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Great begin 5

「畜生! 一体どうなってやがる!」


 ポケットから携帯電話を取り出し、岬登志男みさき としおは避難場所の体育館へ走りながら、地面に向かって思い切り悪態を吐く。彼の後方には、校庭に流れるアナウンスすら聞く余裕がない人々と、それをまるで嬲るように追い回す巨大な猛獣。岬は携帯を耳に当てながらもう一度振り返ると、千切れるほど思いきり唇を噛んだ。


 ――この糞忙しい時期に……! ……ったく、本当に祟りでも起きてるんじゃねぇか!?


 部下の言っていた言葉が頭を過ぎり、彼は気を落ち着かせるために一度大きく息を吐く。例の殺人事件群とは恐らく関係ない。長年刑事をやってるから、それは何となく勘で分かる。しかし、そんな事は今問題じゃない。今は、どうやってあの化け物みたいな動物から来校者と生徒を守るか、それが一番重要だ。


『もしもし……?』


 数度のコールの後、ようやく部下であり、彼をここに赴かせた張本人である柳沢と繋がる。遅い! だが彼はそれを言葉にする寸での処で思い止まり、落ち着いて荒い息を抑えながら口を開いた。


「隼人! 大至急魁皇学園近くの住民を避難させろ! 大至急だ! それと機動隊をこっちに寄こせ! 後は出来たら神居北斗付近の動物園に今現在大型動物の運搬が行われてるか確認しろ! 連絡は以上だ!」


『ちょ、ちょっと……警部! 落ち着いてください! 一体どうしたんです!?』


 足がもつれ、思わず転びそうになるのを、岬は持前の運動神経で何とか体勢を立て直す。ここいらの奴らは、どうやらもうほとんど何処かに避難出来たらしい。その証拠に人の数が疎らだ。後は、どれだけ校庭でパニックに陥っている人々を誘導出来るかだ。


「いいか! 一度しか言わねぇからよく聞け! ライオン……いや、それよりでけぇ大型の動物が魁皇学園の校庭で暴れてやがる! しかも二頭だ!」


「ライオンよりでかい動物って……。それって、像とかですか?」


「馬鹿野郎! それはこっちが聞きてぇんだ!」


 言い終わるか否かのタイミングで通話を切り、岬は今度は携帯のリダイヤル画面を開く。そこに映し出された番号は、ここの生徒であり、彼の一人娘でもある岬四季みさき しきのものだった。この校庭の惨状なら、もしかしたら娘も巻き込まれているかもしれない。それなら落ち着いてなどと、悠長な事も言っていられない。彼は躊躇せず発信ボタンを押すと、逸る気持ちを抑えて携帯を耳に当てた。


「……ちっ!」


 携帯の電源を切り、彼はそれを強引にポケットに突っ込む。娘の携帯の電源は入っていない。無機質なアナウンスが、無情に彼の耳元を反復する。畜生。これじゃあ、大丈夫かどうかも分かりゃしねぇ。

 第一校舎を軽やかなステップで右折し、彼は目標の体育館を視認する。しかし、足取りは先程よりも随分と重い。――娘の事が頭から離れない。それだけじゃない。葛城の所の倅だって、四季と一緒に居たんだ。もしかしたら……もしかするかもしれない。最悪のケースを想像し、彼の足が思わず止まる。引き返せる。今ならまだ……。


 ――……だが俺は、警察官だ。


 熱を持ち、パンパンになった彼の足が再び動き出す。優先すべき事、やらなければならない事。――俺の信念を貫き通す事。それは、特定の少数を守る事ではなく、不特定多数を多く助ける事。彼は体育館のドアを叩くと、冷静で、かつ公正な怒声を上げた。










「はぁはぁ……」


 走りづらいスニーカーと日頃の運動不足を呪いながら、俺はもう一度後方から迫る野獣との距離を確認する。その距離、目算で二十メートルほど。中庭を抜け、第二校舎の裏を突っ切り、離れになっているプール場に至っても、依然としてその距離は変わらない。そして恐らく、変えるつもりがないのだろう。目標は間違いなく俺の捕獲だ。だから俺が疲れてへたるのを待つ。典型的だが、この場面では悔しいくらい効果的な作戦だ。俺は唾を吐き捨てると、勢いよくプランター群を飛び越えた。


 ――畜生! どうしてこうお利口に最短距離を走ってこれるんだ!


 知能が高い人間が相手ならともかく、後ろから随分と余裕を持って走るこの大型の野獣は、俺を見失っても焦り一つ見せずに俺の居るルートを探し当ててくる。初めのうちは動物特有のずば抜けた嗅覚や聴覚なのかとも思ったが、どうやらそれは違う。多くの出店や人の残り香、更に未だ阿鼻叫喚のこの校内で、俺だけの匂いや足音を見つけ出すのは恐らく困難だろうし、何よりそんな素振りは見て取れない。……だとしたら、この追いかけっこ、鬼は一人ではないようだ。

 プール場を大きく回り、第一校舎の裏まで走った所で、俺は大きくペースを落とす。呼吸は荒く、太腿も破裂しそうなくらいに痛々しく脈打っている。やはり、体力勝負は分が悪すぎる。第一、歩幅が違う。相手が小走りでもこちらは全力疾走だ。馬鹿馬鹿しい。作戦変更だ。


「とりあえず、ごめんなさい!」


 手頃な石を掴み、それを思い切り校舎の廊下の窓ガラスに叩きつける。途端、大きな音を立ててガラスは飛び散り、そして石を叩きつけた場所には、バスケットボールぐらいの大きな穴が開いた。これならいける。俺は手を切らぬようにそっとその穴に手を突っ込み、窓の鍵を開けた。


 さっきの放送で校内に残っている人間は皆体育館に避難したか、裏門から逃げたはずだ。それなら闇雲に外を走りまわるより、校舎の中で隠れて休みながら逃げた方が得策だろう。もし校内に誰か残っていたとしても、勿論、相手が俺のみである以上、余計な手出しはしないはずだ。それにあの体格なら、狭い所は動きづらいだろう。これなら、今度はこっちから打って出れる。


「ウオオオォォォ……」


 昇降口の方から、再びあの怪物の声が聞こえてくる。近くの教室に入ってこの場をやり過ごすか、それともこのまま走って昇降口とは別の階段を使って上に逃げるか。……どうする? 迷う時間はほとんどないぞ?


 ――鬼は一人じゃない。俺を監視する、もう一人の存在がこの校内のどこかに居る。


 それは古賀ではない。古賀は今はセシルさんを惹きつけるのに精一杯なはずだ。だとすれば、これは間違いなくこの野獣を操る、もしくは解き放った他の吸血鬼。この追いかけっこの他の鬼と、もう一人の吸血鬼の正体は、恐らく一致していると見て間違いない。だったら、ここは選ぶ道は一つだ。

 多少熱が引いた太腿を摩り、俺は呼吸を整えて真っ直ぐに別の階段に向かって走る。外の人々の視線を逸らすのがあの怪物のうちの一匹の役割なら、もう一匹は俺を追いかける役割。そして残るもう一人の吸血鬼は、先回りして俺を仕留めるか、もしくは俺を何処かで監視する役割のはずだ。それなら、立ち止まるのはどちらにしろ自分の居場所を教えているようなものだ。――死角。逃げ込むとするなら、やはりそこしかない。相手が何らかの動きを見せ、尚且つ形振り構わず突っ込んでくるポイント。その死角こそが、奴らにとってのウィークポイントだ。


「お望み通り、逃げ続けてやる!」


 限界を超えつつある身体を目一杯動かし、そして上へ上へと階段を駆け上がった。











「……これで、どうやら詰んだようだな」



 人通りのほとんどない裏路地。銃口を古賀に向け、セシルは落ち着き払った声でそう言う。呼吸の乱れはほとんどない。というより、身体の疲労すらない。人通りを避け、逃走経路を必死に模索する者を追う事など、彼女にとっては朝飯前の事だ。さらに言ってしまえば、ここで他の吸血鬼と多対一で戦う余裕すら持ち合わせている。彼女は自身の対吸血鬼殲滅兵器エインフェリルのセーフティを外すと、髪を掻き上げてもう一度古賀を睨みつけた。


「詰み……そうか? 詰まれたのは、お前らの方じゃないのか? 俺を追い詰めたとしてもな」


 不敵にそう言い、古賀はセシルの前で鼻で笑ってみせる。誘導したその先、逃げろとは指示されていない。そして古賀にとってそれは、別に闘っても問題ないと言われているようなものだと思っていた。それに加え、古賀はセシルと闘う、彼にとっては十分過ぎるほどの理由が存在していた。


「この間の借り、まだ返していなかったな」


 上の命令とはいえ、不本意にも逃げる道を選択した古賀にとって、それは紛れもない屈辱に他ならなかった。同時に、その屈辱は彼の闘争を刺激し、こうして囮買って出た所以にも繋がる。女だろうと関係ない。自分自身の尊厳を危ぶむ人間に、容赦をかける必要はない。古賀はゆっくりと息を吸うと、静かに身体の奥底で眠る力を揺さ振り始めた。


「……やはり、貴様は愚かだ。昂然として嘯いていれば、まだまだ救いはあるのだがな」


「馬鹿野郎。実力の差を計りかねてんのはお前の方だ。経験だのなんだの、そんなのは喧嘩には関係ねぇ。あるのはただ一つ、強い方が勝つ。それだけだ!」


 素早く大地を蹴り、古賀は猛然とセシルに迫る。その速度は空気を切り、およそ人間では到達不可能なものだった。しかし、セシルはそれを見て驚きもせず、逆に大きく溜め息を吐くと、静かにエインフェリルを懐に戻した。


「……後悔するぞ? 私に接近戦を挑んだ事を」


 一瞬、古賀の視界からセシルが大きく左右にぶれる。空間が爆ぜ、続けて捻じれるように一気に間合いが歪み切る。そして次の瞬間、セシルの美しく透き通った掌が、猛進していた古賀の顔面を鋭く捉えた。


「……うがぁぁぁあああ!」


 奇声を発し、大きな音を立てて古賀が地面を二転三転する。あまりの痛みの強さに、古賀は思わず目を開いて呼吸を荒くする。無論、彼女の掌底が、凄まじい威力という訳ではない。理由は簡単。彼の動きが、人間のトップスピードを大きく上回る速度だったのだ。それ故に、衝突の衝撃が非常に大きく、セシルの放った一撃も、静止している時以上に大きなダメージとなっていた。


「……この……アマ!」


「言葉を発している余裕は……ないぞ?」


 古賀は頬を抑え、追撃されないよう素早く立ち上がる。鼻からは一筋の血が流れ、目の下は真っ赤に腫れている。だが、痛みはそれほど感じてはいない。彼のセシルに対する憎悪や怒りが、それを遠く、離れた存在にしていたのだった。

 歯を食いしばり、古賀が再びセシルとの間合いを詰める。先程となんら変わらぬ、シンプルな前のみの動き。だが、今度は慢心はない。対象の急所へ正確に打撃を与えられる完璧な歩幅に、反撃を考慮した彼独自の我流の構え。そして一気に射程距離に近づくと、古賀は体勢を低くして思い切り足を踏ん張った。


「今度はぁ、……お前が飛べよ!」


 脇を締め、捻り込むようにして放たれた拳。基本中の基本だが、それはあらゆる格闘技で実践され、尚且つ効果的にダメージを与えられる“ストレート”だ。古賀はしっかりとセシルを見据えると、そのままの勢いのままに拳を振り抜いた。


「……振りが大きいな。それに間合いもまだまだ雑だ。完璧に当たる位置でも、相手は常に動き続けているんだぞ?」


 拳の先にいたセシルが、今度はゆっくりと横にスライドして行き、そして四散する。空を切る拳、前へ前へとつんのめる上半身。古賀が体勢を立て直そうとした刹那、その衝撃は、まるで放たれた矢のように、古賀の腹部へと突き刺さった。


「……!」


 声にならない、いや、声に出来ないと言った方が語弊はない。まるでサッカーボールでも蹴るかのように腹部を蹴り上げられ、古賀の身体が大きく空中に浮き上がる。意識が静かにフェードアウトしてゆき、目に映るものを客観的にしか解釈出来なくなった。――鈍痛。体中に剃刀の刃を当られたような、それでいてじんわりと続いてゆく痛み。それが、彼の敗北を表している事は、今の状態では到底考えに至らないだろう。もっとも、彼がセシルに闘いを挑んだ時点で、負けは決まっていたのだが。


「……自分から仕掛けて、それで十秒足らずで失神するなら世話ないな」


 倒れこんだ古賀を見下ろし、セシルは羽織っている漆黒の外套から懐中時計を取り出す。学校から古賀を追い始めて約十分。ここから大急ぎで戻って大体八分という所か。彼女は時計をしまうと、何時も通り静かに踵を返した。


 ――信介君が上手く立ち回ってるかどうかは分からないが……あまり時間はないな。


 信介君から借り受けた携帯電話には何も連絡はない。だとすれば、今は差し迫って解決すべき問題がないと考えるのが当然なのかも知れない。だが、相手は未知数だ。連絡する暇も与えないほどの“力”を持っているのかも知れない。

 だが、それ程の力を持ち、それをほぼ完璧に使いこなせる存在は、セシルの中では数える程にしか存在しない。そして、たかが最果ての国の吸血鬼が、それほどの力を持っているとは、セシルには到底考えづらかった。


「……いや、案外そうとも言えないか」


 セシルは自嘲気味にそう言い、周りに気を配りながら、まるで風のように大きく跳躍した。


 

なんだか、書いていて隔週になってきている気がする(笑)やっぱりしばらく筆を休めると書けないものですね。未だにペースが掴めません。

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