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My Fair Lady 4

 ここまで誰かにしてやられたと思ったのは、忘れもしない小学校三年生の時、初めて将棋を差した時以来だった。

 大方の予想通り俺が連れて来られたのは、天枢町の中心部から大きく外れた山間部の今は使われていない工場だった。開きっ放しの門を潜り、バスは工場の前の駐車場らしき広いスペースに滑り込む。この無言の運転手と申し合わせでもしておいたのだろうか、そう思えるほど此処に来るまでの流れはスムーズだった。


「さてと……降車の時間だぜ? 青少年。荷物はどうするんだい?」


 俺の隣に座り、ずっと無言で音楽プレイヤーを聞いていた例の吸血鬼は、イヤホンを取って俺の方を向いた。


「……あのな、ここまでしておいたら最後の最後までしっかりエスコートしろよ。俺はこうして晩飯の支度もせず、風呂も沸かさずに此処まで大人しくやって来てやってんだからさ」


 この男に拘束され、頼りの綱のセシルさんはバスの外に追い出され、もう正直手の打ち様がなくなっていた俺は、暴れず騒がず、こうして静かに男の隣に座っていた。ここで暴れてもどうにかなるようなもんでもない相手なのは重々承知だし、怪我をさせられるのは正直嫌だった。


「ははは。女性のエスコートなら喜んでしたいと思うけど、男はちょっと嫌だな。まぁ、荷物くらいは運んでやるよ、青少年」


 未だに無言の乗客達を尻目に、俺と男はバスから降りて工場の方へ歩き出す。最後にもう一度バスの方を見るが、やはり様子がおかしいのは変わらない。このまま忘れてしまうには、どうにもあの異質は気がかり過ぎる。俺は視線を前に戻すと、何食わぬ顔をして男に尋ねてみた。


「あのバスの中の人達、あのままずっと座ってるつもりのか?」


 俺の言葉に、男はバスの方を振り返る。一瞬、男の表情が曇ったようにも見えたが、顔を俺に向けると男は平然と返答した。


「……役割は果たしたしな。あの人間達がどうなるかは、俺にもちょっと分からない」


「人間達って……やっぱり協力者か何かなのか?」


「一方的だったけどね。だけど、一応曲がりなりにも罪悪感みたいなもんはあるつもりさ。君を拉致った事も、関係ない人間を利用した事も」


 罪悪感と言う、全く予想もしていなかった言葉に、俺は驚きを隠せなかった。男はそれを顔に出す事はなかったが、それでもこの吸血鬼の言葉に嘘がないというのは、何となくだが伝わって来た。


「そういう訳だ、青少年。だからこれ以上はあまり聞いてくれるな。俺も君を悪いようにはしない」


 そういって男は前を向き、再び先程のような吸血鬼の顔をしていた。

 工場の入口から入ってしばらく無言で歩く。通路の周囲を見渡すと、ガラス越しに今では無用の長物となり、埃だらけとなった大型機械の類が今も稼働される日を待ち侘びているかのように、静かに鎮座している。何度か折り返し、今度は階段を上る。2F、3Fと書かれたドアを通過し、吸血鬼は一番上の4Fのドアを開ける。灰色がかった通路に、四つのドアが等間隔で設置されている。どうやらこの階は事務室か何かがあった場所らしい。吸血鬼はそのまま真っ直ぐ進むと、一番右の奥のドアを開けた。


「遅かったじゃねぇか。葛城信介」


 何となく予想はしていたが、其処にはもう一人、それも見覚えがある吸血鬼が足を組んで椅子に腰かけていた。


「何だ、またあんたか」


 俺は出来る限り不快そうに、なおかつ嫌味たらしく口を開く。何たってこれでこいつと会うのは三度目だ。正直そろそろ顔を見るのが嫌になってきた。

 俗に言うパンチの利いた金髪のオールバックに、キツネやネコを連想させる鋭くて冷たい釣り目。不敵に笑いながら銜えた煙草を灰皿に押し付けると、古賀茂こが しげるはその鋭い目で俺を睨みつけた。


「またも何もねぇよ。俺だって好きでお前のケツを追っかけてる訳じゃねぇ。それに、お前が最初に大人しく捕まってれば、俺みたいな下っ端と関わる事なんてもうなかったんだぜ?」


「勝手な事を。大体な、俺にだって俺の都合ってもんがあるんだよ。だからお前等に捕まるのは嫌だし、関わるのなんて真っ平ゴメンだ」


「ま、青少年。この状況で君がそれを言っても全く説得力はないけどね」


 今まで静かだった隣の男は、微かに笑みを浮かべながら俺の方を向いた。


「……馬鹿野郎。勘違いするなよ。今は大人しく捕まっておいてやるが、チャンスがあったら絶対に逃げ出してやるからな」


 状況を考えれば、今逃げても捕まるのも目に見えてるし、それ以上に隙を突くのもままならない。当に絶望的だし、自分でも虚勢を張ってるのは分かる。しかし、このままおめおめと捕まるのは絶対に嫌だし、何より癪に障る。

 それに、何の策がない訳ではない。勿論セシルさんが近くに居ない場合も然りだ。だが、それを行動に移すのにはあまりにも条件が悪すぎる。だから、今は耐えるより他はない。徹底的に、絶対的弱者を演じなければならない。それもまた作戦だ。煩わしいが、元より長期戦は覚悟の上だ。


「まぁ、あの“二艇拳銃”無しで君が何処までやれるか楽しみにしてる。だけどこっちも遊びじゃないし、絶対に逃がすつもりなんてないけどね」


「そんじゃ、ちょいと失礼して」


 そういうと古賀は立ち上がり、俺の方に近づいてくる。俺は一瞬身構えたが、どうやら暴行やら何やらではないみたいだ。


「両手を挙げな。持ってる物は全部没収すっからよ」


 古賀は器用に俺のズボンから携帯と財布を取り出し、確認のためにもう一度俺のポケットをパンパンと叩いて確認した。


「もう何もないみたいだね。それじゃあ古賀君、後は両手両足を縛っといて」


「あ、ちょうさん。かおるさんと合流するんすか」


 趙と呼ばれたあの吸血鬼は、古賀の方を向くとコクリと肯く。そうか、この男は趙っていう名前なのか。


「なるべく遠い所で引き離したつもりなんだけど、そこの青少年が思いがけずこの場所の事を彼女に話してたからね。一応念のためさ。だから手筈通り、何かあったら連絡してくれ。もっとも、あの娘と古賀君が居ればこっちは大丈夫だと思うけど」


 趙と呼ばれた男はそう言うと、そのまま手を振って部屋を出て行った。それを見送った古賀は、すぐさま奥の机から二本の作業用ロープを取り出す。遠目から見ても縛られるだけで十分痛そうで、激しく動けば皮膚が擦り切れてしまいそうな感じだった。そしてそれを手に持った時のサディスティックな古賀の顔。まるで自分より弱い誰かを拷問するかのような、そんな下賤な瞳に、俺は微かな怒りを覚えた。


 ――畜生が。覚えてろ。絶対に借りは返してやるからな。


「大人しくしてろよ、葛城信介。二時間もすれば別の吸血鬼がお前を迎えに来る。それまで飯もトイレも行けないだろうが、俺にはお前が腹が空こうが漏らそうが知ったこっちゃねぇ。お前には個人的な恨みもあるしな」


「勝手にしろ。どうせ遅かれ早かれ此処から逃げるんだ。飯もトイレも片手間でやってやるよ」


「本当に口ばっかりは達者な奴だな……あの女が居なけりゃ何にも出来ないくせに」


 後ろ手に縄をきつく巻かれ、俺は苦痛で思わず眉を顰めたが、歯を食いしばってそれに耐えた。


「口だけが達者だと? 上等じゃねぇか。出来ない事を出来ないって、認めて黙り込むよりずっとマシだ」


「安心しろ。お前みたいな弱い弱い人間風情じゃ俺達吸血鬼には絶対に敵わねぇよ。ていうかな、頼れる仲間と逸れて両手両足縛られて、それでも諦めないのはただ往生際が悪いだけだろ。格好良くも何ともねぇ」


 俺の両足を縛り上げた古賀は、ゆっくりと立ち上がって俺を見下ろす。蔑んだ瞳が、身体中をロープで縛られた俺に突き刺さる。この男の表情は何処までも冷淡で、そして感情の色彩がまるでないように思えた。


「とにかく、逃げようなんてそんな愚かで無謀で間抜けな事は考えない事だな。この建物には俺や他の吸血鬼だって居るし、建物の周りには沢山協力者の人間も居る。逃げるだけ無駄だと思うぜ? 葛城信介。……ああ、後」


 古賀が身体を屈め、俺の胸倉を掴む。そして次の刹那、俺の頬に鈍い痛みが走った。


「んぐっ……!」


 一瞬、意識が遠くの方に飛びそうになったが、何かにぶつかった強い衝撃がそれを拒み、意識を強引に覚醒させる。さらに突然の事で歯が食いしばれず、朦朧としながらも口の中から熱い液体が溢れでてくるのを感じた。


 ――ていうか、なんつう重たいパンチだ!


 本気で顔を殴られた事がない訳ではない。確かにその時も本当に痛いと思ったが、主観的に見てもその時の痛みと比べ物にならないくらい、それこそ喧嘩になったら一発で飛ばされてしまいそうなくらいの痛みが、ジンジンとではなく、ガンガンと頬から頭にかけて拡がっていく。こりゃあ駄目だ。腕力じゃ絶対にお話にならねぇ。


「こいつはこの前の分だ。お前が捕まったら、絶対に殴れないと思ったからな。何、心配するなよ。本当に軽く殴っただけだから」


 さも満足そうに高笑いしながら、古賀が先程の吸血鬼と同じように部屋から出て行く。古賀が部屋の外に出ると同時に、鍵の音が部屋の中に広がる。それを聞くと、口に溜まった血反吐を吐き捨て、仰向けになった身体を何とか横に動かした。


「はぁ……はぁ……クソ野郎がっ……」


 呪詛の言葉を吐き、俺はそれでも苦痛に耐えて笑ってみせる。それで頬の痛みが引く事は決してなく、目尻からは血とは別の液体が何粒も零れたが、それでも俺は笑う事を止めない。こんなにも早く活路が開かれたのかと思うと、俺は笑いを抑える事が出来なかったのだ。


 ――やっぱり、お前は扱いやすいな、古賀茂。


 土俵には上がれた。追いかけっこの始まりだ。















「……さて」


 天枢町の駅前。その空間の一角を占める駅ビルの上で一匹の黒猫が、下界を見下ろしながら大きな溜め息を吐く。灰色がかった空から降り注ぐ大粒の雨を気にする事もなく、黒猫は沈み切った天枢町の街並みを見つめ、水を含んだ身体を一度大きく振るった。


 ――セシルは恐らく気付いておらん。それは無理はない。ここは微かに残る吸血鬼の香りを、他の人間に染み込ませた吸血鬼の残り香で誤魔化したあの男を評価するべきじゃな。


 黒猫は微かに首を動かし、今度は別のビルを刮目する。先程まで居た二人の吸血鬼。一方の顔は知らないが、もう一方には見覚えがある。“グラストンベリーの邪教徒”。数年前、イングランドの片田舎で邪な教えを広めて人間を自らの欲望のために利用しようとした、悪名高き“ノーブルブラッド”が一人。その男がこんな場所に居る時点で、信介やセシルが乗ったバスが罠だという事は一目瞭然だろう。これはそろそろかも知れないと、黒猫こと、アルフレッド・フレイスターは静かに立ち上がった。


 ――大方、この人混みで仕掛けるとワシらだけじゃなく、この国の協会の連中も相手にしなければいけないからとか、そんな理由じゃろう。それで運ぶって訳じゃな。


 ノーブルくらいの組織力なら、暴れたくらいの情報の隠蔽なら造作もない事だ。だから問題はこの国の協会の連中、そしてそれに続く協力者達。学園祭の事もあるだろうし、これ以上公で暴れては、奴らが直接動くからであろう。アルフレッドは自分の推測をそうまとめて括ると、鼻で笑って口元を歪めた。


 ――この国の連中を恐れる時点で、仕掛けてきた相手が組織の上層の者ではない事は確か。……色々と駒を持っているようじゃな、奴は。


 アルフレッドは屋上の中心まで来ると、そこで足を止める。まるで其処に存在する全ての匂いを嗅ぎ取る様に、アルフレッドは大きな呼吸を繰り返す。そして、アルフレッドが一つ息を吐く度に、彼の二つの碧眼に、僅かに黒色が混ざり始める。鮮やかなグリーンが少しずつ深みを帯び、更に黒色が増してゆく。アルフレッドの瞳が完全に黒色に支配されると、何時の間にかただの猫であるはずの彼の身体から、絶え間なく鈍く、ドロドロとした光子が溢れだして来る。暗黒と呼ぶには神々しく、後光と呼ぶには何とも禍々しい。その暗黒の光は、まるでこの世の物とは思えない威力で空間に穴を開け、アルフレッドの身体を包み込んでゆく。それは刹那の時間で行われ、そして次の瞬間には再び雨の音だけに支配された空間がそこに広がる。だが、其処には決してこの世の摂理に従わない、決して居てはならない存在が、さも前から其処に居たかのようにこの世界の理の上に鎮座していた。


「木っ端が相手じゃこの身体は役不足かも知れないが……」


 黒髪、黒眼、そして全身黒装束を身に纏ったこの男の正体こそ、何を隠そうアルフレッド・フレイスターの真の姿である。本来の吸血鬼の姿に戻ったアルフレッドは、顎に生えた無精髭を擦ると、大きな欠伸をして視線を周りに向けた。


 ――とりあえず、先ずは信介だな。セシルなら一人でもどうにかなるだろうし。


 アルフレッドはズボンのポケットから何かを探り、取り出す。取り出したのは持ち歩くには些か不便に思えるような小型の通信機。彼はそれのスイッチを入れると、液晶に映った何かに注目した。


「やはりな。バスのコースとは大きく離れ始めている。このまま行くと……山間の方かな?」


 再びズボンのポケットにそれを仕舞い、アルフレッドは振り返って遥か遠くに見える天枢町の住宅街の方を向く。この距離なら、先程の二人よりも早く追いつけるだろう。アルフレッドは大きく後ろに助走すると、そのまま走りだし、雨が降り注ぐ街へと大きく跳躍した。

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