その男、信介 1
人間、やっぱり誰がなんと言おうと不公平だ。
才能がある奴はやっぱりその分野では成功するし、運がある奴はなんだかんだで結果はマイナスにはならない。努力をすればいいのかも知れないけど、ウサギと亀じゃあるまいし、才能や運がある奴が自分より努力しないとは限らない。死ぬ時はみんな死ぬのに、どうしてスタートラインでこんな差が出るんだろう。
――要するに、あれだ。神様は選好みなんだ。
そうか。だから俺にはこんなに女運がないのか。大して格好の良い容姿もしてない俺に女運をくれないなんて、神様は俺に一生独身でいろとでも言いたいのだろうか? ……いや、やっぱりただの気まぐれなんだろう。でなきゃ、世の中もっと平らになっているはずだ。
「ちょっと! 人の話を聞いているんですか!」
本来、生徒の憩いの場であるはずの昼休みの屋上に、再び場違いな甲高い声が響き渡った。同時に、あっちの世界に逃避していた意識が再び現実世界に浮上する。あぁ、まだやってたんだ、と溜息をつくと、俺は再び何時もの愛想笑いを浮かべた。
「いや、聞いてましたよ?」
「そんな死んだような目でですか?」
……何だか、遠まわしに結構ひでぇ事を言われたような気がしないでもないが、言い返したら言い返したでまた面倒な事になるのは目に見えてるし、俺はとりあえず笑って誤魔化す事にした。
先ずは状況を説明しよう。俺の目の前には、今三人の女の子がいる。学年は全員俺より一つ下。真ん中の女の子は先程からずっと泣きっ放しで、その女の子を挟むように気の強そうな女の子が俺を先程からずっと睨みつけている。まぁ、世間一般に言う修羅場という奴だ。
放課後は用事があるから、なんて言ってしまった自分の浅はかさを呪いながら、俺は伏せ目がちに他の屋上の面々を眺める。見栄やプライドなんてこれっぽっちも無いつもりだったけど、どうやらそれはあくまで強がりで、所謂勘違いのようだった。率直に言えば、この場で怒鳴られるのはめちゃくちゃ恥ずかしい。古人の言葉を借りるとすれば、まさに穴があれば入りたい気分だった。
「先輩、ミキちゃんが可哀相だとは思わないの?」
ちなみにミキちゃんというのは、今目の前で泣いている女の子で、ついさっきまで俺の彼女だった女の子だ。セミロングにパーマをかけ、目鼻顔立ちも整った、オシャレで可愛い彼女だったが、身に覚えの無い俺の浮気が嫌で嫌でしょうがないらしく、そんなに嫌なら別れようか? と言った途端にこれだった。
「まぁ、それなりには」
「ひっぐ……なら、何で別れ、ようなんて、簡単に言うの?」
もう涙だかお化粧だかでぐちゃぐちゃな顔になっている元カノのミキちゃんは、まるで親の仇のように俺を睨みつける。何とも言えない不条理さを感じつつ、とりあえず俺は睨みつけてくる少女に再び苦しい笑みを返した。
ていうか、そもそも何で俺が浮気した事に? さっきは話の勢いで全く突っ込めなかったけど、俺は浮気をした覚えなんて全くないぞ。自慢じゃないが、クラスではほぼ全ての時間を野郎共と過ごしているし、放課後に至っては、寄り道どころか彼女にすら目もくれずに家にまっしぐらだ。そんな俺が、どう頑張ったら浮気なんて出来るんだ? ドッペルゲンガ―でもいるのか? 多分、ていうか絶対に向こうの勘違いだろ。
「なぁ、さっきから俺が浮気したみたいな事言ってるけど、そんな事誰か言ってたのか?」
「この期に及んで、まだそんな事――」
「いやいや、だって見覚えがないんだけど」
俺の悲痛な訴えが通じたのか、三人は元カノを中心に、何だかヒソヒソと話を始めた。まぁどっちにしろ、俺にとっては元々身に覚えが無い話だ。何が来たって怖くなんかない。そう身構えていると、取り巻きの一人が眉を顰めながら話を始めた。
「学校終わった後、先輩が他の女の子と一緒にいる所を見たんですけど。それも何度も」
「あたしも見ました。それに、他のクラスの女の子も一緒にいる所を見たって」
他の女の子? 一緒に何時もいる? 何の事だ? 少し考えてみると、俺はすぐにその話の女の子のシルエットが頭に浮かんだ。
「……それって、二年の岬の事だろ?」
恐る恐る聞いてみると、取り巻きの女の子達がこくっと肯く。やっぱり。こいつら、間違いなく勘違いしてやがる。
岬四季。俺んちのお向かいさんにして、小学校以来の幼なじみの事だ。学年は俺と同じ二年生。勿論、どこかのラブコメのように毎朝起こしに来たりもしなければ、信介君大好きなんて言い寄ってきたりもしない、極々普通の女の子だ。ただ、帰り道がほとんど同じだし、昔馴染みなもんだから、一緒に帰ったりはするが、断じて相思相愛の結婚秒読みのイチャイチャのドロドロじゃない。だからこの噂は知っている人なら知っている、完全なデマという事になる。
「あのなぁ、その、何というか四季はまた彼女とかとは別でな……」
「そういうのを浮気って言うんじゃないですか?」
取り巻きの女の子が、再び大きな声を張り上げる。周りの人は既にいない。時間もあれだし、きっと5時限目の準備のために教室に戻ったのだろう。
「いやだから、彼女とかそういうのじゃなくてさ」
「じゃあ、何で、私とは一緒に帰ってくれないのに、岬先輩、とは一緒に帰るの?」
既に泣き止んだ元カノが、消え入るような声で言った。
「いや、だってミキちゃんとは帰り道が逆なんだからさ。ていうかあいつとは帰り道が一緒なんだよ。それに、あいつは昔から仲良かったし……」
「ちょっと! じゃあミキちゃんは遊びだったって事ですか!」
「いやだから違うっての! ていうか、まず俺が浮気している事を前提に話を進めるのは止めて!」
「…………はい」
とは言いつつも、彼女達は完全に俺が浮気をしているのを誤魔化していると思っているみたいだ。何だか、視線がさっきよりも汚いものを見ているような感じになっている。俺の心のアンテナが、この危機的状況を察知してビンビン反応していた。
――あれしかないな。
俺は歯を食いしばり、何とか状況を打開する手立てを考える。だが、やはり方法は一つしか見当たらない。成功するとは思えなかったが、俺は一か八か、敢行してみる事にした。
「……誤解しているようだから言うけど、彼女はただの親しい友人の一人だ。恋愛感情はない。断言する」
沈黙を破り、俺は意を決して口を開く。目はこれ以上はないと言っていいほど真剣に、真っ直ぐにミキちゃんだけを見据えた。親友に教わった、女の子に誠意を見せるテクニックだ。果してこれが、ミキちゃんに通じるかどうか……。そしてしばらくして、泣き止んだミキちゃんは、俺の誠意を分かってくれたのか、目を擦ってようやく静かに肯いてくれた。俺は心の中で、静かにガッツポーズをした。
「分かった。だよね、信介君が他の女の子と付き合えるはずないもんね」
……何だか、また結構ひでぇ事を言われた気がしたが、そこは大目に見よう。時計を見ると、後五分程で始業のベルが鳴る。昼飯は食えなかったけど、まぁいい。とにかく問題解決だ。
胸にそっと飛び込んできてくれたミキちゃんを優しく抱きしめ、俺は誰にも見えないようにほくそ笑んだ。やっぱり神様は選好みなんてしない。結構平等じゃんか。
「あー。信ちゃんまだ屋上なんかにいたの? 駄目だよ、授業サボるの」
階段の方から慣れ親しんだ声が聞こえ、俺はとっさに階段のある扉の方を向いた。
「サボんねぇよ。それより、四季こそこんな所にいると、また遅刻するぞ」
扉の所には、一人の小さなショートカットの女の子が、ニコニコしながら俺の方を見つめている。彼女の名前は岬四季。先程から何度か話にあがっている、噂の女の子だ。
「分かってるよ。……あー後さ、今日は部活ないから、一緒に帰ろ。良いでしょ?」
「ああ、分かったよ。じゃあまた帰りな」
それを聞くと四季は、嬉しそうに手を振って階段を下りていった。それを俺は笑顔で見送り、その顔のまま再びミキちゃんの方を向こうとした瞬間、
バシンッ!!
俺の緩みきった頬に、季節はずれの大きな紅葉が浮かび上がった。俺の胸を押すように離れたミキちゃんの目には、今度は大粒の涙がなんかじゃなく、俺に向けられた激しい憎悪の気持ちが溢れていた。
「やっぱ浮気じゃない! このロリコン!!」
今までのキャラとはまるで別人のような捨て台詞をミキちゃんは残すと、横の二人を引き連れて、ミキちゃんはさっさと屋上をから出ていってしまった。一人取り残され、ただ呆然と立ち尽くしていた俺は、今日一番の特大の溜息をつくと、顔を顰めて憎らしそうに天を仰いだ。
――やっぱ、神様は選好みだ。
始業のベルが、俺を蔑むようにゆっくりと校庭の方で響いた。