Full metal jacket 3
「見つけた……」
信介が一階の製造室に入る少し前。古賀とは別行動を取っていた英藤子は、信介がまだ工場の中に居る可能性を考え、そして古賀との約束通りに工場から離れずに出入り口を見張っていたのだった。
しかし、彼女の放った協力者“リビングデッド”が目標を発見した事が分かると、彼女は踵を返して工場の中へと向かう。何処の誰かの反応かは彼女は分からなかったが、それでも反応は確かだ。これで大分捜索の範囲が狭まったと、彼女はそう思った。
「……」
途中、バスの中に残った他のリビングデッドが目に留まるが、彼女は気にせず歩みを進める。あれは用済み。使い道はもう、恐らくやって来ない。最初、このバスに乗る事になった趙は、終始眉を顰めて不快な顔をしていたが、それはどうしてかは彼女には分からなかった。だが彼女にとってそんな趙の顔や、況してやバスの中の名前も知らない人間達などどうでも良く、はっきり言ってそこ等辺の路傍の草と何ら変わらなかった。
目の前を、数人のリビングデッドが走り抜けてゆく。この様子さえ確認出来れば、“彼等の不具合”ではないという事は確かになった。後は追い詰めるだけだ。
――古賀君に連絡しないと。
歩きながら彼女は、脳内でパソコンの画面を出来るだけ鮮明に、尚且つ具体的に思い浮かべた。その画面は無機質なブルーの背景に、三つのフォルダのみが浮かんでいるディスクトップの画面だ。
彼女はそのファイルの中にある、“LD”というシンボルマークのフォルダを開くと、そのフォルダの一番最後にあるデータの中を覗く。そうすると当に本物のパソコンの画面のようにデータが開き、其処には英字で書かれた一つのプログラムが浮かび上がって来ていた。内容は極々簡単な内容のものだったが、その形式は非常に独特で、所々に意味不明な内容が書き込まれていた。
――“目標変更”、“対象域”、“行動選択”……。
およそそういう風に書かれていたプログラムを変えるように念じ、それの変更が完了した事を彼女は確認する。そうすると今度は彼女は、何かを探すようにすぐさま辺りを窺い始めた。
彼女に目に映ったのは、葛城信介が最初に倒した二十歳半ばくらいの青年だった。倒れているその青年に彼女は近づくと、徐に青年の頭を掴む。そして彼女は先程思い浮かべたプログラムを想像し、ふっと力を入れて青年の頭の中にそのイメージを押し込んだ。
「……」
何も言わずに青年が立ち上がる。その目は、先程と同様に光なく、呆然と明後日の方を向いている。だが、今度は先程とは違う。青年の足はまるで何かに引きずられるように入口の方へと向かい、ふらふらと外に出てゆく。英は、その青年の影が完全に消えるのを確認すると、再び前を向いた。
彼女の能力は、言わば誰かの思考をコントロールする能力だった。組み上げたプログラムを普通の人間に押し込み、そしてそのプログラムに沿った内容の動きを押し込まれた人間はするようになる。これが彼女の能力“リビングデッド”であり、二条が彼女の能力が自分の能力よりも優れていると思う所以だった。
無論、この世の全てのモノに欠点があるように、彼女の能力にも欠点はある。一つは未だ複雑なプログラムを彼女が組めないという事とと、一度作動させると“動いている”“動いていない”の情報しか分からないという事だった。しかし、後者はともかく、前者については彼女の技量次第でどうにでもなるし、現時点では二条にとって十二分な戦力であるのは確かだった。
「中庭……二階……三階……四階……やっぱり動いているのは一階だけ……」
この階の人間のプログラムだけ発動している。それはつまり、目標は現在もこの建物の中に居て、しかも自分と同じ階に居る。しかもこの建物には各階に非常口があるが、この階の非常口には鍵がかかっているし、内と外両方にリビングデッドを配置している。そして隠れられそうな所は、一つだけ……。そう結論付けると、彼女の行動は早かった。
英は頭に一つのプログラムを思い浮かべ、それを近くを走っているリビングデッドの頭に押し込んでいく。本来なら、既存のプログラムの上に強引に別のプログラムを入れると不具合が生じる事がある事を、彼女は経験によって理解していたが、しかしそんな事は知った事ではない。どうせ壊れるのはその人間なんだし、私には関係ないと、手当たり次第に彼女はリビングデッドの頭にプログラムを押し込んでいった。
――大体半分くらい……。
彼女がリビングデッドにプログラムを押し込んだ回数が十を超えた頃、彼女は遂に真っ直ぐに目的の場所へと移動する。其処は、現在信介が隠れる、あの広い製造室だった。
古賀茂が工場の外に出てから、早いものでもう半時が経過しようとしていた。
「もう下の道路に降りたって事は……ねぇよな」
独り言のようにそう呟き、古賀は道路沿いに設けられたガードレールを越えて辺りを見回す。彼の予想だと、ここ等辺は周りも山に囲まれていて、確実に麓に出るにはこの道を通る必要がある。だから、あの男は絶対にこの道の近くに居る。彼は慎重に辺りを窺いながら、少しずつ奥へと進んでいった。
――絶対に見つけてやる。もう失敗なんて、無様な真似は出来ねぇ……。
古賀は、この作戦を実行する前から、ある危機感を感じていた。
それは、しばらく工場跡で一緒に生活していた趙から聞いた事だったのだが、このノーブルブラッドには役に立たない吸血鬼は殺されてしまうという何とも恐ろしい掟がある、という事だった。
その話を聞いて、先ず最初に古賀が浮かんだ事は、二度に渡る葛城信介捕獲の失敗だった。確かに、一度目は単独行動で、且つ葛城信介の情報は手に入れたから幾分は救いがあるものの、二度目は明らかに自らの失敗だ。二条がどのように上に報告したかは分からないが、このままでは確実に役立たずの烙印を押され、自分は殺されてしまうという、彼には彼なりの恐怖があったのだ。
「やはり、もっと下に降りたのか?」
山道の半ばくらいまで降りては見たものの、古賀は目標の発見はおろか、手がかりすら見つけられずにいた。彼に微かな焦りが浮かぶ。もし、葛城信介が一目散にこの山道を下ったとしたら、それならもうもしかしたら別の道に抜けてしまっているかも知れない。
古賀は舌打ちし、口に溜まった唾を構わず道路に吐き捨てる。このままでは拙い。山中にもリビングデッドを放っていると英が言っていたのを彼は思い出すが、所詮は人間の力だ。突破されない保証はなかった。
古賀は一度道路へと戻り、ポケットから携帯電話を取り出す。何かあったら、趙に連絡するようにと渡された携帯だったが、趙が二条と共にあの忌まわしき“銀狼”と闘っていたら、確実に電話は通じない。しかし、それより何よりも、此処で自分が失態を犯した事を上の者に知られる事が、彼は堪らなく怖かった。
――畜生。やっぱり電話はかけられねぇ。
趙ならもしかしたら、失敗を自分の内の中に収めてくれるかも知れない。だが果たして、それで古賀自身は納得出来るだろうか。そう考えると古賀は携帯をポケットに仕舞う。自分のミスは自分でどうにかしなければ。
「……ん?」
ふと、古賀は道の先に何かを発見する。先ほどからちらほら見かける木々や看板などではない。だが、人影にしては色彩が強い。彼は多少の警戒を孕みながらその物体に近寄ると、正体を確かめようと凝視した。
「!?」
それが何か分かった途端、古賀は思わず息を飲んだ。それは、英が当初放ったと言っていたリビングデッドの、それも倒れて動かない姿だった。しかもそれだけではない。辺りをもっと見回してみると、他のリビングデッドも同じように倒れて機能しなくなっている。
古賀はその惨状から目が離せなくなっていたが、頬に落ちた雨と、濡れそぼったシャツの冷たさで、ようやく頭が回り始める。これは全部葛城信介がやったのか? その考えが頭をかすめる。しかし、それはどうにも納得できない。一対一なら分からなくもないが、此処に居るリビングデッドは複数だ。あの男なら間違いなく一目散に逃げるはず。だとしたら、一体誰が……。
「色々と手探りだったから、様子見をしていたのだが……ようやくまともな奴に会えたな」
急に背後から聞こえた声に、古賀は咄嗟に振り返って戦闘態勢を取る。聞きなれない声、思いもよらない声。一瞬、銀狼が来たのかと思ったが、あれは確か女だ。今の声はどちらかと言うと時間と経験を積み重ねた、壮年の男の声だった。彼は一先ず冷静になり、そっと辺りを見回した。
だが、彼が幾ら周りを窺おうにも、数多に茂った木々が彼の視界を奪い、一向に声の主を発見できないでいた。当然の事ながら、気のせいと言う事はない。
古賀はその時、後ろから迫る黒い影に気付いていなかった。その影は人の姿をしているが、所々歪にノイズが走り、次の瞬間には小さな猫の影になって再び人の姿に戻る。その影は静かに古賀の後ろに到達すると、まるで地面から這い上がる様に、古賀の背中から首にかけて、ゆっくりと昇っていった。
「……ノーブルの吸血鬼にしては、大分集中力と注意力にかけるな」
「!?」
言葉が聞こえ、古賀が直ぐに振り向こうとしたその時。古賀の視界は後ろの何かを捉える事無く、暗黒の彼方へと向かってゆく。
古賀は何が起こったか、その刹那の時まで全く気づく事が出来ず、ただただ暗くなった目の前の光景を見つめ続けていた。銀狼に似た周囲を圧迫する感覚がしたのは確かだったが、今はそこまで思考が回らない。彼は薄れゆく意識の中で、辛うじて分かった事と言えば、自分は“再び誰かに負けた”という事だった。
「まだまだ発展途上、もしくは失敗作、と言った所だな」
古賀を昏倒させた謎の影の正体、アルフレッド・フレイスターは、倒れた古賀に向かって口を開いた。本当なら今後のためにも“アインヘリャル”で攻撃しても良かったのだが、些か不穏な空気を感じていたアルフレッドは敢えてそれをしなかったのだ。
アルフレッドはポケットから受信機を取り出し、再び画面を確認する。此処に来るまでずっと止まっていた、信介のバッグに入っているはずの発信機が、再び別の場所に動いて停止していた。信介を他に移すためか、それとも信介が拘束から抜けて動いているのか。どちらにしろそれは彼にとっては好都合だったが。
――とにかく、信介があの工場の跡地に居るのは確か。しかし、あの“グラストンベリーの邪教徒”が姿を見せないのも気になるしな……。
アルフレッドの予想だと、恐らくロメオは拉致した信介を本部に連れてゆく役割なのだろう。アルフレッドはロメオの上に君臨する吸血鬼が、どれだけ警戒心が強いかよく心得ているつもりだ。例え同じ組織の人間でも、自分の信頼する者でなければ居場所を知らせない。奴は吐き気がするくらい用心深いから、だから恐らくロメオはそういう役割のはずだ。
アルフレッドは山の中腹にそびえる工場跡を見つめる。これもアルフレッドの予想の域を出ないが、ロメオはまだあの工場には来ておらず、信介君もきっと逃げ続けている。工場跡から出れないのは、別の吸血鬼が居るせいか。
「しかし、どうも引っ掛かるな」
運ぶ役割のロメオが、どうしてこの場所に居ないのかそれだけはアルフレッドにも見当がつかなかった。バスの到着の五分後には工場近くにまでやって来ていた彼は、其処でロメオを迎え撃ち、あわよくば敵のボスの居場所を吐かせようと考えていたのだ。だが結果的に奴はやって来ない。勿論アルフレッドも根気強く待ったが、それでもロメオが姿を現す様子はなかった。
――まぁ、良い。それなら信介をさっさと救出するまでだ。
何を考えているか分からないロメオは一先ず置いておいて、アルフレッドはとりあえず工場へと向かう。彼は信介を半ば餌のように扱っていたのを悪いとは思ったが、それも元を正せば信介のためだ。アルフレッドはきっと信介の父親が生きていたら、絶対に怒られただろうなと苦笑しつつ、軽やかに跳躍して木の上に昇った。