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青い影 2

「初対面の相手に、いきなり面貸せ、ですか?」


 刹那の沈黙の後、俺は少し考えを巡らしながら言った。


「別に、お前を連れ回す気はねぇよ。今日は色々と話を聞こうと思ってるだけだ」


「話?」


 それなら、こっちだって聞きたい事がたくさんある。こいつの名前だって知らないし、所属しているグループがどういったものなのかも知れない。こいつについて行くのは確かに危険だけど、それなりのリターンも期待できる。後は、いかにこの吸血鬼を自分の流れに引き込むかだ。


「その様子だと、幾分かは乗り気のようだな」


「多少、ですが。話を聞くだけならいいです」


「……場所を移そうか。ここじゃ、誰に立ち聞きされるか分からない」


「そうしましょうか。近くの喫茶店があります。詳しくはそこで」


 俺の言葉に、男は無言で頷く。これで流れは向こうに行く事はない。後は、いかにして相手から情報を引き出すかだ。


「……ちょっと待て」


 ゆっくりと歩き始めていた俺を呼び止め、男が静かに歩み寄ってくる。まだ何かあるのか。歩みを止め、俺は男の方に振り返った。


「誰かに連絡するような素振りを見せたり、逃げ出すような素振りをしたら、多少手荒な事をするからな。よく心得ておけよ」


「貴方こそ。最初の話と違う行動をするなら、俺も何も話す事はないし、全身全霊で逃げますから」


 フラットに、そして落ち着き払ってそう言い、俺は前を向いて歩き出す。俺の後ろの男からは、既に強い圧迫感は薄れていた。






 目的の男、葛城信介に促されるままに古賀茂こが しげるは喫茶店の中に入る。外観は少し古びたレンガ造りで、年季が入った建物かとも思ったが、内装も概観と同様、一昔前のドラマのワンシーンを思い出させるような、そういう風な好みが分かれるシックな造りになっており、こういう嗜好なのかと古賀は納得した。

 一番奥の席に向かうようにして葛城信介と古賀は腰を下ろす。窓の外から射し込むような西日が古賀の頬を照らし、その眩しさに思わず古賀は手をかざした。


「何か頼みましょうか」


「ああ」


 葛城信介の言葉に、古賀は一言だけそう言うと、テーブルの奥のメニューを取る。メニュー表も随分と使い込まれていて、透明なガードの部分がひどく変色している。年季が入っているのは、あながち間違いではないようだ。


「俺はアイスコーヒーでいい」

 

「アイスコーヒーですね。じゃあ、俺はシナモンティーで」


 右手を上げ、葛城信介はこのお店のマスターであろう人物に、アイスコーヒーとシナモンティーを注文する。カウンターの奥のマスターは淡々と返事をすると、こちらを気にするでもなく静かに注文の品の用意を始めた。


「ここは、コーヒーより紅茶のほうが美味いんです」


 少年に適当に頷き、周囲をじっと眺める。人は疎ら。それほど多くはない。声も響く感じではないし、ここなら十分だろう。古賀はテーブルの灰皿を見つけると、ポケットから煙草を取り出した。


「……で、単刀直入に言いますが、話を聞かせてもらえませんか?」


 自らの気の張りを緩ますように煙草に火を点けていた古賀に、古賀の前の葛城信介が腕組みしながら言う。古賀は一気に煙草の煙を吸引すると、それを小さな溜息とともにゆっくりと吐き出した。


「おいおい、まずは自己紹介ぐらいさせろよ。これから長い付き合いになるかも知れねぇし、貴方って呼ばれるのも何だか好かねぇ」


 溜まった灰を灰皿に落とし、古賀はさらに話を続ける。


「俺の名前は古賀、古賀茂だ。この制服を着ているからもう分かってるとは思うが、俺もお前と同じ魁皇学園の生徒だ」


「という事は、俺の事は学校で?」


「ああ。お前の名前を聞いて、知らない奴の方が少なかったぞ」


 古賀の言葉に、葛城信介からは溜息が漏れる。きっと本人にも、悪評を受けている自覚があるのだろう。軽口を叩いた古賀は、小さな笑みを浮かべた。


「……それはそれとして。どうして古賀さんが、俺に用があるんです?」


 少年の言葉と同時に、テーブルに二つのコップが置かれる。揺らぐように煙を立てるカップと、透明な水滴が流れる透明なグラス。古賀は煙草を消すと、何も入れずにそのままブラックのコーヒーに口を付けた。


「さっきも言ったが、上の奴ら……ていうか、俺の組織がお前に会いたがっている。理由までは聞かされていない。まぁ、お前も吸血鬼に関わる人間なら、何となく分かっているもんだと思っていたが」


「そりゃ、思い当たる節はあります。だけど、簡単に組織って言ったって、どんな目的を持っているのか分からなかったら、見当がつきませんよ」


「そりゃごもっともな意見だ。だが、正直な話、俺も組織の目的みたいなのはよくは把握してないんだ。だから教えようにも教えようがない」


 若干、少年は不服そうな顔をし、湯気が立つカップに口を付けた。


「まぁ、とにかくだ。俺達の組織の組員は日本中にいる。詳しい話を聞きたいなら、俺みてぇな末端の使いっぱなんかじゃなくて、もっと組織の中心の方の奴に聞きな。俺はただ、お前を連れてくるように言われてるだけだ」


「分かりました。ところで話は変わりますが、古賀さんの組織は何と呼べばいいんです? ただ組織と呼ぶのは、何だか分かりづらいような気がして」


 カップに入ったシナモンティーを飲み干し、少年は椅子に寄りかかるようにして古賀を見つめた。

 そういえばと、古賀は思い出したように頷く。自分の自己紹介ばかりで、肝心な組織の事は話していなかった。


「組織の名前は、確か……ノーブル、ノーブルブラッドとか言ってたな。構成員の九割が吸血鬼で、古くから日本の社会を裏で操っているらしい」


「ノーブル……ブラッド。“高貴なる血族”ですか?」


「だが、組織は末端はほとんど組織とは関係ない、暴力団やら企業グループやら政治団体やらのただの人間だ。そう考えりゃ全部が全部、高貴な血族ではねぇ。だから言葉を選んで、一番中枢のグループをノーブルブラッドと呼んでいるらしい。まぁ、俺もほとんど受け入りだがな」


「組織自体は小さいけど、その枝葉となる部分は多くて大きい……って事ですか?」


 古賀は再びゆっくりと頷く。


「そういう事だ。これ以上は、俺も新入りだからよく分からん。後は他の奴にでも聞いてくれ」


 煙草を灰皿に押し付け、古賀はアイスコーヒーを一気に飲み干す。苦々しいコーヒーの旨味が、古賀の口一杯に広がった。


「そうですね。じゃあ、連絡先を教えてください。こちらから改めて電話しますから」


「ああ……いや、お前の連絡先を書け」


 少年の方の連絡先を知っておけば、色々とこちらとしては都合がいいだろう。古賀はそう思い、少年にそうするように促した。

 少年は一言返事をすると、ポケットから生徒手帳を取り出し、サラサラと住所と電話番号らしきものを記入していく。そしてそれを書き終えると手帳から破り、古賀の目の前に置いた。


「自宅の住所と電話番号です。昼間は学校にいるので連絡はしないでください」


「それは分かっている。それと、今日は念のためにお前の家まで付いていくからな」


「ご勝手に。俺は逃げも隠れもしませんから。それと古賀さん。よかったらそこのブラインドを下ろしてくれませんか? ここは何だか眩しくて」


 そういう事ならと古賀は立ち上がり、ブラインドの紐に手をかける。そして紐をゆっくりと引くと、ガラガラと音を立ててブラインドが窓枠まで下りてきた。


「で、他に話は?」


 古賀はブラインドを下げて腰を下ろし、少年を見つめる。少年は首を横に振り、大きく身体を伸ばした。


「それじゃ、そろそろお前の家まで行かないか? 時間も遅くなると、お前も困るだろ?」


 古賀が周りを見回すと、客は既にほとんど居なくなり、この店のマスターも暇を持て余して雑誌を読んでいる。時計を見れば、既に六時を大きく回っていた。


「食器、下げてもよろしいですか?」


 この喫茶店のマスターが、手にお盆を抱えて古賀たちの横へとやってくる。古賀は無言で頷くと、マスターはさっさと食器を片付け、再びカウンターへと戻っていった。


「……ちょっと、トイレに」


 マスターがカウンターに戻るのを見ながら、少年はすくっと立ち上がる。古賀は呼び止めようかとも思ったが、バッグが椅子に置いてあるのを確認すると、そのまま視線を前に戻した。

 静かになった店内の中に、軽快なリズムが響いている。この曲は……確か、ボブ・マーリー。曲名は思い出せなかったが、古賀はしばらくその音楽を聞き入っていた。

 店のマスターが頭を掻きながら、店のスタッフルームに消えていく。カタカタと、不規則に鳴るコーヒーメーカー。古賀は煙草を吸おうかとも思ったが、何だかそんな気分にもならず、静かに目を瞑った。


「にゃーん」


 ふと気付くと、古賀の足元に一匹の猫が擦り寄ってきていた。艶のある美しい黒い体毛に、飼い猫である事を示すピカピカに光った赤い首輪。淡く、そして時に深くその猫の緑色の瞳は、鬱屈した古賀の気持ちを紛らわすように輝いていた。

 黒猫の頭を優しく撫で、古賀は猫の体を優しく持ち上げる。動物は、真っ直ぐで嘘を吐かないから好きだ。猫は膝の上に乗ると、目を閉じて体を丸めた。


「それにしても遅いな」


 膝上の猫の体を撫でながら、古賀は店内の時計に目をやる。時間はもうすぐ七時になろうとしている。葛城信介がトイレに行ってから、気付けばもうすぐ二十分になろうとしていた。

 嫌な考えが頭を巡り、古賀は居ても立ってもいられず、猫を横に下ろしてトイレに向かう。そしてトイレの前に立つと、早まる気持ちを抑えてドアをノックし、間髪いれずにドアを開けた。


「……なるほど。お前はそういう手に出るわけか」


 トイレの中には誰もいない。という事は、そういう事だ。葛城信介は、逃げ出したのだ。

 バッグを引っ掴み、古賀はカウンターに千円札を叩きつけて店を出る。逃げられたという事実が、古賀の意識を加速させ、そして古賀は、急激に気持ちが昂ぶってくるのを感じた。


「あの野郎、なめやがって」


 圧倒的な劣情が、古賀の心の中から溢れるようにして古賀自身を満たしていく。手荒な事。すなわち暴力を行使する権利を得た事が、古賀の気持ちをさらに白熱させていた。







「……やれやれ」


 古賀が出て行き、一人取り残された店のマスターこと三波章平は、しわくちゃになった千円札を広げて溜息を吐いた。

 ――本当、悪知恵だけはよく働く奴だ。


 シナモンティーのティーカップと下に隠された、一枚の紙切れ。その紙切れには一言、「吸血鬼がいる」と書かれてあった。それがどういう意味なのかは、最初章平はまったく気付かなかったが、普段は絶対に店には来ない信介が今日に限って店に来た事と、紅茶嫌いのはずの信介が、もっとも嫌いであるはずのシナモンティーを頼んだという事を並行してよく考えてみると、章平はすぐに合点がいった。


「案外、信介君なら、吸血鬼達とも渡り合っていけるかもしれんのぅ」


 カウンターに飛び乗り、黒猫ことアルフレッド・フレイスターは章平に言った。


「あの吸血鬼は?」


「セシルが追っておる。まず逃げられはしまい」


「“銀狼”か。名前を聞いた時は、さすがに驚いたよ」


 章平の口許が微かに緩み、アルフレッドを見つめる。アルフレッドは章平の顔を見ると、そっと視線を逸らして口を開いた。


「わしとセシルがおり、君がおれば、心配せずともあの子は大丈夫じゃ。況してや、信介君はあの信太郎の倅じゃ。


恐らく、あの男とも、十分闘り合える」


「……だといいがな」


 章平の瞳に、微かに影が宿る。その意味は、少しだけだがアルフレッドにも理解できた。


 

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