誰かの日記 二
序
おやおや、こんにちは。また会いましたねぇ。
おっと、皆まで言わなくてもいいですよ。わかってます、アレでしょう?
貴方ならきっと理解できると思ってたんですよ。まぁ、だからこそこの『誰かの日記』を貴方にオススメしたんですがね。
今回貴方にお読み頂くのは、前回同様ここ一〇年内に書かれた日記です。まぁ、過去か未来かは知りませんがねぇ。
でも、そんなことは些細なこと。他人の日記を読むという背徳感があれば良いんです。そして、それはスリリングであればあるほどなお良し。
ん? あははっ。コイツは失礼。私の前口上なんてどうでも良かったですねぇ。
ではでは、ご堪能下さい。
10/3
別になりたくてなった訳ではないが、俺は引き籠もりというヤツだ。
就活はボロボロで、何とか入社した会社は超ブラック。一月で退職してそのあと転々としたが、イジメだの倒産・夜逃げその他諸々、社会の黒い部分の二~三割くらいは見たんじゃないだろうか?
このネット社会において、もっと酷い話とかは噂として耳に入る。だから、二~三割ぐらいかと当たりを付けたのだが。その二~三割でここまで酷いのだから、社会に絶望するには充分だろう。
自分の立場はよく判っている。社会不適合者のレッテルを貼られた。
引き籠もりに対する世間の目は厳しいし、社会のシステムは俺を脅かすことしかしない。他人は裏があるから不信感しか覚えない。
結果、外が怖い。
……大学まではそんなことを思わなかったのだが、社会に出てほんの半年ほどでここまで叩きのめされ歪な鋳型に嵌められるとは思ってもみなかった。
実際、俺が何をした? 何も悪いことしてないし、一生懸命頑張ったつもりだ。言うなれば、運が悪かったのか。
なら、部屋に引き籠もって何もしないことが、安全で正しいことと思っても仕方ないじゃないか。
だからといって、引き籠もったことがないので何をすればいいか判らず、日記なんかを書き始めてしまった。
普通ならブログとかにするのだろうが、友人達に公言できるような話でもないし、親族なんてもってのほか。見知らぬ誰かに見られるというのも怖いのでこうやってコソコソと書いている。
そして、こうやって書いていて気付いたのだが、驚くほど書くことがない。
先述したように、引き籠もったことがないから何をしていいか判らず、何もしていない。そりゃ書くこともない。
学生の頃に古典の時間に習った『日記文学』とやらの中に、紀貫之が女の振りをして日記を書いたというのがあった。今で言うところのネカマか?
また、アンネ・フランクはキティーだか言う架空の友達に宛てた手紙調にした。俺も何か変わった縛りを設けるべきだったかもしれない。
まぁ、もう今更なんだが。
日記というと、プライベートなモノで秘密などが赤裸々に書かれていたりするイメージがあるのだが、日本では割と近代に入ってからそうなったのだそうだ。確かに、先の紀貫之もそうだが紀行ものとかに『○○日記』とタイトルが付いてるのをよく見かける。
今の日記のイメージは、西洋の個人主義などの影響を受けてそうなったらしい。と言うことは、千年くらい固っ苦しい日記が書かれていたと言うことか? いや、いくら何でもそりゃないだろ。
きっと、名もない誰かが落書きみたいに書いたりしてるだろ。誰かの悪口だったり、日々の不満とか愚痴をさ。
だから、というワケじゃないが、ありのまま今思っていることを書こうと思う。友達にも親にも誰にも言えないことを。
『誰か。誰でもいいから、助けてくれ』
終
今回は犠牲者の手記、と言ったところでしょうか?
いやはやまったく、世の中というのは恐ろしいものですよねぇ? 前途ある若者がこうまで落ちぶれてしまう。それに、誰かに見られるのが嫌でコソコソ書いてたのに、私らみたいなのに見られるんですから、やりきれませんよねぇ?
おや、もうお帰りで?
今回のはどうでした?
……ほうほう、そうでしたか。
次はちょいと変わったものをご覧に入れようと思いますので、楽しみにしていて下さい。
では、また。