい資格を持った吸血鬼。最強と呼ばれ、数々の豪傑を葬り、半ば伝説と成った男こそ、このノーブルブラッドを組織した我等がボスその人である。
しかし、それも過ぎる事二十年以上も前の話であって、彼は十年くらい前に協会に追われる形で何処かに雲隠れし、最近ではその姿を見かける者など全く居ない有様だ。最早“皇帝”という名前だけが一人歩きしたような状態と言っても過言ではなかった。
だからこそハキムは思うのだ。この組織のボスは“皇帝”の名を語る別の吸血鬼、若しくは“皇帝”に比較的近い身内の誰かなのではないかと。実際そう考えれば、長い雲隠れや連絡の全てに橋渡し役を使うのにも説明がつくし、何より妥当だ。故人の名前を使って人を集める事などありふれた事だ。
「一度も姿を見た事がありませんからね……。本当にあの“皇帝”なのか、私には見当がつきません」
「俺だって同じようなものさ。確かに一度顔を見た事はあるが、それも俺が組織に入る十年以上前の話だ。だったらボスが“皇帝”本人かどうかだって、怪しいもんじゃないか」
灰皿に煙草を押し付け、ハキムは頬を緩める。そしてソファの背もたれに体を預けると、ポリポリと頭を掻いた。
「それは私も思いましたが、それでもボスの正体は気になります。“皇帝”の名前を名乗る以上、それ相応の実力はあるんだろうとは思いますし」
「確かに本人じゃないにしても、大物ってのは強ち間違っちゃいないかもな。俺なら“皇帝”の名前なんて、恐れ多くて名乗る気すら起きない」
コンコン。
ハキムがそう言った矢先、今まで微動だに動かなかった部屋のドアが開いた。そこから顔を覗かせたのは、きっちりとした紺色のスーツを身につけ、金色の髪をポニーテールで纏めている一人の女性だった。
「遅かったじゃないか。アンジェラ」
何の躊躇いもなく、ハキムは普段の感じでスーツ姿の女性に声をかける。そしてアンジェラと呼ばれた女性は、切れ味鋭い目で一度辺りを見回しながら、音を立てないように静かに部屋の扉を閉めた。
「お久しぶりです、ミスターハキム、そしてロメオ神父。急な召集にも関わらず、貴重なお時間の方を割いて頂き、感謝しております。残りの方々はお姿がないようですが……」
「堅い挨拶は抜きにしよう、アンジェラ。それと、あの連中の事は放っておいていい。ところでこうして君が現れたという事は、そろそろ我等がボスがお見えになるという事で宜しいのだろうか?」
「ご察しの通りです、ミスターハキム。先程到着したとボスから直接ご連絡がありました」
そう言った彼女は窓のブラインドを下げ、ハキム達の方に振り返った。
「ん? アンジェラさんとボスは一緒ではないのですか?」
ロメオにしてみては、それは当然の疑問であった。なぜなら、普段の連絡事項のほぼ全ては、ボスから彼女を経由して伝えられるものだったからだ。それに今回の緊急招集の連絡も例外なく彼女を経由したものだったので、ロメオはてっきり彼女は常にボスの傍に居る、側近のような存在だと考えていた。
「結論から言えば、一緒ではありません。普段も連絡はほとんど電話なので、私も実際にお会いする事は滅多にありませんよ」
銀縁の眼鏡を押し上げ、彼女は淡々とロメオにそう言い切る。
「まぁ、それはそれでいい。それで肝心のボスは何時頃お見えになるんだ?」
「それは……」
――……!?
アンジェラの言葉が途切れ、同時に寛いでいたハキムとロメオが一斉に後ろに飛び退く。同時に、二人の身体中に凄まじい悪寒が走り回った。
努めて冷静だったハキムの額に、一筋の汗が流れる。それは緊張や怖気から生まれたものではなく、純粋で無秩序な、吐き気を催す程の存在感の切迫から生まれた驚きだった。
そしてそれは、一緒に居たロメオも同様だった。普段は笑みを絶やさない彼だったが、その作られた仮面を被る余裕を許さないほどのプレッシャーを彼は肌で感じていた。
「ミスターハキム、ロメオ神父?」
一瞬で蚊帳の外になってしまったアンジェラが、呆気に取られた表情で言った。まるでこの感覚を感じていないかのような彼女の姿に、臨戦態勢のハキムが周囲に気を配りながら振り向く。
「……アンジェラ。君は感じていないのか?」
「何をでしょうか?」
「この圧迫感だよ。君は、この差し迫った悪魔のような感覚を感じないのか」
「圧迫感? ……というのは?」
冷静に眼鏡を押し上げ、彼女はハキムに返事をする。その顔には笑顔は疎か畏れすらない。ハキムは軽く下を打つと、頬を伝う汗を拭った。
――協会の吸血鬼? なのか?
そんな考えが浮かぶが、ハキムはそれを直ぐに払拭する。有り得ない。本部のエースハンターならともかく、こんな辺境の地にそれほどの実力を持った吸血鬼が居る筈がない。
――それならば、この濁りきった存在感の源は、これを発している奴は一体何者なのだ。
「……居るのは二人だけか。まぁ、良い」
「!?」
部屋の何処からか声が聞こえる。低く重みのある、精悍な声。ハキムとロメオは思わずドアの方を振り向くが、そこには何も居ない。しかし、確かに声は聞こえたとハキムはロメオの方を向くと、彼もハキムの顔を向いて頷いた。
「お早いご到着でしたね、ボス」
唐突に、今まで場の空気から全く外れていたアンジェラが口を開く。
アンジェラの言葉の後、鋭く突きつけられた刃のような存在感が、少しずつ収縮してゆく。今まで漠然とした広がりを持っていた張り詰めた空気を巻き込んで、ゆっくりと人の形と成るような錯覚だった。
途端、ハキムはその事の異常さに気付く。それは突如として現れ、他のものを無差別に蝕んでゆく圧倒的な暴力。それは万物を恐怖で埋め尽くし、全てを足元に跪かせ、全ての頭上に鎮座する絶望的な災厄。
それはつまり ……“皇帝”の素質を持つ存在にしか許されない、まさに“頂点に君臨する”ための力。
「……アンジェラ。彼らと私に、何か飲み物でも持って来てくれないか?」
「畏まりました、ボス」
何の戸惑いも無く、アンジェラは頭を下げて部屋から出てゆく。頭を下げた先、部屋の奥のデスクテーブルの方には、至極当然の事だが、其処に座すべき存在、あの“皇帝”の姿があった。
「“鋼鉄”のハキム。“業火”のロメオ。確か、貴殿等と会うのは、これが初めてだったな」
唖然として立ち尽くしていた二人は、我に返って臨戦態勢を解く。そして一瞬の忘却から目覚めた彼らは、自分達が本来のあるべき姿ではない事に気付き、すぐさま片膝を地面に突いた。
「改めて名乗らせて貰おう。ハキム、ロメオ。……私の名はアルベリッヒ・フォン・ニーベルング。この私が、“高貴なる血族”の、その頂点だ」
************
「……」
「……」
遠くの方からセミの鳴き声が聞こえる。毎年相も変わらず、単調なラブソングを歌ってよくも飽きずにいられるもんだと思いながら、俺は大きな欠伸をする。
視線の先のテレビからは、普段学校に行っている間は絶対に見る機会がない、お昼のバラエティ番組が映っている。サングラスをかけた司会者がゲストと当たり障りのない会話をしているのを見ながら、今度は隣の方でセシルさんが退屈そうに寝返りを打った。
――…………暇だ。
一連の騒動も片付き、手付かずの夏休みの宿題も終わり、登校日にはきちんと登校した。お盆には両親の墓参りにも行ったし、時たまセシルさんを連れ立って出かけたりもした。
しかし、カレンダーは未だに八月から進まず、夏休みは未だに十日近く残っている。あんなに色々な事をしたのに、まだ夏休みは終わらないのだ。流石に飽きてきた。
「テレビ……消していい?」
「……ん」
セシルさんの了承を得られたので、俺はのそのそと立ち上がり、テレビの電源を切る。そうするとますます外のセミの鳴き声が煩く感じるが、もうそれもどうでも良くなって来た。奴等だって長い長い幼虫時代という下積みを経て、ようやくまっさらな大空に羽ばたいたんだ。精一杯のラブソングくらい、温かい目で見守ってやろうじゃねぇか。
そう思って身体を伸ばしていると、居間の静寂を掻き消して突然電話が鳴り始めた。しかし、俺はそんなものに構う事なく、座っていたソファに寝転がる。どうせ何時もの電話販売の類だろう。第一知り合いなら、俺の携帯電話の方に連絡が来る筈だ。
「信介君、電話」
「いいよ、どうせ電話販売だよ」
「ん。煩いから電話の音を切ってくれという意味だ」
「やだよ。ていうかそれならセシルさんが切ってよ」
「いや、私は客人だし」
「何処の世界に人様の家でそんな格好で寝転がっている客人が居るんだ」
因みにセシルさんの今の格好は、半ばデフォルトとなった俺のティーシャツとハーフパンツだ。現在は下半身は下着一枚というけしからん格好は俺が再三にわたって注意したおかげかやらなくなったが、それでも彼女は普段着は俺の服というスタンスは決して崩す気がないらしく、せっかく買ったセシルさんの服は、既にタンスの肥やしになっているという悲しい有様だった。
「仕方がないだろう、こうも暑くては」
「まぁ……確かに暑いから仕方ないけどさ」
そうこうしているうちに、電話の音はぴたりと止まった。そうすると、再び居間はセミの鳴き声に支配される。俺は一度ちらりとセシルさんの方を向くと、静かに瞳を閉じた。
――平和……だ。
これが嵐の前の静けさでなければいいが、しかし、セシルさんのこの様子を見れば、敵の吸血鬼が襲ってくる気配がない事くらい容易に察しがついた。という事はやはりそういう事で、これからしばらくは取り立てて騒ぐ事は起きないという事なんだろう。
――何というか、吸血鬼も夏季は休業なんだろうか?
などと下らない想像を働かせていると、今度は玄関の方でピンポンとチャイムが鳴った。せっかく良い感じで昼寝が出来ると思ったのに……。
「信介君、お客だ」
「分かってるよ、ちょっと出てくる」
俺がソファから立ち上がると、セシルさんも来客で気を使ったのか、身体を伸ばして起き上がる。そして彼女は大きな欠伸一つ残すと、そのままトイレの方へと向かった。
……ピンポーン。
「はいはい、今出ますよ」
寝癖を直しながら俺は玄関へと向かう。誰かお客さんが来るとは叔父さんからは何も聞いていないから、十中八九宅急便か新聞の集金のどちらかだろう。全くこのクソ暑い中、本当にご苦労様だ。
「はいはい、ご苦労様です……って、あれ?」
何時ものように事務的な顔をしながら俺は玄関のドアを開けるが、そこには予想していた配達員の姿も、集金のお兄さんの姿も居ない。今時古風なピンポンダッシュかと、俺は舌打ちしながらドアを閉めようとすると……
「何処を見ている! この空け者がっー!!」
次の瞬間、俺の視界の下の方から何か黒い物が動き、そして何かが破裂したかと思えるほどの大声が響いた。
「のわっ!」
「何よその鬼か悪魔かに出くわしたかのようなリアクションは? こっちはこの暑い日差しの中、態々出向いてあげてるんですけどっ! ていうか、兎にも角にも先ずは電話に出なさい!」
「何だ……四季かよ。びっくりした……」
ほっと胸を撫で下ろし、俺は額の冷や汗を拭う。一瞬、あの工場での出来事が頭の中にチラつき、まさかこんな真昼間に堂々と玄関から吸血鬼がやって来たのかと思ったが……。どうやら、そうそう命の危機というものは頻繁に訪れないものらしい。
「電話……? あ、さっきの奴か」
「あ、さっきの奴か、じゃないっ! 信ちゃんがケータイに出ないからしょうがなく家の方に電話したのに、どうして家の電話にも出ないんだこの大馬鹿者っ!」
「悪い悪い、てっきり電話販売の類だとばかり思って」
「こんな見目麗しい販売業者がそう易々とニホンに居てたまるかっ!」
見目麗しい販売業者がニホンに何人いるかは分からないが、とりあえず目の前の幼馴染は大層お怒りだと言うのは痛いほど理解出来る。そして、この幼馴染はやっぱり面倒くさいという事を再認識し、俺は痛む尻を摩りながら静かに身体を起こした。
「信介君、大丈夫か?」
「俺は大丈夫だけどさ……」
横から差し伸べられた手を取り、その力を借りて俺は立ち上がる。まったく、たかが電話に出なかった事ぐらいで、こんな面倒が起こるとは思わなかった。本当、世の中一寸先は闇ってもんだ。
「それで、四季。何か用事か? 確かに電話に出なかったのは悪かったが、俺は俺で結構……」
忙しい、と言おうとしたが、四季の顔を見て言葉が思わず止まった。今までの怒り顔が、今度はさっきの俺のように驚いた顔をして、視線はどこか俺とは違う方を向いていた。
「あの……四季?」
「……?」
「電話に出なかったのは、謝るけど……」
「……えっ! うん……それはね、別に忙しかったならそれで……うん。それで良いんじゃない?」
何かを察したかのように、四季は顔を真っ赤にして首を横に振る。まるで人が変わったかのような四季の様子に、次第に俺の頭の上は疑問符で一杯になっていった。
――俺、何か変な事でも言ったか?
「信介君、事態が飲み込めないのだが」
「俺に聞かれても分からないよ、セシルさ……」
その瞬間、頭に鋭い電流が突き抜ける。細胞の一つ一つに情報が流れ込み、眼下の光景を俺は理解する。突き抜けるは衝撃、突き刺さるは動揺。ようするに、俺はまた面倒くさいのが目の前に迫っていた事を理解したのだ。
「……セシルさん? どうして此処に?」
「君の悲鳴が聞こえたから飛んで来た」
俺の横には、何時ものように屹然とした表情のセシルさんが居た。勿論、あの例の真っ黒い服を着てるとか銃を持っているとか、そういう非現実的な格好じゃない。ていうか実際、セシルさんが吸血鬼とかどうかとか、今はそういう問題じゃない。
現在の問題はたった二つ。これがセシルさんと四季の初対面だと言う事と、
「……そのっ……ゴメンっ! まさか彼女さんが遊びに来てたなんて、本当に分からなくてっ!」
そして、此処が俺の家だという事だった。
************
正直、めちゃくちゃ油断していた。
そりゃ、セシルさん達が俺の近くに居る以上、こういった事態が起こる事もある程度は予測していた。勿論、その時の言い訳は用意していたし、セシルさんも別に空気を読めない訳じゃないから大丈夫だろうと思っていた。
「……」
しかし、高を括ったのは良くなかった。想定はあくまで想定だし、現実はそう上手くいかないのが常なのだ。予想外な事は起きるのが当たり前だ。
「へぇ。あの章平さんの知り合いなんだぁ」
「ん。正確には彼の友人の娘だ」
「……」
「ていうか、今更なんだけど日本語上手だよね? ニホンに来てもう長いの?」
「ん。来日してまだ日は浅いが、言葉は不自由しないように勉強はしている」
物怖じしない四季の質問を、これまた軽やかに返答するセシルさん。この二人のやり取りをかれこれ半時ほど眺めている俺は、手持ち無沙汰でしょうがないので先程自分が入れた冷たい麦茶をすする。とりあえず最悪の状況は避けられたのは確かなのだが、だが果たして、この状況はいかがなもんだろうか。
話を少し前まで戻そう。
玄関での一悶着の後、流石にセシルさんが俺の恋人だという誤解をしたまま四季を帰させるのは色々と不味かろうと、俺は強引に四季を引き止め、渋る彼女を無理矢理居間に連れ込み、必死の弁解を試みてようやく誤解を解いたのがついさっきの事だ。
その際、俺は上手い言い訳が思い浮かばず、とっさにセシルさんを叔父さんの知り合いと紹介してしまったが、どうやらそこはセシルさんが気を利かせて話を合わせてくれ、彼女は見事に『叔父さんの知り合いの娘で、以前から興味のあったニホンに長期で滞在している外国人』という風に俺の紹介を昇華してくれたのだった。
そして現在。セシルさんの機転のおかげで四季の誤解の方はどうにか解けたが、しかし四季の物怖じしない性格と、セシルさんに対する彼女の好奇心が相まって、今はセシルさんは彼女の質問攻めにあっている状況だった。
「それにしてもお人形さんみたいで本当に美人だよねっ!」
「ん。私にしてみては、君の方が女性的な魅力に溢れていると思うが……」
――……それはそうと、そろそろ四季を止めた方が良いのだろうか。
昔からの付き合いでよく分かるのだが、一度こいつのペースにはまると抜け出すのは至難の業に近い。そろそろセシルさんに助け舟を出さないと、下手をすれば日が暮れるまで四季の質問攻めは続くだろう。
「なぁ、話の最中で申し訳ないんだが……」
俺の言葉に、四季とセシルさんが同時にこちらを振り向く。俺は持っていた麦茶をテーブルに置いて口を開いた。
「そもそも四季は、どうして電話したんだ? 何か用事でもあったんじゃないか?」
俺にそう言われ、四季は眉を顰めて首を傾げる。そして、何かを思い出したか、はっとした顔をして再び顔を俺の方に戻した。
「そうだそうだっ! すっかり忘れてたっ! ちょっと待って!」
笑いながら四季はポケットから何かを取り出す。その間、四季の隣に座っていたセシルさんと目が合ったが、特に何を言う訳でなく、俺は視線を四季に戻す。セシルさん、分かっている。だけど本人は悪気がないからそこは勘弁してやってくれ。
「まぁ先ずはこれに注目してくれたまへ!」
そう言って四季はポケットから取り出したチラシを広げ、テーブルの上に置く。俺とセシルさんはそれをしげしげと覗き込むと、其処には「魁皇夏祭り」という見出しがでかでかとプリントされていた。
「ああ……もうそんな時期になるのか」
思わず声を漏らし、俺はテーブルの上のチラシを手に取る。そういえば毎年この時期は、川沿いの方で祭りをやってるんだよな。小さい頃はよく四季や近所の友達と一緒に遊びに行ってたけど、最近はすっかり存在を忘れてた。
「それで、この夏祭りがどうしたんだ?」
まぁ、このチラシを四季が出した時点で、何となく彼女が言いたい事は分かったのだが、そこは念のため。
「どうしたも何も、地域の祭りを盛り上げるのは、地域住民の務めじゃない?」
「それは役場の務めだと思うが」
「はいはい、寝言は寝て言え。そういうコミュニティのメンバーである自覚の欠如が昨今のロンリーな社会の根本的な問題なんです」
「それはまた別な問題だと思うけど。ていうか、お前は宿題は終わっているのか? もう夏季休業は終わりだし、そろそろ本気でやらないと新学期早々居残りとかに成るぞ?」
「それは大丈夫っ! 信ちゃんが終わってるなら大丈夫っ!」
「他力本願甚だしいだろそれっ! お前自分の宿題を複製作業かなんかと勘違いしてないっ!?」
「そんなっ! 複製じゃないよっ! ばれないように適度に間違えるから複製じゃないよっ!」
「余計駄目だろ! ……とにかく、宿題は自分でやりなさい!」
「あーっ! もう何も聞こえないーっ! 聞きたくないよそんな現実っ!」
耳を塞ぎ、小声でエマージェンシー、エマージェンシーと呟く四季の姿を見たセシルさんが心配そうな視線を俺に向けるが、俺は首を横に振る。これはこれで見慣れた光景だし、何より四季の自業自得だろう。至って問題はない。最も、四季の方は問題大有りだが。
「むー……。分かった……。宿題は自分でやる」
ようやく現実に戻って来た四季は、俯きながら俺にそう返答した。
「それじゃあ勉強……」
「そのためにも、祭りに行って活力を得なければっ!」
先程のパニックが嘘のように開き直って得意げな顔をしている四季を見ながら、俺はやれやれと溜め息を吐いた。彼女はどうあっても宿題という現実とは向き合いたくないらしく、さらに夏祭りへの参加は、四季にとってはもう決定事項のようだった。
――例え僅かでも彼女が本気で分かってくれたと思った自分が情けない……。
「それならまぁ、俺は暇だったら行くよ」
このままでは埒が明かないと思った俺は、しれっとそう言う。自分の首を絞めてでも夏祭りに行きたい四季には悪いが、俺はもうそれほど祭りに心は躍らないし、第一遊ぶような金はそれほど持ち合わせていない。どちらかと言うと全身汗だくで忍び寄る蚊の恐怖と闘うのが嫌なくらいだ。
「ふぅん……。それじゃあ仕方ないか……」
それは残念と、四季は軽く息を吐く。案外あっさり引くもんだなと一瞬思ったが、彼女は強引だが無理強いするような事はしないし、それにきっと宿題への危機感のようなものが芽生えたのだろう。俺はほっと胸を撫で下ろすと、そろそろぬるくなった麦茶をすすった。
「所で、今日はこうして家に居るみたいだけど、今日は何か予定はあるの?」
「いや、今日は特に何もない…………ぶっ!」
口に含んでいた麦茶を盛大に噴き出し、俺はもう一度テーブルの上の夏祭りのチラシを凝視する。その瞬間、背中に冷たい汗が流れる。そのチラシに書かれていた、夏祭りの開催日。……そう。その開催日は、ものの見事に今日の日付と一致していたのだ!
やられたと思い、俺は四季の方を見るが、それももう時既に遅し。俺の視線の先には、それはそれは不敵な顔の幼馴染の姿があった。
「という訳で、信ちゃんは今日は特に予定もなく、暇なので参加、と」
俺への敗北を突きける様に彼女は“参加”という部分を強調し、笑みを浮かべながら親指を立てる。誘導尋問に近い質問を何気ない会話に滑り込ませるあたり、彼女にとっては俺が面倒くさいから断る事なんてお見通しだったのだろう。最早、ここまで来ると感心してしまうから不思議だった。ていうか、どうしてその頭の回転を勉強に活かさない!?
「それじゃあ、信ちゃん。五時くらいに私の家の前に集合って感じで。それと、遅れる時は必ず電話すること!」
俺はまだ祭りに行く事を了承をした覚えはないが、しかし、今更何を言っても無駄なんだろう。最も、俺自身祭りにいくのはどうしても嫌だという訳ではないし、最大の危惧である吸血鬼の気配すらない。加えて最近は暇だったし、丁度良いと言えば丁度良かったのかも知れないな。
――後は虫除けスプレーがあれば良いんだけどね。
「分かったよ。それじゃあ一通り家事が片付いたら一応連絡をする」
全てを観念し、俺はとりあえず四季にそう返事を返した。しかし――
「……」
俺の返答がよほど不満なのか、何も言わずにじっと傍観しているセシルさんは猛禽類のような視線で俺の言動の改めるよう訴えかけて来ていた。
……分かってるって。人が集まるような所に行くなって言いたいんだろ? 大丈夫、俺には俺で考えはあるから。
「ただし」
用事を終えて帰り支度を始めていた四季を引き止める。俺はセシルさんの方を横目で見ると、再び口を開いた。
「セシルさんを一人で家に残せないから、彼女も連れて行くからな」
これなら考えられる吸血鬼の危険はぐっと減るだろうし、それに恐らくセシルさんも納得はするはずだ。
俺はもう一度セシルさんの方を見ると、どうやらそれで概ね及第点だったらしく、彼女の眉はさっきよりも微かに開いていた。
「それなら全然大丈夫だよ。寧ろセシルちゃんが来るなら大歓迎っ!」
そう言いながら四季はセシルさんに笑みを向ける。本当に、俺の幼馴染は良くも悪くも単純で大いに結構だ。
「そうだな、出来れば同伴させてくれると助かる」
セシルさんはこくりと頷き、何時ものように穏やかな口調で返事をする。内心、セシルさんのその様子は四季を好意的に見ているように見えた。
************
一日ベッドの上で寝ていたのに、彼は疲れきった顔を浮かべて微かな寝息を立てている。上半身には未だに癒えない火傷を隠すように包帯が巻かれ、自力で息をするのも困難な彼の口には吸入器取り付けられていた。
両腕の包帯を見つめ、彼女は強く下唇を噛み締める。今は包帯に隠れて見えないが、彼の感電による重度の火傷は相当重症らしく、そのため包帯を取り替える時は彼の身体には激痛が走り、その度に彼は小さな悲鳴の声を上げていた。
「……どうして私なんて……」
先日の闘いで、無謀と知りながらも協会のエースハンター、“銀狼”のセシルに闘いを挑んだ二条薫は、目の前で眠り続けている趙雲海にそう問いかける。しかし、当然答えは返ってくるはずはなく、彼女の言葉は部屋の静寂に吸い込まれていった。
全ては、自分の向こう見ずによって生まれた事だった。しかし、結果的に大怪我を負ったのは自分ではなく、昔から自分を慕ってついて来てくれた男だったのだ。彼女は自分の愚かな行動を悔やみ、噛み締めた唇に一層の力を込めると、じんわりと鉄の味が彼女の口に広まった。
あの日以降、直属の上司であるロメオとの連絡は途絶えた。そして、そこで彼女はようやく自分達は葛城信介の身辺や日本支部の動向を探るための“捨て駒”にされた事を理解した。
思い起こせばあの文化祭襲撃も日本支部の目を他に逸らせるためと聞かされていたが、しかし、本当は支部の動向を探るためと、矛先を自分達に向けるためだったのだろう。そう考えると全てに合点がいった。
――……畜生。何が決死の覚悟だっ……。何が……。
溜め込んだ思いを吐き出す事が出来ず、彼女は悔しさを何度も何度も反芻する。周りが見えず、ロメオの心中を図る事が出来なかった自分を殴りつけたかった。自分の命を顧みず、ただひたすらに彼女を救おうとした趙を蹴りつけたかった。
「あの……下衆野郎……っ!」
……ただ何より、自分や趙を裏切った、ロメオを叩きのめしたかった。彼女の悔しさは次第に怒りへと変わり、晴れる事のない怒りは彼女の心を染めてゆく。
途端、彼女は立ち上がると、机の上に無造作に転がっていた車のキーを手に取った。そして今も小さな寝息を立てる趙の頬を撫ぜると、振り向かずに病室を後にする。
「……天枢町のあのビルで待ち伏せれば……」
うわ言のようにそう呟いた彼女の瞳は、復讐の色に染まっていた。
連絡事項。
モンハンの小説の方、プロットの方は出来ているんですが、モンハン3にて設定が微妙に異なってしまったため、暫し凍結。
後はコメディを何本か投稿予定なんですが、こちらは気が向いたら投稿という事で。