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Full metal jacket 4

 

 二条の目に映った光景は、彼女にとっては希望の欠片もない、純粋で圧倒的な絶望そのものだった。


 ――冗談じゃないっ!!


 確かに命中したと、この目で確認したのだと、二条は必死に自分に言い聞かせた。しかし、現実は彼女にそこまで甘くはない。彼女が幾ら目の前の光景から目を背けようとしても、セシルは何事もなかったかのように、あの美しくも、凍て付いた死神の鎌のような表情を二条と趙に向けているのだ。


「薫、俺の事なら、心配しないでくれ。もう一発くらいなら、多少威力は落ちるが雷撃も放てる」


 途切れ途切れに趙が口を開いた。それを聞いた二条の表情が曇る。何が心配しないでだ。彼はここまでボロボロになっているのに。それに、もう一発でもあの攻撃をしたら、本当に彼の腕は吹き飛んでしまうではないか。

 セシルを覆っていた薄い灰色の雲が霧散し、空間が再び雨音に支配された。しかし、それでもまだセシルは顔を上げていない。まるで此処までの経緯を全て忘却してしまったかのように、何度も深い呼吸を続けていた。


「向こうもまだ、完璧に戦える状況って感じじゃないわね」


「それを加味しても、まだまだこちらは圧倒的に劣勢だろうけど」


 自嘲気味な言葉ではあったが、趙の言葉は的を得ていると二条は思う。例えこの場に居るのが彼女一人であっても、状況は大して変わらないだろう。そう思わせるほど、セシルの姿はまだまだ鬼神のように見えた。


「趙……とりあえず、逃げるわよ」


「……賢明な判断だな、お嬢さん」


 セシルの異変に気付いた二条の決断は、このまま闘争を続ける事ではなく、逃走だった。ほぼ直感的にそういう風に判断した二条が、趙の身体を強引に持ち上げた。


 ――私の命はどうでもいい。だけど、趙はロメオがやって来ない事を知っていても、それでも私の元に来てくれたんだ。


 趙が言葉少なくとも語った事。その意味を理解出来ないほど、二条は愚かではなかった。そして、どうしてロメオが来ないのか、その理由もこの僅かな時間で彼女は容易に想像出来る。闘いを続けても、残るのは自分と仲間の見るも無残な死体だけ。それでは彼女も彼の目的は果たせないのだ。

 趙の腕を引っ張ったその一瞬、趙の深く傷付いた両腕が二条の体に擦れ、趙が痛みの声を上げた。それでも彼女はそれを気にも留めずに立ち上がる。その姿を間近で見た趙が、二条に思わず声をかけた。


「俺を置いていっても……俺は構わないけど」


「あんたは私を見捨てようと思った?」


「ははは、痛い所を突くね」


 そうだ。まだ自分や趙は死んでも良い身体でない。それに古賀や英でさえ、自分が命令した以上放っておく事は出来ないはずだ。ここで退かなければ、自分は死んでも死にきれないだろう。二条の心は既に決まっていた。


「趙、暫く腕が痛むかも知れないけど、我慢して」


 二条は趙に確認を取ると、直ぐにセシルの方を振り返り、半ば趙を背負う形で懸命に車へと向かって走る。車まではさほど遠くはない。例え趙を背負っていても、彼女ならものの数秒で到達出来る距離だった。

 そして、彼女にとって一向に銀狼がこちらに動こうとする気配がないのは不思議でもあり、有り難くもあった。ひょっとしたら、あの光弾で向こうは何かしらのダメージを追ったのかも知れない。だから追っては来れないのではないか。しかし、二条には止まってそれを確認する余裕はない。今は必死になって、せめて趙だけでも逃がさなければ。その思いが彼女を前へ前へと押しやった。


「!?」


 だが、彼女はそのコンマ数秒後、自分の考えが間違いであった事に気付く。その原因は、彼女が肌に感じた猛禽類のような存在感だった。僅かな時間だったが、確実に二条と趙の背中を捉えた事に彼女は戦慄する。弛んだ空気が、再び引き千切れんばかりに張り詰め、時間がゆっくりと流れ始めた。


 ――だけど、もう少しだ。もう少しで車のドアに手が……


「――薫!」


 恐ろしい感触に、逃げるように足を動かしていた二条の耳に、直ぐ後ろから趙の声が響く。

 その声に、二条は咄嗟に後ろを振り向いた、その時だった。耳に残るあの不快な破裂音が再び空間に木霊し、忌々しい破滅の調べが雨音すらも掠れさせる。――アインヘリャル。彼女の脳内にその文字が浮かぶ。そしてその意味こそ戦闘再開の合図でもあり、銀狼が未だ何の致命傷を受けていない事の証拠であった。


「まっ……!」


 空間を疾走する弾丸の速度に、二条のマイフェアレディは間に合わない。戦闘経験の浅い彼女ではあるが、それだけは直ぐに分かった。況してや後ろに趙を背負ったこの体勢では、彼女は避ける事もままならない。だが、彼女が微かにたじろいだその一瞬、二条の身体が思いもよらぬ方向に傾く。バランスを崩した彼女の身体は、そのまま一気に後ろへとよろけた。

 趙の背中がコンクリートにぶつかる寸前に、二条は無意識のうちに残った力を両足に注ぎ込み、何とか後ろに倒れるのを回避する。そして次の瞬間、肉眼では直視できないスピードで、弾丸は歯を食いしばった二条の顔面スレスレをかすめていった。


「趙! あんた……」


 体がよろけた原因が趙であった事に、二条はようやく気が付き、後ろを向いて必死に口を開く。また趙に助けられた。それも命の危機を二回も。そんな彼女の表情に、彼は笑みを浮かべた。


「悪い。だけどまぁ、これは少ない運び賃って事でさ。本当なら、俺がエスコートしたいと思ってるし」


 相変わらず減らず口を叩く趙に、二条は何も言わずに肯く。だが、銀狼が何時またアインヘリャルを撃つか分からない。そう思った彼女はすぐさまセシルの方を向いた。

 雨音の向こうに佇む死神の姿に、二条は端整な顔を歪める。この女は、きっと首から下が吹き飛んでも、執念だけで何処までも追って来るような奴だ。二条の背中に再び悪寒が走った。


「悪いがお前もその男も、私は逃がす気など更々ないぞ」


 両手で銃を構え、セシルは満身創痍の二人を見つめて口を開く。その目は以前として深い闇と漆黒の殺意を携え、尚も眼前の二人を打ち倒さんが如く輝いている。その恐ろしいほど光り輝くセシルの瞳に、二条は動揺を隠しきれなかった。


「……化け物って言葉が、本当によく似合う女ね、あんた」


 皮肉交じりの本音だった。今になってロメオが言っていた、“格の違い”というものを二条は否応無しに実感する。下手をすれば、あのロメオでさえもこの銀狼の前では無力なのではないかと彼女は次いで思った。

 しかし、確かに格の違いは彼女には大きすぎる枷であったが、それでも尚彼女の決意は変わらない。受けた恩義は何が何でも返す。そうしなければ自分も死に切れたものではない。その一心で彼女は必死に頭を働かせた。


「私に言わせてみれば、お前達が弱すぎるだけだ」


 二条の思考を遮り、セシルが落ち着き払った声で言った。虫一匹潰すのと同じような顔つきに、二条は恐怖の感情とは別の感情が芽生えるが、状況は相変わらず変わらない――自分が時間稼ぎをするか? しかし、趙のこの腕では車の運転は不可能だ。どうすれば良い? どうすればこの状況を脱せる? 彼女の頭の中で、永遠とも思える思考の連鎖が続いていた。


「っ! 薫!」


 何かに気付いたように、趙が垂れ下った右手が二条のブラウスを掴んだ。何事かと二条は趙の方に視線を向けると、趙はその視線をゆっくりとセシルの足に向けた。それに従い、彼女も続けて彼の視線を追った。


 ――…………震えている?


 二条がその様子を見て思った、率直な感想だった。確かに良く見なければ分からない程度のものだったが、それでも震えているのには変わらない。そして間を置かずに被せるように趙が口を開く。

 

「どういう事かは理解に苦しむけど……どうやら状況はまだ絶望的ではないようだ」


 趙の言葉に、二条は肯いて返答する。闘うにはリスクがまだ高すぎるが、逃げるだけなら十分過ぎる幸運だった。今すぐ走り出したい衝動を堪え、二条は気を取り直して趙に言った。


「後ろの“目”は任せたわよ、趙」


「……ははは。お安い御用です、プリンセス」


 その言葉とほぼ同時に、二条は踵を返して猛然と車へ走りだす。ほんの一秒ほどの時間を彼女は疾走し、無我夢中で車のドアに手をかける。鍵はかかっていない。後は車に乗って此処から走り出すだけだ。


「っ! 逃がすものか!」


 正確に狙いを定めたセシルのアインヘリャルが、一回、二回と大きな音を生んだ。しかし、そんな事を考えていないほど、趙も二条も甘くはない。


「薫!」


 趙の言葉に反応し、半身になって右手から素早く二条はマイフェアレディを顕現させる。雨を切り裂いて召喚された彼女のもう一つの右腕が、一発、二発と弾丸を弾く。無論、二条の両手の支えを失った趙が力なく地面に滑り落ちそうになるが、彼女はすかさずもう一つの左手を召喚し、その手で趙の身体を支えた。


「早く乗って!」


 開いたドアから無理やり趙を奥の助手席へと押し込み、二条も間髪入れずに素早く運転席へと座る。そのまま顕現し続ける彼女の左手がエンジンをかけ、彼女は休む間もなくギアを入れた。


「っく!」


 セシルは車を止めようと走り出そうとするが、どうも両足は上手く動いてくれなかった。圧倒的に“血”が足りていない。ニホンに来て一度も血を飲んでいなかった事が、此処に来て大きな痛手となったとセシルは思い知らされる。大きな誤算だったと、セシルは荒ぶる気持ちを抑えて銃を握り直した。

 しかし、セシルは引き金を引けない。足の震えが、今になって両手の指先まで広がったからだ。狙いが定まらず、ついにセシルは地面に膝を突く。一呼吸置かねば、彼女の身体は言う事を聞いてくれそうになかった。

 その様子を遠目で確認した二条がアクセルを踏む。銀狼は疲弊しているが、自分達はそれ以上に弱り過ぎている。だから今は、必死になって逃げる事が重要だった。

 数多の雨音を掻き消す騒音と水飛沫を上げ、二人を乗せた車が猛スピードで発進する。セシルはその車に標準を合わせるが、舌打ちをして銃を下ろす。吸血鬼相手でなければ、アインヘリャルの弾丸はただの弾丸と何ら変わらない。そしてたかだか一発の弾丸で、車を止められるほどセシルの体力は残っていなかったのだ。


「はぁはぁ……」


 セシルの視界の先から、どんどん車が遠ざかってゆく。しかし、体力的にそろそろ限界を迎えようとしていた彼女には、その様子を認識するのにも時間がかかった。そして、彼女がようやく緊張を解いたのは、二条達の車が遥か彼方に消えた後の事だった。


 ――真逆、ここで“血の力”を使ってしまうとは。


 大きく息を吐き、両膝地面に突いたセシルの身体から力が抜けてゆく。趙の放った“フルメタルジャケット”を避けるために思わず力を使ってしまった事を後悔したが、それも今では後の祭りだった。これではもう、葛城信介の居る所に行けるかも怪しい。セシルは大きく息を吸うと、震えた指でアインヘリャルを腰に戻した。

 完全に力が抜け切ったセシルの身体に、容赦なく雨がぶつかる。闘いの最中ではただの背景でしかなかった道路の灰色をセシルは見つめ、言葉なく眉を顰めた。

 それでも、セシルの憤りは収まらない。二条達を討伐出来なかったという事より、最後まで葛城信介を守り切れなかったという事実が彼女に重く圧し掛かる。畜生、と、彼女は唇を噛み締め、そこから雨の色とも違う、真紅の雫が零れ落ちた。

大分間を空けてしまいました。更新スピードはまた二月くらいに私事で落ちると思いますが、それまでは通常ペースで投稿しようと思います。


最後に。評価、感想は何時でも大歓迎。

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