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春の残香 〜汽車の窓に、なごりの桜〜  作者: 陰東 紅祢
思春期編

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11/11

会えない時間と知らない人物

 小春と会えない時間が生まれ、数日が経つ。

 勇は始めこそ、米屋の前を行ったり来たりしていた。だが、「会っていい」という許可が下りるわけでもなく、垣間見ることすらままならない日々が続く。


 ある日、勇が学校へ向かうために米屋の前を通ると、店先にいた弥七と目が合った。


「……」


 勇は小春のことを訊ねようとして、一瞬口を開きかけた。だが、何も言えずに視線を僅かに外し、小さく頭を下げると、そそくさと家の前を駆けて行く。

 学校では男友達と遊びはするが、常にどこか物足りなさを感じる毎日に、勇の気持ちは静かに沈んでいった。


 そんな日々が続いたある日の学校帰り、勇は米屋の前で見たことがない少年と男性を見かける。

 最近流行りの洋装に身を包んだ二人に、勇の足は自然と止まった。そして二人の向かいには、柔和な笑みを浮かべる弥七とキヨ、そして小春の姿を見つける。


「あ……」


 思わず声をかけそうになるが、勇は瞬間的に言葉を呑み込んだ。

 小春の目の前に立っていた、二つ三つ年上の少年が、彼女の肩に触れて柔らかな笑みを浮かべる。


「では、小春さん。僕はそろそろ帰ります。また伺いますので、それまでお大事にしてください」

「はい」

「そしてお二方も、どうぞ、ご無理をなさいませんように」


 小春だけではなく、弥七たちへの配慮が自然にこぼれ出る、落ち着いた声の少年の言葉に、小春ははにかんだ笑みを浮かべ、弥七たちも嬉しそうに頭を下げた。

 その瞬間、勇は思わず視線をそらし顔を俯ける。


 ――小春のあんな顔、見たことない……。


 勇の心が、無自覚にもズキリと痛む。

 何だか分からないが、凄く嫌な気持ちになった。


「では、失礼いたします」

「道中、どうかお気をつけて」


 少年達が小さく頭を下げると、弥七たちは深々と頭を下げた。そして、勇のいる方へ向きを変え歩いて来る姿を見て、勇は顔を俯けたまま道の端へと身を避ける。

 彼らがすぐ横を通り過ぎる直前、ちらりと視線を向けた勇は思いがけずその少年と視線がかち合い、息を呑む。すると彼は勇に優しく微笑みかけると、そのまま通り過ぎて行った。

 

 ――俺は、小春に会えないのに……。


 何であの人達は小春に会えたのだろう。

 そう思いながら彼らの背中を見送り、勇は手を握りしめた。


「また来てくれるって!」

「良かったわね、小春」

「うん!」


 その時、無邪気な声が勇の耳に届く。勇は慌てて小春の方へ向き直るが、家族の談笑の中に割り込めない。明るい笑い声をあげながら、店の奥へ戻っていく小春たちを、ただ見つめるしかできなかった。


「……」


 勇の周りだけ、取り残されたように時が止まっているような気がした。あの日を境に、小春は手の届かない場所へ行ってしまったような、そんな気分だった。

 ぐっと口を引き結び、勇は米屋の前を走って通り過ぎる。


 そしてこの日から、勇は小春の名前を口にする回数が減っていった……。




 それから五年が過ぎ、勇は十五歳になる。

 小春と一緒に遊ぶことが無くなってからは、その隙間時間を埋めるように父の仕事を手伝い、鉄道関係の道へ進むための勉強に精を出している。

 それも、あの日犯した失敗を繰り返さないため、地に足の着いた人間になろうと決めたからだ。


「勇! 今日遊ばないか?」

「いや、俺はいいよ。勉強があるから」

「何だよ勉強勉強って。お前頭おかしくなっちまったんじゃないのか?」

「ははは。そうかもな」


 友人に誘われても、勇はそう言って断っては手習い所へと向かう。

 白シャツに着物と袴を着て、学帽をかぶった勇は書生として学問を学んでいる。時には、作業用の洋装に身を包み、勘助と共に機関車整備の手伝いをすることもあった。


 同い年の友人たちは、暇さえあれば港の傍にある遊郭街の近くへ行き、行き交う遊女の姿を遠巻きに見ては騒ぐような毎日を繰り返している中、 勇は一人、黙々と将来なりたい自分に近づくための夢を基準に生きている。


「ありがとうございました。また明日伺います」


 夕方。

 勇は手習い所から出て帰宅しようと足を踏み出した瞬間、驚いたように目を見開き動きを止めた。


「……勇さん」

「……」


 少しばかり遠慮がちに声をかけてきたのは、茶色のブーツに綺麗な着物と袴を着た小春だった。

 五年前まではおかっぱ頭だった髪は長く伸び、大きなリボンで髪を止めた小春は、正真正銘「お嬢さん」という言葉がよく似合う少女に成長している。


 突然のことに思考が停止してしまっていた勇が、確認するように、おもむろに口を開く。

 

「小春……?」

「うん。久し振り」


 小春は嬉しそうに、以前と変わらない笑顔で答えた。

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