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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
幼少期編

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4/8

名前のない感情

 小春は、とても腹を立てていた。

 お転婆娘だと、なぜ勇の前で言われなければならないのか。


「酷い!」


 居間の隅で正座をしたまま頬を膨らませ、拳を握りしめていた。


「小春? どうしたの?」


 そこへ、焼きたての魚を持って炊事場からやってきた割烹着姿の母――キヨが不思議そうな顔で小春を見る。小春はキヨを見て一層不機嫌そうな顔を浮かべた。


「お父さんが、私のことお転婆だって!」


 キヨは小春の愚痴を聞きながら、着物の袂を寄せて魚の乗った皿を机に並べ、小皿に盛ったほうれん草の白和えをそれぞれの位置に置いていく。


「勇の前で言わなくたっていいのに!」


 傍に置いたおひつを引き寄せてご飯をよそい、豆腐の味噌汁を静かに椀に注ぎながら、怒りを露わにする小春にキヨは小さく笑った。

 小春はキヨのその笑いも勘に障り、ますます頬が膨らむ。


「お母さん! 何で笑うの!」

「小春がお転婆だって言われて、怒るような歳になったんだなと思ったのよ」


 優しい笑みを浮かべて、空になったお盆を胸の前に抱えながらキヨは小春を見る。

 母のその言葉に、小春は瞬間的に言葉に詰まった。

 その言葉も、なんだか嬉しくない……。


「お転婆だって言われて怒ったら、駄目なの……?」

「駄目じゃないわ。そうやって一つずつ、お姉さんになっていくのだもの」

「……」


 黙り込んで俯いた小春に、キヨは頭を撫でた。


「……小春。いずれ、お家のためにあなたは嫁がなきゃいけないのだから、男を立て、後ろをついて歩く。そういう淑やかさを身に着けていかなきゃね」


 その言葉に、小春の心が重たくなる。

 理解はしている。女とはそうあるべきと小学校でも教わっているし、そこに疑問はない。ただ、勇の前でだけは言われたくなかった。


「お姉さんになんか、なりたくない……」


 ぽろっと零れた本音が、店先から部屋に入ってきた弥七の耳に入る。

 弥七の姿が見えると、キヨは静かに立ち上がり、そそくさと炊事場へと盆を返しに行った。

 下を向いたままむくれている小春の横に弥七が座ると、小春の体が小さく反応を示し、膝の上に置いていた手を握りしめた。


「小春」


 炊事場から戻ってきたキヨを待ち、弥七が声をかけると小春は恐る恐る視線を上げる。

 小春は、人前では饒舌に話をする弥七が、家の中では多くを話さないこの空気があまり好きじゃない。


「顔を上げて、食事を摂りなさい」

「……はい」


 弥七はそういうと「いただきます」と手を合わせ、黙々と食事に手を付け始める。それに合わせてキヨも食事を摂り始めた。

 小春はちらりと弥七を見上げるが、反論できるはずもなく、静かに箸に手を伸ばした。


                       ***


「お帰りなさい。ご飯できていますよ」


 帰り着いた勇と勘助を、母――一葉いちよが笑顔で出迎える。

 卓上にはだし巻き卵や魚、里芋の煮ころがしと味噌汁がすでに用意されていた。


「おお、今日も美味そうだ!」

「ほらほら、二人とも。早く手を洗ってきてくださいな」


 一葉が二人を水場に追い立てると、勇たちは汲み置かれた井戸水で顔や手の汚れを洗い流す。


「父ちゃん」

「ん?」

「母ちゃんは元気だよな」

「あぁ、そうだな」

「やっぱ元気な方がいいな! 大人しい小春なんて想像できねぇもん!」


 手拭いで水を拭い、それを首にかけると、勇は「腹が減った~!」と部屋の中へ戻っていく。


「……」


 残った勘助はそんな勇の背中を見送り、小難しい顔を浮かべてため息を吐き、濡れた体を拭った。



 食卓に戻った勘助を待ち、全員揃ったところで手を合わせて食事を摂り始める。


「母ちゃん、ご飯食べたらまた遊びに行ってくる!」

「まったく勇は……。明日からまた学校があるでしょう? 手習いが残ってるんじゃないの?」

「もう終わったよ~」


 顔に米を付けたままにんまりと笑みを浮かべる勇に、一葉は呆れたような顔を浮かべる。


「そんなこと言って、後で出てきたらどう言いわけするつもり?」

「ほ、本当だって! ちゃんと終わらせた!」


 疑われ、勇はムッとした顔を浮かべて言い返す。そんな彼の様子を見ていた勘助は笑い出した。


「よし! お前がそこまで言うなら本当なんだろう。俺は信じるぞ?」

「あなた……」


 勇に対してどこか甘さの目立つ勘助に、一葉は困ったように視線をやる。しかし、勘助は笑顔を崩すことなく、勇の頭を少々乱暴にぐいぐいと撫でつけた。


「終わっていると本人が言っているんだ。な? 勇」

「……う、うん!」


 満面の笑みで「信じる」と言われた勇は、一瞬言葉を呑み、ぎこちなくも頷き返した。


「心配せずとも、ちゃんとやってるさ。もしやってなければ……ま、困るのは自分だからな」

「……」


 勘助の言葉に、勇はどこか僅かに視線を下げ、箸を動かす。だが、すぐに何かを思い出したように顔を上げると、勘助を振り返った。


「父ちゃん、そういえばお土産は?」

「あぁ、そうだな。ちょっと待て……」


 勘助は箸と茶碗を机に置くと、腰から下げていた袋に手を伸ばした。

 勇は大きな団扇だと思っていたが、それらしきものがない。団扇でないなら一体何が出てくるのかと、目をキラキラさせながら勘助を見つめていた。


「ほら、これだ」


 差し出されたのは、大きな勘助の手に隠れるくらいの、二つの細長い包みだった。


「何これ?」

「これはな、寶月堂ほうげつどうの栗饅頭だ。丸亀につい最近できた菓子店のだよ」

「あらやだ。そんなお菓子だなんて、高かったんじゃないですか?」


 一葉が驚いたようにそういうと、勘助は「買ったんじゃない、貰ったんだよ」と言葉を付け足した。

 ご飯を掻き込んだ勇は「ごちそうさまでした!」と手を合わせ、栗饅頭を見つめる。


「父ちゃん、一個貰っていいか?」

「そりゃ構わないが……二個じゃなくていいのか?」

「何言ってんだ。俺が二個貰ったら母ちゃんのが無くなるだろ」


 そう言うと、栗饅頭の一つを一葉の前に置き、もう一つを着物の袂にしまい込む。


「小春とわけっこするんだ。父ちゃん、ありがと!」


 勇はにこやかに父に礼を言うと、すぐさま遊びに出て行ってしまう。

 落ち着きのない我が子を見送り、一葉も勘助も困ったようなため息を吐いた。

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― 新着の感想 ―
いやー青春ですな! 眩しい!
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