Great begin 2
宇宙誕生より既に、万象と闘う事を宿命付けられた血族がいた。
世界の終焉のその時まで、神に抗う事を宿命付けられた血族がいた。
全ての始まりにして、全てを終末へと導く血筋。
唯一無二の存在にして、全ての根幹にある存在。
全ての可能性を持ち、そして同時に全ての可能性を否定する血族。
あまりにも長き時を経て、ようやくその血族は己が信念の剣を取る。
神に嫌われ、世界に迫害され、全ての業を背負う事を宿命付けられた血族の末裔が、ようやくその剣を取る。
未だ覚醒せぬ剣を握り、未だ未熟な羽を広げ、それでも英雄は純然たる闇に対峙する。
白き閃光、“ブラッディビート”こと葛城信介の初陣が、今まさに始まろうとしていた。
「……!?」
突然、体に電流が駆け巡るような衝撃が走る。見知った感覚。だが、それから来るのは嫌悪感でしかない。不快。体を這いずる様な、静かな不安。だが、確かな疼き。数週間前に感じた、あの男の感覚によく似ているようにも思える。いや、あの古賀という男にも似ているが、それよりもずっとずっと濃くて深い感じがする。
――杞憂かもしれない。
俺はそう思い、隣に居る四季の方を見ると、辺りを伺いながら、静かに口を開いた。
「なぁ、何か感じないか?」
「? 何かって何が?」
四季は、まるで何も感じていない。それは、彼女の口振りを考えれば分かる。だとすれば、これはこの前と同じ、吸血鬼の感じと見て間違いはなさそうだ。それはつまり、セシルさんが言っていた、最悪のケース。敵側の吸血鬼が、少なくとも一人はこの文化祭の人混みの中に紛れ込んでいる。これは、そう思って間違いはなさそうだ。
「……信ちゃん? さっきから、どうかしたの?」
「え?」
「さっきから、眉間にしわ寄せて、何だか心此処にあらず、みたいな……」
四季の声に、俺の意識が急速に外へと浮上する。そして目に映るのは、何時もと同じ、ちょっと不機嫌そうな四季の顔。俺は気を取り直すと、四季が不信がらないように、少しはにかみながら笑って見せた。
「別に、何でもないよ。ただ、少し考え事してただけ」
「ふぅん。もしかして、午後の上演の事?」
「まぁ、そんな事。お前や岬さんを含め、近所の人等が見に来たらやだなぁって、思っただけ」
そう言いつつ、俺はもう一度意識を集中させながら周囲の様子を伺う。間違いない。この人混みに、吸血鬼は確実に潜んでいる。それも、さっきよりもずっと近くなっている。どうする? このまま逃げるか?
「何だ、そんな事か。……んー。ていうか、信介はそういうのちょっと気にしすぎ。大丈夫だって、みんなそんな気にして見てる訳じゃないし」
「そういうもんか?」
四季に適当に相槌を返し、再び考えを巡らせる。そうだ。今俺の隣には、吸血鬼とはまったく無関係の四季が居るんだ。それに四季だけじゃない。周りの人達だって、ほとんどが吸血鬼には関係ない。どうやら、本当にこのまま逃げるって訳にはいかないみたいだ。
――だとすると、やっぱりセシルさんか。
ここではかなり動きが制限されるとは思うが、それは向こうも同じだ。最良の選択。というより、元よりそれしかないのか。
「スマン、四季。ちょっとトイレに行って来る」
「え? ちょ、ちょっと!」
「悪ぃ! 直ぐに戻ると思うけど、あんまり遅いようなら戻っててくれ!」
四季の返事を聞かず、俺は振り返って校舎へと走り出す。確か、彼女は第一校舎に居る筈だ。あれから十数分は経っているが、それほど遠くへ行ってはいないだろう。見つけ出すのは恐らく容易い。だが、それでも急がなくてはいけない。吸血鬼が本格的に動き出す前に、それより前にセシルさんに会わなくては。
「……いいのか? あんなに可愛い彼女を置いてけぼりにして」
一瞬呼吸が止まる。その瞬間、背筋に冷やりとした汗が流れる。完全なる油断。仕掛けてくるのか? こんなに人が居るのにか?
「……ん? どうした? 信介君」
だがその刹那、聞こえてきたのは聞き覚えのある女性の声。それは、俺が今から探そうとしていた女性の声。紛れもない、セシルさんの声だった。俺は正真正銘安堵の溜息を吐き、汗を拭ってセシルさんの声の方を向いた。
「あの取り巻きは?」
「取り巻き? ああ、彼らか。居なくなった君を追いかけていたら、何時の間にか居なくなっていた。それよりどうした? あの娘はいいのか?」
まぁ、吸血鬼のセシルさんなら、あの取り巻きが必死に追ってもそうなるか。だが、それも時間の問題みたいだな。この場所でも、すでに多くの注目を浴びている。さっさと用件を済ませなければ、逆に不利な立場になる。
「いいですか、セシルさん。単刀直入にいいます。この中に、恐らく吸血鬼が居ます」
俺の言葉に、セシルさんの表情が一瞬固まる。そして覚醒する、吸血鬼としてのセシルさんの雰囲気。禍々しくはないが、それでも十分狂気を秘めた圧迫感。セシルさんは軽く息を吐くと、目を細めて周囲を刮目した。
「それらしい感じは……しない……。だが、微かに空気が乱れている。……分かった。少し周囲を探索してみる」
「あっ、ちょっと待って!」
セシルさんは身を翻し、周囲を伺いながら静かに歩き出そうとする。だが、俺はそんなセシルさんを素早く呼び止めると、ポケットから携帯電話を取り出し、それをセシルさんに手渡した。
「もしものための“ライフライン”です。緊急の場合に限って、連絡するので、その時は……」
「君の元に駆けつけろ、と?」
セシルさんの言葉に、俺は少し考え、そして一度だけ首を横に振った。
「いえ。その時は、吸血鬼を殲滅してください。俺の事は二の次でいいです」
――そうだ。これでいい。俺も命は欲しいけど、それを大勢の命と天秤にかけるつもりはない。
俺の言葉に、セシルさんは少し驚いたような顔をしたが、俺の顔を見ると、決心が伝わったのか、薄く笑みを浮かべて首を縦に振った。
「心配しなくていい。君の命を守り、なおかつ吸血鬼も撃破する。これで万事解決だ」
そう言い残し、セシルさんはまるで気配を掻き消すようにして人混みの中へと消えてゆく。そこには、先程の圧倒的な吸血鬼の圧迫感はない。あるのは、先程までの感覚と、それに準じて生じる不安のみ。それは、どういった要因をもってしても拭い去る事は出来ないだろう。人任せとは、如何なる場合に置いてもそういうものだ。
――さて、これからどうしようか。
相手に気付かれずに、探してみる? 無理だ。俺に目標を付けており、さらには俺よりかは数段身体的能力に優れた相手だ。迂闊に飛び出せば、連絡する間もなく狩られる。それは当然。至極当然。なら、どうすればいい?
――やはり、四季の所に戻ろうか。
吸血鬼に出会ってしまった時のリスクを考えれば、それは真っ先に消すべき選択肢だ。だが、四季をあの場所に留めておくのも、それはそれで危険だろう。最悪、二人で居る所を見られているかもしれない。人質に、なんて事になったら、それこそ岬さんに顔向け出来ない。
「考えるだけ無駄か……」
頭に浮かぶ最悪のシナリオ。体の内側を這いずり回る、恐怖という名の寄生虫。しかし、それ以上に心を動かすのは、俺の問題で誰かを傷付かせない事だ。俺は自分に言い聞かせるように歯を食いしばり、一歩一歩、慎重に歩を進めた。
「やれやれ……どうして俺はいつもこう、簡単に“幸運”に巡りあえるかね」
歩みが止まる。そして感じる、膝元まで浸かっているような、感覚を痺れさせるようなあの空気。あの気配。吸血鬼。その言葉が浮かんだ瞬間、頭の中が白黒に点滅する。予期はしていたが、それでも心がゆっくりと締め付けれるのを感じる。声の方向は……恐らく後方。この感覚がする方から聞こえたからそう思うが、それが正解と見て間違いはない。俺は額に汗が流れるのを感じ、この気持ちを気取られないように、ゆっくりと後ろを向いた。
俺の目の前に映った人物。それは、ブリーチのしすぎて白くなり過ぎた金髪に、まるで猫のように鋭く吊り上がった目。使い古しのユーズドのブルージーンズに、筋肉質な体に良く似合う純白のTシャツを着た、何処にでもいる青年だった。だが、それでも見覚えがある。服装は違うが、この男は、確かに前にであった吸血鬼だ。
――古賀茂。
この男は……、この男の名前は……そうだ。古賀だ。俺が喫茶店で振り切った、あの吸血鬼だ。
「久しぶりだな、葛城信介。忘れた、なんてほざくなよ? こっちはてめぇの顔なんざ、忘れたくとも忘れなんねぇんだ」
「生憎、物覚えは良い方でね。忘れたい事でも、しっかりと記憶してんだ」
挑戦的な瞳を古賀に向け、俺は精一杯の虚勢を張る。無論、これは、相手に対する威嚇なんかではなく、自分自身を奮い立たせるための事だって事は、自分でも良く分かっていた。
「やっぱり、てめぇは気に食わねぇ野郎だ。これが任務じゃなきゃ、とっととぶん殴ってた所なんだけどよ。……それもいいな。殺すなとは言われたが、嬲るなとは言われてねぇ」
「……どっちでもいいけど、用事があるのは俺なんだろ? だったら、さっさと捕まえたらいいじゃんか」
口ではこうは言うが、勿論吸血鬼に捕まるなんて死んでもゴメンだ。しかしどうして、この吸血鬼は、俺を見つけた途端に襲い掛からなかった? 小さな疑問だが、よくよく考えてみれば、それはどこか矛盾している。抵抗されずに、かつ迅速に捕まえたいならば、見つけてすぐに捕まえる事が常套だろう。なのに、この男はしばらく俺の周りを徘徊していた感がある。なぜだ。何かあるのか。
「すっとろい事言ってんじゃねぇよ。こんな人目がある所で、血の力を使える訳ないだろ。こっちにも色々と手順があんだよ」
「手順? 俺を捕まえるために、か? ……はっ、ご苦労な事で」
面倒くさそうに頭を掻き、俺は何気ないように相手の出方を伺う。とりあえず、今この場で、っていう確立はもうない。という事は、こちらにもまだ勝機がある。上手くセシルさんと連絡が取れれば、形勢を一気に逆転させられるだろう。俺としても、少しは手を打たなくてはいけない。
「……勘違いするなよ。俺は血の力を使わないって言っただけで、他の誰かが使わないなんて、一言も言ってねぇぜ」
「他の……誰か」
この吸血鬼の言葉に半ば俺は絶句し、思わず視線が宙に浮く。……他の誰か。という事は、少なくとも二人は吸血鬼が居るのか!?
――まずいな。
ただの人間の俺が、セシルさんの足を引っ張るの確実だし、それに加えて、相手は吸血鬼二人だ。分担作業で俺の捕獲とセシルさんの足止めを同時に出来てしまう。まずい。非常にまずい。今まで逃げる気はなかったが、本当に今少しだけ全力で逃げたくなった。
「……そろそろだな。ま、お前を捕まえるのは、もう少しここら辺が混乱してからでも十分間に合う。おっと、逃げようなんて思わないほうが良いぜ? こっちはお前が校門から一歩でも出れば、すぐに補足出来んだ」
古賀は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、ポケットから煙草を取り出し、それを口に銜える。そしてそれに火を着けると、軽く笑みを浮かべて一気に煙を吸引した。
これの他に、また新たに短編のコメディーを現在執筆しているんですが、やっぱりコメディーは難しい。読み返してみて、これはあかんだろ、みたいな所がたくさんあって、しばらくこれをほったらかして書いていました。本当にヘタレですいません(涙