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青い影 3

 肩で息をしながら、古賀茂こが しげるはもう一度暗くなった商店街を見回す。薄汚れた赤いレンガ造りの歩道を踏み締める数多の足音、チカチカと不規則に点滅する外灯に、光っては消える人の影。それが視線の先の十字路まで続き、そしてそこには一切、古賀が目的とする人物は存在していなかった。


「なめやがって……」


 人の目も気にせず、古賀は口から溜まった唾を吐き出す。散々走り回って悲鳴を上げる両足と、それに呼応するように酸素を求めて胸で暴れる二つの肺。もっとも、古賀にとってはそんな身体的な痛みよりも、葛城信介から受けた欺きの方がよっぽど苦しいものだった。

 荒い息を落ち着かせ、古賀は視線の先の時計に目をやる。時間は八時半。葛城信介を追い始めてかれこれ一時間半が経った。そして、古賀は未だに葛城信介の影すら見つける事が出来ないでいる。無論、あれからずっと葛城信介が逃げ続けている事は考えづらい。この追いかけっこの勝敗は、完全に葛城信介の逃げ切り勝利だった。

 勿論、葛城信介に渡された住所、電話番号も確認したが、当然どちらも架空の番号であり、葛城信介に繋がる情報は何もない。古賀は舌打ちをすると、渡された紙切れを丸めてゴミ箱に捨てた。


 ――まぁ、今日は接触出来ただけで、良しとするか。


 実際、住んでいる地域と学校と名前が特定できれば、そこから個人情報を引き出すのは簡単だと、古賀は上役に言われていたのを思い出した。名簿や住所録、会員カードに記載されているものなら、大概の情報は引き出し可能らしい。完全に負けた訳じゃない。今日は退いてやるが、次は必ず葛城信介を捕まえる。古賀はそう決心すると、人混みに紛れるようにしてゆっくりと歩き始めた。


「諦めたか、ノーブルのハーフは」


 ここ二時間近く、古賀を見張って商店街の雑踏に紛れていたセシル・フレイスターは、ようやく探索を諦めて商店街を離れ始めた古賀の後を追う。途中、すれ違った人々の多くが老若男女問わず、セシルに振り返るが、その当の本人は気付いてすらいない。正確に、そして確実に獲物を仕留めるために輝く銀狼の瞳には、他の人間など路傍の草と何ら変わらなかった。

 古賀を追い始めて三十分、古賀が町の中心部から離れた道に出ると、セシルは少しずつ古賀に接近する。常人には気付かれないほど足音は小さく、存在は吸って吐く空気よりも透明で薄い。そしてセシルは一気に距離を詰めると、懐から静かに銃を抜いた。


「止まれ」


 古賀の頭に銃を突き付け、セシルははっきりとした口調で言った。

 銃を突き付けた瞬間、古賀がビクッと止まり、そしてセシルの言葉を聞いてすぐに両手を上げる。こういう事態がある事は、恐らく聞いていたのだろう。古賀は大きな溜息を吐き、肩越しにセシルを見た。


「葛城信介の連れ……っていう考えがあるんだが、当たっているか?」


「ご明察の通りだ、ノーブルの若き吸血鬼。だがいささか御幣があるな。私は葛城信介の護衛人だ。それ以上の関係はない」


 セシルは表情すら変えずに淡々と言葉を紡ぐ。古賀はセシルの顔を見ると、視線を逸らして笑みを浮かべた。


「? 何が可笑しい?」


「……いやなに、あの男は随分な美人を傍に侍らしているのかと思ってよ」


「軽口は叩くな、ハーフ。目障りだ」


 銀狼の瞳が、月光に照らされ青白く光る。私は汚れている。セシルにとってそれは確かな真実であり、明確な事実だ。だから信介の綺麗だという言葉の意味も、この男の軽口も、セシルにはただの皮肉にしか聞こえなかった。


「あの女もそうだが、吸血鬼には美人が多いんだな、男は恐怖の塊のような奴しかいないのに」


「黙れというのが聞こえ……」


 セシルが言い終わるか否かのタイミングで、古賀が銃に向かって素早く裏拳を放つ。一瞬気を取られたセシルだったが、古賀の攻撃を半身になってかわし、軽やかなステップで距離を置いた。


「悪いが、葛城信介の情報を渡すまで戦闘は避けるように言われてんだ。ただの人間に戻されたら、元も子もないしな!」


 銃を構えたセシルに背を向け、古賀はそのまま元の通りに向かって一気に走り出した。逃がすものか。この距離なら通りに出る前にやれる。セシルは銃を仕舞うと、大きく一歩を踏み出した。


「…………今度は、貴方が止まる番ですよ」


「!?」


 走り出そうとしたその瞬間、セシルの目の前の道が音もなく燃え始める。林檎の色にも似た紅蓮の炎。それが静かにコンクリートの道路を焦がし、そして気が付けば、セシルの周りを取り囲むようにして広がっていった。

 この能力について、セシルは多少の覚えがあった。それはまだ、このニホンに来る前、とある地方に存在していた秘密結社の幹部と対峙した時、確かにその幹部は似たような能力を使っていたのだった。そしてその記憶を頼れば、確かにその幹部には逃げられたままだった。


「お久しぶりですね、“銀狼”。前に会ったのは確か、異端審問会の行われていた大聖堂の中でしたね」


 炎立ち上る空の一片に、牧師服を着た長身の男の顔がぼんやりと浮かび上がる。セシルとは対照的な、赤を基調とした美しい瞳。炎の熱風を受け、それでも涼しげな顔に見える整った顔。その姿を確認したセシルは、微かに舌打ちし、電柱の上に立つ男を睨み付けた。


「……ロメオス。グラストベリーの邪教徒が、こんな所で何をしている?」


「なに、こっちが本業さ。気にする事はないですよ。セシル・フレイスター。私も貴方も、以前と変わらず敵対同士、だから気を使う必要もありません」


「気など使う必要は、お互い毛頭もないだろう。それに、貴様が邪教徒だろうが“ノーブルブラッド”だろうが、私は貴様を生かしておく気は無い」


 邪悪に燃える漆黒の赤。それを睨みつけ、蒼き牙を剥く銀狼。相反するその二つの姿は、この空間の全ての存在を陵辱し、そして抹消させる。人間が、生まれたての人外が、決して踏み込めぬ紅き城壁の中へ、二つの異物はゆっくりとその存在を加速させていく。


「まぁ、落ち着いてください。今日は君を足止めしに来ただけです」


「足止め……? あのハーフの事か」


「重要な情報を掴んだ彼を、このまま消されるのも癪でしてね。悪いんですが、セシルさんにはご退場リタイアしてもらいますよ」


「やれる気でいるのか? 今の私は、あの時とは格が違う!」


 言葉が走り、そしてその刹那、空間を切り裂き数発の弾丸がロメオに向かって直進する。――一つ、二つ、三つ。その一つ一つが爆ぜ、滅し、そして消失する。翳されたロメオの右手。その手には深緑のグローブがはめられ、赤く染まった空間をさらに増長させた。


「口振りの割に、あまり進歩が見られませんね、セシル・フレイスター。いくら必滅でも、そんな直進のみの対吸血鬼殲滅兵器エインフェリルじゃ、私の身体を貫くのは到底不可能です」


「当たり前だ。こんな小手調べで死なれては、肩透かしもいい所だ」


 彼女の持つエインフェリルに刻まれた刻印が、微かに輝き始める。マナに祝福されたその輝きは、神秘的な光を描きながら、セシルの手の中で再び閃光を放った。

 身体をくねらせ、ロメオは赤く染まった夜空を舞う。放たれた弾丸は、今度は爆ぜる事無くそのまま空間を直進する。そしてその刹那、今度はセシルの足元から別の炎が競り上がって来た。


「こんなもの……!」


 右足を軸にしてセシルは軽やかにステップを踏む。時に右に、時に左に、そして時には軽く宙を舞うようにして漆黒を穿つ紅炎をすり抜けて行く。美しく舞うその姿。彼女が“銀狼”と呼ばれる所以が、その姿にあった。

 軽いステップの踏み、セシルはロメオの着地地点目掛けて再度銃を向ける。低い弾道のそれを放とうとした瞬間、ロメオは右手から、大きな光を凄まじい勢いで一閃された。


「今日の遊びはこれくらいにしておきましょう。セシル・フレイスター。私の目的は果たされた。また会う日まで、せいぜい生き延びてください」


 燃え上がる爆炎が、ロメオの顔をうっすらと浮かび上がらせる。距離は……もう遠い。それに、このままだと焼け死んでしまうかもしれない。


「くっ……! ロメオス!」


 大きな爆発と共に、ロメオは漆黒の闇へと消えていった。

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