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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
幼少期編

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3/8

言わないで

「小春、じゃあまたあとで!」


 自宅に帰る途中、米屋の前で立ち止まった勇は小春に声をかけた。


「うん、あとでね!」


 小春も手を振って答えると、勘助は小春の背後に立った弥七を見て、ボロボロの帽子を取り深々と頭を下げる。


「浪越さま。お世話になっております」


 こんななりで申し訳ありません、と言葉を付け足す勘助に対し、弥七はにっこりと微笑み返した。


「お仕事は順調ですか?」

「ええ、それはもう。全て浪越さまのおかげです」


 顔を上げた勘助に、弥七は首をゆるゆると横に振る。


「いやいや。私は何も……。それよりも、橋倉さんのようなお仕事をされる方がいるから、我々も安心して暮らせると言うものですよ」


 勇も小春も、物腰柔らかく話すその姿を見て、親同士が仲が良いことを嬉しく思った。

 父同士が話をしている間、勇と小春も親の影で話をする。


「お昼ご飯食べたら、どこに行く?」

「じゃあ、多度津山は?」


 勇の提案に、小春はムッと顔を顰める。


「多度津山? あそこって線路があるだけでしょ?」

「いいじゃん! 線路だぞ?」


 鉄道に通じるものがあれば、勇には何でもよかった。しかし、小春はそれでは満足せず、頬を膨らませる。その瞬間、勇の頭の上に勘助の大きな手が軽く小突いて来る。

 勇は小突かれた頭を押さえて、父を見上げた。


「勇。小春お嬢さんを困らせるんじゃない」

「えぇ~! 困らせてなんかないやい」


 不満そうな声をあげる勇に、勘助は彼の頭を大きな手で掴む。そして頭を下げさせるのと同時に勘助も頭を下げた。


「うちのバカ息子が、いつもすみません」

「ははは。男子たるもの、そのくらいが丁度いい」


 小春の代わりに弥七が笑いながら答える。そして小春の肩に手を置くと、彼女は見下ろしてくる父を見上げた。


「まぁ、うちの娘も女子おなごながら、なかなかのお転婆だ。もう少し淑やかにしてもらわねば、嫁の貰い手がなくなりそうで心配しているのも事実」


 はねっ返りだと言われた瞬間、小春は怒ったような顔を浮かべて弥七を見る。


「お父さん。私、まだ十歳だよ?」

「もうとおだろう? あっという間に年頃の女子になる」

「……まだだもん!」


 小春は怒ったまま父の手から逃れるように身を翻し、奥の部屋へと駆けて行ってしまう。

 土間から居間へ上がるために草履を脱ぎ、中に入るなり障子をぴしゃりと閉じてしまった。

 勇は小春が何に対して怒っているのか分からず、ぽかんとしていた。


「勇。そろそろ帰ろう。母さんが首を長くして待ってる」

「あ、うん」

「それでは、御前を失礼します」


 勘助がもう一度頭を下げると、弥七はニコニコと微笑みながら大きく頷き返した。




 米屋を後にして、勘助と手を繋いで自宅への道を歩いている時、勇は父を見上げる。


「父ちゃん」

「ん?」

「さっき、小春はなんで怒ったんだ?」


 そう訊ねれば、勘助は小さく唸った。


「お転婆だと言われたのが嫌だったんだろう」

「お転婆の何がいけないんだ? 元気がある方がいいんだろ?」

「それは……もちろん、元気で健やかな方がいい。けど、女はいつか嫁に行かなきゃいけないからな」


 勘助の言葉に、勇はいまいち理解ができなかった。だが、女がいつか嫁に行かなければならないなら、尚元気がある方がいい。もし、小春がそれで嫁に行けなくなるなら……。

 勇はそこまで考えて、閃く。


「……じゃあ、俺が小春を嫁に貰えばいいんだな!」

「……」


 我ながら凄く良いことを思いついた、という顔をする勇に勘助はそれ以上何も言えず、言葉を呑んだ。


「俺が好きなものは小春も好きだし、嫁の貰い手に困るようなことがあるなら、俺がもらえばずっと一緒だもんな」


 得意げに話すその言葉に勘助は視線を他へやりながら、繋いでいる勇の手を握りしめた。

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