動き始めた獅子 2
――とにかく、この行方不明者の増加の意図が掴めぬ限り、信介君も迂闊に動くのは禁止じゃ。脅す訳ではないが、君の周りにも迷惑がかかる可能性だってあるんじゃ。
「……と、言われてもなぁ」
昨日の話から一晩明けて月曜日。あんな事を言われても、やはり俺は学校を休む気にはなれなかった。と言うより、吸血鬼に自分の生活が乱されるのが堪らなく嫌に感じたからだった。それに、平穏無事な生活を送りたいという気持ちは誰にだってあるはずだし、自分の生活を邪魔されるの至っては言うまでもない事だろう。
――我が儘なのは、分かってるんだけどな。
しかし、アルフレッドさんの台詞を全て否定出来ている訳ではない。当然、俺にだって四季や学校のみんなに対する後ろめたさはある。高校で一度だけの文化祭を、故意ではないにしろぶち壊した訳だし、これからだってその可能性は十分にあり得る。
無論、俺みたいな凡人何かが立てられる対策なんてあるはずもない。俺に出来る事と言えば、あくまで平常でいようとする気持ちと学園の生徒への申し訳なさの間で揺れながら、二度と学校に吸血鬼が現れない事を祈る事だけだった。
「……っと。もう八時じゃんか」
物思いと言うのは恐ろしいもので、家を出てまだ数刻しか経っていないつもりだった時間が、あっという間に時計の長身を十分ほど進めていた。闇雲に考えるのは止めよう。不確定の事に結論なんかある訳ないし、何より不毛だ。それより早く学校に行き、少しでも人混みに紛れた方が良いだろう。
「……朝から難しそうな顔してどうしたの?」
「おわっ!」
急に肩を叩かれ、俺は思わず声を上げて振り向く。そこに居たのは、何時も通りの笑顔を浮かべる小柄な少女の姿、岬四季だった。
「おわって……幼馴染に対して、ちょっとそれはないでしょ」
「何だ四季かよ。驚かせるなって」
「ふふふ。気配の消せない忍者なんて、武芸に長けた軽業師と同じよ」
「アホ。お前は何時からくのいちになったんだ。ていうか、お前朝からテンション高いよ」
溜め息を吐いて前を向き直した俺の横に、四季がちょっと不服そうな顔をして並ぶ。文化祭の、あの時のショックがまるで嘘のように、彼女は俺と目が合うとにっこりと微笑みかける。あんな化け物に睨まれて、直ぐに立ち直って笑顔になれるその性格。俺も少しは見習わないとな。
「それは信ちゃんが低すぎるだけでしょ。文化祭も色んな意味で思い出に残るものになっちゃったし。ここはもう、夏休みに賭けるしかないでしょうが」
プラス思考も、ここまで来ると楽天的って言えるんじゃないか? 色々と突っ込み所満載な一言だったが、何となく文化祭には触れたくないし、ここは全力でスルーさせていただく!
「その前に長期休暇の恒例行事、補習を終わらせないとな。じゃなきゃ四季の夏休みは来ないよ」
「いやいや、今年は無事、一つも赤点を取りませんでしたよ。お陰様で」
「言っとくが、カンニング等の不正行為は自分の評価を下げるし、お前の心にも甘えを生じさせるぞ?」
「……あのねぇ。私だって頑張れば普通に点数取れますよ!」
口を尖がらせ、次いで頬を膨らませて四季は俺に抗議の視線を送る。勿論、四季が不正行為なんてするような人間ではないって事は重々承知の上。これは俗に言う冗談というものだ。
「……っと、それはともかく」
時間とは無慈悲なもので、こうやって世間話をしている間にも刻々と時間は過ぎていく。俺は時計に目をやると、ようやく歩みを再開した。
「四季。言っとくが今は余裕の遅刻ペースだ。悪いが少し飛ばさせてもらう。さすがに優等生の手前、遅刻なんて愚行は絶対に出来ないんでな」
「遅刻? ……今日って、授業あったっけ?」
「その手は食わんぞ。俺が小学校の時、その手で何度学校を無断欠席させられた事か。大体、テストが終わったんだし、もうすぐ夏休みなんだから先生もガッツリ授業なんてやらないだろ? お前そこまでして俺を劣等生の仲間入りさせたいか?」
そんなんだから四季は補習なんてアホらしい事をさせられるんだ。
――まぁ、俺も言えるほどの勉強はしていないけどね。
「そういう事じゃなくて、今日は終業式でしょ? ホームルームは九時からの終業式の後だし……」
「…………あ」
四季の思いもよらぬ一言に、俺の思考が思わず凍結する。――何たる不覚。何たる計算外! ここ数日考えていなかった今日の日付を脳内で換算し、俺は思わず声を漏らした。しばらく吸血鬼の事で頭が一杯だったとは言え、正直これはひどい。俺は歩くペースを落とすと、横目で四季の方を向いた。
「あぁあ。やっちゃいましたね信介さん」
「終業式の後に授業があると思ったんだよ」
「去年はなかったよね?」
「去年はな。それに、ほら! 今年は文化祭とかあったし……」
苦しい言い訳をして俺は再び前を向く。恥ずかしくて耳が熱くなるのを感じたが、それは俺の気のせいだ。絶対に気のせい。
「まぁ、信ちゃんは頭はいいけどネジが数本抜けてるし。……それよりさ、そういえば凄く話変わるんだけど、一年の女の子の話とか、誰かに聞いてたりしてない? 噂とかでも良いんだけど……」
遅刻の危機を免れた事に安堵している俺に、四季は顔を覗き込むようにして口を開いた。
「……一年の女の子? どうした? 何かあったのか?」
俺は咄嗟に怪訝そうな顔を浮かべ、四季に聞き返す。正味、学校の関係者の噂なんて、ここ最近は右から左に聞き流していたし、そういった話は全く聞いていなかった。
――取り留めのない話……って訳でもなさそうだな。
ちらっと四季の顔を見ると、先程の明るい表情から幾分困ったような顔つきで俺の方を見つめていた。
頭に嫌な予感が浮かぶ。ここ最近の周りに起こる良からぬ事と言えば、大抵は吸血鬼の事だ。だとすると、この話ももしかしたら吸血鬼関連の話かも知れない。俺は周囲に目を配ると、呼吸を整えて四季の方を向いた。
「うん。朝学校に行ったまま、そのまま夜になっても帰って来てないんだって。家出とかそういう事する子じゃないし、性格も真面目な子だから、もしかしたら事件に巻き込まれてるかも知れないって」
――やっぱりか。
話の内容からすれば、俺の予感は恐らく当たっている。行方不明、事件。こんな言葉なら、最近ずっと家で話していたから、どうにも心当たりがあり過ぎる。
「それでさ、当然だけどその子の親が物凄く心配してて、警察とかみんなで探してるんだけど、何でかな? 全然手がかりがないんだ」
「誘拐かな……。最近、物騒だからな、ここら辺。この前だって通り魔事件があったし、その前だって誘拐事件が多発してたんだもんな」
一瞬言葉が詰まりそうになるが、俺は前に向き直って何とか言葉を紡ぐ。具体的な事までは分からないが、このタイミングから考えて吸血鬼が絡んでいる可能性は大いに有り得る。それに、これが吸血鬼の仕業だとしたら、これはもう他人事じゃなく、俺にも関係があるのだ。
「だから尚更だよ。彼女が何かするような子とは思えないし、それに」
四季の声が少しずつ小さくなり、ふと視線が下に落ちる。俺はそんな四季を見つめながら、四季の次の言葉を待った。
「それにその子さ、バスケ部の子なんだよね。だから、私も面識あるし、凄く心配もしてるし……」
「……そう、なのか」
答えに困りはて、俺はどうしようもないような、適当に思い付いた返事を返す。何も言えない自分が恥ずかしい。本当の事が言えればどれだけ楽だろうか。それはまるで、胸に重しを付けられたような気分だった。
「だからって訳じゃないんだけど、信ちゃんにも色々と協力して欲しいんだ。……駄目かな」
「いや、駄目じゃないけどさ……。俺が協力しても、どうしようもないぞ? ていうか、そういうのはどっちかと言うと岬さんに言った方が早いだろ? あの人刑事なんだしさ」
よくそんな薄情な事が言えたもんだと、言いながら俺は心の中で自嘲する。そもそもの原因は、俺が吸血鬼に狙われるようになったからなのに、俺はそれを誤魔化す事しか考えてないじゃないか。
「お父さんには……お父さんには言えないよ。最近は他の仕事が忙しいから、家にもあんま帰って来てないし……」
「……」
気まずい沈黙が続く。どうしても返事が思いつかない。気の利いた事を言おうとすれば、考えても早々出てくるものではないが、簡単な返事くらいなら、さっきみたいな安っぽい事が言えるはずなのに、俺はそれさえも言葉に出来ず、ただただ困惑した表情を浮かべていた。
恐らく、四季だってこの捜索の手伝いをしてもらうのに、相当な躊躇いがあったんだろう。彼女はそういう性分だ。例え大した用事でなくても、相手が嫌がるような頼みならしない子だ。それなのに、どうして俺はこう自分の事ばっかり考えてるんだ……。
「それに別に、そんな一生懸命探さなくてもいいからさ、見かけたら声をかけてくれるだけでいいの。そうだなぁ……皆心配してるぞって。それだけで通じると思うし」
「ああ、それは分かったよ。とりあえず俺も暇を見て通りとか捜してみるよ」
「それじゃあ、ケータイに顔写真とか送っておくね。――ていうか、その、ありがとうね」
「……え?」
四季の意外な言葉に俺は表情を変える暇もなく彼女の方を向く。俺の思考は一瞬途切れ、無意識のうちに神経の全てが四季の次の言葉に集中していた。
「明日から夏休みになるのに、変なお願いしちゃって……。迷惑だったかな?」
「いやいや……。迷惑って……」
――かけてるのはむしろこっちのだよ。
自分さえ居なければ、なんて卑屈な事は言う気はないが、それでも俺が四季や岬さん、それに他の大勢の誰かに迷惑をかけているのには違いない。本当に謝らなければいけないのは、四季ではなくてむしろ俺だ。
「うん。でもありがと。うーんと……そうだ! 見つけてくれたら、お礼にデートしてあげるよ!」
「ははは……期待しとくわ」
自分の背中に、責任という二文字が、重く、そして冷たく圧し掛かっているような気がした。
事態は、少しずつ自分のためだけでは無くなっていた。それだけだった。
自宅の居間のパソコンの電源を付け、俺は行方不明の四季の後輩、古山小夏さんの自宅周辺の地図を見ていた。しかし、地図上に彼女の現在地を知る手掛かりなどある筈もなく、俺はただただ途方に暮れていた。
「場所の特定は……やっぱ、そんな簡単に行かないな」
前に古賀と出会った場所からは、彼女の自宅は随分と離れている。ここに法則性はないと考えた方が良い。しかし、四季から聞いた話だと、彼女が行方不明になったのはつい一週間前の出来事で、吸血鬼が活動を開始した時期からさほど離れていない。むしろ彼女が居なくなった日は吸血鬼が活動を始めた後になるから、こちらの方は吸血鬼が関係している可能性は十分あるみたいだ。
――吸血鬼が絡んでいるとみて間違いないかもな。
冷静に答えを導き出そうとしている自分がとても卑怯者のように感じ、冷笑を浮かべる。やっぱり俺は、この行方不明の子に対して他人事のように感じているのだろう。頭では他人事ではないって考えているくせに、自分や家族、そして身近な友人達ではなくてよかったと、きっと心のどこかで思っているんだ。
パソコンのウィンドウを閉じ、俺は溜め息を吐いて立ち上がり、軽く屈伸する。――俺は、どうして俺は、此処に留まっているんだろう。他人に迷惑をかける事は、最初の襲撃で気付いていたはずなのに。なのに、どうして俺はあの時……セシルさん達が来た時、ここに留まろうなんて言ってしまったんだ。俺がいくら自分の生活を乱されたくなかったとはいえ、これじゃ、他の誰かの生活が乱されるじゃないか。
――また、そうやって俺は……!
罪悪感は拭ってもそう簡単に消えてくれない。だったら、俺が今やるべき事は後悔ではない。絶対に関わりたくない相手なのは確かだが、何かしらの行動をしなければ状況は打開できないんだ。原因は不確かだが確率がある以上、俺にだってその責任は十二分にある。ただの行方不明なら、それならそれで良いんだ。
「おーい信介ぇ。飯出来てるか?」
居間のドアを開け、おじさんが大きな欠伸をして中に入って来る。
「……あ、叔父さん」
はっと我に返り、俺はおじさんの方を向く。時計を見れば、もう時間はとうに八時を大きく回っている。通りで腰が痛くなる訳だ。気付けばもう六時間近くパソコンの前にいた。
「おいおい、飯まだじゃんか。頼むぞ信介。俺もう腹減り過ぎてぶっ倒れそうなんだから」
そういえばまだ飯らしい飯なんて作ってなかったな。俺も帰ってからずっとパソコンで調べ物をしてたから、結構腹減ってるかも。気晴らしになるかも知れないし、あるものだけでさっさと作るか。
「ゴメンゴメン。とりあえず今すぐ冷蔵庫の残り物で適当に作るから、少し待っててよ」
了解とばかりに後ろ向きに手を振り、叔父さんはソファに腰掛けてテレビの電源を付ける。腹が減り過ぎているという言葉とは裏腹に、叔父さんは特に何かつまんでいる様子もなく、仕事の後の酒すら手を付けず黙々とテレビのニュースに耳を傾けていた。
――そういえば、セシルさん達今日は出かけてるのかな?
何時もの癖で三人と一匹の食器を用意しようとした時、不意にそんな事が思い浮かぶ。普段ならこの時間なら必ずセシルさんかアルフレッドさんが居間に居るのに、どういう訳か二人の姿が見当たらない。どちらかが居ないのはそんなに珍しい事ではないが、二人揃って居なくなるのは正直稀だった。何か二人にあったんだろうか?
「ねぇ叔父さん、セシルさんとアルフレッドさん見なかった?」
「ん? ああ、あの二人なら今夜用事があるってよ。だから飯は要らないって」
先程と同様、叔父さんはソファに寝転がり、頬杖をついてテレビを見ている。その様子に特に変わりはない。嘘は言ってないみたいだし、それに叔父さんに何か言って出かけたなら別にいいか。あの二人なら別に大丈夫だろうし。俺はエプロンを身に付けると、冷蔵庫から残り物の野菜とご飯を取り出した。
「珍しいね、二人が居ないなんてさ」
「そういえばな。こうやって信介と二人で飯を食うのも、結構久し振りのような気がするな」
あの二人が来て以来、食事は毎回四人で取る事が常になっていた。だから、こうして叔父さんと二人きりで飯を食うのも、かれこれ二か月ぶりくらいだったりする。確かに久し振りと言えば久し振りだし、それ以上に何だか色々と昔の事を思い出してしまった。
「そういえばさ、叔父さん。俺が初めて飯作った時の事、まだ覚えてる?」
「ん? ああ、今でも覚えてるよ。あのやけに甘かった肉野菜炒めだろ?」
ふと思い出した記憶。それは、俺が小学校の頃に初めて作った晩飯の記憶だった。
今思い返してみれば、どうしてメニューを野菜炒めにして、どうして調理過程に大量の砂糖をぶち込んだのかは甚だ疑問が残る。若い頃の考えと言うのは思い出してみると恐ろしい事だらけだが、それでも叔父さんは、不味い料理でも美味そうに食べていたのは覚えていた。
「そうそう。俺も食って不味いって言ったあれ。確かしょっぱ過ぎて、砂糖を大量に投入したんだ」
「ははは。あれはあれで革新的な料理だったんだけどなぁ。正直、衝撃的な味だったよ」
二人で声を出して笑い、再び俺はまな板へ、そして叔父さんはテレビへと視線を向けた。
「……」
トントンと、小気味よい野菜を刻む音と、向こうから流れるテレビの音が空間を支配する。お互い、何を言うでもなく自分のしたい事をしている。しかしこれで、俺は昔の事を僅かながら思い出す事が出来たし、心の中が懐かしい気持ちで溢れているのを感じた。
「……信介」
「ん?」
不意に沈黙を破り、叔父さんが何時もより小さな声で俺の名前を呼ぶ。俺はふと我に返ると、声のした方を向いた。
「その、何だ。明日から夏休みなんだし、しばらく家に居たらどうだ?」
「え? なんだよ? 急に」
「いや何、パソコンで地図なんて開いてたからさ。遠出でもするんじゃないかって思ってよ」
いきなりの事でちょっとだけ疑問に思ったが、理由が分かれば何だそんな事かと俺は軽く笑みを溢し、視線を戻して目の前の野菜を刻み始める。俺は少し間を置くと、何気ない声で叔父さんに返事をした。
「ちょっと頼まれ事があってね。それで地図開いていただけ。別に今は遠出する予定はないよ」
「そうか。別に遠出するなとは言わないけどな」
「ま、したくても家にそんな金はないでしょ? 俺も今年の夏はバイトでも探すしさ」
中華鍋に火を付け、その中に今朝の残りのベーコンを入れる。これに刻んだ野菜とご飯をぶち込めば、お手軽料理で有名なチャーハンの完成だ。
「そんなに今の生活は切迫してないし、バイトするなら俺の喫茶店を手伝ってくれよ。夏はそれなりに忙しいしな」
「ははは、セシルさん達が来てから家計は毎月火の車だよ。それにバイトの手伝いならセシルさんに頼んだ方がいいんじゃない? 仕事出来なさそうだけど、見栄えはするでしょ」
「お前、見栄えってな。あいつ等にはあいつ等なりの仕事があるんだからさ。それに、あの人達から貰った金を生活に使わないのは信介の勝手だろ? とりあえず金なら何とかなるんだし、バイトの件は考えなくていい」
確かに、セシルさん達からはそれ相応のお金は貰っている。迷惑料だとアルフレッドさんには言われたが、それでも三人と一匹を養うのには、それだけで十分すぎて、加えて叔父さんが働かなくても大丈夫なくらいの金額だった。
「使わないって言うより、使えないんだよね、あのお金。そりゃ、あの金額は魅力的だけど、自分や家族が汗水垂らして働いた訳でもないお金を渡されたって、何だか気が引けるし。それに、セシルさん達には何だかんだで俺の事を護衛してもらってるんだし、生活面まであの二人に甘えたくないしさ。だから、やっぱりバイトはするよ」
あの二人には悪いが、お金で自分の生活に異物を混入するのを許すほど、俺は飢えてはいない。それでもあの二人を家に置いているのは、どちらかというと自分の護衛より、自分の命を救ってくれた恩義を感じるからであり、仮に貰ったお金を使うとするなら、生活費以外であの二人のために使おうと決めているからだった。
「……」
「……」
ジュウジュウと、肉が焼かれる音とテレビの音が二人の静寂を掻き消していく。俺は残っていた野菜とご飯を鍋に入れると、さらに大きな音を立てる中華鍋をゆする。少しでも沈黙を掻き消すように、少しでも会話を終わらせるように。俺は一心不乱に鍋をゆすった。
「あのなぁ……」
不意にテレビの音が消え、今度は勝手場に向かう足音が聞こえ始める。何となく分かっている、叔父さんが俺に外出をさせたくない理由。俺は中華鍋の火を止めると、大きな憤りを感じているのであろう叔父さんの方向いた。
「あのな、信介。行方不明者の話はもうアルフレッドから聞いただろ?」
「ああ、聞いたよ。それに叔父さんが言いたい事は何となく分かる。せめて夏休みくらいは外には出るなって言いたいんだろ?」
「分かっているのに、どうして勝手に動くんだ。お前だって危ないんだし、周りにだってお前の災難が及ぶんだぞ?」
「分かってるよ、十分。俺は俺でその事は考えてる。それに、迷惑ならもう沢山色んな人にかけたよ。……そしてこれからも、恐らく」
「考えてるなら、そんな軽はずみな事を言うな。笑えないぞ? その冗談。お前を責める気はないが、学校の文化祭だって、吸血鬼のせいでめちゃくちゃになったんだ。それだけでみんなに迷惑がかかっている訳だし、四季ちゃんや岬さんみたいな、お前にとって大事な人達だって巻き込んでんだ。そういう事なんだぞ? お前が言ってる事は。少し軽率過ぎる」
「だからだよ。あんな危険な事に、皆や四季を巻き込んだんだ。だから俺は、引き籠るなんて絶対にしたくない」
「だから闘うって言うのか? 俺が吸血鬼をやっつけるとでも言うのか? ……はっ、寝言は寝てから言えよ。お前はどう足掻いたってただの人間なんだ。それでセシルやアルフレッドを当てにするつもりなら、それはただの無責任だろ!」
「闘えはしないのは当然だよ。だけど、俺にだってやれる事はあるはずだろ? それに、俺が何もせずに家に居たって、あいつ等が他の誰かに危害を加えない保証はない。それなら俺が前に出れば、その分誰かを巻き込む事だって少なくなるはずだ。……それに、これは俺の問題だ。当事者が何もしないなんて、俺には絶対に出来ないよ」
「それは理屈だ。だからってお前が前に出る必要はない。いいか? 何度も言うが相手は人間じゃない。お前が出来る事なんて、正直逃げる事だけだ。お前がただ闇雲に逃げれば今度は周りだけじゃなく、お前を助けてくれるセシルやアルフレッドにも迷惑がかかるんだ。素人が口を出していい問題じゃない。――学校の事はとやかく言わん。だが、せめて休みの時ぐらいは大人しくしてろ!」
「…………学校の事はって。それこそ無責任じゃないか!」
「……何だと?」
「皆に被害が及ばないようにって思ってるなんて、確かに俺は言ったよ。だけど、俺はそれでも学校に行くのを止めなかった。矛盾してるって分かってたのに、俺はそれを止めようとしなかった。だけど結局俺は、自分の生活が壊されるのが嫌で、それなら自分は関係ない振りをしていれば大丈夫だって、色々理屈をこねて自分を納得させて、本心では皆の事なんか考えてなくて……」
吸血鬼に関わり始めた頃から考えていた矛盾。その全てを俺は吐き出し、そして言葉に変える。俺の生活だからと、セシルさんやアルフレッドさん、そして叔父さんもが許容していた俺の甘え。
――だけど、それは俺がここに居るには、最もしてはいけない行為だ。
止め処なく押し上げる感情。それをまるで自分に言い聞かせるように、俺は自分自身を罵倒するように言葉を紡ぐ。その言葉は、二ヶ月かけて、俺がようやく分かった答え、ようやく分かった自分のするべき事だ。それを見なかった事にするのは、それだけは絶対に嫌だ。
「……」
「最初はセシルさんやアルフレッドさんを頼るかも知れない。それ以上に敵に捕まるかも知れない。もしかしたら死んでしまうかもしれない。…………だけど、だけどこのまま、何もしないで知らない振りを続けて、何もしないまま誰かが傷つくのは絶対に嫌だ!」
大きく息を吐き、俺は真っすぐ叔父さんを見つめる。俺の意見は矛盾だらけかも知れない。だけど、俺がここに居たいと思うのなら、俺には果たすべき責任があるはずだ。
しばらくの沈黙の後、叔父さんは不意に視線を下に下ろす。その顔に笑みはない。軽蔑でもしているんだろう。自分の甥は、こんなにも馬鹿なのかと。――だが、それでも良い。選択が間違っていたとしても、何もしないよりずっと良い。
「……同じような台詞を、ずっと昔に聞いたな」
「……え?」
消え入りそうな叔父さんの声。それを聞きとれず、俺は叔父さんの顔を見た。
「いや、何でもない。忘れてくれ。……それより、お前の気持ちはよく伝わった。だが、これはお前だけの問題じゃない。俺やセシル、アルフレッドの問題でもあるんだ。……外に出る時は、俺かアルフレッド、そしてセシルが一緒にいるなら、それ以上はもう何も言わん」
「それじゃあ……」
「それと、お前に言っておきたい事がある」
頭を掻きながら、多少畏まった声で叔父さんは言う。決して冗談ではない、そう言いた気に叔父さんは俺の顔を先程と同様に真っ直ぐに見つめ、何も迷う事無く、続けて口を開いた。
「お前がここに居るために、そのために吸血鬼と闘うというなら、絶対にその信念を曲げるな。例え相手がセシルやアルフレッド……そして、それが実の親父だったとしても、お前は自分の信念を曲げるな。お前が果たすべき責任、それを絶対に忘れるな」
「分かってる。自分の言った事だ、この信念は絶対に曲げないよ」
どんな相手だろうと構わない。俺は俺のするべき事をすればいい。
「……それと」
「え?」
少しはにかみ、叔父さんは視線を横に逸らす。まだ何かあるのだろうかと、俺は叔父さんの視線の先を追うと、そこには先程俺が作っていた、すっかり冷めきった作りかけのチャーハンがあった。
「話の腰を折るようで悪いが、すごく腹が減った。頼むから飯にしてくれ」
「ははは……はいはい」
軽く笑みを浮かべると、俺は再び中華鍋に火を付けた。
二か月ぶりの更新となりました。という事で二話分ぐらいの分量にしています。とりあえず遅筆ですいません。3、4月は色々と用事がありまして……(涙)