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青い影 4

「……すまない、信介君。あの吸血鬼を逃してしまった」


 帰ってきて早々、セシルさんは椅子にドカッと腰を下ろすと、そのまま溜息を吐いて俺の方を向く。セシルさんの顔は随分と焦燥しており、服にも所々に焦げたような跡が残っている。やはり、あの古賀とかいう吸血鬼に手こずったのだろうか。だとすれば、俺の選択は間違いではなかったようだ。あのままついて行ったら、絶対に、そして確実に拉致されていただろう。

 俺が叔父さんにメッセージを送ってから数時間後。俺はそれこそ自分の庭とも言える叔父さん経営の喫茶店、『スミス』で吸血鬼から逃れ、家で休んでいたアルフレッドさんに事の詳細を話し、そして、何をとち狂ったかすっかり暗くなってしまった勝手場に向かい、急いで夕飯の支度を始めていた。


 ――しかし、これはもう完全に習慣ていうか、禁断症状だな。


 無論、吸血鬼に発見されたのに、こんな事をしている場合かとも思ったが、何が何でも晩飯を作らないといけないという強迫観念に駆られ、さらには外食は経済的にも健康的にもいけないという固定観念も邪魔をし、結局今晩のおかずの鰯の蒲焼を焼く事にしたのだった。


「あー。そうですか……」


 出来上がった鰯の蒲焼を小皿に取り分け、それを手早く食卓に並べる。自慢ではないが、この鰯の蒲焼はかなりの一品だ。セシルさん達の口に合うかは分からないけど、味には相当の自信があった。


「セシル、邪魔でも入ったのか?」


 ソファに座っていたアルフレッドさんが、静かにセシルさんの前へとやってくる。セシルさんは今度はアルフレッドさんの方を向くと、無表情のまま首を縦に振った。


「数年前にイギリスのグラストベリーで戦った、ロメオス・ハーミットを覚えているか?」


「ああ、覚えておるよ。あの時は確か……お前と一騎打ちになったのじゃったな?」


 アルフレッドさんの言葉に、セシルさんが再び頷いた。


「……ロメオスが現れた。しかもあろう事か、“ノーブルブラッド”の一員としてだ」


 セシルさんの言葉に、聞いた覚えの単語が出て来る。“ノーブルブラッド”。俺を探していた組織にして、この日本の有力な勢力を陰で操る団体。古賀から聞いたその情報は、どうやら俺の言ったデタラメのようなものではなく、確かな情報だったようだ。


「……どうやら、悩みの種がまた一つ増えたようじゃな」


「どちらにしろ、あの男は私が葬る。今度は、絶対に逃がさない」


「それも、向こうがその機会を与えてくれるかが問題じゃがな」


「……ああ」


 俺の作った蒲焼さん達を目の前に、何時にも増して無表情になっていくセシルさん。そして俺の横に座っているアルフレッドさんも、どことなく神妙な面持ち(猫に面持ちも何もあったもんじゃないと思うが)をしていた。

 そして、そんな重い空気の中で、呆気に取られながらしゃもじ片手に立ち尽くす俺。何だか知らないが、どんどん不穏な空気になってる気がする。


「あのー……」


 変に静まり返ってしまった二人の方を向き、俺は堪らなくなって硬い表情の二人に声をかけた。


「そのロメオスって奴は、相当やばいんですか?」


 話の内容でその事は大体分かっていたのだが、それでもここで何か言わねばと思い、俺はとっさに思いついた事を口にする。二人は俺の方を向くと、同時にコクッと頷いて見せた。


「四、五年前は互角だった。そして今回も、状態は万全ではなかったが逃げられた。一騎打ちでやれば私に分があるが、信介君を護衛する手前、あまり勝算があるとは言えない」


「しかも、ノーブルには奴以上の上位の吸血鬼が、確認できているだけでまだ数人はおる。ご丁寧に一人ずつ戦っててくれれば分はあるのじゃが、それはどう考えても有り得んからの」


 二人の言葉に、俺の笑顔が少しずつ凍て付いていく。ステレオで聞かされた、またまた絶望的とも言える状況。ていうか、聞いた俺も悪いのかもしれないけど、それ以上にこの二人の言葉は単刀直入っていうか、単刀で滅多切りっていうか、それほどの破壊力が付加されていた。


 ――まぁとにかく、そういう話はもっとオブラートに包んでください。


「それに、今回に限って言えば、信介君と接触した吸血鬼を逃がしてしまったのだ。情報はだだ漏れ。恐らく、この場所もすぐに突き止められるだろう」


「はぁ、そうなの?」


 熱々のご飯を茶碗に盛り付け、俺はセシルさんとアルフレッドさんの前に置く。アルフレッドさんは一応猫の姿をしているが、食事は食事で人間と同じように取りたいらしい。まぁ、今は二人とも俺の飯にはまったく興味を示していないようだが。


「事は案外重大じゃよ、信介君。住所が分かれば行動範囲も特定出来る。所属が分かればスパイも送れる。表立って仕掛けてくる事はまずないと思うのじゃが、それでも悪化したのには変わりあるまい?」


「確かにそうですけど……」


 嫌な沈黙が、再び食卓に広がる。アルフレッドさんが言ってる事は確かに正しい、確かに正しいんだけど……。その言葉は暗に、セシルさんを攻めている事になるのではないだろうか? 


「……とにかく、君のお膳立てがあったにも関わらず、あの吸血鬼を取り逃がしてしまい、更には君の居場所が洩れてしまったのは私の責任だ。……本当に、本当にすまない」


 自責の念に駆られているのか、セシルさんがもう一度溜息を吐いて視線を伏せる。そしてアルフレッドさんもそんなセシルさんを見つめ、目の前のご飯にはまったく手をつけようとしなかった。


 ――……うぅ。なんか、さらに不穏な空気になっちまった……。


 実際問題、セシルさんにしてみても、そのロメオスとかいう吸血鬼を逃がしてしまった事は、かなり悔しいものなんだろう。加えて、格下の相手に後れを取った事も、悔しさに拍車をかけているのかもしれない。ていうかこれは、元気を出せって方が無理なんじゃないだろうか。


 ――でも、これは全部が全部、俺のためにしてくれてる事なんだよな……。


 やっぱりここは、何とかして元気を出して貰わなければいけない気がする。この二人には命を助けられたんだし、今日だって逃がしはしたものの、やっぱり俺のために戦ってくれたんだ。だったら、ここは俺が頑張るのが筋ってもんだろう。俺は意を決し、二人に向かって口を開いた。


「でも、今回も完全に貴方達に助けられたじゃないですか」


 俺の言葉に、セシルさんがそっと視線を上げる。顔は無表情だが、それは明らかに否定の意を示している。俺はそんなセシルさんも気にせず、再び話を続けた。


「セシルさんが居なかったら、俺は今こうして晩飯を作っていなかった訳ですし、下手したら、あのまま拉致されてたかもしれません。それに、二人が居るのが分かっていたから、俺はわざわざ危ない橋に渡らずに済んだんです」


 そうだ。この人等が居なかったら、俺はあのままあの男について行ってしまっていただろう。だからこれは、二人に助けられたのとほとんど変わらないじゃないか。


「……信介君。それは励ましの言葉のつもりかもしれんが、君の居場所を敵に晒してしまったのは、厳然たる事実じゃ。任務が失敗し、君に迷惑をかけたのには変わらんじゃろ」


「でも、貴方達に命を助けられたのも事実ですし、それに、俺は自分の居場所が知られた事に関しては、それほど危険だとは思ってません」


 アルフレッドさんの言葉を遮り、俺は言葉を紡いだ。


「吸血鬼の表立った行動の度合いはよく分かりませんが、敵に住所が知れたとしても、ここは住宅街のど真ん中です。正面からやって来たにしても、人目のある所まで逃げればその時点で決着は着きませんし、寝込みを襲うにしても大掛かりな行動は無理です。それに、通ってる学校が知れたにしても、登下校さえ気を使えば、後は人混みとなんら変わりありません」


 何だか、まるで自分に言い聞かせているみたいだけど、でもそれは確かに、前々から頭の中にはあった事だった。相手の状態は確かに分からないが、それは逆に言えば向こうも同じなはずだ。古賀の言葉から考えても、それは間違いないと思う。向こうは、完全にはこちらの状況を理解していない。


「じゃが、はっきり言ってしまえば、この日本は奴等の本拠地じゃ。危害を加えようと思えば、幾らでも方法はあるんじゃ。況してや、数は圧倒的に不利じゃし、こちらはほとんど援軍は期待出来ない」


「だから、こちらから変に騒ぎ立てれば、相手にその事を悟られるじゃないですか」


「? その事とは?」


「こちらの圧倒的不利な状況の事です。確かに実際はそうですが、しかし、仮に相手が俺達の実体が掴めていないとしたら、それなら話はまた変わります。相手がよほどの馬鹿じゃなければ、よくよく調べもしないで襲う事は少ないんじゃないでしょうか?」


「じゃが、それも所詮は時間稼ぎじゃろ? 長い間は持たんと思うが」


「引っ越したり、変に奇策を立てるよりは、何もしない方がよっぽど安全な方法じゃないですか? あくまで素人意見ですが」


 言いたい事を言い切り、俺はドカッと椅子に腰を下ろす。とりあえず、過ぎた事を言ったってしょうがない。ぶっちゃけ、いつかはばれるって分かってたんだし、それは責めても仕方がない事じゃないか。


「……だそうじゃ、セシル。これからも精進するのじゃぞ」


「ん、分かった」


 アルフレッドさんはそう言って、意気消沈しているであろうセシルさんの方を向く。そして俺も、少しは励ましになったかと思いながら、意気消沈しているはずのセシルさんの方を向いた。


「……ん?」


 ……だがそこには、色んな意味で信じられないような、目を疑うような、ていうかそりゃねぇだろというような、凄惨な光景が広がっていた。

 モグモグと、そしてバクバクと、セシルさんは小皿に取られた鰯の蒲焼に箸をつけている。口には可愛らしく米粒を付け、多少お行儀が悪く、お皿を斜めにして見事におかずをかっ込んでいた。

 勿論、それは作る側にとっては、とても嬉しい事だ。残されるより、こうして美味そうに食べて貰える方がずっといいに決まっている。だが、俺が信じられないのは、そこじゃない。そういうとこではなかった。


「あの……セシルさん」


「ん?」


 テーブルの上に既に空になって置かれている皿は二つ、そしてセシルさんが食べているのを合わせると三つ。取り分けた鰯の蒲焼は全部で三つ。二と一を足して、三から引けば……うん、零だね。


「その……」


「心配するな。状況が圧倒的に不利でも、私と父上は強い。その状況をひっくり返る程に強い。だから、心配するな」


「いや、そういう事じゃなくてさ……」


「安心してくれ。信介君の護衛は私がしっかり果たす。理不尽な生活には、絶対にしない。だから、安心してくれ」


 ていうか一番理不尽な事してるのは、貴方だけどね。それによく見ると、盛っておいたご飯すら平らげられてるし。しかもそれ、俺の茶碗だしさ。


「ま、そういう事じゃ。信介君。状況は悪いが、わし等が居るから大丈夫じゃ」


「こんな説得力ない大丈夫は初めてですけどね……」


 これからコンビニへ一っ走りに行かなくちゃならないと思うと、俺は心の底から溜息が零れた。

まさかのスランプ、まさかのウィルス。出ればタイソン、戻ればヒクソン……すいません。ちょっとしたトラブルで更新が遅れました。今更ヴァルプロにハマったなんて、口が裂けても言えません。という訳で、次回から新章です。評価、感想、批判お待ちしています。

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