時待ち桜
春。暖かく吹く風に木々が揺れ、こぼれ落ちそうなほどたわわに花開いた桜が、音も無く舞い散る。
多度津駅で電車を待つ人はまばらで、しかし穏やかな時間が流れていた。
そんな風景を、改札口の窓口に座っていた一人の駅員――橋倉雅治は静かに見守っている。
――春だなぁ。
どこからともなく舞い込んでくる桜の花びらを見つめ、雅治はぼんやりとしながら思った。
――また、この季節が来たのか。
雅治は、毎年この時期になると、亡き祖父の話を思い出す。
「橋倉さん、お疲れ様です」
ふと、背後から聞き慣れた声がかけられて振り返ると、去年入職した二十歳の青年――渡辺夏輝の笑顔が見えた。
「ああ、夏輝くん。お疲れ様」
やんわりと笑みを浮かべながら、短く答えて立ち上がると、渡辺は嬉々として雅治の座っていた席に座る。
雅治は柔和に目を細め、そんな彼を見た。
「君は、ここに座るのが本当に好きなんだね」
「はい! ここに座ると、色んな電車が入ってくるのが見えるんで!」
根っからの電車好きらしい彼の笑顔に、雅治は小さく、どこか安堵したような笑みを浮かべる。
雅治は彼の肩に手を置き「それじゃ、あとは宜しく」と伝え、その場を後にする。
雅治は他の駅員にも手短に挨拶を済ませ、更衣室へ入る。着ていた制服を脱いでハンガーにかけ、ロッカーへ戻そうとしてふと、手を止めた。
――じいさん。私も、そろそろ引退です。
制服を見つめ、ひとつため息を吐いて、静かにしまい込む。
少しくたびれた茶色のジャケットを羽織り、白地のパナマハットを被って駅を出た雅治は、駅前コンビニの角を右に曲がった。
広く、整えられた歩道の先。線路の柵に沿うように機関車が展示されている。
「……」
雅治はその機関車に近付き、そっと触れてみた。
『この機関車は、この場所を走っていたんだよ』
祖父の、物悲しくも、誇らしげな顔を思い出す。
――じいさん。私も、この機関車が力強く走っていた姿を、見てみたかった。
雅治は愛おしく、機関車を撫でる。
そこへ、小さな男の子を連れた若い夫婦が近付いてくる。男の子はおもちゃの機関車を握り締めていたが、本物の機関車を見つけるなり、とびきり目を輝かせた。
「ママ! 機関車!」
男の子は歓喜の声を上げ、繋いでいた母親の手を引っ張りながら機関車の前にやってくる。
「凄い大きいね~」
「ほんもの!?」
「うん、本物だよ」
母親が優しく彼に頷き返すと、男の子は顔を紅潮させた。
「乗っていい!?」
「え……それは……」
息子の好奇心を前に、母親は僅かに言い淀む。その母親の視線と、彼らの様子を見ていた雅治の視線が、一瞬、重なる。
雅治はにっこり微笑むと、僅かに腰を屈め、男の子に声をかけた。
「僕、機関車が好きかい?」
「うん! だってカッコイイんだもん!」
「そうか。おじさんも機関車が一番好きなんだ。この機関車も、君が乗ってくれたらきっと喜ぶと思うよ」
雅治の言葉に、男の子は嬉しそうにその場で跳ねると、機関車に乗り込む。
「あ、あの、本当にいいんですか? 展示物、ですよね?」
躊躇いがちに訊ねてくる母親に、雅治は笑顔で頷き返した。
「構いませんよ。これは、そう言う為にも置いてあるんですから」
雅治は機関車を見上げながらそう言うと、子供を見守る父親が、雅治の隣に並んで声をかけてきた。
「この機関車、昔はちゃんと動いていたんですよね」
「……えぇ。そうですね。高松から琴平まで、沢山の乗客を運んでいました」
「おじさん、動いてる当時のこと、知ってるんですか?」
驚いたように父親が訊ねてくると、雅治は困ったように笑いながら首を横に振る。
「いや、私は知らないんだ。でも、私のじいさんがね……」
目を細める雅治の言葉に、夫婦は興味深そうにしていた。




