守護者
前と変わってません。順番が変わっただけです。
13歳になる10日前、護の長に連れられて裕真は里を旅立った。
里の皆、仕事から一時的に帰ってきた両親に見送られながら。
裕真が、おそらく二度と帰ることのないだろう里を振り返ることはなかった。
民であれば20日ほどかかる道程を、日中は民に混じり、夜は走ることでわずか10日でたどり着いた。
それだけにたどり着いたときの裕真の体力は限界に近かった。
それは、長の年に合わない身軽で無駄のない動きに負けることが悔しく、必死に食らいついていった結果だった。
荒い息の下、横目で長を伺えば疲れた様子は全く見られなかった。
その様子に自分の力量を改めて思い知らされ、膝についた両手に無意識に力が入る。
裕真の誕生日の朝に姫巫女のいる本殿を見下ろす山にたどり着いた。
「うわぁ、すっげぇ」
見下ろした本殿の美しさに裕真は思わず、感嘆の声をあげていた。
桜。椿。山茶花。紫陽花。梅。金木犀。秋桜。百合。水仙。桔梗。菖蒲。
早春にも関わらず山から見下ろす本殿の広々とした庭には、美しい花々が咲き誇っていた。
季節を問わずに咲くそれらが美しい絵のような光景を生み出していた。
本殿自体も、余計な装飾の施されていない平屋造りであったが、長き年月を超えたものが持つ美しさと神々しさが庭と相まってさらに幻想的な印象を与えた。
「裕真、川にいくぞ」
茫然と本殿を見下ろしていた裕真に声をかけると長は、振り返ることなく水音に向かっていく。
長の言葉に改めて自分の格好を見下ろすと砂埃や汗にまみれており、お世辞にも清潔とは言い難かった。
一瞬このまま本殿に行こうかと考えたが、自分でも汗臭く感じ、結局長のあとを追い、川で体を洗った。
十分に汚れを落とした後、両親が用意してくれた上等な布で作られた服を身に纏った。
今まで、目にしたことのない上等な布は、肌触りがよく気持ちが良かった。
それは、里でも腕利きといわれる裕真の両親が今まで貯めたお金で買ったものであった。裕真が生まれたときから、最後の贈り物に本殿において裕真が嘲笑されることのないように出来る限り上等な物をと努力を重ね、気持ちを込めたものだ。
裕真がその込められた思いに気付くのは、もう少し成長してからではあったが。
「護の里の者でございます。わが里より、守護者を連れて参りました」
身なりを整えた後、大木を用いて作られた巨大な門の前に二人は居た。そこで低く、良く通る声で長が自分達の到着を告げた。
しばらくしてから、ギギィと重たい音をたてて扉が開いた。
扉の向こうには、年嵩の1人の巫女と武器を持った2人の神兵が立っていた。
長は巫女に向かってすっと膝まずき頭を下げた。
「何用です」
冷たい巫女の声が響き、神兵が威圧的に睨む。
その様子は穢れた忍が聖域たる本殿に何の用があるのかと、見下しているように裕真は感じた。
それは裕真の反感を買うのに十分過ぎるほどだった。
同時に、裕真はそんな態度をとられたにも関わらず、なおも膝まずく長が卑屈に見えて、仕方がなかった。
「私は護の里の長でございます。わが里に生まれた、守護者である、この子が13になりましたので、こちらに参りました」
冷たく射るような目で巫女は裕真を見た。
そんな裕真の憤りに気付かないように、長は巫女を敬う態度を崩さない。
それを巫女は当然のように受ける。
「見せなさい」
裕真は思わず、反抗したくなるのを長の目線でぐっとこらえた。
いささか乱暴に右手にしていた指なしの皮の手袋を外し、巫女の前に突き付けた。
裕真の苛立ちに応えるように普段は消えている鮮やかな炎を思わせる痣が右手の甲に浮かびあがっていた。
巫女の氷のように冷たい指が何度も疑うように痣に触れ、ぞくり、と裕真の体が震えた。
しばらくそうしていたかと思うと、ふいに巫女の指が痣から離れた。
思わず息を吐き、我知らず息を止めていたことに裕真は気付いた。
巫女に気圧された自分に苛立ちを感じ、それに気づかれまいと表情を変えないように努める。
「確かに守護者ですね。着いてきなさい。ご苦労様でした」
長を一瞥し、一声かけるとそのまま身を翻した。
遠くから足を運んだ長を労うこともなかった。
そんな巫女の態度に、裕真の苛立ちはさらに増す。
一瞬、この場から立ち去る事も考えた裕真だが、長の視線で渋々と巫女の後に付いて歩きだした。
重たげな音を立て、扉が閉まる。
裕真にはその音が自分を縛る鎖の音に聞こえた。
巫女は神兵に目で下るように促すと、裕真の先に立って歩きだした。
広い本殿を歩き外れの方に位置する一室に裕真を案内する。その間、巫女が裕真に話しかけることはなかった。
(忍に掛ける言葉はないってのかよ)
巫女の態度に裕真は否が負うにでも社人に対する反抗心が増して行くのを感じた。
「ここで待っていなさい。姫巫女様に申し上げて来ます」
一言の労いもなく、取り付く間も持たせずに巫女は去っていった。
「姫巫女様ねぇ、どうせ俺らを蔑んでんだろう」
倭に住まうほとんどのものが敬意を示す姫巫女に対して裕真は嫌悪感しか持てなかった。
裕真にしてみれば、姫巫女は自分を縛り付け未来を決定させる、許しがたい存在だった。
ふぅと息を吐くと裕真はぐるりと案内された部屋を見渡した。左右は漆喰の塗られた壁になっていた。入口は透かしの入った障子になっている。正面は上半分が明り取り用に障子になっており、下半分は漆喰に覆われていた。
日当たりは悪くなく、下にひかれている畳も新しいものらしく、イ草の匂いが漂って来る。
また、質素ではあるがよく見れば手の込んだ上等な物と分かる物ばかりが部屋に置かれていた。
(こんな端の部屋にまで上等な物が置いてあるな)
山の上から見た本殿の形と歩きながらそれとなく観察した間取りを思い浮かべ、現在地を確認しながら裕真は思った。
ぴくり、とわずかに裕真は体を緊張させた。
裕真の居る部屋に向かって軽やかな足音が聞こえてきたからだ。
足音や微かな衣擦れの音から推測を立てる。
(巫女か?俺と同じか少し小さいぐらいだな。何か持っているのか?)
ガラッと勢い良く開いた障子の向こうにいたのは長い漆黒の髪を持った裕真と同じぐらいの巫女だった。
裕真はその巫女の顔に思わず声を上げそうになった。
いくぶん子供らしい丸みが残るその巫女は、間違いなく裕真が夢で見た少女だった。
裕真が想像していたのよりも、遥かに綺麗になっていたが、その子が夢で見た女の子が成長した姿だと、なんの疑いもなく裕真は確信すると同時に、胸の奥が熱くなった。
(何でここにいるんだ?いや、それよりやっと会えた。ずっとずっと会いたかったこの子に。あの夢がどれだけ助けになったか。礼をいった方がいいのか?だけど、この子がおれのことを知ってるとは限らない・・・んだよな)
今更ながらに、自分で出した結論に思わず裕真は落ち込んだ。
「どうしたの?大丈夫?」
自分の顔を見たまま動かない裕真に、不思議そうな表情を浮かべ、澄んだ声で巫女は声を掛けた。
「いや、なんでもない」
少女の声に我に返ると、いささかぶっきらぼうに裕真は答えた。
内心混乱すると言動が荒くなるのは、裕真の悪い癖だった。
「そう?」
ぶっきらぼうな裕真の言葉に少女はたじろぐことはなくほっとしたように頷く。
次いで、はいと手に持っていたお盆を裕真に差し出した。
繊細な蒔絵の施されたお盆の上には、白磁器のお茶が入った茶碗が1つ乗っていた。
「飲まないの?」
急に差し出されたお盆に驚き、わずかに身を引いた裕真が手を伸ばそうとしない様子に悲しそうに少女は顔をふせた。
「いや、あっとその、だから」
忍の心得のひとつに自ら手に入れた物、用意したもの以外容易に口にするな、信用するなというのがある。
何が入っているか分からないからだ。
用心を重ねることは必須であり、それは里のものが修練を始める上で真っ先に教わり、叩き込まれることだった。忍にとってそれが生死を分けることも多いからこその教えであった。
裕真は真面目に修練を行っていたわけではなかったが、心得はすでに習慣に近いものになっていた。
だからこそ、ようやく会えた少女が差し出したお茶であっても手を伸ばすことができなかった。
「私の入れたお茶飲めないの?」
半分涙声で少女が尋ねる。
少女の様子にどうして良いのか分からず混乱している裕真の様子に、少女はくすりと笑った。
急に響いた笑い声に固まった裕真に少女は笑いかけると、自分が運んで来たお茶を一気に飲んで見せた。
「毒なんて入ってないですよ、守護者様」
裕真の驚いた顔にくすくす、と明るい笑い声を響かせながら少女はさらに言葉を続けた。
「まさか名前を教えないなんて、いませんよね?人の入れたお茶飲まなかったんだから」
ついと裕真の顔を下から覗き込み、笑ってみせる。
「ゆ、裕真、だ」
急に近くなった少女の顔に思わず、顔が熱くなるのを感じながら、答えた。
「ゆ・う・ま、裕真。いい名前ね」
少女は、確かめるようにつぶやくと満面の笑みを浮かべた。
「……あ、ありがとう」
一瞬、その笑顔に見とれ、その事が恥ずかしくて、口ごもってしまった裕真の様子に、くすくすっと堪え切れない笑い声が少女から聞こえた。
少女はなんとか笑いを治めると、真面目な表情になりすっと裕真に頭を下げた。
「お邪魔しました」
それだけ言うと裕真が引き止める間もなく、パタパタと少女は走り去って行った。
しばらく、唖然とその後ろ姿が遠ざかって行くのを見ていたが、くっと、裕真から笑い声がこぼれた。
幼い頃からどんな風に成長しているのか、どんな性格だろうかと何度も想像していた。
何となくおとなしく、おっとりとしているのだろうかと想像していた。
しかし、実際の少女は、想像とはまるで違っていた。
いい意味で期待を裏切られたのが嬉しくて仕方がなかった。
「こっちの方がいいな」
元気で人なつこくてよく笑う。
そして、嵐のように人を翻弄し、焼き付かせるように強い印象を残して行く。
少女の様子を何度も思い浮かべ、笑いながら、ふと自分がらしくもなく少女に会うまで緊張していた事に気が付いた。
「今度、会ったら名前、聞かないとな」
少女に会えた喜びに少女が社人であることさえどうでもよかった。
少女が去ってから、裕真は近くに誰も居ないことを確認すると、壁に寄り掛かった。本殿に来るまでに、昼夜ぶっ通しでほとんど休んでいなかったため、疲労が溜まっていた。
(これから、なにがあるのかわかんねぇんだから休んでおくか)
そう考えると、目を閉じた。
夢に現れた少女と現で再会する。
少女が夢に現れ、再び出会ったその意味は?