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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
幼少期編

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6/12

捜索

「……何だって? 勇が帰ってきてない?」


 空は茜色から、濃紺の空へと切り替わろうとしている頃。仕事を終えて帰宅した勘助が、一葉からの報告を受けて険しい表情を見せた。いつもなら、この時間、すでに自宅で夕飯を心待ちにしているような勇が、まだ家に帰ってきていないのは初めてのことだった。


「どこへ行ったのかしら……」

「昼餉を食べてから、遊びに行くと言っていただろう? どこへ行くか言わなかったのか?」

「……えぇ。夕方になっても帰らないから、あの子が遊びそうなところは全部見て回ったんですけど、どこにも、いなくて……」


 一葉は青ざめた顔で、落ち着きかない。

 不安で血の巡りが悪くなり、冷え切った手を何とか温めようと、一葉は自分の手を何度も摩ったり揉んだりしていた。


「多度津山は行ったのか?」

「頂上まで行ってみたんですけど……」

「……」


 勘助はごくり、と息を呑む。

 額から冷や汗が流れ、手にしていた手拭いをきつく握りしめた。


「俺がもう一度探しに行ってくる。もしかしたらその間に帰ってくるかもしれないから、お前は家で待っていてくれ」

「……はい」


 勘助はすぐさま踵を返し、玄関へ向かう。引き戸を開こうと手を伸ばした瞬間、外からドアをノックする音が響き、思わず手を止めてしまう。


「橋倉さん! いるんでしょう!?」

「浪越さま?」


 聞き覚えのある、しかし緊迫感を持ったその声に、顔を上げた勘助は引き戸を開く。するとそこには血相を変え、息を荒げた弥七の姿があった。


「お宅に、小春は来ていませんか?」

「え……。もしかして、小春お嬢さんも……?」


 その言葉に、弥七は目を見開いた。


「……勇くんも、まだ帰ってきていないのですか?」

「え、えぇ……。今から、探しに行くところです」


 勘助の表情に、さっと影が落ちる。

 弥七の表情はより険しさを増し、勘助から視線を外した。


「……なんてことだ」


 勘助と弥七は、手に灯りを持ち家を出る。すると、隣人女性が、表に灯りを灯しに出たところで二人のただならない様子に気付き、声をかけてくる。


「浪越さまに、勘助さんじゃないですか。こんな時間にどうされたんです?」

「勇と小春お嬢さんがまだ帰って来てないんです。何か知ってたりしませんか?」

「え!? こんな時間なのに帰って来てない!?」


 勘助の言葉に女性は顔色を変えると、家の中に向かって声をかける。


「あんた! 勇ちゃんと小春お嬢さんがまだ家に帰って来てないらしいよ!」


 すると、女性の旦那が大慌てで顔を出してくる。


「何だって!? そりゃ一大事だ! 勘助、すぐ町役場に連絡して応援を頼め! 俺は近隣の大人に声かけてくる!」


 男性はそう言うと家を飛び出し、すぐに各家々に声をかけ始めた。すると大人たちは皆慌てたように家を出て、二人の捜索を買って出る。


「浪越さま、俺も町役場までひとっ走り行ってきます」


 勘助はそう言うと、手にした灯りを弥七に手渡した。




 辺りはすっかり日が落ちて、静かな闇に染まる。

 リーリーと鳴く虫の声だけが辺りに響く中、ガサリと草が大きく揺れる。


「……父ちゃん」


 勇は悲壮感に染まった泥だらけの顔を上げて、目の前の草を掻き分け、町を見下ろす。

 町は、家の仄かな灯りだけでなく、捜索に出た大人たちの手にする明かりが増えていた。その明かりは町中を縦横無尽に動き回り、同時に勇と小春を呼ぶ声が遠巻きに聞こえてきた。


「父ちゃーーん!!」


 下界の町に向かって、勇は腹の底から声を張り上げた。目には涙が浮かび、必死に父を呼ぶ。


 ――どうしよう。俺のせいだ。


 勇の頭の中は、その思いでいっぱいだった。


 ――俺が下りようなんて言ったから……。


 ボロボロと涙が溢れて止まらない。


「ごめん。ごめん、小春」

 

 勇は足元に倒れて動かない小春の傍に座り込む。

 小春は顔や腕に擦り傷をつけ、手には口をつけずに取っておいた残り半分の栗饅頭を握り締めたまま、気を失っていた。

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