第9話「悪女を受け入れられない」
ハッと我に返り、思い出した記憶に私はいてもたってもいられず彼を抱きしめる。
「ウェリナ?」
「少しだけ……。少しだけだから」
ウェリナとして触れるのは嫌だった。
彼の気持ちを弄ぶように身体にだけ触れさせる。
そんな淫らさには吐き気がした。
ファルサとして恋をした私に背くようで、なおさら嫌だった。
(だけどレクィエスが必要としているのはウェリナだから……)
卑下する気持ちより、レクィエスが幸せになる道を選びたい。
燃えるような嫉妬心はあるけれど、今は苦しむ彼を抱きしめたかった。
「ウェリナ。好きだよ」
そう言って私の背に手をまわす彼を拒めなかった。
***
「本当にここまででいいの?」
城門前に停まった馬車に乗りこもうとして、レクィエスが不安げに見つめてくる。
「うん。ありがとう。それじゃ……」
またね、とは言えなかった。
ウェリナじゃないのに無責任なことは言いたくなかった。
すでに彼の気持ちをかき回すようなことをしているが、私の本意ではないと頑なに耳を塞ぐ。
「花の丘へ」
公爵家に戻ろうとする御者に私は行き先を告げた。
花の丘――。
城下町を抜けた先に白い花を咲かせる木が根を広げている。
その木は古くから国の発展を見つめてきた樹齢の長い特別な存在だ。
そして私にとっても――。
(私がレクィエスに恋をした場所)
丘にたどり着けば白い花びらが風に乗り、頬の横を通りすぎた。
甘くやわらかい香りに惹かれて丘を登り、白い花を咲かせた巨木を見上げる。
どの季節でも花を咲かせている不思議な木だ。
私はこの場所で涙を流すレクィエスを見て恋に落ちた。
ファルサとして、青い髪を手で押さえて悲しげな彼の横顔を見つめていた。
どうして泣いているのかわからず、寄り添いたいと欲を抱いて一歩を踏み出せなかった。
その後、彼と結婚の話があがったときは舞いあがるほどうれしかったと思い出す。
大切に、大切にされて私は幸せだったと、私はその場で涙を流した。
「抱きしめたいと思ったの。泣かないでいいよって。もう一人にしないよって、言いたかったのよ……」
幹に額を当てるとまた、子どもの笑い声が聞こえた。
『キャハハ』と笑う声は無邪気でありながら、突き刺すように痛い。
(何なの……。知らない。これは私もウェリナも知らない笑い声)
誰が笑っているのかわからず、その場に膝をついて痛みに耐えた。
涙をこらえてかすんだ視界に、まだ少年のレクィエスが血を流している幻覚を見た。
(これはウェリナの記憶だ。だって私は知らないもの)
虚ろな目をした彼の前にウェリナが膝をつき、ハンカチで額の傷をおさえている。
涙をポロポロ流して彼にまじないの言葉を伝えていた。
『いたいの、いたいの、とんでいけ』
それは母から教わったやさしい言霊。
聞き馴染みのある誰かを想う無償の愛の言葉。
「いたいの、いたいの、とんでいけ」
お願いだから、これ以上レクィエスを傷つけないで。
その想いは私が抱いたもの。
そしてウェリナが強く抱いていた悲痛な想い。
(どうしてなの? こんな想いを抱いておきながらどうして!)
彼に愛されて、愛を返さなかったのか。
身体だけ彼に許す中途半端に残酷な行為を繰り返した。
ウェリナに愛を拒絶する理由がない。
愛しているなら素直に答えていればよかった。
王子と公爵令嬢なら身分に壁があるわけでもない。
まるで処刑台にむかうために生きているみたいだと、悲壮な生き様にまた吐き気がした。
(熱い)
この身体はやけに火照っている。
彼に抱かれなければ狂ってしまうのではないか。
仮にそうだとして、そんな身体になるのはやはり生粋の淫乱だから?
――嫌だ。
彼女の苦しみを知れば知るほど、同情心がつのる。
私を殺そうとした悪女なのに。
絶対に許されない悪意をもった人なのに。
同じ愛する気持ちを持っていたウェリナを、どう受け止めればいいの?
私に出来るのは震える身体を抱きしめて、自分をなぐさめることだけだった。




